2018.07.20
巨大労働市場でチャンスを掴め――移民が支える湾岸アラブ諸国
湾岸アラブ諸国の社会を支える移民たち
ドバイに行って何を見るか。私の一押しは、間違いなく移民だ。
ドバイ人口の約8割は、移民で占められている。その大半はインド出身で、他にもパキスタンやバングラディシュといった南アジア諸国、スーダン、エチオピア、エジプトなどのアラブ・アフリカ諸国、フィリピン、インドネシアといった東南アジア諸国など、世界中のさまざまな場所からやって来る。
この状況は、程度の差こそあれ、ドバイを含むアラブ首長国連邦、カタール、クウェート、オマーン、サウジアラビア、バーレーン――本稿ではこれらの国を「湾岸アラブ諸国」と呼ぶ――でも共通している。元来の人口規模が小さかった所に、1970年代以降に莫大な石油(カタールの場合は天然ガス)輸出収入が流れ込むことで急速に経済が拡大し、付随して発生した労働力不足を解決するために海外に労働力を依存したことが、今日の移民社会のきっかけだ。
石油の富と世界中から集まる投資マネーによって急激に経済発展しているドバイは、新しい経済の中心として、たくさんのビジネスパーソンや観光客を引きつけている。他の湾岸アラブ諸国もドバイに追いつけ、追い越せとばかりに野心的な開発計画を打ち出しており、ドバイと同様に世界中からヒト、モノ、カネを集めている。
熱気に溢れる湾岸アラブ諸国の社会を支えているのが、移民たちだ。ここは働きたいという外国人に広く門戸を開いているので、多くの移民が自分の夢を叶えようとこの地にやって来る。母国で待つ家族に送金する、子供を大学に行かせる、帰国して家を建てる、結婚資金を貯める、あるいはキャリアアップして次の国に渡るため、はては一発逆転を決めて貧困から脱出するなど、彼らの目的はさまざまだ。
ドバイのモールで働くインド人移民
移民の帰化を承認するつもりはない
移民といっても、彼らは定住権や市民権を持たない。湾岸アラブ諸国では、一般に移民はいわゆる出稼ぎ外国人労働者に該当する。本稿では、元来の居住地を離れて生活する人々を指す一般的な表現として「移民」を用いているが、湾岸アラブ諸国の政府は、定住者を意味することもある「移民 migrants」という言葉を避け、「外国人居住者 expatriates」や「短期労働者 temporary workers」という表現を好む。
これは、湾岸アラブ諸国が移民の帰化を承認するつもりがほとんどないことの表れだ。一般的には移民の滞在許可は2年程度の労働契約と結びつけられ、労働契約が満了すると滞在を継続することができない。中には10年以上の長期間にわたって滞在している移民もいるが、その多くは2年の契約を更新し続けることで「長期化した短期滞在者」となっているに過ぎない。
権威主義的な統治体制が敷かれている湾岸アラブ諸国では、労働問題を取り扱う部局の活動は不活発だ。労働組合は事実上禁止されているか、あるいは「官製労働組合」に限られている。しかも、多くの場合は移民が組合員になることは不可能だ。このため、移民が自身の労働問題を解決する手段は乏しく、雇用者に従属的な立場に置かれる傾向がある。
移民は解雇されれば帰国を余儀なくされるが、場合によっては親族から借金をしてまで職業斡旋ブローカーに対する手数料を工面しているため、手ぶらで帰国することなどできない(ほとんどの場合で高額な手数料は違法だが、残念なことにこれを支払って渡航する移民も多い)。このため、残業の強要や賃金カット、給料の遅延、はては給料不払いという雇用者の横暴にも移民は耐えてしまう。
劣悪な労働環境に耐えかねて職場を逃げ出した移民は、当然のことながら不法滞在者となる。湾岸アラブ諸国には不法滞在者向けの労働市場、つまりブラック・マーケットが存在しており、通常の賃金よりもさらに安く、またさらにひどい環境で働くことを余儀なくされる。
ドバイでオレンジを絞る移民労働者
帰国後には「グローバル・エリート」
こうした惨状は「現代の奴隷制度」と称され、非難されることもあった。しかし、近年では移民を単に被害者として位置づけるだけでなく、彼らの主体的な生存戦略に目が向けられるようになってきている。たとえば、なぜ多数派を占める移民が、少数派の国民に反旗を翻すことがないのか。あまりに劣悪な環境に置かれているのであれば、それを改善しようと立ち上がってストライキを起こしても良さそうなものである。
