2018.03.20

「アフリカの子ども」から私たちが学べること――『子どもたちの生きるアフリカ』刊行にあたって

亀井伸孝 文化人類学、アフリカ地域研究

国際 #等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#子どもたちの生きるアフリカ

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「最前線のアフリカ」です。

はじめに――「アフリカ子ども学」の成果論集

私たちアフリカ研究者は、長期のフィールドワークを通じて、多くの人たちと出会う。とりわけ印象に残るのは、子どもたちとの出会いである。

村の子どもたちの仲間に入れてもらったり、一緒にサッカーで遊んだり、おもちゃを作ったり。何年も調査を続けていく中で、生まれたときから知っている子どもの成長を見守るという経験をすることもある。時には、滞在中に村で生まれた子どもが、フィールドワーカーの名前にあやかって名付けられるといった幸せなご縁ができることもある。

こうしたアフリカ現地での子どもたちとの付き合いの中で、私たちは多くのことを学んできた。一方で、アフリカの子どもに関する情報の欠落や、流布している偏ったイメージに対して違和感を覚えることもしばしばであった。

最近、アフリカで子どもに関わる調査を行ってきた17人の研究者が集まり、論集『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』(清水貴夫・亀井伸孝編、2017年、京都:昭和堂)を上梓した。「アフリカ子ども学」という名称で、折にふれて研究会などを開催してきたグループによる、最初の書籍である。

「アフリカ子ども学」の発足メンバーであるとともに、本書の共編者のひとりでもある私から、本書のねらいと達成、そしてこれから私たちが取り組みたいと考えている構想について紹介したい。

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学校で算数を学ぶ(カメルーンの狩猟採集民バカ、撮影:亀井伸孝)

アフリカの子どもにまつわる典型的なイメージ

「アフリカの子ども」。私たちは、このことばからどのようなことを連想するだろうか。

典型的なイメージは、「恵まれない子ども」であろう。貧困、干ばつ、飢餓、戦争、子ども兵、疾病、児童労働、人身売買、未就学など、先進国の制度と経済力に守られた子どもたちとの対比で語られがちな、ネガティブな子ども像である。

それと対比的なもうひとつのイメージは、「伝統文化の中に生きる従順な子ども」であろうか。狩猟や農耕に従事したり、ウシやラクダを追いかけたり、家事を手伝ったり、宗教儀礼に参加したりするなど、近代的な諸要素とは無縁の、自然の中で伝統文化を忠実に受け継いでいく子ども像である。

「アフリカの子ども」のイメージと言えば、おおむねこれらに類するものが多いと見受けられる。しかし、私たちアフリカ研究者が出会ってきた子どもたちの姿は、これらのどちらとも少々ずれているように感じられた。

たとえば、前者のイメージについて言えば、飢餓や干ばつといったことばとともに、やせた幼児の写真が流布することがある。しかし、これはアフリカ全域で起きていることではなく、一部の地域で、特定の発生年において見られる現象である。また、飢餓の背景として、気候条件のみならず、食料の流通や分配にまつわる人為的要因がしばしば指摘される。

このように、「一部地域の」「ある時期の」「特定の要因により生じた」事件性の高い事象を写真や動画で切り取って、アフリカの子どもの全体像を作ってしまっていることがある。豊かな食と家族と仲間と会話に恵まれ、平穏に暮らしている多くのアフリカの子どもたちの姿は、後景に退いてしまう。

後者のイメージについても、懐疑的に捉え直すことができる。アフリカ各地には、確かに狩猟や農耕、牧畜などの生業に携わる子どもたちが少なくない。しかし、そういった子どもたちの多くは、たとえば午前中は学校に行って英語やフランス語で授業を受けたり、携帯電話やスマートフォンで写真を撮って遊んだりもしている。子どもたちは、実際には新旧の雑多な文化要素を柔軟に取り混ぜて現実の生をつむいでいる。一方、都市部では農作業に触れた経験のない都会っ子たちも育っている。

