終の住処としての外国――スイスの老人ホームにおける 「地中海クラブ」の試み

今日、様々な事情で住み慣れた国を離れ、外国に住んでいる人が、世界中に大勢います。その人たちは、若い頃は、海外暮らしにほとんど支障も葛藤もないかもしれませんが、高齢になってくると、心境や状況はどう変わっていくのでしょう。今回は、外国生活が長い人の間でも、話題にされることが少なく、対応の検討が先送りにされがちな、外国での老後というテーマについて、スイスの老人ホームを例に、少し具体的に考えてみたいと思います。

 

 

スイスの老人ホーム

 

スイスの公立老人ホームは、全般にアメニティーが高く、居住者は一見不自由のない生活をしているように見えます。例えば人口10万人強のヴィンタートゥアWinterthur市にある市営老人ホームは、交通の便の良い市内の五ヶ所にバランスよく点在しており、ホームの敷地内には、一般のひとも利用できる庭やレストランのほか、美容室や保育園(現在建設中)なども併設されています。居住者は自活能力に合わせてサービスが選ぶことができ、自炊やペット連れの入居が可能です。

 

このように快適さでは申し分ないように見える老人ホームですが、近年、これまでなかった全く新しい課題がでてきました。外国出身の高齢者への対応です。

 

数年前までスイスの老人ホームは、外国出身者の割合が年々高くなるスイス社会全般の状況とは一線を画し、スイス人という文化的同一性の高い人々で占められていました。外国からスイスに移り住んでくる人がほとんど若者であったことと、外国出身の人の圧倒的多数が、親を老人ホームに預けずに自分たちで世話をすることをよしとする文化的な背景をもつ国からきていたためです。

 

しかし、時代も状況も変わり、外国出身の家庭の子どもが親の世話をみることができなくなるケースが多くなってきて、外国人のホーム入居が増えてきました(以下、ドイツ語圏を中心に話をすすめていきます)。

 

 

 

 

イタリアからの労働者の高齢化

 

スイスの外国人高齢者で現在、圧倒的に多いのはイタリア人です。2008年のスイスに住む65〜79歳の外国人の統計をみると、イタリア人が4万6千人で、次に多い2万人弱のドイツ人高齢者の2倍以上の数です。

 

イタリア人が多いのは、スイスの20世紀後半の歴史に深く関係しています。スイスでは、1950・60年代に、重工業や土木建設業部門などで不足する労働力を確保するため、外国からの労働者を受け入れてきましたが、その労働力の大半がイタリアからの若者でした。

 

当時やってきた若者は、生涯スイスに住むというより、しばらく稼いでお金をためて故郷に帰るつもりだった人が多く、ドイツ語圏にいてもドイツ語の習得にあまり熱心でない人がかなりいたようです。スイスでは公用語の一つがイタリア語であり 、ほかの言語の出身国に比べて言葉の不便も比較的少なくてすんだことや、同郷人だけで保育園から余暇活動まで過ごす機会や時間が多かったことも、ドイツ語習得があまり浸透しなかった理由とされます。

 

月日は過ぎ、現在は、かつてのイタリアからの労働者の約3分の1は母国にもどり、ほかの3分の1はスイスとイタリアの二つの国を行き来しており、スイスに残っているのは3分の1ほどだといいます。その中で一部が、スイスの老人ホームに入居しはじめたということになりますが、ドイツ語がわからない人たちもその中に含まれています。

 

ドイツ語がわからないイタリア人が入居すると当然、コミュニケーションに支障がでます。イタリア語を話せるスタッフを増員できれば、てっとり早い かもしれませんが、ただでさえスタッフ不足の介護業界で、必要な言葉を話すスタッフを採用し適所に配置するのは容易ではありません。このため、入居者を対象にドイツ語講座を設けて、住人のドイツ語力の向上を計るホームもでてきました。

 

しかし長くドイツ語圏に住みながらドイツ語を(様々な事情で)習得できなかった人たちが、高齢になって体の健康もすぐれない状態で、どれだけドイツ語の授業で語学力を伸ばせるかには、はなはだ疑問が残ります。少なくとも、 これまでわたし自身が関わったドイツ語初心者講座では、60代以上の人のドイツ語習得は、困難が多く、学習意欲を維持することも簡単ではありませんでした。

 

 

外国人入居者の側からみたスイスの老人ホーム

 

一方、言葉ができて、生活に一見不自由がなくても、ホームで暮らす当人にとっては、スイス人には想像しづらい問題があるかもしれません。例えば、食事は基本的に(現状では居住者の圧倒的多数を占める)スイス人の高齢者の口に合うような献立になっていますが、スイスとは異なる食生活に慣れ親しんだ高齢者にとって、食べたいものが食べられないこと、しかもそれが一時的なことではなく、人生最後の日まで恒常的にそうであることは、どのように感じられるでしょうか。

 

もっと深い心理面の問題として、高齢になると若い時以上に故郷への憧憬が強くなり、文化や習慣的な差異が辛くなるということがあるかもしれません。高齢者の心の奥深い部分を推い測るのは難しいですが、ドキュメンタリー映画『ノスタルジア Nostalgia』 は、外国出身の高齢者自身の目線に合わせてこの問題を捉えており、参考になると思うので、この映画について少しご紹介します。

 

イタリアのシチリア出身の一人の80代の男性ファルゾーネさんは、2013年の暮れから、ヴィンタートゥア郊外の特別介護老人ホームPflegezentrum Eulachtalに入居しました。彼はホーム初の外国出身者でしたが、イタリア語のできるスタッフが担当してイタリア語で話しかけシチリアの音楽なども持ってきて聞かせてくれたり、やはり80代で同室のスイス人男性マイリさんと、(イタリア語とスイス・ドイツ語が交錯する会話で、側から見ると、お互いに話が通じているのが不思議に思えても)非常に意気投合し、新居の生活にも次第に慣れていきました。

 

その一方で、ファルゾーネさんは、強い望郷の念にかられるようになります。妹や甥が住むシチリアにもう一度帰りたいという彼の切ない願いを実現してあげたい、そう思い立った介護スタッフの強い熱意と協力で、故郷を訪ねる1週間の旅が2014年9月に実現されました。旅行には二人の介護スタッフとともに、離れ難いほど仲良しになったマイリさんもいっしょに行くことになりました。酪農農家一筋で働いてきたマイリさんは、一度もスイス国外に出たことがありませんでしたが、生まれて初めての飛行機に乗って、まだ一度も見たことがない海を目指します。

 

家族との再会を果たしたり、待望の海で大はしゃぎしたりして、満面の笑顔でたくさんの思い出をつくり、二人の旅はチューリッヒの空港で、両家族に暖かく迎えられて終わります。その後「魂をシチリアに置いてきたように」(家族の言)、急に容態が悪化したファルゾーネさんは、旅行から1ヶ月もたたないうちに他界します。最後の旅立ちは、旅行前のように死への恐怖でパニックになることもなく、とても静かに迎えられたといいます。

 

この映画は、最後まで二つの国への強い絆と愛着をもって生きた一人の人生へのオマージュであるのと同時に、これから増えていく外国出身の高齢者たちの状況や思いに重なることもまた多分にあるように思えます。【次ページにつづく】

 

 

 

 

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