ロヒンギャ人道危機を理解するために必要な視座

はじめに

 

2017年12月に国境なき医師団が発表した推定値によると、最低でも6,700人のロヒンギャの人々が、ミャンマー・ラカイン州北部において2017年8月25日以降に殺害されている(注1)。この数値はミャンマーを逃れ、国境を超え、バングラデシュまでたどり着いた人々の証言をもとに算出したものであるため、国境を越えずに亡くなった人たちも考慮した場合、実際の数値はさらに増加するだろう。

 

(注1)Médecins Sans Frontières. “Myanmar / Bangladesh: MSF surveys estimate that at least 6,700 Rohingya were killed during the attacks in Myanmar.” December 12, 2017 http://www.msf.org/en/article/myanmarbangladesh-msf-surveys-estimate-least-6700-rohingya-were-killed-during-attacks

 

同年11月には、国際人権NGOであるヒューマンライツウォッチにより、ラカイン州北部において、ミャンマー国軍および治安部隊によるロヒンギャの女性を対象とした大規模な性的暴行を告発する報告書も発表されている。この報告書はバングラデシュに逃れてきた52人のロヒンギャ女性へのインタビューをもとに作成しており、彼女らが経験、目撃してきた集団レイプ、殺人、暴行などの非常にむごたらしい現実が記されている(注2)。

 

(注2)Human Rights Watch. “All of My Body Was Pain” – Sexual Violence against Rohingya Women and Girls in Burma (2017)

 

2017年8月25日に発生した「アラカン・ロヒンギャ救世軍」を名乗るロヒンギャ武装勢力によるミャンマー警察や軍施設への襲撃は、ミャンマー国軍による容赦ない掃討作戦を引き起こし、60万人以上のロヒンギャが隣国のバングラデシュへ避難することとなった。同年9月にはゼイド・ラアド・アル・フセイン国連人権高等弁務官は「民族浄化の例として教科書に出てくるようなケース」として、この悲劇的な状況を形容したわけだが、今世紀最大の人道危機とも言われるロヒンギャの不幸は未だに解決の目処が立っていない。

 

多くの人道危機と同様に、 ロヒンギャの苦難を理解するためには、長い時間をかけて複雑に捻れ絡まりあった様々な背景を注意深く読み解いていく必要がある。本論考においては、現在もなお進行するロヒンギャ危機に対して少しでも理解が高まるよう、ロヒンギャ危機の主な舞台であるラカイン州およびミャンマー国内の背景を解説したい。

 

 

ラカイン州で続く複数のクライシス

 

ミャンマー南西部に位置するラカイン州は、西をベンガル湾、東をラカイン山脈に挟まれており、北部はバングラデシュと国境を接している。2014年の国勢調査によると約320万人が州内には居住しており、その内100万人強がロヒンギャと自らを名乗るイスラム教徒の民族である。

 

ラカイン州はミャンマー国内でももっとも貧しい州の一つとして知られており、ラカイン州と同様に地理的に孤立している隣のチン州と歴史的に貧しさを競ってきた。2014年のUNDPの分析によると、ラカイン州内における貧困率は78%と、ミャンマーの平均貧困率38%に対して非常に高くなっている。

 

このラカイン州が世界的な注目を集めるのは、つねに危機的状況が州内に発生した時である。

 

2012年の6月および10月には、ラカイン州内に住むマジョリティ民族であるラカイン人とロヒンギャとの間に大規模な暴動が発生した。5月末に発生したムスリム男性による仏教徒女性のレイプおよび殺害が引き金となり、暴動はラカイン州内各地に広がり、200人以上の死傷者が発生し、1万軒以上の主にロヒンギャの住んでいた家屋が破壊された。

 

ミャンマー政府によって非常事態宣言が出され、最終的には14万人以上の人々が避難生活を余儀なくされた。国内避難民となった人々の大半はロヒンギャであり、治安の悪化を恐れた政府により、多くの避難民は国内避難民キャンプに隔離された。現在でも12万人以上のロヒンギャは、ミャンマー中部に集まる国内避難民キャンプでの生活を強いられている。

 

2012年の暴動が人道危機として世界に知れ渡るようになると、人道支援の資金が貧しいラカイン州内に流れ込むこととなった。前述の通り、ラカイン州はミャンマー国内においても非常に貧しい州だが、長く続いた軍事政権のもと、多くのドナー国はミャンマーの経済開発を支援するための資金拠出を止めていた。

