ブルキニ禁止問題から考えたこと――よりよい共生に必要なものとは?

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

終わらないブルキニ問題

 

ヴィルヌーヴ・ルベの一件は上訴され、8月26日、フランスの行政裁判における最終審裁判所である国務院の判決が下された。結果はなんと逆転。判決文に示された理由はこうである。

 

その服装がヴィルヌーヴ・ルベのビーチの治安を乱していると判断すべき根拠はなく、7月14日のニースでの事件を含む、テロリストの攻撃から生じた不安感があるということは、その服装を禁止する措置を法的に正当化する理由として十分ではない。よって、ヴィルヌーヴ・ルベにおける命令は、「移動の自由や良心の自由、人身の自由といった基本的自由に対する、重大で明らかな侵害にあたる」。

 

こうして、ニース行政裁判所による一審判決は無効となり、ヴィルヌーヴ・ルベ町長令の執行停止が言い渡された。

 

国務院の判決にもかかわらず、ブルキニ禁止措置をとっていた多くの市町村の首長はその継続を宣言し、政治家や有識者はこの問題を議論し続けた。ヴァルス首相は、8月26日に自身のフェイスブック上で国務院の判断への不満をあらわにし、こう述べた。「ブルキニを非難することは個人の自由への侵害ではない。女性を陥れるような自由はないからだ!  (ブルキニに対する)非難とは、人を苦しめる退行的なイスラミズムに対する非難だ。」 https://www.facebook.com/manuelvalls/

 

カンヌ市のリスナール市長は、9月4日、個人のウェブサイト上に、自らがブルキニ禁止令を出した経緯と意図をあらためて説明する一文を掲載した(8月31日付)。その中で市長は、異なる信仰や背景を持つ人々がフランス共和国内で共有しうる「常識sens commun」を確立し、共生を果たすことの重要性を指摘した。

 

その上で、「フランス人の集団的無意識」の中で、ブルキニが何を意味するかと問いかけ、こう答えていた。それは、「ブルカ」と同じく、壁や布の中に閉じ込められ、他人に目を向けることができない女性こそが高潔で、その他の女性は「娼婦」だというメッセージを運ぶものである。そして、こうした考え方が流入すると、社会は変質し、国の平和と社会の発展は脅かされるのだ、と。 http://www.davidlisnard.fr/

 

 

共生に必要なものとは?――イメージとの決別を目指して

 

9月に入り、ビーチに人が集まることも少なくなった。フランスでのブルキニ騒動はひとまず収束したようだが、来年もまた夏はやってくる。同じ問題を繰り返さないために何が必要なのか、ここでは私見を述べてみたい。

 

ヴィルヌーヴ・ルベの裁判の判決文やカンヌのリスナール市長の言葉にあらわれているように、ブルキニには一定の否定的なイメージが付随している。一方で、(前者でも指摘されていたように)ブルキニやそれに類する服装を、自分の意志で、信仰心からまとうと主張する女性たちもいる。

 

そうした女性たちの思考回路や、その数が近年増えてきた背景については、(エジプトの事例であるが)拙著『神のためにまとうヴェール』で論じたことがある。教育の浸透やメディアの発達という現代的状況の中で、女性たちは宗教的な知識や意識により身近に接するようになった。その結果、日常生活の中でも「神」の存在や導きの体験を実感する機会が増えた。こうした状況が、彼女たちに「神のためにヴェールをまとう」という決断をさせた、というのがその筋書きである。ヴェール着用は、「過激派」とのつながりや「女性差別」といった言葉だけで説明しうるような単純なものではない。

 

リスナール市長やマニュエル・ヴァルス首相、ヴィルヌーヴ・ルベ裁判の判事をはじめとするブルキニ禁止令の賛成派/推進派に必要なのは、ブルキニ(およびそれに類する装い)に対する、固定的で否定的なイメージから一歩踏み出し、それを着用したいと望む女性たちを理解してみようという姿勢ではないだろうか。そして、彼女たちとも共有しうる、新しい「常識」を模索することではないだろうか。

 

一方、対するブルキニ支持派に伝えたいのは、問題がここまで大きくなった原因の一つは、「ブルキニ」という名前にあるということだ。その生みの親であるザネッティ氏は、一連の騒動のさなか、自分はキリスト教徒でも、ユダヤ教徒でも、ヒンドゥー教徒でも、皮膚の疾患に悩む人でも、産後すぐの女性でビキニを着たくない人でも、誰もが着られるものをつくりたかったと述べている。この考え方には大いに賛同するが、そのデザインのあり方や、ムスリム女性の衣服の名称として知られる「ブルカ」に由来する名前をつけたことで、この水着には「ムスリム専用」というイメージが定着してしまっている。

 

提案したいのは、こうした「イメージ」(固定的で否定的なイメージや、ムスリム専用というイメージ)と決別した水着で、肌の露出を好まない世界中の人々が採り入れられるような、ユニバーサルなデザインの製品を開発することである。その場合の名前は、例えば、オール・カバード(All-Covered)や、造語であれば、レセクスポージャー(Less-Exposure)、モデスーツ(modesty-suit)などだろうか。そのようなスタイルが確立し、普及すれば、今夏のような大騒ぎはもう起こらないであろう。

 

この点、上質でファッショナブルな「ラッシュガード」を考案し続けている日本のスポーツメーカーのみなさんの活躍にも、大いに期待している。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

AWS Access Key ID: AKIAJSA5SEKND2GVG7TA. You are submitting requests too quickly. Please retry your requests at a slower rate.

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

・畠山勝太「こうすれば日本の教育はよくなる」
・穂鷹知美「マスメディアの将来――マスメディアを擁護するヨーロッパの三つの動きから考える」
・大賀祐樹「リチャード・ローティ」
・西山隆行「学び直しの5冊〈アメリカ〉」
・知念渉「「ヤンチャな子ら」とエスノグラフィー」
・桜井啓太「「子育て罰」を受ける国、日本のひとり親と貧困」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(8)――「シンクタンク2005年・日本」第一安倍政権成立」