ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開

「いざ本番」での振る舞い方

 

会談の本番で通訳が心がけることは何か。基本方針は「正確に、わかりやすく、テンポよく」です。

 

通訳として重要なもののひとつは、当然のことながら「正確性」です。通訳対象者が言ったことは正しく訳さなければいけません。これを間違えると、厳しい交渉の場合は、誤訳そのものが外交問題に発展するかもしれません。特に、人の名前、地名、数字で失敗すると致命傷です。私が知っている例では、民間の同時通訳の方が、「○○首相、今日はお招きいただきありがとうございます」と訳す際、あろうことか現職ではなく前の首相の名前で言ってしまうという事件がありました。しかも、その国の前の首相は、汚職で失脚した人だったんです。まるで我が国の要人が、前の首相に対して敬意を示したかのようになってしまい、すぐに「どういうことだ」と照会が殺到しました。通訳が間違えるだけでそういう恐ろしいことが起きてしまうんです。それだけ、人名、地名、数字は死活的です。「150億円支援します」とすべきところを「150万円」としてしまっても一発退場です。通常はメモを取らない同時通訳の方でも、数字と人名、地名だけはメモを取る人がほとんどだといわれています。

 

ただし、いくら正確だとしても、それを相手方が理解できなかったら何の価値もありません。場合によっては、通訳対象者が言ったことを多少丸めて、「実際はこういうことを言っていたんです」と意訳することがあります。政治家の先生方に特に多いのが、同じことを何度も言うことです。「Aです。Aでした。私もこういう経験があったんです。それでAだったんです」と、Aを3回くらい言うことがある。それを同じ順番で訳していったら通訳として失格です。相手にとって何がわかりやすいのかを考えると、そのAは1回にまとめられる。文脈上どのように整理できるかを瞬時に考えて、日本語から英語に訳すことが必要になります。これは英日通訳の際にはあまりないのですが、日英通訳で、日本語独特の表現があるときにはよく起きることです。

 

「わかりやすさ」ということで難しいのが、冗談です。会談で登場する冗談は、通訳にとっては非常に大きいプレッシャーになります。たとえば、総理大臣が冗談を言うと日本側の関係者が笑います。すると先方は「どんな面白いことを言ったんだろう」と期待するわけです。通訳の際にそのニュアンスが伝わらなくて向こう側が笑わなかったら、本当に切腹ものです。冗談が出てきたら、なんとしてもそのニュアンスを伝えなければいけないと考えます。

 

ずいぶん昔、伝説的な通訳の逸話で、某少数言語が使われた懇談でのエピソードを聞いたことがあります。日本側の要人が非常にわかりにくい冗談を言った。それでも相手に対して、冗談のニュアンスを伝えなければならない。そこでその通訳は、全部訳したあと、相手側に「これは冗談ですので、私が訳し終わったら笑ってください」と付け加えたそうです。これで相手がワハハと笑い出して、大団円……ということがあったといいます。もし英語で通訳がこれをやったら、その瞬間「打ち首」ですね。私にはできません。英語の場合、同席者の方もかなり英語を理解されることが多いです。会談が終わったあとで「田村君、あのときの訳だけど、こうじゃないの?」と指摘する人もいますから。こういう状況ですので、通訳をしていて冗談が伝わったら、僕の首はつながったなあ、と安心します。

 

最後に、現場では「テンポよく」通訳するのが大切です。基本的な原則としては、通訳対象者が「1」話したら、最低でも「1」の分量で収めることです。理想的には「0.8~0.9」で収めること。通訳が長々と話していると会談のテンポが失われます。逐次通訳の場合は、通訳が話している時間も会談全体の時間に含まれますので、通訳が時間を無駄にしてはいけません。通訳ができるだけテンポよくこなすことが会談の充実につながります。

 

 

「知る人ぞ知る」人になる

 

通訳担当官の心構えとはどういうものか。基本方針は「有名人ではなく、「知る人ぞ知る」人になる」ということです。

 

第1に、黒子に徹すること。外務省の伝説的な通訳といわれた、いま駐英大使を務めている鶴岡公二さんという方がいます。彼は「通訳の理想は存在を認識させないこと」という名言を残しています。「通訳がこう言った」とか「あの通訳がよかった」とか、そういう影すら見せないことが通訳にとっての理想であるというのが、鶴岡大使の指摘です。

 

 

%e6%b5%85%e7%be%bd%e3%81%95%e3%82%93

 

 