 

そのような背景もあり、急速に避難民キャンプに流れ込む、ロヒンギャのみを主なターゲットとした国際コミュニティからの援助に、ラカイン人はフラストレーションを募らせてゆき、2014年3月にはラカイン州内で活動する国連や国際NGOの事務所への襲撃が発生した。幸いなことに被害を被った人の数は少なかったが、約300人の援助関係者が緊急避難することとなり、避難民キャンプへの支援も一時的に中断された。

 

2015年にはベンガル湾/アンダマン海を漂流し続けるバングラデシュ人およびロヒンギャの人々が、東南アジアの移民危機として世界に報道されるようになる。苛烈な迫害や非人道的な扱いを逃れて、ラカイン州あるいはバングラデシュ南部からタイやマレーシアへ向かうロヒンギャの移動については、過去にも報告がなされていたが(注3)、2012年の人道危機以降、その数は急激に増加していた。

 

(注3)Lewa, Chris. “Asia’ s New Boat People Myanmar’ s Forgotten People.” Forced Migration Review 30 (2008). 40-42

 

UNHCRの報告によると、2012年より2015年の間に同地域より海上ルートでの移動を試みた人の数は17万人に達するとされている(注4)。多くは非合法な業者の手に頼らざるをえず、小さなボートに無理やり詰め込められて目的地に向かうわけだが、2015年に多くのボートの経由地であったタイでの取り締まりが厳しくなると、業者が連れてきた人々を海上に置き去りにしてしまうという事態が発生した。

 

(注4)UNHCR Regional Office for South-East Asia. Mixed Maritime Movements in South-East Asia 2015 (2016)

 

同レポートによると2015年の前半には約3万人がこのルートを使い、同地域からの脱出を試みたとされるが、この時期には5,000人が海上に取り残され、370人が死亡したことが報告されている。

 

2012年の暴動が発生してから4年が経過しようとしていた2016年は、危機的状況が頻繁に発生していた過去数年間に比べて、8月に大規模な洪水がラカイン州内を襲ったことを除き、状況は落ちついているように見られた。とはいえラカイン州内のロヒンギャを取り巻く環境に変化はなく、キャンプ内外において貧困は相変わらず蔓延しており、ラカイン人とロヒンギャの関係にも改善は見られなかった。

 

8月にはコフィ・アナン前国連事務総長を委員長とする諮問委員会が設立され、同年4月に発足したミャンマー新政権のもと、ラカイン州が直面する問題に対して政府主導で対処していく体制が整いつつあるかのように思えた。しかし、そのような楽観的な観測に反して、10月9日にラカイン北部・マウンドーで発生した襲撃事件は、ロヒンギャをめぐる暴力の問題に新たな局面が加わることを示すものとなった。

 

2016年10月9日にマウンドー・タウンシップで発生した新たな「人道危機」は、9日未明に武装したロヒンギャのグループ数百名が、マウンドーの国境警備隊の事務所3箇所を襲撃したことにより始まった。ミャンマー政府の発表によると、襲撃の際には警備隊9人が殺害され、武装したロヒンギャグループの8人が死亡し、2人が拘留されたとされている。

 

襲撃後直ちに現場へのアクセスは封鎖され、ミャンマー国軍による掃討作戦が開始された。これと共にラカイン州北部への人道支援団体のアクセスも閉ざされ、掃討作戦という名の下に何が行われているのか不明な状況が続くこととなる。ミャンマー国軍による主にロヒンギャを対象とした人権侵害が懸念され、ヒューマンライツウォッチは衛星画像を分析した上で多くの建造物が破壊していることを指摘し、ミャンマー政府に対して正当な調査の開始を求めた。最終的には9万人が避難せざるを得ない状況に追いやられた。

 

そして2017年8月25日には武装したロヒンギャグループによる再襲撃がラカイン州北部で発生し、現在も危機的な状況が続いている。

 

 

rakhine - 1

ラカイン州の州都であるシトウェーの風景。シトェーではロヒンギャは隔離されているため、街中でロヒンギャを見かけることはない。

 

 

ロヒンギャとは誰か

 

