2018.12.20
「ムスリムの反ユダヤ主義」?――ヨーロッパ移民・難民問題のもう一つの側面
今年の春、ベルリンで頭にユダヤ教徒のキッパを被った男性が、シリア難民とされる若い男にベルトで殴打される映像がインターネットで拡散した(注1)。被害男性はイスラエル人だが、ユダヤ教徒ではなく、ドイツでキッパを被ると危ないという意見が本当かどうか試してみて実際に被害に遭ったという。
(注1)http://www.spiegel.de/video/berlin-israeli-mit-guertel-verpruegelt-video-99016995.html
同じ頃、2017年の反ユダヤ主義的な刑事事件数が公表され、総数1504件、つまりドイツでは一日に約4件の割合で反ユダヤ主義的な犯罪が発生したという統計が出ていた(注2)。この事件はすでに移民・難民の受け入れ問題で窮地に立たされていた政府に追い打ちをかけ、迅速な対応を迫られたメルケル首相はいかなる形の反ユダヤ主義も断固として却下する声明を出し、4月に内務省に「反ユダヤ主義問題担当官」のポストが新設された。
(注2)この時点では、州による2017年の犯罪件数の集計は終わっていなかったが、すでに1400件以上になっていた。最終的な統計は以下を参照。https://www.bmi.bund.de/SharedDocs/downloads/DE/veroeffentlichungen/2018/pmk-2017.pdf?__blob=publicationFile&v=4
ヨーロッパ社会内のムスリムによる反ユダヤ主義に対する懸念は、実はかなり前から口にされてきている。中でもヨーロッパ最大のイスラム教徒とユダヤ教徒の人口を抱えるフランスでは、懸念は久しくリアルである。
過去10年ほどを見ても、2006年にユダヤ系フランス人イラン・アリミが郊外の若者のギャング集団により誘拐・拷問・殺害された事件(金銭目的であったが、裁判では反ユダヤ主義的な動機も認定されている)、さらには2012年のトゥールーズでのラビとその子供たちの射殺事件、2015年のフランスの同時テロにおけるユダヤ系スーパーの襲撃など、イスラム過激派のテロと結びついたものもある。去年、今年と、パリで高齢のユダヤ人女性がおそらく反ユダヤ主義的な動機から殺害される事件が2件あり、現地のユダヤ人の間で脅威はきわめてリアルなものと認識されている。
これに対しナチズムの過去を背負うドイツは戦後、ユダヤ人(注3)に対するいかなる不寛容も許容しないという前提のもと、様々な施策をとってきた。シナゴーグなどのユダヤ人施設は24時間警護され、徹底した歴史教育が行われ、ヘイトスピーチの刑事処罰がなされてきた。反ユダヤ主義的な事件の発生を未然に防ぐことに国家の威信がかかっており、潜在的な暴力は成功裏に押さえ込まれてきた。この実績は、ドイツは過去の反省に立つ民主主義社会を実現したという国家的自己理解を支え、同時に外交アピールとしても役立ってきた。
(注3)「ユダヤ人」とは、宗教であると同時に民族(血統)を意味する概念として定義されるため、宗教的な集団に言及するときには「ユダヤ教徒」という表現を使う。
しかし2000年代後半、こうしたドイツの「成功」に黄信号が点り始めた。ヴッパータールのシナゴーグが放火され(2009)、ハノーファーではユダヤ人のダンスグループが投石を受け(2010)、ベルリンではラビが暴行を受けた(2012)。そして2014年のガザ戦争の際の親パレスチナ・デモでは、イスラエル国旗が燃やされ、「ユダヤ人をガス室へ」「子殺しのユダヤ人」といった、戦後ドイツ社会では最大のタブーであった言説が公的空間に登場した。
これらの事件の犯人がすべて逮捕されているわけではないが、事件発生時の状況や証言から、主にアラブ系もしくはムスリムの若者によるものとされている。最近では、公立の学校でユダヤ人生徒に対するムスリム生徒によるいじめや暴力も問題となっている。
近年の難民の大量流入は、ドイツ社会にすでにあったムスリムの移民や難民に対する拒否感を顕在化させたが、彼らが新たな反ユダヤ主義を持ち込むという認識は、輪をかけて彼らに「他者」のレッテルを貼る結果となっている。反ユダヤ主義という戦後ドイツの政治姿勢の根幹に関わる問題が絡むことで、「ムスリムの反ユダヤ主義」は移民の社会統合の問題として、もしくはイスラム教徒の難民受け入れを抑制する根拠として、大きくテーマ化されるのである。
ヨーロッパ移民問題への新しい視座
ところで、移民や難民の集団内に見られる反ユダヤ主義的な傾向を、「ムスリムの反ユダヤ主義」と呼んでよいのだろうか。もちろん、特定の政治的傾向や社会的態度を宗教的属性に還元させるかのような問題設定には慎重にならなければならない。宗教的にも均質とは言えない集団を、「ムスリム」と一括りにすることへの批判はあるだろうし、そもそも反ユダヤ主義的な傾向はイスラム教徒としての信仰心とはほぼ関係がない(注4)。また移民もしくは難民であるという、移動することに随伴する身分や状況と、反ユダヤ主義との間に直接的な因果関係はない。「ムスリムの反ユダヤ主義」と呼ぶことで、彼らをさらに型にはめ、本質主義へと向かわせる可能性もある。
(注4)クルアーンには実際にユダヤ人を豚や猿に例える箇所があるそうだが、ドイツのムスリムを対象としたインタヴュー調査では、クルアーンをユダヤ人敵視の根拠としてあげた者はほぼ皆無であったという。(David Ranan, Muslimischer Antisemitismus: Eine Gefahr für den gesellschaftlichen Frieden in Deutuschland?, Bonn: Dietz, 2018, S. 113.)
