2019.02.14

終の住処としての外国――スイスの老人ホームにおける 「地中海クラブ」の試み

穂鷹知美 異文化間コミュニケーション

国際 #老人ホーム

今日、様々な事情で住み慣れた国を離れ、外国に住んでいる人が、世界中に大勢います。その人たちは、若い頃は、海外暮らしにほとんど支障も葛藤もないかもしれませんが、高齢になってくると、心境や状況はどう変わっていくのでしょう。今回は、外国生活が長い人の間でも、話題にされることが少なく、対応の検討が先送りにされがちな、外国での老後というテーマについて、スイスの老人ホームを例に、少し具体的に考えてみたいと思います。

スイスの老人ホーム

スイスの公立老人ホームは、全般にアメニティーが高く、居住者は一見不自由のない生活をしているように見えます。例えば人口10万人強のヴィンタートゥアWinterthur市にある市営老人ホームは、交通の便の良い市内の五ヶ所にバランスよく点在しており、ホームの敷地内には、一般のひとも利用できる庭やレストランのほか、美容室や保育園(現在建設中)なども併設されています。居住者は自活能力に合わせてサービスが選ぶことができ、自炊やペット連れの入居が可能です。

このように快適さでは申し分ないように見える老人ホームですが、近年、これまでなかった全く新しい課題がでてきました。外国出身の高齢者への対応です。

数年前までスイスの老人ホームは、外国出身者の割合が年々高くなるスイス社会全般の状況とは一線を画し、スイス人という文化的同一性の高い人々で占められていました。外国からスイスに移り住んでくる人がほとんど若者であったことと、外国出身の人の圧倒的多数が、親を老人ホームに預けずに自分たちで世話をすることをよしとする文化的な背景をもつ国からきていたためです。

しかし、時代も状況も変わり、外国出身の家庭の子どもが親の世話をみることができなくなるケースが多くなってきて、外国人のホーム入居が増えてきました(以下、ドイツ語圏を中心に話をすすめていきます)。

イタリアからの労働者の高齢化

スイスの外国人高齢者で現在、圧倒的に多いのはイタリア人です。2008年のスイスに住む65〜79歳の外国人の統計をみると、イタリア人が4万6千人で、次に多い2万人弱のドイツ人高齢者の2倍以上の数です。

イタリア人が多いのは、スイスの20世紀後半の歴史に深く関係しています。スイスでは、1950・60年代に、重工業や土木建設業部門などで不足する労働力を確保するため、外国からの労働者を受け入れてきましたが、その労働力の大半がイタリアからの若者でした。

当時やってきた若者は、生涯スイスに住むというより、しばらく稼いでお金をためて故郷に帰るつもりだった人が多く、ドイツ語圏にいてもドイツ語の習得にあまり熱心でない人がかなりいたようです。スイスでは公用語の一つがイタリア語であり 、ほかの言語の出身国に比べて言葉の不便も比較的少なくてすんだことや、同郷人だけで保育園から余暇活動まで過ごす機会や時間が多かったことも、ドイツ語習得があまり浸透しなかった理由とされます。

月日は過ぎ、現在は、かつてのイタリアからの労働者の約3分の1は母国にもどり、ほかの3分の1はスイスとイタリアの二つの国を行き来しており、スイスに残っているのは3分の1ほどだといいます。その中で一部が、スイスの老人ホームに入居しはじめたということになりますが、ドイツ語がわからない人たちもその中に含まれています。

ドイツ語がわからないイタリア人が入居すると当然、コミュニケーションに支障がでます。イタリア語を話せるスタッフを増員できれば、てっとり早い かもしれませんが、ただでさえスタッフ不足の介護業界で、必要な言葉を話すスタッフを採用し適所に配置するのは容易ではありません。このため、入居者を対象にドイツ語講座を設けて、住人のドイツ語力の向上を計るホームもでてきました。

しかし長くドイツ語圏に住みながらドイツ語を(様々な事情で)習得できなかった人たちが、高齢になって体の健康もすぐれない状態で、どれだけドイツ語の授業で語学力を伸ばせるかには、はなはだ疑問が残ります。少なくとも、 これまでわたし自身が関わったドイツ語初心者講座では、60代以上の人のドイツ語習得は、困難が多く、学習意欲を維持することも簡単ではありませんでした。

