2010.12.14

NATOとロシアの関係改善の暗雲 ―― 「ウィキリークス」問題の余波  

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

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ウィキリークス

前稿(https://synodos.jp/international/2256)では、北大西洋条約機構(NATO)とロシアが歴史的な関係改善の第一歩を踏み出したが、ロシアはNATOとの対等な関係を求めており、今後の進展は容易ではないと論じた。

ロシアのメドヴェージェフ大統領は、11月30日に行われた恒例の「年次教書演説」(今後の施政方針を示すもの)でも、欧州におけるミサイル防衛(MD)計画においては、今後の協力が合意できなければ、軍拡競争の新段階が始まり、新たな攻撃システムの配備を決断せざるを得ないと述べ、欧米を牽制していた。

そのようななかで、内部告発サイト「ウィキリークス」問題は米露関係のみならず、ロシアとNATOとの関係にも波紋を呼んでいる。

「ウィキリークス」が公開した米外交公電の中には、旧ソ連諸国に関するものが多く含まれていた。たとえば、カザフスタン大統領の次女の婿が、自らの誕生日に英国の歌手エルトン・ジョン氏を100万ポンド(約1億3000万円)で招待し、私的なコンサートを開いていた(さらに別の年や次女の誕生日にも別の歌手が招かれていた)ことや、各地の豪邸など大統領一家の常軌を逸した贅沢な生活や、アゼルバイジャン大統領のトルコに対する問題発言(ただし、アゼルバイジャン側は否定)が明らかにされた。

しかし、それらのなかでもとくに目立ったのが、ロシアの首脳陣や政治体制に対する厳しい評価であった。たとえば、プーチン首相についてはマフィアの関係や隠し財産、エネルギー取引の私的利用、仕事への嫌気、メドヴェージェフ大統領との微妙な関係などについて報告がなされており、加えて、ロシアの役人による不正や汚職の横行、民主主義が失われていることなど、ロシアにとってはきわめて不快な情報が流出した。

ロシア政府も不快感を隠さず、メドヴェージェフ大統領は12月3日に「(他国を見下した)米外交の冷笑主義をよく表している」と皮肉たっぷりに発言するなど、折角「リセット」で改善しつつあった米露関係をふたたび崩すのではないかという懸念も強く持たれている。

それでも、これらの公電は、メドヴェージェフ大統領も「(外交官にも)色々な見解や評価があるのは当然だが、それが公になれば、他国との関係を傷つける可能性がある」と発言しているように「一外交官の私的感想」と考えれば、何とか「ごまかせる」部分もある。しかし、米国にとって「ごまかせない」深刻な情報も多数流出しており、そのうちのひとつは、ロシアとNATOの今後の協力に大きな悪影響をもたらしかねないものであった。

NATOとロシアの関係におけるウィキリークスの波紋

問題の米国外交光電によれば、2010年1月に、NATOはポーランドがロシアの攻撃を受けた際に、同国を守るという秘密の防衛計画を、バルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)にも適用する計画を決定していたという。

バルト三国に対する計画は、以前に策定されていたポーランド防衛計画を拡大するかたちで、ポーランドと米国、英国、ドイツの各軍から戦闘部隊が配備され、ポーランドとドイツの港を強行上陸部隊や米英の戦艦の受け入れ基地とするというものだった。

ポーランドは旧社会主義圏に属しロシアの隣国である。ポーランドとロシアの関係は悪化していたが、2010年4月にカチンスキ前大統領が航空機墜落事故によって逝去した後に、両国の関係は改善してきていた。

他方、バルト三国といえば、ソ連解体後にロシアとは完全に一線を画し、欧州の一員として生まれ変わったとはいえ、ロシアからしてみれば、やはり旧ソ連の一員として「近い外国」という認識を持っている諸国である。

そのような諸国に対し、NATOがロシアに対する防衛義務を負うということは、NATOがロシアを敵対ししていることの表れといわれても仕方なく、またロシアと関係改善を進める一方で、秘密裏にそのような約束が取り交わされていたということに、ロシアは当然反発している。アメリカのクリントン国務長官も、同計画は「ロシアとの不必要な緊張の高まり」を招く可能性が高いため、極秘にするべきだという認識を表明していたという。

ロシアのラヴロフ外相が12月9日の記者会見で発表した情報によれば、ロシアは前日8日のNATO・ロシア理事会で、その問題をNATO側に問いただし、回答を待っているところである。また、ラヴロフ外相は、ロシアを脅威とみなさないとNATOが表明し、パートナー関係で合意したにもかかわらず、NATO加盟国をロシアから防衛する必要があると決定していたことに不信感を表明し、NATOの姿勢を厳しく批判した。明らかに、ロシアとNATOの関係改善に暗雲が漂いはじめた感がある。

今後の展望は?

ウィキリークスによる情報で、ロシアの米国、NATOに対する不信感が増したことは間違いない。一方で、12月9日に、モスクワでフランスのフィヨン首相と会談した後の記者会見で、プーチン首相は、ウィキリークスの創始者であるアサンジ氏の逮捕を批判し、そのような逮捕は民主主義の原則に反すると述べた。

これはきわめて皮肉な行動である。というのは、ロシアは政権に反する動きを力でねじ伏せ、政権安定を阻害しうるジャーナリスト、弁護士、実業家、法執行機関関係者などを不当に逮捕したり、暗殺したり、暴力を用いたり、諸々の圧力をかけたりしてきたが、欧米諸国や国際組織はそのような言論の自由の弾圧や非人権的な性格を強く批判し、それに対してロシアは「内政干渉」だと言って反発してきたという経緯があるからだ。

つまり、プーチンは、米国がウィキリークスを弾圧するのは言論の自由の弾圧だと主張し、「自由な国」を標榜している米国を皮肉りつつも、ロシアの内政問題の逃げ道をうまく確保したともいえるのである。

このように、「ウィキリークス」が米露間の「リセット」やロシアとNATOの関係改善に与えたネガティブな影響はかなり大きいだけでなく、ロシアの民主化にも悪影響を及ぼした。もちろん、「ウィキリークス」の一件がなくとも、NATOとロシアの関係改善はさまざまな障害があり、もともと容易なものではなかった。しかし、それが最近の一連の出来事で、より難しくなったといえる。しばらくは状況の推移から目が離せない。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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