現実の貧困状況や伝統文化の営みを否定するわけではないが、その均質なイメージですべてを覆い尽くしてしまうとすれば、多くのことが抜け落ちてしまうのである。さらに、前者は開発や支援に関わる文脈で強調され、後者は文化や観光に関わる文脈で強調されるというふうに、文脈によってイメージが取捨選択されていることもある。これからの世界とアフリカを見据える上で、こうした他者イメージの固定化と切り貼りの利用を続けていては、アフリカに対するよりよい理解には達しえないであろう。

なぜアフリカの子どもに注目するのか

そもそも、なぜ私たちはアフリカの子どもに注目する必要があるのだろうか。それは、この子どもたちこそ、近未来の世界を担う主役となる人びとだからである。

欧米、そしてアジアでも次第に高齢化が進み、人口増加に頭打ちの兆しが訪れる中、アフリカは、世界でも特筆すべき人口急増地域である。また、アフリカでは現在急速に都市化が進んでおり、生活環境が変化を遂げ、都市住民の割合がアフリカ全人口の半数を超える日も近いと予測されている。

人口増加と都市化に伴うアフリカ市場の今後の成長は、多くの専門家が共通して指摘することである。購買層としても労働力としても、アフリカはこれからの世界経済において軽視できない存在感を示すであろう。アフリカの多様な生活環境、サバンナや森林、海辺などで育ってきた子どもたちが、やがて都市へ出て、労働力となり、さらには世界に出て国際的に活躍する人材ともなっていく。

いつまでも「貧しい国の不幸な子ども」「伝統文化を生きる従順な子ども」などの紋切り型のイメージで語っていては、この現実を学ぶことはできない。次世代の世界の主役との付き合いを深めていくためには、今のアフリカの子どもたちの学びと育ちについて理解を深めることが欠かせない。

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カメラを前に「ラッパー」のポーズをとるタリベたち(セネガルの農耕民ウォロフ/遊牧民フルベ、撮影:阿毛香絵)

多様なアフリカとそこで生きる子どもたち

本書を編む上で念頭に置いたポイントが、いくつかある。

まず、アフリカの多様性を盛り込んだことである。「アフリカ=暑く乾いた砂漠」という一般的な固定観念があるが、それは一部の地域に限られる。アフリカには、見晴らしのよいサバンナがあり、うっそうと樹木が生い茂る熱帯雨林があり、みずみずしい海辺や河畔があり、そして高層ビルが建ち並ぶ都会がある。こうしたさまざまな環境の中で、子どもたちが生まれ、学び、育っていく。アフリカを単一の像で示すのではなく、「多様なアフリカを、多様なままに」紹介したいと考えた。

次に、子どもたち自身のまなざしを重視したことである。前の節でも述べたように、「不幸に見舞われる気の毒な子ども」というふうに、しばしば受動的な存在として描かれがちなアフリカの子どもたちであるが、その実像は、身の周りのさまざまな資源や制度、社会関係をうまく活用しつつ、能動的に遊び、学び、働く主体的な存在である。こうした子どもたち自身による行動選択の実相に注目した。

さらに、子どもたちの姿を伝統文化の中に封じ込めないように心がけた。子どもたちは、農耕や漁労などの生業に従事しながらも、学校に通い、英語やフランス語を学び、テレビやラジオで世界のニュースに触れ、自動車に興味をもち、というふうに、多くの要素を取り混ぜながら日々暮らしている。それらを切り取ってしまわず、直視して学ぼうと考えた。

つまり、これらの工夫とは、従来のアフリカの子どものイメージが「単調で」「受動的で」「伝統に封じ込められがちであった」ことへの、ささやかな異議申し立てであると言うことができる。

17の章でアフリカ中を旅する

本書では、計17章で14の国ぐにを扱い、各地の子どもたちの事例を紹介している。それらは、「乾燥地」「サバンナ」「熱帯雨林」「水辺」「都市」という環境別の五つの部に分類され、配列されている。

自然の中で動物を追いかけている子どももいれば、学校のクラブ活動で菜園を作る町の子どもも出てくる。イスラームのクルアーン(コーラン)学校で厳しい指導を受けている少年もいれば、英語を身に付けて世界で活躍すると夢を語る少女もいる。アフリカの文化の諸相を、子どもたちの視点で一つずつ訪ねていくことで、子どものことのみならず、大人の文化・社会に関する理解も深まってくるはずである。

