政権交代から100日を迎えたマレーシア――希望連盟政権下での民主化に向けた実績と課題

「新しいマレーシア」の行方

 

今後の希望連盟政権の行方に影響を与えるのは、公約の達成、制度改革の進捗、政府・与党のガバナンスの問題だけではない。民族、宗教、セクシュアリティなどのアイデンティティをめぐる政治の動向も大きく影響する。5月の総選挙は従来の選挙とは異なり、民族や宗教をめぐるアジェンダがほとんど表面化しなかったまれな選挙であった。このため、総選挙直後には、民族や宗教などの違いを超えて国民が団結する「新しいマレーシア」が誕生したとの言説がメディアを中心に広がった。

 

政権交代から100日が経過した今でも「新しいマレーシア」を信じて期待を寄せる人々は主に都市中間層の間で多いものの、それに反する現実も表面化しつつある。まず、2018年総選挙の結果をみれば、そもそも新たに政権についた希望連盟は、国民の各層からまんべんなく支持を得たのではないとの研究者の選挙分析が登場してきた。

 

総選挙で希望連盟は、華人やインド人などの非マレー人からの圧倒的支持を得たものの、全人口の6割程度を占めるマレー人の間の支持は、希望連盟、国民戦線(とその中核政党のUMNO)、PASの3政党(連合)の間で分裂したままである。5月の2018年総選挙で希望連盟は、生活コスト上昇やナジブ前首相の関与が疑われる1MDBスキャンダルなど、民族や宗教などとは直接的には関係ないアジェンダを前面に掲げて政権交代を実現した。そのため、マレー人の間ではUMNOやPASから希望戦線の構成政党に鞍替えしたものも少なくなかったが、依然としてマレー民族主義やイスラーム主義に基づいてUMNOやPASを支持し続けているマレー人の存在も無視できない。

 

5月の総選挙で敗れて政権から転落した国民戦線では、連合から離脱する政党が相次いだ。総選挙前には複数の民族と地域を支持基盤とする13党で構成された政党連合だった国民戦線だが、7月になるとわずか3党のみの政党連合になっていた。さらに、総選挙で54議席を獲得したUMNOに対して、国民戦線に残留した他の2党は合計しても3議席だけであり、現在の国民戦線はすでに政党連合というよりUMNOとほぼ同等の存在であるといっても過言ではない。

 

そこで、もともとマレー人の民族政党であって、国民戦線の他の構成政党を考慮する必要がほとんどなくなったUMNOが、今後ますますマレー人を対象としたイデオロギーや主張に接近していく可能性は十分ある。実際に、8月4日にスランゴール州のスンガイ・カンディス州選挙区において、希望連盟所属のPKR候補と国民戦線所属のUMNO候補との間で争われた補選で、そのような傾向がみられている。UMNOはマレー人有権者にターゲットを定め、マレー人の権利が希望連盟政権下で失われつつあるとして、民族的な危機意識を煽る選挙戦術をとったのだ。加えて、補選では長年UMNOとマレー人票をめぐって対立してきたイスラーム主義政党のPASが、UMNOと事実上、共闘する姿勢をみせた。

 

補選結果は、投票率が49%と、マレーシアでは異例の低投票率(注2)のために、PKRとUMNOの双方とも5月の総選挙と比べて大幅に獲得票数を減らしたものの、PKRが勝利した。補選結果について様々な分析は可能だが、ここで重要なのは、UMNOとPASが将来のさらなる連携の可能性をみせつつ、ともにマレー民族主義やイスラームのアイデンティティに沿った自党のブランディングを強めていることにある。野党のUMNOやPASが人口の多数を占めるマレー人へのアピールのために、民族や宗教に基づく政治へのシフトを今まで以上に強めるならば、希望連盟側もマレー人に向けて特別な対応を迫られる可能性が少なくない。

 

(注2)マレーシアの2018年総選挙では全国の投票率は82%であり、2013年総選挙では85%だった。一般に補選の投票率は総選挙よりも低下する場合があるが、基本的に70%から60%台を記録し、50%を下回ることは近年ではなかった。

 

5月の政権交代から8月までの間に、民族や宗教とも深いかかわりのあるセクシュアリティをめぐる話題も人々の関心を集めている。具体的には、新政権の大臣のスタッフとしてゲイを認めるか否かの問題、ペナンで行われた展示会でマレーシア国旗とともにゲイとトランスジェンダーの活動家が写された人物写真を政府が撤去するように命じた問題、ムスリムの11歳タイ人少女と41歳マレー人男性との結婚に関する問題が3か月間に次々と話題となった。

 

とくに前二者の性的マイノリティに関わる問題は、政権交代によって生まれた「新しいマレーシア」のメンバーとして誰が認められるべきか、新政権がマイノリティの人権をどの程度まで守ろうとするのか、という問題であり、マレーシア国内だけでなく海外からも注目されている。新政権の副首相や宗教大臣は性的マイノリティが私生活や自分たちのコミュニティ内で活動を留めるならば容認するが、政治やコミュニティ外の活動を通じて公的な場面で意見を表出しようとすることは認めない方針を表明している。

 

しかし、5月以降で性的マイノリティについて話題になったニュースをみれば、海外観光客から知られるほど有名だが、前政権では長年見て見ぬふりをされてきたゲイ・クラブが初めて摘発された。また、イスラーム法に基づいた裁判で、レズビアンのカップルにむち打ち刑を科す判決が出されたり、路上でトランスジェンダーに暴力が振るわれる事件などが起こっており、性的マイノリティへの抑圧は政権交代後にむしろ強まっているようにもみえる。性的マイノリティへの抑圧が今後も続くようであれば、マレーシアの民主化の将来にも暗い影を落としかねない。

 

5月の総選挙から100日を過ぎた現在でも、史上初の政権交代を果たしたことの達成感が社会を覆っている。希望連盟政権が約束した公約を十分に果たせず、政権のガバナンスにかかわる問題で危うさをはらんでいても、国民の大多数はもうしばらくの間は新政権を信じて支持しようとする姿勢を続けている。

 

しかし、公約やガバナンスの問題に加えて、民族、宗教やセクシュアリティなどのアイデンティティをめぐる政治も次第に活性化しつつある現状をみれば、新政権に今後残された時間はそれほど多くない。政権交代によって生まれた「新しいマレーシア」が他国のモデルともなるような民主化を今後定着させていくことができるかは、残り少ないユーフォリアの時期に希望連盟がどこまで改革を進めることができるかにかかっているだろう。

 

 

「団結で我々は偉大な国家となる」。8月31日の独立記念日と9月16日のマレーシア・デイの記念日に向けて国民の団結を呼び掛けるポスター

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

21世紀東南アジアの強権政治――「ストロングマン」時代の到来

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作者外山 文子, 日下 渉, 伊賀 司, 見市 建

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発行明石書店

発売日2018年3月26日

カテゴリー単行本

ページ数264

ISBN4750346632

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