新政策「持続可能なタイ主義」とは何か――タイ軍事暫定政権の狙い

タイでは、2014年5月のクーデタ以降、約4年間に渡り軍事暫定政権による統治が続いている。1970年代以降のタイ軍事暫定政権の歴史と比較すると、今回のプラユット政権による統治は異例とも言える長期間に及んでいる。

 

プラユット首相は、一部の国民や政治家からの圧力を受け、来年2月に総選挙を実施すると述べた。しかし過去に幾度も総選挙の実施期日を延期し続けてきたため、多くのタイ国民は総選挙の実施について非常に懐疑的である。

 

このような状況下で、2018年2月9日、プラユット首相が新たな政策「持続可能なタイ主義」を発表した。その名称の風変りさから、日本のマスメディアなどからも注目を集めた。本稿では「持続可能な」とはいかなる意味を持つのか、「タイ主義」とは何を指すのか、なぜこのような政策が打ち出されたのか、などについて解説を試みる。

 

 

新政策登場の経緯

 

新政策「持続可能なタイ主義」は、今年1月16日の閣議においてプラユット首相が、財務省、国防省、農業省などの関係機関に対して実施を命じたことにより着手された。しかし、同政策は唐突に登場したというわけではない。政府が発表しているマニュアルによると、同政策はプラユット政権が2015年から基本政策として掲げて来た「プラチャー・ラット」の方針に従い、地域レベルでの業務を推進するためのプロジェクトとされる。

 

では、プラユット政権の基本政策方針「プラチャー・ラット」とは、どのようなものなのだろうか。同基本政策方針については、玉田(2017年)が詳しく解説を行っている。玉田氏によると、プラチャー・ラット(プラチャー:国民、ラット:国)とは、ポピュリズムの訳語である「プラチャーニヨム」(プラチャー:国民、ニヨム:主義)を意識して用いられた言葉である。プラチャー・ラットは、「大衆迎合主義」という意味が定着し罵倒されてきたプラチャーニヨムを否定し、それを乗り越えるための表現として「官民協力」という意味合いで用いられている。

 

プラユット政権は、2006年クーデタにより追放されたタックシン首相をはじめとする民選政権の政策に対しては、人気取りのための「ばら撒き」であったと幾度も非難してきた。他方、自らの基本政策方針は一時しのぎのばら撒きではなく、官民協力によって充足経済の哲学に則った「持続可能な」形で民衆の生活改善を図るものだと宣伝してきた。

 

プラチャー・ラットの特徴の1つは、政府、企業、国民が協力し合うことである。とくに目を引くのは、日本にもエビや鶏肉を輸出しているCPや、チャーン・ビールといった有名な大企業が多数参加している点である。大企業の協力を得て、2016年前半に「団結愛プラチャー・ラット会社」なるものが全県に設立された。

 

プラユット政権は、自らの政策を「ばら撒きではない」と繰り返し主張し、タックシン政権との差別化を図ろうとしてきた。しかし実際には、多くのばら撒き政策を実施してきた。悪名高い政策の1つが、2017年10月から始まった「福祉カード」(通称:貧乏人カード)事業である。

 

同カードにより、年収3万バーツ未満の者は毎月300バーツ、3万バーツから10万バーツの者は毎月200バーツの買い物をすることができ、登録ショップで15から20パーセントの割引を受けられ、また公共交通機関の運賃支払いに毎月500バーツまで使用できるとされる。政府は貧困解消や国内経済への効果を謳うが、カードは人口約6900万人のうち1167万人(人口の約17%)に配布されており、一般市民の間でも政策の適切さについて物議をかもした。

 

 

「持続可能なタイ主義」とは何か

 

前述のように、持続可能なタイ主義はプラチャー・ラットから派生した政策であり、プラチャー・ラットと同様に官民協力を謳う。しかし、民衆の生活改善を掲げ、企業の役割が重視されていたプラチャー・ラットとは異なり、持続可能なタイ主義では、官僚と国民との直接の交流が重視されている。

 

担当の役人が、区や村といった地域レベルにまで降りていき、経済、社会、治安の側面について国民を啓蒙することが肝とされる。政府の発表では、全76県、878郡、7,463区、81,084村、そしてバンコク都の全50区、これらすべてに対して担当のチームが降りていき話し合いの場を持つことが強調された。

 

では、同政策の目的は何であるのか。プラユット政権の意図について検証してみよう。

 

 

<実行組織>

 

今年1月に出された首相府令により、同政策の実施のために「国家発展推進委員会」が任命された。同委員会は、国家レベル、県レベル、群レベル、区レベルに分かれている。国家レベルの委員会では、プラユット首相が委員長を務め、5名の副首相をはじめとして、各省庁の大臣、事務次官、国軍最高司令官、陸軍司令官、海軍司令官、空軍司令官、国家警察長官、国家治安会議事務局長など主だった官僚組織の長が委員として任命された。