しかし、「名付ける」という行為により一つの問題の存在が認識され、そこに様々な特質が付与される中で社会的な実体が生じる。現在、多くのヨーロッパ社会で実際に「ムスリムの反ユダヤ主義」という表現が使われており、また社会もそのようなものとして問題を捉えている。ここでの「ムスリム」は宗教的な指標であり、同時にエスニシティとしても理解されているのだ。したがって本稿では様々な留保の上で、カッコ付きの「ムスリムの反ユダヤ主義」を論じることとする。
では、あえて「ムスリムの反ユダヤ主義」を取り上げることで、何が見えてくるのだろうか。
これまでヨーロッパにおける移民・難民の社会統合やレイシズムの問題は、もっぱら多数派(ヨーロッパ系白人キリスト教徒)と、エスニック・マイノリティ(非白人、多くの場合ムスリム)の関係における問題として議論されてきた。ここにはヨーロッパ内のもう一つのマイノリティ、ユダヤ人の立ち位置を通して集団間の関係や排除のイデオロギーを読み解く視点が欠落していたと言える。
社会学的な関心が向けられるムスリムの労働移民に対し、ユダヤ人は一般的にはヨーロッパの移民集団の中には数えられていない。各国における歴史が長いためだが、実際には二次大戦後のユダヤ人共同体は累積的な移住により形成された移民社会である。ドイツではソ連や東欧、フランスではマグレブ諸国からのユダヤ人の移住がホロコーストで弱体化したコミュニティを再生したのであり、移住時期もムスリム移民と大きく異なるというわけではない。
ところが現在のヨーロッパ社会では、政治的資源の点でも、社会経済的地位においても、ユダヤ人がムスリム移民集団の上位に位置するように見える状況があり、「ユダヤ人の社会統合」が議論されることはほぼない。彼らは主流社会に比較的容易に溶け込み、社会的上昇を果たしたとされ、したがってムスリムの統合の「失敗」は、暗黙裏にもユダヤ人の統合の「成功」と対比されている。
この階層化の構造を理解することなしには、ヨーロッパのムスリムの状況を論じることはできない。多数派キリスト教徒/ムスリム移民・難民/ユダヤ人、この三者の関係のねじれが現出しているのが、いわゆる「ムスリムの反ユダヤ主義」という現象なのである。
「ムスリムの反ユダヤ主義」とは
では、「ムスリムの反ユダヤ主義」とは何を意味するのか。
反ユダヤ主義の確立した定義はないが、一般にはユダヤ人をユダヤ人であるという理由で敵視する社会的態度を指し、身体的暴力、暴言、ユダヤ人が世界経済やメディアを操っているなどのステレオタイプ、歴史的事実としてのホロコーストの否定などがこれにあたる。イスラエルに対する批判は反ユダヤ主義なのかという議論があるが、ユダヤ人を一枚岩的な集団と捉えて、イスラエルの政策をユダヤ人全体の責任に帰したり、ユダヤ人が国を持つ権利を否定したり、イスラエルによるパレスチナ人の扱いをナチのユダヤ人に対するそれと同一視したりすることは、反ユダヤ主義であると見なされている。
現在ドイツで問題となっているのは、「ムスリムの」「移民・難民の」反ユダヤ主義とされるように、外から持ち込まれたものだという認識がある。近年の難民の出身国(シリア、イラク、アフガニスタン等)はイスラエルと長年対立してきたため、反ユダヤ主義が半ば国是であったのは事実だ。そうした場所で教育を受け社会化した人は、反ユダヤ主義を内面化していてもおかしくない。
