「イスラム的公正」で庶民の心をつかむ――トルコ大統領エルドアンの政治とは

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

 進む強権化

 

――日本では首相時代、大統領時代とトルコ政治において「エルドアン」の存在感が大きく感じられます。

 

エルドアン大統領を中心とする公正・発展党(AKP)は、2002年の総選挙で勝利して以来、政権の座にあります。結党当初、中核にはエルドアン氏のほか、アブドゥッラー・ギュル(首相、外相、大統領を歴任)、ビュレント・アルンチ(副首相、国会議長)のようなイスラム主義の政治家、アフメト・ダウトオール(外相、首相)のような学者、テクノクラートなどが集まっていて、合理的な政策を実現してきました。しかし、2010年あたりから徐々に、エルドアン首相(現大統領)への権力集中が進みました。有力な政治家は次々に政権中枢から遠ざけられたか、あるいは自ら離れています。

 

これまで、ギュル前大統領・外相、ダウトオール前首相・元外相など、欧米諸国からもタフ・ネゴシエーターと評価されてきた政治家が政権を支えてきたところも大きく、今後一層の権力集中を進めると、周囲にイエスマンが増え、これまでのように合理的な政策実現ができなくなる可能性も懸念されます。

 

 

――エルドアン氏はどのようにその支持基盤を築いてきたのでしょうか。

 

エルドアン氏の政治手腕が卓越しているのは、一貫して、低所得層、教育を十分に受けられなかった民衆に直接的に訴え、彼らの上昇を実現した点にあります。トルコでは、いまだにこういう人々が厚い層を構成しています。同じことは、国際的な舞台でも発揮されてきました。その意味で、エルドアン大統領は一貫してポピュリストと言えます。

 

しかし、EU諸国に台頭するポピュリズムが総じて難民・移民の排除、異文化への敵視を武器にしてきたこと対照的に、トルコではたとえばシリア内戦にともなって発生した難民を300万人近くも受入続けてきました。エルドアン大統領は、一度も難民を追い出せなどと言ったことはありません。イスラム主義のポピュリストというのは、イスラム的公正の実現を図らなければポピュリストたりえないからです。

 

イスラム圏の世俗的で西欧化した指導たちの多くが、エリート層と軍の支持を背景に強権的な体制を維持してきたことを考えれば、イスラム主義のポピュリストの方が、はるかに民主的であることを見落としてはならないと思います。

 

 

世俗主義の守護者としての軍部

 

――これまで軍部が大きな力を持ち、世俗主義を維持してきたトルコが、イスラム主義を受容していっている背景には何があるとお考えですか。

 

トルコの世俗主義というのは、フランスのライシテに近いものです。実際、トルコ語でもライクリキといって、フランス語のライシテから借用しています。社会のなかで公的領域に宗教が介入してはならない、個人も宗教を公的な領域持ち込んではいけないという厳しいもので、私たちが知っている政教分離とは異なります。このため、かつて敬虔なムスリムの女性がスカーフやヴェールをかぶっていると国立大学では学べず、国家公務員になることもできなかったほどです。

 

しかし、イスラムの神(アッラー)は絶対者であり、神の意思が及ばない領分を人間社会につくりだすという発想は、そもそもイスラムにはありえない。つまり、最初から、ムスリムのトルコ人は世俗主義を理解していたはずがないのです。理解したふりをしていたのは、一部の西欧化主義者の知識人や軍人に限られます。建国時にはフランスの世俗主義をモデルにしたのですが、トルコ国民のあいだにフランス社会の世俗主義がどういうものなのかを知る人は少なかったし、世俗主義を擁護してきた共和人民党(CHP)でさえ、宗教に敵対的な世俗主義を擁護するために、軍部に依存してきたことは否定できません。

 

 

――トルコはなぜそこまで世俗主義を徹底してきたのでしょうか。

 

建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクが、イスラム国家だったオスマン帝国がヨーロッパ列強の侵略の前にもろくも崩れ去っていくのを目の当たりにしていたからです。困難な独立戦争を戦い抜いて、トルコ共和国は1923年に独立を達成します。西欧的な国民国家の樹立を目指すトルコでしたが、建国直後にイスラム国家の再現を願うイスラム主義者の運動が起こり、深刻な脅威となりました。アタテュルクは迷わず、イスラム指導者の政治介入を阻止し、一連の西欧化政策、世俗化政策を強硬に上から推し進めたのです。以来、1990年代になるまで、トルコでは近代化=西欧化=世俗主義の堅持というのが共和国のドグマでした。

 

