ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開

努力が報われやすい語学学習

 

みなさん、国際関係に興味がある人が多いと思いますが、全員が通訳になるわけではもちろんないし、国際関係の仕事をするわけでもありません。まったく関係ないことをやる人も多いことでしょう。まだ1年生で、これから何をすればいいかが決まっていない人もいるかもしれません。「国際的な舞台で働きたいなあ、活躍したいなあ」となんとなく思いつつも、自分が何をやりたいのかよくわからないという人も決して少なくないと思います。そうした人たちに向けて、私からちょっとしたアドバイスを贈ります。

 

 

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まず語学に限って3つの点をお話しします。第1に、「スタートラインに立つための基礎学力の充実」に努めてほしいということです。私は今までの人生で、「しっかりとした学問を受けていて日本語ではちゃんとした話もできるけれども、英語能力がない、あるいはとても不足しているために、まともな人間として扱われない」というとても悔しい思いをしてきた人たちを数多く見てきました。これを避けるためには、一定程度の語学力が絶対に必要です。これは、みなさんがこの先どの分野に進もうとも当てはまることです。英語であれ、中国語であれ、ある程度のレベルに達していないと、足切りを食らう。相手から「まともに話せないよね、この人は」と見限られてしまいます。

 

これは非常にもったいないことです。「ある程度のレベル」というのは人にもよるのですが、まずはそのレベルに達しないとどうしようもないところがあります。特に英語ではその傾向が顕著です。なぜなら英語は全世界の人が勉強しているからです。もちろん出身地によって英語の訛りがある場合もたくさんありますが、一定程度の水準に達していれば意思疎通はできます。単なる「国際交流できてよかったね」だけだったら別に構わないのですが、ちゃんとした仕事を持ち、英語を使って考える、英語を使って意思疎通をする、英語を使って商売をするということになると、やはり一定程度の水準に達しないと話になりません。在学中にまずはそれをクリアすることを目指すのが一番てっとり早く、同時に、多くのみなさんにとっておそらく最後のチャンスになると思います。

 

第2に、「語学力そのものよりも、その語学を用いて何を語れる人物となるか」です。語学ができるだけではダメで、むしろその語学を使って何を話すことができるのかが重要です。その意味で、語学学習だけを目的とした短期留学はあまりオススメしません。語学を使って何を言うのかを意識しないと、「英語ができるようになったね、よかったね」で終わってしまうことが多いからです。自分が勉強したいこと、卒業して何をしたいのかにもよるでしょうが、英語は単なるツールにすぎません。その道具をどう使って、自分のしたいことに活かしていくのかがより重要です。単に言葉ができるだけでは、どんなに流暢であっても、相手から「あいつは中身がないな」と簡単に見切られてしまいます。

 

第3に、「日々の努力が結果に結びつく可能性が他の分野に比べて比較的高い」ということ。みなさん、もう気づいていると思いますが、日々の努力が必ずしも結果に結びつくとは限りません。社会に出ると、その傾向はより顕著です。頑張ったこと自体が評価されるのは、せいぜい大学か、本来高校までです。そこから先は、どんなに頑張っても成果が出ないこともあれば、ちっとも頑張らなくても運がよくて成果が出て、「君の手柄だ」となることもある。ある意味とても不公平な世界に、みなさんは飛び込んでいくことになります。ただ、そんな中でも、語学の勉強は、比較的努力が結果に結びつく世界です。やればやるほどできるようになる。努力した分、費やした時間にほぼ比例して語学の能力が上がっていく。これは一見フェアなように見えて、実は怖いことでもあります。語学力は、やらないとどんどん落ちていくんですね。言葉はすぐ錆びついてしまう。前はできたのに、いまできないのは、努力を続けていない自分自身のせいになるからです。

 

 

正しく努力する

 

もうひとつ、語学に限らず、将来についてのメッセージを3点お伝えします。

 