一方、これら文化の違いを越えて、アフリカの子どもたちの多くに共通する特徴もあわせて見えてくる。身近な素材を使って遊びに没頭する。自分で稼いだり耕したり、大人びたふるまいをする。伝統文化と近代的制度の間で、両方をうまく組み合わせて暮らす。学校に行ったり行かなかったりしながらも、いつも仲間と楽しく過ごす。携帯電話などの新しいものが大好きで、喜んで写真に写りたがるなど。異なる地域の話題でありながら、いくつもの似通った特徴が浮かび上がってくる。

各章のトピックは、執筆者それぞれの専門分野を反映して、遊び、学校、将来の夢、仲間、恋愛、食べ物、小遣い、持ち物、お絵描き、パーティ、課外活動、仕事などさまざまである。少年少女ひとりひとりが個性あふれる登場人物であり、その意味においても、全体を「アフリカの子ども」と一括りで語ることは難しいとも言える。一方、さまざまに異なるように見えながらも、子どもたちが目を輝かせて興味をもつものは、広くアフリカで共通しているようであり、さらには、地域や時代を越えても大きく違わない側面も見えてくる。

むろん、中には貧困環境に生きる子どもたちがいることも事実であり、また、伝統文化に忠実な生き方をする子どもたちの姿も垣間見える。冒頭に述べた「ステレオタイプ」はまったくの誤りとは言えず、アフリカの一面を指摘している。しかし、「それらだけ」ではない。多様な自然・文化的環境における多様な子どもたちの生き方の事例に触れ、理解のための想像力を広げていくきっかけを、本書は提供できたのではないだろうか。

アフリカ研究の広さと深さがもたらした成果

本書を通じて、「アフリカの子ども」にまつわる紋切り型のイメージを修正し、多様なアフリカの諸社会の中を自律的に生きる子どもたちの実像に迫るという試みは、おおむね達成されたものと考えている。この達成の背景には、半世紀以上に及ぶアフリカ研究の着実な蓄積がある。

日本におけるアフリカ研究は、1950年代末に始まるアフリカ諸国独立のうねりとともに盛んになった。当初、霊長類学や人類学を中心に始まったフィールドワークに根差したアフリカ研究は、今日では人文・社会・自然の諸領域を包摂する総合的な研究分野となり、全大陸と島嶼部を網羅的に対象として捉える地域研究としてその存在感を示している。

本書では、西はセネガルから東はマダガスカルまで、北はマリから南は南アフリカまで、砂漠から都市まで、狩猟採集社会から都会っ子までを幅広く扱っている。「子ども」という共通の切り口を設定し、アフリカがもつ多様性を凝縮して雛形のように詰め込んだ本書は、地道に蓄積されてきたアフリカ研究の裾野の広さと深さがもたらした成果でもある。子どもたちを主役にし、子どもたちのまなざしでいくつものアフリカの風景を描くという試みを、ぜひご覧いただければと思う。

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日帰り放牧へ出発する前に放牧ごっこに興じる少年たち(ケニアの牧畜民マサイ、撮影:田暁潔)

そして再び、「なぜアフリカの子どもなのか」

一方で、課題も残されている。それは、冒頭の問いを繰り返すことにもなるのだが、「なぜ、アフリカの子どもなのか」「それはどこへ向かうのか」という問いである。

本書を企画した出発点は、「アフリカの子ども」イメージが偏っていて情報不足であるという現状に対する批判的問題意識であり、その状況を改善することが第一の目的であった。それは、本書に収められた多くの実証的な記録によって、ほぼ達成されたものと思われる。

しかし、「既存の偏ったイメージを正す」という他力本願的な関わりに留まるだけでは私たちは満足していない。確かに、アフリカに関しては地域研究としての情報の蓄積が他地域に比べて相対的に少ないため、「情報不足を補う」ということにもそれなりの意義はあるであろうが、学術領域を振興する動機としてはやや積極性に欠けている。