しかし、ムスリムの民衆は、世俗主義というのが何を意味するのか、なぜ、国家とイスラムを切り離さなければならないのか、なぜ、個人が公の場でスカーフをかぶってはいけないのかを理解できませんでした。

 

そのため、世俗主義の不自由さが政治的主張となって台頭することを防ぐことはできなかった。軍部は、世俗主義を否定するイスラム勢力が台頭するたびに、クーデタのような強硬な手段でこれを弾圧してきました。1980年のクーデタ、1997年のエルバカン政権退陣には、世俗主義の決然たる擁護者としての軍、アタテュルクが苦労してつくりあげた国家の再イスラム化は許さないという国家の守護者としての軍の姿勢が示されていたのです。

 

 

――エルドアン氏もかなり軍部を警戒していたようですね。

 

そうですね。2007年の4月、一院制の国会であるトルコ大国民議会が大統領選挙を迎えたとき、与党の公正・発展党はアブドゥッラー・ギュルを大統領候補に立てました。この時も、ギュル氏がきわめて保守的なイスラム主義者であることを嫌った軍部が、そのことに懸念を持っていること、軍はトルコの世俗主義の決然たる擁護者であることをウエブサイトに表明しました。エルドアン氏は軍部の政治介入を危惧していました。

 

この時の大統領選は、軍部の介入以外に、議会制民主主義の危機というべき状況に陥りました。共和人民党は他の野党と共に選挙をボイコットし、大統領選出を妨害した他、選挙の無効を憲法裁判所に訴え、裁判所もこれを認めてしまった。政党が議場を放棄したうえに、野党のいない議場での選挙を無効と訴えたことにはあまりに無理があり、国民も野党のこの態度を議会制度に反するものと批判的でした。

 

この上、軍部が介入してきたら、トルコの民主主義は成立していないも同然です。この状況を懸念したエルドアン氏は議会を解散し、総選挙に打って出た。結果は公正・発展党が過半数を占め、やり直し大統領選挙では、右派の民族主義者行動党(MHP)が議場に来たため、3回目の投票でギュル大統領が誕生しました。

 

この混乱で、エルドアン首相は、大統領を国民の直接選挙とする憲法改正の国民投票を実施し、7割近い支持を得たのです。今年4月の憲法改正国民投票の背景には、2007年の大統領選挙での混乱がありました。

 

 

――民主主義をめぐって、軍部と政権側で緊張した関係が築かれていたのですね。

 

ムスリムの国でフランス型の世俗主義を採用したのは馬鹿げていたと思います。フランスの世俗主義は、西欧諸国のなかで、最も宗教に敵対的な世俗主義です。英国はそもそもそんなに厳格な世俗主義をとっていないし、国教会の存在さえ認めています。ドイツにはキリスト教民主同盟など、キリスト教的価値の尊重を柱とする政党がある。米国も、国の教会はもたず、あらゆる宗教に対して等距離を維持し、個人がどういう宗教実践をしても、それを頭から弾圧することなどありません。つまり、トルコの世俗主義者には気の毒なことですが、世俗主義は、最初からムスリム社会になじむはずがなかったと言わざるを得ないのです。

 

 

――そうした中で自然と世俗主義に対抗する流れがでてきた。

 

そうですね。ただ、エルドアン氏自身、イスラムを称揚したとして訴追され収監された過去がありますから、一気にこの国の世俗主義原則を撤廃してイスラム国家にすることなどできなかったし、そんなことは考えてもいませんでした。たしかに過去14年の公正・発展党政権下で、世俗主義の原則は弱められましたが、それは、信教の自由を公的領域にも拡大するという意味です。いまやスカーフを着用して公務員になることもできるし、もちろん、国立大学に通学することもできる。一方で、スカーフの着用を法律で義務付けるようなことはしていません。つまり、この間の世俗主義の弱体化というのは、ムスリムからみれば権利の拡大、信教の自由の拡大であって、それ自体が民主化の進展と評価されてきたのです。

 

あとは、世俗主義支持者とイスラム主義支持者の比率の問題でしかありません。公正・発展党政権が長期にわたって維持されているということは、少なくとも、世俗主義そのものが国政を選択する際の争点ではなくなったことを意味しています。それに、これまでのエルドアン政権下で飲酒が禁止されたわけでもないし、不倫(姦通)に刑事罰を科すようになったわけでもない。逆に、ワインの生産量など3倍近くに増加しているくらいです。

 

 

中東情勢トルコが要

 

――先日の国民投票では大統領制への意向が決まりましたが、トルコの政治体制はどのように変化するのでしょうか。

 

