ドゥテルテという劇薬――フィリピンを治すのか、壊すのか?

フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、その尋常ならぬ言動で国際的な注目を集めている。2016年6月末に就任して以来、犯罪者の超法規的処刑を擁護し、それを批判する政敵を罵倒し、オバマ米大統領に暴言を吐き首脳会談をキャンセルされた。まさに前代未聞だ。フィリピンの知識人には、眉をひそめて彼の言動を批判する者も少なくない。

 

しかし、ドゥテルテへの支持率は9割から8割を維持したままだ。しかも、貧富の差、言語集団の多様性、豊かな都市と貧しい農村、キリスト教とイスラーム教の分断といった、あらゆる社会亀裂を乗り越えて、彼は支持を集める。なぜ、こんな人物が多様な人びとから高い支持を集めているのだろうか。

 

 

規律ある国家の希求

 

ドゥテルテとその支持者を、「途上国の衆愚政治」と冷笑するのは容易だ。ただし、ドゥテルテを当選させたのは、フィリピンを今こそまともな新興国に変えたいと願う人々のリスクある賭けだったことを忘れてはいけない(日下渉「フィリピン大統領選挙――なぜ、「家父長の鉄拳」が求められたのか?」SYNODOS)。しかも、出口調査によれば、より階層と学歴が高い者ほどドゥテルテを支持する傾向があった。教育のない貧者がドゥテルテに操られて熱狂的に支持しているのではない。

 

従来の大統領が「豊かさ」を国民に与えると約束したのに対して、ドゥテルテは厳格な「規律」を与えることを掲げた。人々が「規律」を支持したのは、自分勝手な者たちが自由を食いものにしてきた結果、国家の制度が機能しなくなっているという苛立ちのためである。またGDP成長率7%前後という高い経済成長を続けるなか、より多くの人々が安易な「ばら撒き」ではなく、「規律」による社会改革を支持するようになったこともあろう。フィリピンの問題は、役人が法規制を利用して収賄に精を出すので、金さえあればどんな法規制も歪めたり、回避できることだ。

 

たとえば、大企業は国税庁に賄賂を払って脱税する。密輸業者は税関に賄賂を払ってビジネスをする。公共バスやジープの経営者は監督する委員会に賄賂を払って車両の整備を怠る。交通違反者は警察に賄賂を払って見逃してもらう。警察に賄賂を渡せば、違法伐採も違法漁業も黙認される。役所の窓口前には「フィクサー」という呼ばれる仲介者がいて、彼らにお金を払えばあっという間に書類を手に入れることができる。2015年には、空港の職員が検査時に旅行者の手荷物に銃弾を入れて、賄賂を要求していたことが明らかになった。

 

こうした腐敗が長年にわたって繰り返されると、それは非公式ながら制度化され、法治主義に基づく公式の制度を侵食していく。この非公式な制度は、短期的には法規制を歪めることで少なからぬ人々に利益を与える一方で、長期的には公的サービスを機能不全に陥らせる。

 

ドゥテルテの「規律」が支持されたということは、このジレンマを解消したいと考える人々が増えてきたことを意味する。彼らはドゥテルテが非効率で腐敗したシステムを破壊し、厳格な規律でもって公式の制度を再生させてくれることに期待を寄せたのだ。

 

アキノ前政権は、政治家の腐敗を取り締り、優秀な政策ブレーンを迎えて改良的な政策形成に取り組ませた。これは公式の制度を漸進的に改善していく実践だった。しかし、アキノ政権という処方箋は、効果が出るまでに時間のかかる「良薬」だった。アキノ自身が強力な指導力を誇示しなかったこともあり、ドゥテルテ支持に回った人々は「いつまで待ったらいいのだ」としびれを切らし、この危険な「劇薬」を選んだのだった。

 

ただし、「改革」のためには処刑も厭わないという劇薬は副作用も大きい。公式の制度を機能させるために、非公式な手段に訴えるという選択は、公式の制度をいっそう弱体化してしまう危険を伴う(注)。

 

(注) 川中豪氏も「強い薬には強い副作用がつきものだ」という比喩でドゥテルテを分析している。(川中豪「危険過ぎる男、ドゥテルテ大統領が支持される理由」『Yomiuri Online』、2016年9月12日) 

 

 

MANILA, PHILIPPINES - MAY 9:  queues to vote during Philippines national elections in on May 9, 2016. Photo by Richard A. de Guzman

熟考しつつ投票用紙に記入する有権者(写真/Richard Atrero de Guzman)