 

政策実行において中心的な役割を果たすのは内務省とされた。県レベルでは、県知事を委員長とし、副知事、治安維持部門の機関も委員として参加する。群レベルも同様で、群長を委員長とし、治安維持部門の機関も委員として参加するとされた。

 

持続可能なタイ主義では、役人と国民との交流が重視されているため、もっとも重要な役割を担うのは、末端の区レベルの委員会とされた。区レベルの委員会では、区長が委員長を務め、地域の治安維持組織、庶民の中の知識人、地域のボランティアにより構成される。

 

区レベル委員会については、国民との話し合いの場の設置に関して、詳細な規定が書き込まれている。興味深いのは、話し合いの場での司会者に関する規定である。マニュアルによると、司会者は国民との一体感ある雰囲気を作り上げなくてはならないとされ、服装、ふるまい、地方の言葉を使用するなど、地域の伝統や文化に合わせるべきことが記されている。加えて、地域の国民との意思の疎通をスムーズにするために、仲介役として信用できる人物を選ぶことが重要であるとも記載されている。

 

 

<10の目標>

 

次に、同政策はどのような目標を持つのか確認してみよう。プラユット首相の発表やマニュアルによると、10の目標が掲げられている。10の目標を概観すると、国民の生活向上や貧困解消といった経済的な目標だけではなく、抽象的または理念的で、政治的な色彩を持つ目標が多数含まれることが分かる。

 

(1)調和・和解の構築

(2)助け合い

(3)共同体の生活の発展・向上

(4)充足経済哲学の理解促進、貯蓄の促進

(5)規律、義務、良き市民の構築

(6)様々なレベルの行政に対する知識と理解

(7)タイ主義の民主主義を知る:徳の推進、汚職撲滅

(8)国民が正しい資料を入手するための、村落でのインターネット計画の発展

(9)麻薬問題の解決

(10)行政およびその他機関の任務に従った事業

 

とくに目を引くのが、(1)調和・和解の構築、(7)タイ主義的な民主主義を知る、以上2点であろう。政府の説明によると、(1)調和・和解の構築とは、国家行政委員会が政府の国家戦略に従い、政党や政治団体の代表者らの考えを調査して「調和・和解構築のための社会契約」なるものにまとめ、さらに内務省や治安維持司令部に対して、この社会契約を国民の間に広めるように指示したことに由来するとされる。また同項目の目的は、すべての地域において国民が平和的に共存し合うことを促進するものと記されている。

 

(7)タイ主義的な民主主義を知る、とは何を意味するのだろうか。マニュアルによると、タイ主義的な民主主義とは、良きことや美徳を重視し、公益、国家、そして未来の子孫のためになるように物事を行うことと定められている。加えてタイ国民は、民主主義的な方法において良き市民としての資質を十分に持ち合わせていないため、真の民主主義を促進する力がないとも指摘している。

 

これらの目標を実施するために、4段階のプロセスが定められた。第1段階(今年2月21日~3月20日)では、国民から共同体や個人に関する問題などの聴取が行われる。第2段階(3月21日~4月10日)では、国民が、国王を元首とする民主主義政体の原則に従い、社会において調和を持って共存できるよう啓蒙する。そして第3段階(4月11日~30日)および第4段階目(5月1日~20日)では、国民の「考え」(英語でMindsetと追記されている)を変革もしくは修正し、国民にタイ国家の発展に寄与する必要性などを理解させることを目標とするとされる。

 

現在、上記の計画に従いタイ各地で、担当役人らと国民との対話の場が設けられているところである。各会場では、各地方の特産品などが展示、配布されるなど、マニュアル通り和やかな雰囲気を演出する努力がみられる。

 

 

 

写真1、写真2(「持続可能なタイ主義」実施の様子:タイ国家報道局ホームページより)

 

 

では、同政策の目的とは何であろうか。政策名の「持続可能な」とは、プラチャー・ラットと同様に、タックシン政権との違いを強調するための表現であろう。また「タイ主義」とは、「善」、「美徳」、そして「公益」を重視するという意味に理解することができる。

 

そして各レベルの委員会の構成や10の目標の内容を見る限り、同政策の狙いは、国(官僚)によって国民の意識を改革し、より強固に国民を統制することだと指摘できよう。この点については、すべてのレベルの委員会において、治安維持部門の担当官が委員として参加していることからも明らかであろう。つまり同政策は、これまで政府が実施してきたばら撒き政策やプラチャー・ラット関連のプロジェクトとは、趣旨が幾分異なっている。【次ページにつづく】

 

 

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