ただし、イスラム教徒の「同胞」が世界的に抑圧されており、その責任はアメリカとイスラエルにあるとするムスリム的な世界観は、ドイツ在住歴の長い移民の家庭でも共有されている。トルコ系移民の家庭の場合、現在すでに移民第二世代、第三世代となっており、彼らは実際には「移民」ではなく「移民の背景を持つ者」であるが、トルコ語の衛星放送やインターネットを通して情報を得ることも多く、イスラエルに対する反感は強い。
こうした反イスラエルを出発点とする反ユダヤ主義は、ドイツ社会に典型的な、ナチズムの過去ゆえの反ユダヤ主義(ユダヤ人は過去にこだわりすぎる、ドイツから補償金を搾り取るためにホロコーストを利用するなど)とは異なる。
では実際にドイツのムスリムと非ムスリムでは、どの程度ユダヤ人に対する姿勢が異なるのか。米国のユダヤ系団体、ADL (Anti-Defamation League:反中傷同盟)の2015年の調査では、「ユダヤ人は国際金融市場において力を持ちすぎている」という意見をドイツ全体では29%の人が肯定するが、ムスリムに限定すると74%へと跳ね上がり(フランスではそれぞれ26%と64%)、「ユダヤ人はアメリカ政府に影響力を持ちすぎている」という意見では、ドイツの非ムスリム25%に対しムスリム62%が肯定している(フランスは21%と53%)(注5)。
(注5)ADL, Global 100: An Index of Anti-Semitism, 2015, p.38.(http://global100.adl.org/public/ADL-Global-100-Executive-Summary2015.pdf)
また、ドイツ連邦議会の委託で専門家らにより作成された2017年の「反ユダヤ主義に関する報告書」は、移民の出身地域によりユダヤ人への姿勢に違いがあり、バルカン系、トルコ系、アラブ系の順で反ユダヤ主義的傾向が強く、中でも10代から20代の若年層ムスリムにおいて顕著であると指摘している。宗派による違いはアレヴィを除いて特にないが、キリスト教徒の場合とは異なり、ムスリムは信仰心が強いほど反ユダヤ主義傾向も強いとされる(注6)。
(注6)Deutscher Bundestag, Drucksache 18/11970, “Bericht des Unabhängigen Expertenkreises Antisemitismus,” 2017, S.81-82.
ムスリムへの差別と反ユダヤ主義の関係性
多くの研究で指摘されているのは、ムスリム移民(もしくは移民の背景を持つ人)の間では「ユダヤ人は金持ち」「ユダヤ人は世界を操っている」といった伝統的とも言える反ユダヤ・ステレオタイプが支持される傾向にあるという点である。加えて、「戦争やテロの背後にはユダヤ人がいる」という、いわゆる陰謀論が支持されやすいことも指摘されている。
反ユダヤ主義的な陰謀論がムスリムから支持される理由は何か。若く国を出て多くは単身でヨーロッパにやって来た労働移民のムスリムの、教育レベルに帰す見方がある。またヨーロッパ社会において自らが経験した排除や差別への反応とする意見もある。マジョリティとの社会経済格差を目の当たりにして、責任のありかを求めるというのだ。ただし、差別を受けた経験は必然的に反ユダヤ主義的な世界観を助長するとのかと言えば、相関性は必ずしも明白ではない(注7)。
(注7)Ibid., S.82.
