ISから迫害を受ける少数派「ヤズディ教徒」とは?

過激派組織「IS」から迫害を受ける少数派・ヤズディ教徒とは? およそ20年にわたり中東各地の紛争地帯を訪れ、ヤズディ教徒、イラク軍、ISの元戦闘員へなどの取材も行ってきたジャーナリストの玉本英子氏にお話を伺った。2017年6月22日放送TBSラジオ・荻上チキ・Session-22「ISから迫害を受ける少数派ヤズディ教徒 第54回ギャラクシー賞・報道活動部門・優秀賞を受賞したジャーナリスト玉本英子さん取材報告」より抄録。(構成/大谷佳名)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

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あるクルド人男性の焼身決起をきっかけに

 

荻上 ゲストを紹介します。今回、「第54回ギャラクシー賞」報道活動部門で優秀賞を受賞された、ジャーナリストの玉本英子さんです。よろしくお願いします。

 

玉本 よろしくお願いします。

 

荻上 玉本さんはここ数年、ヤズディ教徒、イラク軍、IS関連などを取材し、現地リポートや記事などでその実情を発信されています。これまで、イラク、シリア、レバノン、コソボ、トルコ、アフガニスタン、ミャンマーなど、さまざまな地域で取材を続けられていますが、こうした活動を始められたきっかけは何だったのでしょうか。

 

玉本 私はもともとデザイン事務所に勤めている普通の会社員でした。ジャーナリズムを勉強したこともなかったですし、自分が記者になるとは考えてもいませんでした。それがたまたま、ある日テレビニュースで、ドイツで起きたある事件を見ました。それは、一人の男性が自分の体にガソリンをまいて火をつけて、機動隊に突っ込むという映像でした。

 

それを見て、衝撃を受けました。その男性は自分の体に火をつけてまで何を訴えたかったのか、すごく気になったんです。当時は90年代前半、日本はバブル後期で多くの人たちが豊かな生活を楽しんでいました。しかし、別の国ではこんなことが起きている。

 

その焼身行動を起こした男性は、クルド人でした。クルド人とは、トルコ、シリア、イラク、イランなどにまたがる地域に暮らす人々です。私はこのニュースをきっかけに、彼らのことを知りたい、会ってみたいと思ったんです。

 

およそ半年後に、事件が起きたドイツ、そしてその後、隣の国のオランダを訪れました。アムステルダムにクルド人が集まるカフェがあり、そこに何度か行ったのです。ある日、驚くことに、日本のテレビで見た、焼身決起をした男性が店に入ってきました。私はびっくりして彼に近づき、「なぜ自分の体に火をつけたのか」と聞いてみました。するとその男性は、「私の故郷で起きていることを知れば、あなたも同じことをするはずだ」と答えたんです。それで、次は彼の故郷であるトルコの南東部に行くことを決めました。

 

荻上 はじめは取材をしてどこかで発表しようという動機ではなく、純粋に知りたいという気持ちからだったんですね。

 

玉本 はい。ただ、まったくの素人だったので、はじめは現地のどの団体とコンタクトをとれば良いのか、どこのホテルに泊まれば良いのかすら、分かりませんでした。そのため少しずつ情報を集めながら、まずはオランダでトルコの人権団体を紹介していただいて、またその団体の方からクルド地域現地に詳しい人を紹介していただいてという形で関係を作って、取材を始めました。

 

しかし現地に入ってみると、そこには想像以上に厳しい現実がありました。当時、南東部ではクルドゲリラがトルコ軍と激しい戦闘を展開していました。そのため、トルコの治安当局は、クルド人の一般市民がクルドゲリラに協力しているとして、逮捕や拷問を繰り返していました。私が出会った人で、街でパンを売っていた男性は、電気拷問を受けたため、爪がすべて真っ黒になっていました。こうした現実を目の当たりにして、ただ知りたいという気持ちだけで現場に行ったことを恥じました。これは人に伝えるべき問題だ、このことを他の人にも知ってもらいたいという気持ちが高まり、記者になる道を考えはじめたのです。

 

荻上 記者の活動を始められたころは、どのようなかたちで取材をされていたのですか。

 

玉本 そのころはすでにデザイン事務所は退社していたので、派遣社員として働きながら、お金が貯まったら現地に行って取材する、ということを繰り返していました。当時は小型のビデオカメラを持って一人で取材する、ビデオジャーナリストというスタイルが始まった時期でもあり、これなら私もできそうだと思いました。それで映像に詳しい方に教えてもらいながら撮影に行ったわけです。

 

しかし、そもそも取材には「何を伝えたいのか」というはっきりとした視点が必要です。そこがあやふやなまま、ヨーロッパに行ってクルド人のデモの様子を撮影したり、聞き取りを行ったりしても、何も伝えることはできませんでした。

 

荻上 背景や実情を把握し、そこにある矛盾点や隠れた構図などをピックアップするためには、やはり土地勘が必要ですよね。

 