実際に建設現場で働く移民労働者がストライキを行なったこともあるが、それらは例外的なことだ。彼らが人口の大半を占めることを考慮すれば、移民が中心となった労働運動はほとんど発生していないといってよい。
この問いに対する答えはいくつかある。第一に、単純にストライキが割に合わないからだ。劣悪だと言っても、移民の多くは、自分の出身国で同じ労働に従事する場合の2倍から3倍、あるいはそれ以上の給与を得ている。2年働ければ4年分あるいは6年分の、さらに延長してもう2年働けば8年分あるいは12年分の稼ぎを得る。ストライキを起こして解雇され、帰国を余儀なくされれば、うまい稼ぎ口を失うことになる。仮に彼らが母国では無職だとすれば、収入が半分や三分の一になるのではなく、ゼロになってしまう。これは著しい機会損失だ。
また、湾岸アラブ諸国は抜群に清潔で、医療設備も整っている。これに対して、移民が生まれた途上国の農村では、水洗トイレもなく、電力供給もあまり整備されていないことも珍しくない。筆者が調査に入ったある途上国の村では、その一角にあるゴミ捨て場からつねに悪臭が漂い、雨が降ると未舗装の路地が汚水と雨水でぬかるむ。蚊やその他の虫につねに悩まされ、病気になっても病院が遠い。都市部に働きに出ても排気ガスで息苦しい。
しかし湾岸アラブ諸国では、こういった途上国特有の問題に悩まされることはほとんどない。不幸にも悲惨な状況に置かれている一部の移民を除けば、大半は清潔で安全な生活を送ることが可能だ。社会インフラだけを見ると、湾岸アラブ諸国は先進国とほぼ同等の水準にある。こうした環境が、短期雇用という不安定さを相殺してしまう。
そもそも、湾岸アラブ諸国で働くこと自体が彼らにとって「大出世」であり、帰国後には「グローバル・エリート」として村で多くの尊敬を受けることもしばしばだ。湾岸アラブ諸国で少々見下されようが、帰国後の輝かしいステータスを考えれば耐えられる。
低開発国の潜在的移民にとっての最後の砦
わざわざ湾岸アラブ諸国のようなところに出稼ぎに行かずとも、他の国を選べばいいではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、この地域にやって来る移民にそれを求めるのは酷というものだ。
たとえばEU諸国やカナダ、オーストラリアでは移民の人権はよく守られており、帰化して国籍を取得することも可能だ。しかし、これらの先進国が現在進めている移民制度は「選択的受入制度」と呼ばれるもので、大学卒業資格を有している、あるいは専門技術を有するなどの高技能移民が優遇されている。帰化申請が受理されるのも、もっぱら高技能移民だ。人権が保障されているとはいえ、低技能移民の帰化申請が受理されることは稀で、しかもそもそも狭き門だ。この門をくぐれなかった人々が、湾岸アラブ諸国を選ぶということも多い。
幸運なことに、湾岸アラブ諸国では移民受入に技能が考慮されることはない。このため、学校で専門技能を学びながらもまだキャリアのない途上国出身の労働者にとって、グローバルな労働環境で自分のキャリアを形成するには湾岸アラブ諸国ほどよいチャンスが整っている場所はない。
ここで第一歩を踏み出し、いくつかの湾岸アラブ諸国を渡ってキャリアを育て、最終的には高技能労働者として先進国に渡るという道を描いている移民も多い。あるいは、たとえ専門技能を有していなくとも、また学歴がなかろうが、はては失業者であろうが、関係なく受け入れてくれる湾岸諸国は、技能も学歴もない低開発国の潜在的移民にとっていわば最後の砦なのだ。
湾岸アラブ諸国で働く移民は、つねに母国、あるいは次の移動先を見ており、決して湾岸アラブ諸国に定住する未来を描いていない。湾岸アラブ諸国は出稼ぎ労働者にとって都合の良い「職場」であり、骨を埋める場所ではない。帰化を認めない湾岸アラブ諸国と、雇用機会を求める移民の目的が奇妙に一致した空間、それが湾岸アラブ諸国だ。
そこは決してバラ色だけの空間ではない――これは強調してもしすぎることはない――が、それだけにとらわれると、湾岸アラブ諸国が途上国出身の移民の未来を切り開くチャンスに満ちた空間であることを捉え損ねてしまう。湾岸アラブ諸国に限らず、シンガポールやマレーシア、香港といったアジアの経済成長拠点では、深刻な問題と大きな可能性が背中合わせに存在している。移民はつねにその動きの中心にいて、各地をグローバルに結びつけているのだ。