基本的にはあまり変化しないと思います。すでに書いた通り司法と軍部の政治介入をできないようにしたのが憲法改正の要点です。司法の独立が弱体化することは事実ですが、軍人の犯罪も一般法廷で裁かれるようになり、これまでクーデタを起こしても罪に問われなかった軍部に対して、政治介入への抑止力となります。

 

問題は、エルドアン大統領の後継者です。彼のカリスマ性だけで、崩壊寸前の中東問題を乗り切れるとは思えません。それに、あまりに権限を集中させてしまうと、次に能力に欠ける人物が大統領となった場合に、内政・外交ともに混乱する懸念がある。実際の権力機構としては、米国やフランスに近いが、議会による抑止力が弱い点ではロシア型の大統領制への移行といったほうが当たっているかもしれません。

 

 

――混迷する中東情勢のなか、転換期を迎えるエルドアン政権のトルコですが、今後どのようになっていくとお考えですか。

 

長いことこの国を見ていると、底流にあった再イスラム化への志向は、非常にゆっくりとしか進まないとみています。これまでのエルドアン政権というのは、信教の自由への制約を取り払うというかたちでの再イスラム化を実現しましたが、イランのようなイスラム指導者の統治ではありません。今後も、それはやらないと思います。

 

むしろ喫緊の課題は、中東の秩序崩壊です。具体的には、隣国シリア、イラクとの関係をどうするかでしょう。エルドアン政権はもう6年以上もおびただしいシリア難民を受け入れてきた。しかし、未来永劫、難民を受け入れ続けることはできません。

 

シリアからの難民は、圧倒的多数がアサド政権の暴虐を逃れてきた人々です。エルドアン大統領はアサド大統領の退陣を求めていますが、これは本気ではないでしょう。先のアスタナ(カザフスタン)でのシリア和平会合で、ついに「安全地帯」の設置が合意され、いくつかの地域でシリア政府軍の飛行は禁止されました。シリアに対するロシアのコントロールは確実に強化されつつあります。そこで、反政府勢力、特にスンナ派のジハード組織の背後にいるトルコが、これを抑え込めるかどうかが内戦終結の鍵となります。

 

しかしシリア危機に関しては、ロシアとトルコが保証国となって、アサド政権と反政府勢力を抑え込み、安全地帯に難民を帰還させないかぎり、根本的な解決にはならないでしょう。

 

 

――欧米諸国との関係はどうなっていくでしょうか。EU加盟などが注目をあつめた時期もありましたが。

 

西欧化=近代化路線をとってきた過去のトルコは、EU加盟に熱心でした。1960年代以降、半世紀以上もEUへの参加、つまりヨーロッパの一員となることを望んできた。しかし現在、EU加盟待望論はないと言ってよいでしょう。トルコのEU加盟へと駆り立てていたのは、もともとイスラム主義者の台頭を嫌う世俗主義エリートの願望でした。今やその勢力は弱体化し、それに伴いEU加盟への期待も薄れたのです。

 

加えて、2005年に正式加盟交渉を始めながら、加盟交渉の条件ではなかったキプロス承認問題を持ち出して加盟交渉を途絶させたEUの理不尽な態度は決定的でした。これを契機にトルコ国民がEU加盟に嫌気したうえ、この一年ほどで、EU諸国のなかでも、ドイツとオランダの反トルコ感情はきわめて強まりました。EU諸国には、現在、トルコの正式加盟に積極的な国は一つもありません。反対に、トルコの側にも、自らヨーロッパの一員をめざす意欲はありません。

 

 

――揺れ動く中東情勢の中で地域の要となるトルコの今後に注目したいです。内藤先生、お忙しいところありがとうございました。

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

AWS Access Key ID: AKIAJSA5SEKND2GVG7TA. You are submitting requests too quickly. Please retry your requests at a slower rate.

 

AWS Access Key ID: AKIAJSA5SEKND2GVG7TA. You are submitting requests too quickly. Please retry your requests at a slower rate.

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

・畠山勝太「こうすれば日本の教育はよくなる」
・穂鷹知美「マスメディアの将来――マスメディアを擁護するヨーロッパの三つの動きから考える」
・大賀祐樹「リチャード・ローティ」
・西山隆行「学び直しの5冊〈アメリカ〉」
・知念渉「「ヤンチャな子ら」とエスノグラフィー」
・桜井啓太「「子育て罰」を受ける国、日本のひとり親と貧困」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(8)――「シンクタンク2005年・日本」第一安倍政権成立」