しかし、「差別された」経験は、「優遇されている」ように見える集団に対する妬みや反発の原因にはなる。ドイツではこの点こそが問題である。なぜなら、ドイツにおいてユダヤ人は優遇されていると思われているためである。
例えば、シナゴーグなどユダヤ人施設は24時間警護されているが、モスクをはじめとするイスラム教の施設は、排外主義的な落書きや放火のターゲットとなるにもかかわらず警護がない。またユダヤ教団はキリスト教会同様に公法上の地位を有するが、イスラム教団はほとんど公認されていない。移民の受け入れという点でも、ユダヤ系の移民は歴史的背景から入国・帰化が比較的容易であったが、労働移民に対してはそうではなかった(注8)。
(注8)武井彩佳『<和解>のリアルポリティクス:ドイツ人とユダヤ人』みすず書房、2017年、3章を参照。ただしこれは、ムスリム移民に対して差別的政策がとられたことを意味せず、むしろトルコ人など「外国人」と、「ドイツ人と同等に扱うべき歴史的背景を有する集団」という、ドイツ独特の分離の中で生じてきたものである。
さらに、過去を反省して犠牲者を想起するというドイツ特有の記憶文化が、ユダヤ人が優遇されているという印象を増幅させている。イスラエルに対するドイツ政府の外交姿勢は過去に束縛されるゆえ、イスラエルへの譲歩がその対パレスチナ強硬姿勢を助長させるという理解を生む。
ドイツの過去への姿勢が反ユダヤ主義を副次的に生み出す点について、先の「反ユダヤ主義報告書」は、次のように指摘している。
「ドイツの記憶政策のあり方は、意図せずネガティブな副作用をもたらしているかもしれない。ムスリムが(…)日々経験する差別が無視されて、「二級の犠牲者」として扱われているように感じている可能性がある。これはユダヤ人の否定など、心理的な影響を与え得る。」(注9)
(注9)Deutscher Bundestag, “Bericht,” S.83.
犯罪件数からみると
では、実際にドイツで発生する反ユダヤ主義的な事件のうち、どれほどが「ムスリム」によるものなのか。
2017年のドイツにおける反ユダヤ主義的な犯罪は1504件であり、1日約4件であることは指摘したが、これらがすべて暴力事件というわけではない。ドイツでは鍵十字などナチ党のシンボルは禁止されており、またデモなどでのヘイトスピーチや、インターネット上でのその拡散も犯罪となるゆえ、件数としては比較的多い。ただし2001~ 2015年の間で反ユダヤ主義的犯罪の年平均は1522件であり、2017年が特に多いというわけでもない(注10)。その内訳を見ると、暴力事件は37件にすぎず、大半が落書きなどの器物損壊やヘイトスピーチに代表される刑法130条民衆扇動罪の違反などである。
(注10)Ibid., S.40 .
こうした事件は政治的動機を有する憎悪犯罪(ヘイトクライム)として統計化されており、加害者の背景は「右派」「左派」「外国のイデオロギー」「宗教的なイデオロギー」「分類不可能」の5つの型に分けられている。犯罪総数1504件のうち、1412件は「右派の政治的動機」を有すとされ、ネオナチ的・排外主義的な思想背景が推測される。これに対しムスリムの移民・難民が関係すると思われるのは、「外国のイデオロギー」によるもの41件、「宗教的な動機」によるもの30件である。この二つの分類における暴力事件は6件に過ぎない。これだけ見ると、犯罪の大半は右派によるもので、「ムスリムの反ユダヤ主義」は数としては少ないようにも見える。
憎悪犯罪全体をながめると、外国人排斥を目的とした犯罪は昨年6434件発生しており、これは反ユダヤ主義的な犯罪の4倍以上である。さらにイスラム教徒に対する憎悪犯罪も1075件あり、これももっぱら右派の占有といって良い(994件)(注11)。つまり、ユダヤ人同様にムスリムも右派からの攻撃の対象なのであり、「ムスリムの反ユダヤ主義」は全体のごく一部であることがわかる。
ただし、この解釈には問題点もある。まず、これらが犯罪統計であるため、刑事的な意味で処罰対象となるもの以外は把握されない。つまり現行犯でない限り、被害者自ら警察に届ける必要があるため、街角ですれ違いざまになされた中傷や嫌がらせの類いは含まれていないだろう。
さらに、犯人の動機が明白でない場合、「政治的右派」のカテゴリーに分類される傾向があること、トルコ語やアラビア語でなされるユダヤ人へのヘイト行為は、ドイツ人が言葉を理解しないために事件化されないことが多いこと、そもそも外国人による行為は、ドイツの刑事司法のレールに乗りにくいといった点が指摘されており、ムスリムによる反ユダヤ主義的事件は実際にはずっと多いとする意見もある(注12)。
(注12)例えばAnn-Christin Wegener, „… und diese Gerüchte stammen nicht von irgendwelchen Nazis!“: Eine Studie zu Erscheinungsformen und ideologischen Hintergründen antisemitischer Agitation in den sozialen Netzwerken, Landesamt für Verfassungsschutz Hessen, S.3. (https://lfv.hessen.de/sites/lfv.hessen.de/files/content-downloads/PAAF-Analysen%20Ausgabe%201.pdf.)