写真2.職場のビジネス街から郊外に帰るバスを待つ人々の行列

職場のビジネス街から郊外に帰るバスを待つ人々の長蛇の列

 

 

麻薬対策による恐怖と変化

 

ドゥテルテの「改革」で、もっとも物議をかもしているのは麻薬対策だ。国際メディアは超法規的殺害の横行を激しく批判するが、国内での支持は高い。その理由は、麻薬問題がフィリピンにはびこる腐敗したシステムの象徴だと考えられているからである。警察は押収した麻薬を密売者に横流ししたり、賄賂を受け取るかわりに密売を黙認したりしてきた。ドゥテルテは、この非公式な制度にメスを入れたのだ。

 

従来フィリピンでは、小袋に入った少量の覚醒剤や大麻を、数百ペソで簡単に手に入れられた。覚醒剤は日本と同様に「シャブ」と呼ばれ、粉末を載せたアルミホイルをライターで炙って鼻から摂取するのが一般的だ。覚醒剤が屋内で人目を避けて使用されるのに対して、大麻はしばしば屋外でも吸われる。どちらも仲間と一緒に使用されることが多い。

 

富裕・中間層の若者が「娯楽」で使うこともあるし、夜通し働く運転手が「仕事用」に覚醒剤を使用することもある。私がかつて住み込み調査をしたマニラのスラムでも、麻薬は日常の一部で、目つき、行動、噂で、誰が覚醒剤の常習者や売人なのかすぐに分かった。覚醒剤の常習者には年配が多いのに対して、大麻はより若年層に人気がある。なぜかと聞いたら、「オーガニックで健康志向」だからだそうだ。

 

投票日前の5月初旬に、私はスラムに暮らす麻薬常習者の友人たちに、どの大統領候補を支持するのか聞いて回った。すると驚いたことに、多くの者たちがドゥテルテを支持すると答えた。放送禁止用語や下品なジョークを連発し、何かと笑いのネタになる彼の存在が好きだというのだ。

 

そのうちの一人、ボボイ(仮名)に「本当かい。殺されちゃうかもしれないよ」と言うと、「そんなことはないさ。彼が大統領になればすべて自由になる」と彼は大麻をくゆらしながら答えた。この言葉の意味が分からず混乱したのだが、話しているうちに分かってきた。彼は麻薬浸りの生活から抜け出したいと思っているのだが、友人付き合いもあり、なかなかできないできた。しかし、ドゥテルテが大統領になれば、この悪癖から解放されるかもしれないというのだ。

 

8月にボボイを再訪してみた。すると、彼は取り締まりに恐れをなして、大麻も覚醒剤もすっかり絶っていた。売人も姿を消したという。警察が麻薬常習者や密売人に自首しなければ処刑するぞと脅したので、このスラムでは30名ほどが名乗り出て広場に集まったという。

 

警察は、こうした情報をもとに監視リストを作った。そして週に2回ほど、夜10時から11時頃に、数十人の私服警官が手分けして家々を巡回し、監視にあたっている。ただし、従来からこの地区を担当していた警察は、地域の住民と深く関わりあい様々な不正にも関与していたので、厳格な取り締まりをできない。

 

そのため、別の管区を担当していた部局の警官が、この地域の取り締まりにあたっている。ボボイの家も監視の対象だ。ある時、彼が仕事で夜遅くに帰宅すると、妻子が泣いていた。寝ていたら警察がやってきて脅されたというのだ。夜にいきなり戸をノックされることから、住民はこれを「コンコン作戦」と呼んで恐れている。

 

フィリピン中で、自ら名乗り出て監視リストの作成に協力したにもかかわらず暗殺されたり、無実の者が巻き添えで殺される事件が相次いでいる。超法規的殺人の背景として一番多いと言われているのが、これまで麻薬の密売に関わってきた警察らが、逮捕された売人や常習者に自分もグルだったと密告されるのを恐れて口封じに処刑しているケースだ。元常習者らは、ドゥテルテを信用して自首したにもかかわらず、いきなり処刑されるのは不当だと怒り、次は自分の番かもしれないと恐れている。

 