玉本 そうですね。ただ、何度も通ううちに、現地の友人も増え、言葉や文化だけでなく、考え方やどう行動すれば良いのかなど教えてもらうことができたので、今考えると無駄な経験ではなかったんじゃないかなと思っています。

 

 

コソボ紛争、アフガン戦争の取材

 

荻上 ヨーロッパからスタートし、トルコに移り、その後はどのような取材をされたのですか。

 

玉本 コソボ紛争やアフガン戦争の取材に行きました。そんな中、1999年にカブールのサッカー競技場で、ザルミーナという名のアフガニスタン人女性がタリバンによって公開処刑される事件が起きたのです。私は彼女の家族を追って取材しました(http://www.asiapress.org/apn/site-war/post_3178/)。

 

荻上 ジャーナリストとして問題を取り上げる際に注意する点や報道倫理などについて、どのように身につけていったのですか。

 

玉本 私は幸いなことに、今所属しているアジアプレスとの出会いがありました。メンバーの一人が友人だったんです。彼の紹介があって、その後アジアプレスに入ってからは、ジャーナリズムとは何なのか、伝えることの意味などについて勉強させていただきました。当時はまだ危険地帯には立ち入っていなかったので、とにかくまずは事実をきちっと取材する。何を伝えるのか、そのために何を取材しなければいけないのか。撮影の仕方や原稿の書き方など技術的なことに関しても、多くの方からの協力を得て少しずつ学んでいきました。

 

荻上 コソボ紛争やアフガン戦争も取材されたとのことですが、紛争地域の取材に行く際、全体の構図はなんとなく理解できていても現地で何が起きているのかは行ってみないとわからない。そもそも事前調査が難しい部分もあるのではないでしょうか。

 

玉本 そうですね。たとえばコソボ紛争の時は、あるテレビ局が現地で取材する女性記者を探していると聞き、そのとき私はたまたまトルコにいたので引き受けることにしたんです。ただ、私は現地のことをよく知らず、当時はインターネットも今のようには普及していなかったので、事前に情報を集めるため、コソボの状況に詳しい人に話を聞く必要がありました。それでトルコの大手新聞社でコソボ取材経験豊富な記者にアポなしで会いに行きました。その方はとても親切な方で、現地の人を紹介してくださったり、必要な情報を教えていただいたので、無事に取材を進めることができました。

 

荻上 体当たりで人と会い、紹介を受けて繋がっていくというスタイルなんですね。玉本さんはご自分から関心を持って取材に行く場合もあれば、大手メディアやNPOなどから声をかけてもらうケースもあるのですか。

 

玉本 私の取材は危険地帯も含むため、責任問題が関係します。そのため取材の前に企画が通ることは、私の場合はありません。ですから、自分で計画して取材して、まとめたものをメディアに提案するというかたちになりますね。

 

 

「ヤズディ教徒」とは?

 

荻上 今回、玉本さんは「ヤズディ教徒」の取材において、その女性や子どもの視点に立った一貫した姿勢が高く評価され、ギャラクシー賞を受賞されました。ISから迫害を受けている少数民族のヤズディ教徒ですが、彼らに関心を持たれたきっかけは何だったのですか。

 

玉本 フセイン政権崩壊後の2004年、取材に同行してくれる通訳の方を探しにイラク北部のモスルにある、モスル大学通訳学科を訪ねました。そのときに出会った学生の一人が、たまたまヤズディ教徒だったんですね。私はそれまでクルド問題を取材していたので、クルド語を話すヤズディ教徒のことは聞いたことがありました。ただ、具体的なことは知らなかった。そこで、彼に案内してもらってヤズディ教徒が住む村や宗教施設を見て回ったんです。

 

荻上 ヤズディ教とはどういった宗教なのですか。

 

玉本 ヤズディ教はイスラム教とはまったく別の宗教で、古くからあるゾロアスター教やミトラ教などさまざまな宗教の影響を受けています。イラクを中心に、シリア、トルコなどにまたがる地域に暮らしており、全体で60万人ほどと言われています。ヤズディ教徒は、ヤズディ教徒から生まれた者しかなれないので非常に少数派なんです。

 

荻上 どのような信仰スタイルなのですか。

 

玉本 それが非常に複雑で分かりにくいです。たとえばイスラム教にはクルアーンがあり、キリスト教なら聖書を通して教えを学ぶことができます。しかしヤズディ教にはそうした教典の文言をもとに信徒が教えを実践する形をとっていないのです。基本的に親から子へ、口承によって教えが伝えられてきました。ですから、家庭によっては厳しく教えを守らないといけない人もいれば、またある家では親があまり熱心ではなかったりと、非常にばらつきがあります。そうした分かりにくさから、他のイラクの人々からは誤解されている部分が多いように感じます。

 

荻上 たとえばキリスト教ではイエス・キリスト、ムスリムの場合はアッラーがいますが、ヤズディ教の共通の信仰の根幹というのは存在するのですか。

 