危機的状況がラカイン州内に発生するたびに、ロヒンギャはミャンマー国内のみならず世界的なメディアに取り上げられることになる。その際に必ず問われることは、「ロヒンギャとは誰か」という問いである。

 

国際社会で語られる典型的なロヒンギャの説明は以下のようなものである。

 

ロヒンギャとはミャンマー北西部ラカイン州に住むイスラム系の民族であり、2017年8月に大量の難民が発生する以前は、ラカイン州内には100万人ほどの人口が居住するとされてきた。ミャンマー政府によってロヒンギャは正規の国民として認められていない。また、ミャンマー国内ではバングラデシュより非合法に流入してきたベンガル人として捉えられており、長い間、迫害を受けてきた、国籍を持たない民族としては世界最大の民族である。

 

本論考の目的はロヒンギャの民族としての正統性を歴史的に検討することではないため、ロヒンギャの土着民族としての正統性を詳細に検証することは行わないが、以下ではロヒンギャ問題を考えるにあたり非常に重要となる2つの視座を示しておきたい。

 

まず重要なのは、国民としての正統性の有無を理由に、特定の集団に対して暴力を行使することはいかなる状況であれ許されることではない、という当然の事実である。

 

1948年にイギリス統治下より独立して以来、ミャンマーは近代国民国家を建設するための苦難の道を歩んできた。その間に「135の民族が、ミャンマー国内を出身とする土着の民族である」という認識が生まれ、国民の間に普及することとなったのであるが、ロヒンギャがそういった国民の物語に主要な登場人物として組み込まれることはなかった。

 

ロヒンギャへの迫害としてこれまでに報告されているものは、レイプ、性的暴力、集団虐殺、家屋の破壊といった原始的な暴力を伴うものから、移動や信仰の自由、教育の機会および医療サービスの制限など多岐に渡る。これらすべては基本的人権を構成する要素であり、国籍の有無、あるいは正統な国民としての認識を得られていないことを理由になおざりにされることは許されない。

 

また2点目として、ロヒンギャはミャンマーの歴史上、一貫して無国籍者の集団として取り扱われてきたわけではなく、事後的に国籍を奪われた民族である、という点も決して軽視されるべきではない。

 

現在ミャンマーと呼ばれる地域において、国籍ないしはシティズンシップが制度化されたのは比較的最近のことである。1948年に独立して以降も、1951年以前はこの領土内に住まう人々は正式に国民として登録されていたわけでは無く、多くは身分証を所持していなかった。1952年以降、12歳以上にはNational Registration Card (NRC)が発行され、ロヒンギャの一部にもこの身分証は発行されたのであるが、ミャンマー国内の他の少数民族地域同様に、すべての人々がそのカードを得たわけではなかった。

 

1982年に新しいシティズンシップ法が制定された後、この新しい法律の求める要件を満たすものに対してNRCの代わりにCitizenship Scrutiny Card (CSC)が1989年に発行された。しかしながら、ロヒンギャに対してはNRCを返還した後もCSCが発行されることはなく、ロヒンギャは恣意的に法的な身分を証明する書類を取り上げられることとなり、当然のごとく、この処置によりロヒンギャは新たに無国籍となった。

 

その後、1995年には、ロヒンギャに対してTemporary Registration Certificate (TRC)という証明書が発行されるようになるが、これはあくまでの法的な身分が確定されるまでの一時的な書類と見なされており、1982年のシティズンシップ法が規定する3種類のシティズンシップのいずれかを保証する証明書ではなかった。2015年になると身分を証明する唯一の書類であったTRCまでもが失効することとなり、現在も不安定な身分が続いている。【次ページにつづく】  

 

 

rakhine - 2

ラカイン州内は川が多いが、橋梁が少ないため、アクセスが船のみの村も未だに多い。

 

 

シノドスをサポートしてくれませんか?

 

●シノドスはみなさまのサポートを必要としています。ぜひファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」へのご参加をご検討ください。

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●シノドスがお届けする電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー&Facebookグループ交流「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.254 公共性と社会

1.長谷川陽子「知の巨人たち――ハンナ・アーレント」
2.岸本聡子「公共サービスを取り戻す」
3.斉藤賢爾「ブロックチェーンってなあに?」
4.山岸倫子「貪欲なまでに豊かさを追いかける」