オマーンの漁村で働く移民
何を抱え、何を求めてやってきたのか
私はかつて、ある東南アジアの国を経由して湾岸アラブ諸国の一つであるオマーンに飛んだことがあった。そのフライトにはたまたま移民労働者が多く乗り合わせており、私の周りはほぼ移民労働者で占められていた。着陸が近くなったので、フライトアテンダントからもらった入国カードに自分の名前やパスポート番号といった必要事項を記入していると、隣に座っていた乗客が私に入国カードを渡してきて、身振り手振りで書いてくれと頼んできた。
英語が読めないために私に頼んできたのだろうと思い、その人物のパスポートを見ながら記入すると、今度は別の乗客が私に記入を頼んできた。その乗客の分も書いて渡すと、すでに別の乗客がその後ろに並んでいて、さらにその後ろにも別の乗客が待っていた。もう別の人に書いてあげたものがあるから、それを見て自分で記入してよと、カードの空欄とパスポートの所定の場所を指差しながらこちらも身振り手振りで説明するのだが、どうも様子がおかしい。よくよく見ると、彼らは字が書けないのだった。
これは私にとって強烈な経験だった。飛行機に乗るというのはそれなりにお金がかかるものだから、乗客はみなある程度の所得を有している、つまりはその所得を可能にするだけの教育を受けているというのが、当時の私の認識だった。しかしそれはあまりにも浅薄だった。世の中には航空運賃を払ってでも呼び寄せるべき労働者というものがいて(湾岸アラブ諸国の制度では、一般的に移民労働者の航空運賃は雇用者が負担する)、彼らはたとえ字が読めなくとも――あるいは字が読めないが故に――異国の地で稼いでこようと飛行機に乗り込むのだ。
そうこうするうちに機体が着陸態勢に入ったため、代書人としての私の役割は終わった。オマーンのマスカト国際空港では、他の湾岸アラブ諸国の例に漏れず、移民労働者は一般の旅行者とは別の窓口に並ばされる。彼らの中には不安そうな顔で前の人間にぴったりとくっつく者もいれば、とくに緊張する様子もなく、静かに前を向いて立っているものもいた。おそらくは、初めての海外出稼ぎと何度も体験している者の違いだろう。私は先進国に生まれ、湾岸アラブ諸国を対象とする研究者になったために、オマーンの入国審査で一般旅行者の列に立っている。
しかし、それは単なる偶然で、もしかしたら私はあの労働者の列に並んでいる中の一人だったかもしれない。そう思うと、彼らは今何を考えているのか、なぜここにいるのか、移民社会をもっと知りたいと、湾岸アラブ諸国とアジア・アフリカ諸国にまたがる移民、その移民に支えられた経済構造、そして移民がつくり出す社会に、がぜん興味が湧いてきた。
巨大ショッピングモールのブランドショップで、あるいはシーシャ(水タバコ)のカフェで、あるいは建設現場で、さまざまな場所で働く移民が何を抱え、何を求めてやってきたのか。世界に開かれた巨大労働市場と、そこで移民が織りなす色彩かなファブリック。それはグローバルな経済活動の縮図であり、その縮図を目の当たりにできるのが湾岸アラブ諸国の魅力だ。
プロフィール
松尾昌樹
宇都宮大学国際学部准教授。東北大学国際文化研究科博士後期課程修了。博士(国際文化)。専攻・専門は地域研究(中東)、国際政治経済学、移民研究。おもな著書・論文に『オマーンを知るための55章』(編著、明石書店、2018年2月)、『石油の呪い—国家の発展経路はいかに決定されるか』(M.ロス著、浜中新吾と共訳、吉田書店、2017年)、「中東地域研究とレンティア国家論」私市正年、浜中新吾、横田貴之編著『中東・イスラーム研究概説 政治学・経済学・社会学・地域研究のテーマと理論』(明石書店、2017年)、『中東の新たな秩序』(編著、ミネルヴァ書房、2016年)、「分断された社会空間を生み出す装置と人々の暮らし」「増え続ける移民労働者に湾岸アラブ諸国政府はいかに対応すべきか」細田尚美編『湾岸アラブ諸国における移民労働者 「多外国人国家」の出現と生活実態』(明石書店、2014年)、『オマーンの国史の誕生:オマーン人と英植民地官僚によるオマーン史表象』(御茶の水書房、2013年)、『湾岸産油国 レンティア国家のゆくえ』(講談社メチエ、2010年)など。