玉本 ヤズディ教でも神様(ホェダ)はいるのですが、その使徒の一つである孔雀天使というものを信仰の対象としています。しかし、この孔雀天使の存在が、ISからヤズディ教徒が迫害を受けている原因の一つでもあるんです。ISはこれを「悪魔崇拝だ」と決めつけています。

ヤズディ教は文化的にはキリスト教に近い部分もあります。たとえば、イースターの時期にヤズディではセルサラというお祭りがあり、玉子を使った催しがあったりするんですよ。

 

荻上 ヤズディ教徒の生活スタイルはどうなのですか。

 

玉本 服装について言うと、イスラムとは違って女性がスカーフを被らなければいけないという決まりはありません。しかし、宗教的な意味はなくても地域的な意味でスカーフを被る方は年配の方に多いです。白が体を清めるということで、白いガーゼの下着を着る人がけっこういます。

 

 

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玉本氏

 

 

ISによる虐殺、人身売買、強制結婚

 

荻上 ヤズディの方々が暮らす地域をはじめて訪れたとき、通訳の方にはどのようなところを見てくれと言われたのですか。

 

玉本 まず「ヤズディ教徒という人々がいることを知ってほしい」と言われました。当時はジャーナリストでもヤズディ教徒のことを知っている人は少なかったのです。しかし、アルカイダなどの武装組織によるヤズディ襲撃は頻発していました。2007年にはヤズディの村の入り口に大きな車爆弾が仕掛けられ、300人以上が命を落とす事件もありました。現場に行きましたが、ひとつの区域が完全に破壊されていました。

 

荻上 なぜISやアルカイダなどは、ヤズディ教徒の方々を差別するだけでなく、虐殺を行うにまで至っているのですか。

 

玉本 さきほど言ったように「ヤズディ教は『悪魔崇拝』だ」という認識があるからです。ですから、ヤズディ教徒はイスラム教徒に改宗すべきだ、改宗しなければ殺すしかない、と彼らは主張するわけです。ヤズディ教徒を迫害したのはISのような組織だけではありません。イラクのヤズディには、肌が白かったり、目が青かったり、金髪の人もいるのですが、多くは、オスマントルコ時代に起きた虐殺事件でトルコから逃れてきた人たちと言われています。

 

荻上 玉本さんがイラクで取材を始められた2004年以降、ヤズディ教徒に対する迫害の状況はどう変化してきましたか。

 

玉本 その前、フセイン政権時代にもヤズディ教徒は弾圧を受けてきました。クルド人として、そしてヤズディ教徒としてです。移住政策では畑のある地域から土漠地帯に追いやられました。産業もなく、多くが貧しい生活を強いられてきました。ですからフセイン政権が崩壊したとき、「これで自由になれる」とみんな喜んだんですね。ところが、彼らは抑圧どころか殺害対象とされ、ますます過酷な状況に追いやられてしまいました。

 

荻上 フセイン政権の崩壊は「民主化」と言うよりは秩序の変化で、具体的にその後の変化が民主的で安定していると言えるかどうかは別問題なんですよね。

 

玉本 そうですね。フセイン政権下での秩序が崩され、ヤズディ教徒の置かれた状況がむしろ厳しい方向に変化してしまったのは、イスラム武装勢力の出現がありました。

 

ISに関連してお話ししますと、2014年8月にイラク北西部にあるシンジャルという地域をISが一斉に襲撃する事件がありました。そこには多くのヤズディ教徒が暮らす村や町があったのです。そして、私のところに「ISが自分たちの村に来た。助けてくれ」と電話が来ました。「なんとか山まで逃げてきたが、女の子たちが捕まっている」と。

 

目撃者によると、ISは、村を包囲し、逃げられなかった人びとを男と女に分け、男性に対しては「イスラム教に改宗しろ」と迫ったといいました。しかし、これまでずっとヤズディという小さなコミュニティの中で生きてきた人たちです。急に改宗しろと言われてもそれは出来ません。すると、ISは男性たちを銃殺したのです。

 

一方、女性や子どもは、彼らにとってはいわゆる「戦利品」でした。彼女たちは、あらかじめ用意されたミニバスに乗せられ、ISの支配地域であるモスルやシリアのラッカなどに連れて行かれ、大きな結婚式場のようなホールにいっぺんに押し込まれました。そこで「奴隷」として、ISの男性たちに買われていったわけです。戦闘員たちは、結婚をしていないと性的関係を持てないので、強制結婚させるのです。イスラム教では4人まで奥さんを持てますが、ISではすでに奥さんがいても3人までは強制結婚しても良いという考え方なので、若い女性から順に、子どもがいる場合は子どもも一緒に買われていきました。私が取材した男の子たちの中には、十代前半で少年兵としてISの戦闘訓練所に入れられた子もいました。【次ページにつづく】

 

 

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