外国人入居者の側からみたスイスの老人ホーム

一方、言葉ができて、生活に一見不自由がなくても、ホームで暮らす当人にとっては、スイス人には想像しづらい問題があるかもしれません。例えば、食事は基本的に(現状では居住者の圧倒的多数を占める)スイス人の高齢者の口に合うような献立になっていますが、スイスとは異なる食生活に慣れ親しんだ高齢者にとって、食べたいものが食べられないこと、しかもそれが一時的なことではなく、人生最後の日まで恒常的にそうであることは、どのように感じられるでしょうか。

もっと深い心理面の問題として、高齢になると若い時以上に故郷への憧憬が強くなり、文化や習慣的な差異が辛くなるということがあるかもしれません。高齢者の心の奥深い部分を推い測るのは難しいですが、ドキュメンタリー映画『ノスタルジア Nostalgia』 は、外国出身の高齢者自身の目線に合わせてこの問題を捉えており、参考になると思うので、この映画について少しご紹介します。

イタリアのシチリア出身の一人の80代の男性ファルゾーネさんは、2013年の暮れから、ヴィンタートゥア郊外の特別介護老人ホームPflegezentrum Eulachtalに入居しました。彼はホーム初の外国出身者でしたが、イタリア語のできるスタッフが担当してイタリア語で話しかけシチリアの音楽なども持ってきて聞かせてくれたり、やはり80代で同室のスイス人男性マイリさんと、(イタリア語とスイス・ドイツ語が交錯する会話で、側から見ると、お互いに話が通じているのが不思議に思えても)非常に意気投合し、新居の生活にも次第に慣れていきました。

その一方で、ファルゾーネさんは、強い望郷の念にかられるようになります。妹や甥が住むシチリアにもう一度帰りたいという彼の切ない願いを実現してあげたい、そう思い立った介護スタッフの強い熱意と協力で、故郷を訪ねる1週間の旅が2014年9月に実現されました。旅行には二人の介護スタッフとともに、離れ難いほど仲良しになったマイリさんもいっしょに行くことになりました。酪農農家一筋で働いてきたマイリさんは、一度もスイス国外に出たことがありませんでしたが、生まれて初めての飛行機に乗って、まだ一度も見たことがない海を目指します。

家族との再会を果たしたり、待望の海で大はしゃぎしたりして、満面の笑顔でたくさんの思い出をつくり、二人の旅はチューリッヒの空港で、両家族に暖かく迎えられて終わります。その後「魂をシチリアに置いてきたように」(家族の言)、急に容態が悪化したファルゾーネさんは、旅行から1ヶ月もたたないうちに他界します。最後の旅立ちは、旅行前のように死への恐怖でパニックになることもなく、とても静かに迎えられたといいます。

この映画は、最後まで二つの国への強い絆と愛着をもって生きた一人の人生へのオマージュであるのと同時に、これから増えていく外国出身の高齢者たちの状況や思いに重なることもまた多分にあるように思えます。

老人ホームの「地中海クラブ」

2000年代から、老人ホームでは、言葉や文化的差異による不便や孤独化を少しでも改善するための新たな取り組みが、少しずつはじまりました。

最もよくみかけるのは、ホームの一部をイタリア人(一部の施設ではポルトガル人も含まれています)専門のクラスター(居住グループ)に担当させるというものです。イタリア語ができるスタッフが担当し、食事も、地中海地方のメニューを頻繁に出すなど工夫を施しています。

「地中海クラブ」とでも呼びたくなるこのような老人ホームの試みは、居住者の行動様式や健康状態に良い影響を与えています。ホームのスイス人の居住者は、通常、食後に自室にすぐもどる人が多いのですが、このような環境に身をおく居住者は、食後も自室にすぐに戻らず、共同の廊下にピアッツア(イタリアの広場)のように集い、ワインを片手に踊ったり、歌ったりしながら、他の居住者と一緒に過ごす人が多く、そのような過ごし方をするようになって、以前よりも、睡眠薬などの薬の量が減るなど、健康状態が改善される場合が多いといいます。