このため、むしろ現地のユダヤ人に対するインタヴューや、警察とは異なるホットラインなどへの通報が、彼らが「肌」で感じる脅威の実態を明らかにするだろう。例えば、2015年に設立されたベルリンの「反ユダヤ主義調査情報センター(RIAS)」の統計では、2017年はベルリンだけで947件の反ユダヤ主義的な事件が報告されている。大半はオンライン上の中傷や暴言、デモなどにおけるヘイトスピーチであるが、18件は身体的な攻撃であった。そのうち7件は明らかに反イスラエル的な性格であったとされるが、イスラエルへの反対は左派にも見られるため、すべてムスリムによるものかは断定できない(注13)。
(注13)RIAS, “Antisemitische Vorfälle 2017”, S.22, https://report-antisemitism.de/media/bericht-antisemitischer-vorfaelle-2017.pdf
ユダヤ人が感じる脅威が現実のものであれ、想像上のものであれ、肌感覚としての「安全」はすでに損われている。国内のユダヤ人を対象にビーレフェルト大学が行った調査では、58%のユダヤ人は移民が多い地区など特定の地域を避けており、70%がキッパやダヴィデの星など、目に見える形でユダヤ教のシンボルを身につけないようにしている。さらに85%が反ユダヤ主義が今後増加すると懸念しているのである(注14)。
(注14)Andreas Zick/Andreas Hövermann/Silke Jensen/Julia Bernstein, “Jüdische Perspektiven auf Antisemitismus in Deutschland: Ein Studienbericht für den Expertenrat Antisemitismus,” April 2017, https://uni-bielefeld.de/ikg/daten/JuPe_Bericht_April2017.pdf
こうした危機感は在独ユダヤ人中央評議会のコメントや、その機関紙であるユダヤ人新聞Jüdische Allgemeineの論調に反映される。2015年11月から2017年7月までに、この週刊新聞は「ムスリムの反ユダヤ主義」をテーマにした記事を80本も掲載している(注15)。良識あるドイツ人であればこうしたユダヤ人の不安を放置するわけにはいかず、「ムスリムの反ユダヤ主義」はドイツ社会全体の問題としてテーマ化されるサイクルができている。
(注15)Ranan, S.17.
反ユダヤ 主義が集団間の対立に火をつける
キッパを被った男性の殴打事件でドイツ社会が強く反応したのは、この種の暴力が連邦共和国が依って立つ理念への攻撃であると捉えられたからであった。過去への反省を大前提とする戦後ドイツは、国内のユダヤ人と手を携えて人種偏見や不寛容を撲滅しようとしてきた。ユダヤ人は民主主義再建の共同参画者であり、ドイツによる「過去の克服」はこの二人三脚によって維持されてきた。こうした中で殴打事件は、ムスリムは民主主義的な価値観を共有しない異質な要素であるという、マジョリティが長らく抱いてきた先入観の「正しさ」を証明したように思われたのである。
しかしその背後に浮かび上がってくるのは、ドイツの移民社会の階層化であった。ユダヤ人の立ち位置は、使い勝手の良い労働力として周縁的な場所に甘んじてきたムスリムの状況とは異なった。歴史的な配慮もあり、ユダヤ人に対しては社会の中枢へ統合の道が開かれ、これが実際の規模とは不釣り合いな、ユダヤ人の政治力や社会的プレゼンスの源となってきた。つまりマイノリティの階層化は、過去への反省による民主主義の構築という、戦後ドイツ政治の中核から派生したものであったのである。
ドイツ政府が最も恐れるのは、マジョリティが抱くムスリム移民/難民への拒否感と、後者によるドイツへの不満が、ムスリムの中のユダヤ/イスラエル敵視を導火線として、様々な社会集団の関係性に火をつけることである。マジョリティによる長年の排除を後景に、エスニック集団間の緊張が前景へと押し出される、事態のいわば「フランス化」が恐れられている。こうした国内的な状況が、世界的に見られるムスリム対アメリカ/イスラエルという構図の中に収まるように見えるとき、それはヨーロッパ社会のきわめて大きな不安定要素となり得るのだ。
プロフィール
武井彩佳
学習院女子大学国際文化交流学部教授。早稲田大学博士(文学)。
単著に、今回取り上げる著書の他、『戦後ドイツのユダヤ人』(白水社、2005年)、『ユダヤ人財産は誰のものか――ホロコーストからパレスチナ問題へ』(白水社、2008年)、『〈和解〉のリアルポリティクス――ドイツ人とユダヤ人』、(みすず書房、2017年)などがある。