「アフリカにこそあり」、かつ「子どもたちからこそ学べる」価値のある知見と視点を抽出し、世に問うていくことが、今後の「アフリカ子ども学」の道行きとなるはずである。

展望 (1):人間文化の多様性を学びうる場としてのアフリカ

今後の展望に関して、私の着眼点を二つ提示しておきたい。

ひとつ目は、「人間文化の多様性を学びうる場としてのアフリカ」である。

都市化が進んでいるとはいえ、今日のアフリカの人口の半分以上は都市圏外に暮らしている。その中には、狩猟や採集、漁労、牧畜、農耕など、多くの生業文化をもつ人びとがいる。

先進諸国では、近代化の過程でこうした生業が廃れてしまったか、あるいはそれらが大規模な産業として営まれる生産様式に変容してしまったケースが多い。一方、アフリカでは、多くの人間生活のヴァリエーションを直接学ぶことができる。都市や学校を始めとする近代的諸制度の中に生きることのみを人間の子ども像の標準としてしまうのではなく、多様性と可変性に満ちた学びと育ちのあり方に教えを請うことができる地域として、アフリカの魅力をポジティブに受け止めていきたい。

展望 (2): 世界とつながる躍動的なアリーナとしてのアフリカ

もうひとつは、「世界とつながり、世界を支え、世界を受け入れるアリーナとしてのアフリカ」である。

アフリカは、大陸と周辺の島じまに位置する55の国・地域(西サハラを含めて数えた場合)から構成されるが、本書で扱ったのは、そのうちサハラ以南アフリカ(サブサハラ・アフリカ)に含まれる14の国ぐにである。

今回は対象に含めていない地域として、しばしばアラブ世界に分類される北アフリカがある。また、今後きちんと出会っていきたい相手として、アフリカの各地で世代を超えて暮らしてきたヨーロッパ系、インド系、中国系などの子どもたち、逆に、ヨーロッパや北米、アジアなど、アフリカ域外に移住して暮らすアフリカ系の子どもたちがいる。

このような現状を見つめると、アフリカというのは、「アフリカ系の人びとが動きのないままじっと静かに暮らしている地域」ではなく、絶えず多様な人間の出入りを伴い、変化し続ける「躍動的なアリーナ」である。

こうした地球規模の視点で、人びとの絶えざる移動を含み込むアリーナとしてのアフリカを捉えつつ、その人びとの流れの中で育っていく子どもたちを見据えることは、固定的で変化の乏しい文化・地域・人びとという見方を揺るがし、新しいアフリカ像、人間像を切り開く契機になるのではないかと期待される。

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市場で売買するマーレの子どもたち。このあと学校に向かうため、かたわらにノートを置いている。(エチオピアの少数民族マーレ、撮影:有井晴香)

おわりに:いびつな知の体系をこえて

究極的には、「アフリカ」も「子ども」も、ある意味では通過点の作業概念に過ぎないとも言える。最終的には、私たちヒト(ホモ・サピエンス)がどのような生き物であるかを学ぶための一般的知見にたどり着くことを目指すことになるのであろうと予期している。

しかし、あいにく、今日の知の体系は、非常にいびつである。欧米を中心とした先進諸国における情報が過剰に収集・蓄積され、あたかもそれが人間社会の標準であるかのように語られる。子どもや遊び、学び、教育に関しても、それら一部地域の知見に基づいたモデルが構築され、議論され、正当化されていく。

一方で、アフリカの子どもたちの現実は軽視され、せいぜい固定的なステレオタイプのイメージで語られる程度で済まされている。そして、たえず「おとなの視点」が優先してしまい、子どもたち自身のまなざしが軽視されがちである。

このようないびつな知の体系をよしとせず、アフリカの情報の不足を補い、その偏ったイメージに修正を加える作業を通じて、アフリカの子どもの現実をも包摂した人間観のバージョンアップを図ること。それこそが、おそらく「アフリカ子ども学」が目指す究極的な到達点となるはずである。

これまで着目されにくかった「アフリカの子ども」から学ぶ。そして、最後は新しい人間観の構築を目指す。そのような壮大な構想を胸に秘めながら、私たちフィールドワーカーは、今日も子どもたちの遊び仲間に弟子入りし、ニックネームを付けてもらい、一緒に歌って踊り、絵を描いておもちゃを作り、おやつを分かち合って食べながら、アフリカ各地で子どもたちに教えを請い続けているのである。