老人ホームの文化尊重ケアの課題と可能性

しかし、このような国別に特化してケアすることに対し、社会では反発や疑念の声もあがっています。ホームに出身国の文化を並行輸入することは、スイスの社会全体が目指すべきインテグレーションの構想に反しているという意見、また、現在のスイスに住む人の4人に1人が外国人で、2020年には19万1千人の外国人が60歳以上になると予測されており、これからイタリア人だけでなく、さらに多国籍化していくホーム住人が、すべて同じような出身国に合わせた居住環境を要望するようになると、収拾がつかなくなるという危惧もあります。

例えば、 イスラム教徒は、食事で豚肉が食べられないだけでなく、介護のスタッフの性別が重視され、ラマダンの時期は、食事はもちろん、薬や点滴の投与の時間が制約される可能性があります。またスイスに千人ほどいる旧ユーゴスラビア出身の80歳以上の高齢者たちは、老人ホームへの入居が急増してきている社会グループの一つですが、クラスターをいざ作ろうとすると、言葉や文化はかなり似通っているにもかかわらず、対立の歴史や、現在も緊張感を伴う状況があるため、イタリア人のように一つのクラスターの設置をするだけではすまず、もっと複雑な配慮が必要になります。

今後、社会全体の高齢化で、ただでさえ高齢者が大挙して老人ホームに入居する時代が到来するのに、「地中海クラブ」のような各文化圏を配慮した環境を、老人ホームが早期に整備できる余力は果たしてあるでしょうか。 現実的にはかなりの難題となりそうです。

一方、ホームで対処できない多様な外国出身の居住者の需要を、 周囲の地域の人々や様々な活動によってある程度カバーできる可能はあります。目下、軌道にのっているのは、ホームの外国人と同じ言葉を話したり文化を理解するボランティアの人たちの老人ホームでの様々な活動です。前述のヴィンタートゥア市では、老人ホームに定期的に訪れるボランティア・スタッフが250人いますが、その出身者は5大陸にまたがり、15言語に対応しています。

また、ファルゾーネさんはホームで、地中海出身者のクラスターがないどころか、ホームでたった一人のイタリア人でしたが、同室のマイリさんと大の仲良しになって、結果として初めての海外旅行に連れ出すほど、一人のスイスの高齢者の世界を広げてあげられたことも示唆に富みます。人生の最後のステージをどこで過ごそうとも、心を開いて新たな出会いや交流をすることで、人生に新たな花がそえられたり、充実した体験ができるのかもしれない、そんな希望もまた大切な気がします。

認知症の居住者専用の庭。火を扱うことが可能な一画など、居住者の多くが住み慣れた(農村の)生活環境に近い風景を再現した庭で、居住棟側からは居住者がいつでも自由に出入りすることができます。外部とは、視界を妨げない高さに巡らされたフェンスで仕切られています。

おわりにかえて

老人ホームという小さな一つの社会は、これから、多彩な背景や立場の人が様々なかたちで関わっていくことで、 多国籍型老人ホームとして、少しずつ進化をとげていくのでしょうか。 胎動する老人ホームの様子を引き続き、見守っていきたいと思います。

謝辞

自主制作作品『ノスタルジア』を鑑賞させていただき、またフェルゾーネさんの思い出や、今回のテーマについての示唆に富む意見もうかがい、今回の記事で紹介することにも快諾くださったフェルゾーネ家のご家族に、この場を借りて、心よりお礼申し上げます。

参考文献とサイト

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http://www.profilwerk.ch/ne5_installation/PrW_193/public/data/downloads/20090423-142320-profilwerk_Brosch.pdf

プロフィール

穂鷹知美異文化間コミュニケーション

ドイツ学術交流会(DAAD)留学生としてドイツ、ライプツィヒ大学留学。学習院大学人文科学研究科博士後期課程修了、博士(史学)。日本学術振興会特別研究員(環境文化史)を経て、2006年から、スイス、ヴィンタートゥーア市 Winterthur 在住。地域ボランティアとメディア分析をしながら、ヨーロッパ(特にドイツ語圏)をスイスで定点観測中。日本ネット輸出入協会海外コラムニスト。主著『都市と緑:近代ドイツの緑化文化』(2004年、山川出版社)、「ヨーロッパにおけるシェアリングエコノミーのこれまでの展開と今後の展望」『季刊 個人金融』2020年夏号、「「密」回避を目的とするヨーロッパ都市での暫定的なシェアード・ストリートの設定」(ソトノバ sotonoba.place、2020年8月)
メールアドレス: hotaka (at) alpstein.at

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