「アラブ」と「米国」の隘路で――日本の中東和平外交はどのように成立したか

転機としての石油危機

 

無垢・無知・無関心という「三無主義」路線は、1973年の第四次中東戦争におけるアラブ側のいわゆる石油戦略の発動によって破綻する。石油危機は日本経済を直撃したが、問題はそれにとどまらなかった。アラブ側が主要な石油輸入国を「反アラブ」「非友好」「親アラブ(友好)」の三つのカテゴリーに分類し、英国やフランスなど本来パレスチナ問題の生成に責任を負うはずの欧州諸国が友好国に類別される一方、日本は西ドイツと並んで「非友好」のレッテルを貼られかねない事態となったからである。

 

それはすなわち、反アラブである米国の追従国と看做されたからにほかならない。アラブ産油諸国による自動的な減産見通しと政治的な輸出差別とが組み合わされ、しかも米国が日本に対して石油の供給を必ずしも保証できないという現実を突きつけられた結果、日本は初めて、主体的な中東政策を立案し遂行する必要に迫られたのである。

 

それまで、日本の経済成長を支えてきた石油の供給は、セブン・シスターズと呼ばれた国際石油資本(メジャーズ)にほぼ全面的に依存してきており、そのメジャーズは大部分が米国系多国籍企業であった。そして米国は、アラブ側の石油禁輸の最大のターゲットであった。

 

ここに日本は、日米安保体制の下に米国との協調を核とする政治的な要請(米国ファクター)と、成長維持のためのエネルギー安定供給を不可欠とする経済的な要請(アラブファクター)との間の微妙なバランスを計算しつつ、意識的に独自の中東政策の舵取りを担わされることとなった。

 

石油危機それ自体は、当時のいわゆる二階堂談話や三木使節団派遣等が奏功して日本は「友好国」類型に移され、事なきを得た。しかし一時的にもせよ、米国ファクターとアラブファクターとの間で「股裂き状態」を経験した日本は、この二つのファクターが正面衝突する事態の回避に努めることを以後の中東政策の基調とするようになったのである。それは1970年代半ばから80年代にかけて、従来の傍観者としての「より中立的」な立場から、主体的に「より中立的」な政策を前景化させていった経緯に示されていよう。

 

パレスチナ解放機構(PLO)の東京事務所開設(1976年)や当時のヤセル・アラファトPLO議長の初来日(1981年)、あるいは国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を通じた対パレスチナ支援の漸増などに象徴されるそのような政策は、しかし、米国の受忍限度を忖度しつつ、それがそのままイスラエルとの対立に結びつくことのないよう慎重に準備されて実施された。

 

要するにこの時期、日本は中東において経済的な存在感を高めつつも、政治的には目立たない(Low-Profile)路線を追求し、そのことによって二つのファクター間の軋轢に巻き込まれないよう努めていたのである。

 

 

日本外交の転換

 

1990年代初頭の湾岸危機/戦争は、日本のこうした中東政策に劇的な転換をもたらした。戦後処理のプロセスにおいて米国主導の中東和平会議(1991年マドリード会議)が実現し、それがPLOとイスラエルとの間の直接秘密交渉につながり、そして両者間に公式の和平交渉合意(1994年オスロ合意)が成立したからである。パレスチナとイスラエルとの間に恒久的な和平が成立すれば、日本はもはや米国ファクターとアラブファクターとの間の軋轢や矛盾に懊悩する必要がなくなり、政治的にも経済的にも日本の国益と完全に合致する。中東和平の実現は、したがって、日本外交にとって決定的な戦略的利得と看做されるに至った。

 

このような判断に基づき、日本は1991年以降それまでの「目立たない」路線をかなぐり捨てて、むしろ積極的に和平プロセスの仲介者として存在感を示す方向に舵を切った。マドリード会議後に始まった中東和平多国間協議においては、米・露・欧州連合・カナダとともに共同議長国となり、環境問題に関する議論のまとめ役となった。

 

また、オスロ合意以降はそれまでのUNRWA等を通じた間接援助に加えてパレスチナ自治政府に対する直接の人道復興支援および開発援助を開始、現在までに15億ドル以上が拠出されている。なかでも、2006年に日本が提唱したいわゆる「平和と繁栄の回廊」構想は、ヨルダン川西岸ジェリコ近郊に農産物加工産業を中核とした工業団地を造成し、流通ルートを握るイスラエルおよびヨルダンとも連携してパレスチナ経済の持続的な発展を目指そうとするもので、パレスチナ国家創出による「二国家解決案」の実現に向けた日本固有の貢献として広く喧伝された。工業団地は2017年秋に一部が操業を開始している。

 

いずれにせよ日本の中東和平外交は、独自の戦略的選択の結果として展開されているのであって、米国はもとより、国際社会の動きに自動的に追随しているものではない。トランプ政権のエルサレム首都認定・大使館移転声明をきっかけに、パレスチナ側が米国を「公正な仲介者」として認めないと宣言した直後の2017年末、河野外相は日本が米国と共にイスラエル・パレスチナの間を取り持つ中東和平四者会談を提案している事実もまた、そのような日本の独自外交を物語っているように思われる。

 

但し、こうした日本の中東和平外交が多少なりとも結実するためには、そもそも当事者であるイスラエルとパレスチナとの双方に、和平交渉に復帰する意志と能力とが認められなければならない。現在の状況を見る限り、イスラエルのネタニヤフ政権には前提条件なしの交渉再開の意志が簿弱であるし、ガザのハマスと西岸のファタハとに分断されたパレスチナ側のアッバス政権に、交渉再開を可能とする能力が備わっているかどうか、極めて疑わしい。結局、経済協力であれ政治対話であれ、日本が現時点で中東和平に貢献できるとすれば、当事者双方の間の意思疎通のチャンネルを中継するなど、環境整備の領域に限られてくるであろう。

 

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