【謝辞】本書は、総合地球環境学研究所研究プロジェクト「砂漠化をめぐる風と人と土」(プロジェクトリーダー:田中樹氏)の事業の一環として刊行されました。本稿は、亀井伸孝の文責によるものですが、共編者である清水貴夫氏の助言をふまえて執筆されました。また、共著者の阿毛香絵氏、田暁潔氏、有井晴香氏に写真を提供いただきました。

【関連リンク】

アフリカ子ども学

http://www.gsid.nagoya-u.ac.jp/syamada/researchproject.html#research03

亀井伸孝の研究室『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』(目次詳細を含む)

http://kamei.aacore.jp/showado2017-j.html

総合地球環境学研究所研究プロジェクト「砂漠化をめぐる風と人と土」

http://www.chikyu.ac.jp/rihn/project/R-07.html

Amazon『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』

https://www.amazon.co.jp/dp/4812216362

【資料】『子どもたちの生きるアフリカ: 伝統と開発がせめぎあう大地で』目次

はじめに――子どもたちを主役にしてアフリカを描く……亀井伸孝

第I部 乾燥地に生きる

乾燥地の環境と文化……清水貴夫

第1章 子どもの物質文化――ボツワナの狩猟採集民ブッシュマン……秋山裕之

第2章 小さなイスラーム教徒たち――セネガルの農耕民ウォロフと遊牧民フルベ……阿毛香絵

第3章 ストリートに生きる子どもたち――ブルキナファソの最大民族モシ……清水貴夫

第II部 サバンナに生きる

サバンナの環境と文化……清水貴夫

第1章 日常生活の中の学び――ケニアの牧畜民マサイ……田暁潔

第2章 大人顔負けの子ども組織――マリの農耕民マリンケ……今中亮介

第3章 恋する娘たちの結婚と就学――エチオピアの少数民族マーレ……有井晴香

第4章 学び、遊び、夢いっぱい――ザンビアの農牧民トンガ……中和渚

第III部 熱帯雨林に生きる

熱帯雨林の環境と文化……清水貴夫

第1章 森との向き合い方を学ぶ――カメルーンの狩猟採集民バカ(1)……園田浩司

第2章 学校と遊びの今昔――カメルーンの狩猟採集民バカ(2)……亀井伸孝

第3章 「里」と自然体験――ガボンのムカラバ国立公園で……竹ノ下祐二

第IV部 水辺に生きる

水辺の環境と文化……清水貴夫

第1章 生物多様性の宝庫に生きる――マラウイの漁民、チェワ族とトンガ族……嘉田由紀子

第2章 クルアーンを詠唱する子どもたち――マリの古都ジェンネで……伊東未来

第3章 海で遊び、生きかたを学ぶ――マダガスカルの漁民ウェズ……飯田卓

第4章 水上スラムで育つアイデンティティ――ナイジェリアの少数民族エグン……玉井隆

第V部 都市に生きる

都市の環境と文化……清水貴夫

第1章 スラムで学び、遊び、働く――ケニアの首都ナイロビで……大塲麻代

第2章 徒弟修行の若者たち――ガーナの産業都市クマシで……山田肖子

第3章 農業に親しむ子どもたち――南アフリカ共和国の国際観光都市ダーバン近郊で……稲泉博己

おわりに――世界の主役になりゆく若いアフリカを学ぶ……清水貴夫

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プロフィール

亀井伸孝文化人類学、アフリカ地域研究

愛知県立大学外国語学部国際関係学科教授。京都大学大学院博士後期課程修了。理学博士、手話通訳士。

2017年度、在外研究に従事(コートジボワール、フェリックス・ウフェ=ボワニ大学客員教授/フランス、社会科学高等研究院(EHESS)日仏財団/アフリカ研究所客員研究員)。

おもな著書に『アフリカのろう者と手話の歴史: A・J・フォスターの「王国」を訪ねて』(明石書店, 2006年, 国際開発学会奨励賞受賞)、『森の小さな〈ハンター〉たち: 狩猟採集民の子どもの民族誌』(京都大学学術出版会, 2010年)、『手話の世界を訪ねよう』(岩波ジュニア新書, 2009年, 厚生労働省児童福祉文化財推薦図書)ほか。

Website: http://kamei.aacore.jp/

Twitter: @jinrui_nikki

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