第1に、「「ハイコンテクスト」の世界で生きていける時間が有限という自覚」が切実です。身内だけがわかる用語、説明しなくてもなんとなくニュアンスが伝わる、そういった世界で生きている状況を「ハイコンテクスト」と言います。これに対して「ローコンテクスト」というのは、しっかりと説明しないとわからない。まったく前提知識がない相手に対しても、「どういうバックグラウンドがあって、だからこういう話なんですよ」ということを説明しなければいけない状況のことです。このローコンテクスト/ハイコンテストを意識するかしないかで、これから大きな差が出てくると思います。

 

みなさんは新潟県立大学にいます。新潟駅や中心街から離れているかもしれませんが、キャンパスはまとまっていて非常にしっかりしている大学です。生協もあって、学食に行くと「豆乳頂上決戦」という面白そうな企画もやっています(笑)。ですから、大学内のグループとしては楽しめる環境にあると思うのですが、この時間はすぐに終わってしまいます。その先は、そういう仲間内だけでわかる言葉で仲良くできるのとはほど遠い世界になります。それだけでなく、いま、この瞬間も、一歩外に出るとすでにそうなんでしょうね。このことを自覚するかどうか、1年生の時点で「その先」や「一歩外」に目を向けるかどうかで、今後の大学生活や人生のチャンスが大きく変わってくると思います。

 

第2に、「限られた準備時間の中で「正しく努力する」ことを意識する」ということです。さきほど、通訳の準備の中で「必要十分」という話をしました。必要な努力はありますが、やりすぎは何の意味もない。そのとき、その場で「必要十分」を着実に積み重ねていく。これはみなさんにとっても似た世界があるのではないかと思います。たとえばある分野を学ぼうとするときに、誤ったことが書かれている本は世の中に溢れています。そういう本を最初に手にとってしまって「すごいこと書いてある!」と思って読んでしまったら最後です。そこから修正するのはなかなか難しい。その先に待っているのは、誤った内容について「そのとおりだよね」と少人数の蛸壺のグループの中で盛り上がって、スタンダードからどんどん離れていってしまうことになるでしょう。したがって、まずは正しい努力をすることです。

 

みなさんが使っている、指定された教科書には、過去100年から200年の間、学者たちがいろいろと検討し合った結果、「おそらくこういうことが正しいんだろう」という結論のエッセンスが詰まっています。教科書を読むことは実にコストパフォーマンスがよいのですね。逆に、そうではないものを先に読んでしまって、軌道修正がきかず、失敗してしまうということがあります。これはもったいないことです。せっかく大学で学んでいるわけですから、しっかりとスタンダードなものに当たってください。

 

第3に、「有名人ではなく、「知る人ぞ知る」人になる」ということです。通訳の世界に限った話ではありません。みなさんは今後、いろいろな分野で生きていくことになると思います。その中で、自分のプライバシーを切り売りして、不特定多数に対してインターネット上で有名になっていくのではなく、自分の専門領域の世界で「あの人はここが本当にすごい」と知られる――それは少人数の間なのかもしれませんが――そのサークルでは、「この分野ではこの人だ」と一目置かれるようになることが、私が志すキャリア像です。

 

ほとんどの有名人はすぐに飽きられます。プライバシーを売るのには限りがありますし、刺激もなくなっていきます。その結果、最後は見捨てられてしまうだけです。数年前は頻繁にテレビに出ていたのに、いまはまったく見かけないタレントが少なくないことをみなさんも知っているでしょう。一発芸で一度は売れるかもしれませんが、そのあとが続かない。どんどん過激になって、テレビで使いづらくなっていく。そういう「単なる有名人」は賞味期間が短いものなんですね。ですから、みなさんも今後生きていくうえで、プロとして仕事をして、自分の専門のサークルの中で「知る人ぞ知る」人になることを目指してみてはどうでしょうか。

 

私の話は以上でおしまいです。これから浅羽先生とのクロストークに移りたいと思います。【次ページにつづく】

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
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