それでも、見ている人はしっかり見ています。たとえば、総理大臣がある国を訪問し首脳会談をおこなった際、私が通訳を担当しました。後日、まったく違う機会に、この会談のことが話題になったことがあります。東京でその国の外交官と議論しながら食事をしていたときに、向こう側から唐突に「そういえば君のこと知ってるよ。あのとき通訳していたでしょ」といきなり言われたんです。「なぜ知ってるのか」と訊いたら、「あのとき会談の記録係で、うしろでノートを取っていたんだ。だから君のことも知っているんだよ」と言われたんです。私はとてもびっくりしました。通訳をやっていることをその人に言っていなかったにもかかわらず、相手はそれをわかっていた。私自身はまったくの無名の人間ではありますが、外交のサークルの中で自分という存在や仕事ぶりが認識されていた。これは驚くとともに、誇りにも感じ、身が引き締まる思いもしました。これが、見ている人はしっかり見ているという意味です。名前が売れていて、プライバシーを切り売りするような有名人なのではない。一定のサークルの中で「あ、そこに君いたよね」「君、こういう仕事していたよね」と測られ、知られていく。これが「知る人ぞ知る」人という意味です。

 

第2に、「適度な緊張感と楽天主義」です。私は首相官邸や外務省で通訳をするとき、「これが最後かもしれない」「失敗してしまったら次がない」と自分に言い聞かせます。実際に、非常に英語がうまい先輩が、ある一回の会談での致命的な失敗が尾を引いて、その後通訳としては声がかからなくなったということがありました。「致命的なミスは絶対にしてはいけない」と緊張感を持って自分自身に言い聞かせますが、同時に、仮に失敗してもあとに引きずらないという楽天主義も重要です。会談の最中に明らかな失敗をすることは、私も何回かありました。同席者に訂正されて、「失礼しました」と訳し直したこともあります。その瞬間は「やっちまったなぁ」という気持ちになるのですが、そこで失敗したことを引きずると、残り10分20分も、間違いなくいいパフォーマンスにはなりません。

 

フィギュアスケートの世界でも、4回転ジャンプを試みて失敗する場合があります。羽生結弦クラスの人でも4回転は全部成功できるとは限りません。しかしその後でも、ステップのシークエンスとか簡単なジャンプとか、そういうところで超一流の選手というのは、着実に決めてくるわけです。その結果、ジャンプは失敗したかもしれないけれど、全体の総合点はいいスコアとなって、優勝することもある。失敗を引きずらないことは通訳にも重要です。

 

第3に、「ハイコンテクストをローコンテクストに」ということです。詳しくはクロストークの中で浅羽先生と一緒に話したいと思いますが、話し手の本意の理解、すなわち通訳対象者が何を言いたいのかを理解しなければ、それを外国語に適切に訳すことはできない、ということです。そのためには、どういう内容なのか、サブスタンスを正確に理解したうえで通訳しなければいけません。

 

複数の手札から最善のカードを切るために、日本語・外国語の表現を両方とも充実させることも必要です。たとえば「牽制する」という言葉が外交分野ではよく出てきます。文脈によって、どの英単語がいいのかを考えなくてはなりません。英語では、discourageという用語がありますね。それからcheckという用語もあります。discourageのほうが、ニュアンスとしては「そういうことはさせない」という非常に強いネガティブ感を示す表現に感じるのですが、checkだと「お前のことを見ている、わかっているんだからね」というニュアンスになります。自分の中にcheckという用語しかないと、「牽制」を通訳するときにcheckという用語しか出せません。それでは話した人の意図が必ずしも正確に伝わらないかもしれない。しかしそこで複数の手札を持っていたら、discourageという用語も知っていたら、現場では通訳対象者の意図を汲んで、2枚のカードの中からそのつど選択することができます。より正確になります。通訳同士の勉強会でも、「この表現は他にどういう言い方があるのか」をよく調べます。一つの用語に数パターンの用語を用意しておく。それを自分たちの手持ちのカードにしていく。そうすると、いざ現場に立ったときに「どれがいいかな」と選ぶことができる。通訳は自分の手札をなるべく増やす訓練をしています。

 

「アンテナを高く、視野を広く」ということも大事です。以前、たまたま飛行機の中で見ていた映画の話題が表敬訪問で登場し、結果的にうまくいったことがあります。外交と関係のない世界の話でも、どこかで役に立つかもしれないと思って、視野を広くして、いろいろな分野を見ておく。それが後々になって自分の身を助けてくれることが、通訳の仕事だけでなく何度もありました。【次ページにつづく】

 

1 2 3 4 5 6 7
シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
・川名晋史「誰が、なぜ、どこに基地を隠したか」
・石川義正「「空洞」の消滅──現代日本「動物」文学案内(4)」