ボボイは暗殺の恐怖に脅え、「ドゥテルテに投票したのは少し後悔している」という。だが、麻薬と手を切って配管工として働き、「おれはもう生まれ変るんだ」(magbago na ako)と語る。この言葉は、キリスト教文化における罪の赦しと新生の物語を想起させるとともに、ドゥテルテの語る「変革」(pagbabago)とも重なる。彼に、人権擁護を訴えるデ・リマ上院議員と、ドゥテルテのどちらを支持するかと聞いたら、しばしの沈黙の後、「まだドゥテルテの方がいい」と答えた。ボボイの妻も警察にひどく脅されたにもかかわらず、ドゥテルテのおかげで夫が悪癖を止められて本当に良かったと涙する。

 

 

写真3.大麻のパイプを手にドゥテルテについて語るボボイ

大麻のパイプを手にドゥテルテについて語るボボイ

 

 

暗殺の黙認と家父長の道徳

 

ドゥテルテが就任してから、適正な法手続きを経ることなく3000人以上もの人間がすでに殺されている。上院ではデ・リマが先陣に立ち、超法規的殺害に関わったという人物に証言させるなど人権侵害を激しく告発した。国内外のメディアからも批判的な意見が出ている。しかし、政権への批判は広がらない。なぜだろうか。

 

まず、市民社会に着目すると、これまで政権を批判してきた共産党系の団体がおとなしい。共産党の創設者がドゥテルテの大学時代の教師だったこともあり、共産党系の知識人が社会福祉や農地改革の閣僚になった。彼らは初めて政権内で政策形成に関与する機会を得たわけで、ドゥテルテとの関係を悪化させることは避けたい。その他にも、多くの市民団体が、大規模鉱山開発の規制やLGBTの権利拡大といった様々なイシューに対するドゥテルテの「改革的な態度」に期待を寄せており、政権批判を強められないでいる。

 

次に、ドゥテルテは、麻薬取締りの対象をエリート層にも向けているかのようにアピールしている。麻薬犯罪に関わっているとして、地方政治家、裁判官、警察官、元閣僚の家族などを含む150人以上の名前を公表した。富裕・中間層の若者が集うナイトクラブ等にも捜査の手を伸ばしている。

 

たしかに、ボボイのようにスラムで処刑に脅える者は、「警察が殺すのは貧乏人だけだ。金持ちとは話し合ってうまくやるのさ」と気づいている。だが、エリート層にも断固として立ち向かうかのような姿を見せたことは、一般の支持者に痛快感を与えた。

 

 

覚醒剤をきめて夜明けまでコイン賭博に興じる若者たち。ゲーム板には、ドゥテルテの名、大麻、キリストの姿などが描かれている。

覚醒剤をきめて夜明けまでコイン賭博に興じる若者たち。ゲーム板には、ドゥテルテの名、大麻、キリストの姿などが描かれている。

 

 

そして、「殺されているのは頑固な犯罪者だから仕方ない」との言説が流通している。犯罪者の命は、フィリピンが発展するために払わなくてはならぬコストだというのである。もちろん、こう言い放つ者たちも、いきなり犯罪者を処刑するのは良くないと考えている。しかし、「あれだけ警告されて立ち直るチャンスを与えられたのに、まだ麻薬をやめない石頭が悪い」というのだ。実際には、麻薬を止めても問答無用で処刑されるケースが相次いでいるのだが、そのことに対する批判の声はまだ少ない。

 

こうした見解は、ドゥテルテが国家の法秩序を超える「家父長の道徳と秩序」に訴えてきたことと重なる。これは「国民」を一種の家族共同体とみなし、グレてしまった子供やケンカし合う子供たちを鉄拳でもって従わせることを正当化するものである。この想像力のもと、人権侵害や超法規的処刑さえも、厳格な父親が子供をしつけるための「家庭内暴力」と矮小化され、免責されている。また国際的な批判も、家族のしつけに対する近所からの不当な介入と批判される。

 

こうした家父長の道徳と秩序は、かつてマルコス権威主義が用いたものに近い。実際、ドゥテルテは、自分の父がマルコスと近かったこともあり、マルコスの英雄墓地埋葬を支持するなど、マルコス派を隠さない。マルコス政権下で人権侵害を受けた者たちが反対の声を上げるが、いまひとつ盛り上がりに欠ける。

 

民主化以降、「独裁者マルコス=悪、民主化の英雄アキノ=善」という「ピープル・パワー物語」が、支配的な道徳言説となってきた。しかし、「マルコスの時代には規律があって良かった」と語る人々も少なくない。日本で「戦後民主主義からの脱却」が語られるのと同様、フィリピンでも「ピープル・パワー物語からの脱却」というかたちで、支配的な民主主義の道徳言説に対する反動、そして強権的なリーダーへの渇望が生じているようだ。【次ページにつづく】

 

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