2020年五輪開催地として立候補したアゼルバイジャンのジレンマ

2020年五輪開催地争奪戦の開始

 

今年の9月2日、IOC(国際オリンピック委員会)が、2020年夏季オリンピック・パラリンピック競技大会開催立候補申請都市を発表した。今後は、2012年5月にIOCによる一次選考の結果が発表され、2013年9月7日にアルゼンチンのブエノスアイレスで行われる第125回IOC総会で最終結果が出される予定であるが、申請年が発表されたことで、開催地をめぐる争奪戦がスタートしたと言ってよい。

 

日本は、6月17日に東京への2020年五輪招致の表明を行った、その際、石原慎太郎都知事は「震災から立ち直った日本の姿を披露すれば、世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となる」と述べ、東京開催が決まった折には、IOCの許可が出れば東北地方でのいくつかの競技開催もありうるとしていた。

 

東京都は2009年に、ブラジル・リオデジャネイロでの開催が決まった2016年の夏季五輪の招致に失敗しているが、今回は、東京の招致がかなり有望だという説もある。その一方で、2018年の冬季五輪が韓国の平昌(ピョンチャン)で開催されることが決定しているため、東アジアで連続の五輪開催は難しいのではないかという声も聞かれている。

 

今回、立候補を表明しているのは、日本の東京都のほか、アゼルバイジャンのバクー、カタールのドーハ、トルコのイスタンブール、スペインのマドリード、イタリアのローマの6都市である。なお、このうちの4都市、すなわちバクー、ドーハ、マドリード、東京は、2016年大会にも立候補していたため、二度目の対決となる。

 

本稿では、これらのうち、日本ではあまり報じられないバクーの状況を扱う。たんにオリンピック招致の問題だけでなく、アゼルバイジャンが自国で国際的なイベントを行うことの諸問題についても併せて記してみたい。

 

 

アゼルバイジャンとオリンピック

 

アゼルバイジャンは、1991年のソ連解体とともに独立した新興国であり、ソ連時代は、ソヴィエト連邦選手団、バルセロナ五輪にはオリンピックEUN(ソ連解体後に期間限定でバルト三国を除く旧ソ連構成諸国によって編成されたチーム、選手)選手団として五輪に参加していたが、「アゼルバイジャン」としては、1996年夏季アトランタ五輪から、冬季五輪は1998年の長野オリンピックから参加している。

 

まだ冬季五輪でのメダル獲得はないが、これまでの4回の夏季五輪出場で、金4、銀3、銅9と計16のメダルを獲得している。メダルを獲得した競技はレスリング、射撃、柔道、ボクシングで、とくにレスリングは金2、銀3、銅2と7つのメダルを獲得しており、その強さには世界的にも定評がある。

 

このように、アゼルバイジャンの五輪の歴史はまだ浅いが、オリンピックは国家の鳴り物入りのプロジェクトで、独立後、早くからかなり力が入れられてきた。権威主義国家であるアゼルバイジャンにとって、国家が力を入れるプロジェクトの意味はきわめて大きく、国民統合にも一役買っているだけでなく、国際的にアゼルバイジャンをプロモートしていく上でも大きな期待が持たれている。

 

アゼルバイジャンでは、1992年にアゼルバイジャン国家オリンピック委員会(NOC)が設立されたが(公認を受けたのは93年)、95年に総裁に就任したのは、当時、カリスマ的大統領であり、同国に権威主義体制を確立した故ヘイダル・アリエフ前大統領の子息のイルハム・アリエフであった。イルハム・アリエフは2003年からソ連で初の世襲大統領となっているが、その政権基盤は盤石であり、アゼルバイジャンの政治経済はすべてアリエフ一家が握っている状況だ。そして、大統領になった今でも、このイルハム・アリエフ氏がNOCの総裁職を兼務しつづけている。

 

アゼルバイジャンは、カスピ海の石油・天然ガス資源を梃に、目覚ましい経済成長を遂げたが(ただし、国民レベルの経済パフォーマンスはきわめて悪く、一般民衆の生活水準はかなり低い。また、国内に100万人いる難民・国内避難民の状況も改善しておらず、国家の富は大統領一家をはじめとした国民の1%未満に集中していると言われている)、それら豊富な資金も、オリンピック選手団の育成や施設の充実に相当程度充てられている。1990年代後半から、オリンピック関連の施設も次々と建設され、その度にアリエフ父子がそれを高らかに誇ってきたのであった。

 

また、2000年のシドニー五輪の際には、筆者はアゼルバイジャンにいたが、その際驚いたのは、国営テレビで一日中オリンピックの放送をしていたことであり、しかも、その期間中、イルハム・アリエフNOC総裁はずっとシドニーに滞在し、アゼルバイジャンの選手が参加するすべての種目を観戦していたことだ。

 

さらに、興味深いことに、テレビ番組では、アゼルバイジャンの選手より、イルハム・アリエフ氏が映っている時間の方がずっと長かった。そのため、オリンピック放送は、むしろ、イルハム・アリエフ氏の宣伝に役立ったといえる。それまでは、じつはイルハム・アリエフ氏は、賭博問題などで、国民の評判が悪かったのだが、これを機に彼の人気が急上昇した。2003年の大統領選挙に当選した背景にもこのことが大きく働いているとみられている。

 

このように、アゼルバイジャンのオリンピックに対する思い入れはきわめて大きい。NOCの報道官コニュル・ヌルラィエヴァは、アゼルバイジャンのこれまでの経験がアゼルバイジャンでの五輪開催を成功に導くと、その招致に自信をみせる。彼女によれば、バクー周辺にオリンピック用の競技場が建設されつつあり、来年までに完成されるという。IOCの一次選考の際には、完璧な準備状況を整えておくつもりのようだ。

 

しかし、そのような国際イベントを開催する上では、アゼルバイジャンはいくつかの難問を抱えている。オリンピックの招致問題ではまだ表面化していないが、来年、アゼルバイジャンで開催が予定されているユーロヴィジョン・ソング・コンテスト(以下、ユーロヴィジョン)に関して生じている問題は、そのままオリンピック招致問題に関わってくると思われる。そこで、ユーロヴィジョンについて論じてみたい。

 

 

ユーロヴィジョン2011でのアゼルバイジャンの優勝

 

日本ではあまり馴染みがないが、ユーロヴィジョンとは、欧州放送連合(EBU)加盟放送局によって1956年以降、毎年開催されている音楽コンテストである。日本を含め、欧州域外でも放映されており、2000年以降はインターネットでも配信されているため、その視聴者は1億人という説もあれば、6億人という説もあるほど、世界中で注目を浴びているコンテストだ。政治的な投票などの問題もあるにせよ、ヨーロッパでは大変楽しみにされている恒例行事である。大会は、前年の優勝国で開催されるのが通例である。

 

アゼルバイジャンがユーロヴィジョンに初めて参加したのは2008年。ドイツのデュッセルドルフで開催され、43ヶ国が参加した2011年大会では、アゼルバイジャンのエルダル・ガスモフとニギャル・ジャマルの「Running Scared」(同曲の公式ミュージックビデオは以下:http://www.youtube.com/watch?v=3Vk4HYUatv8)が優勝した。

 

彼らが優勝のステージでアゼルバイジャンとトルコの国旗を振っていたこと、トルコなどの投票行動などから、アゼルバイジャンおよびトルコと問題を抱えるアルメニアが反発を示すこともあったが、アゼルバイジャンにとっては誇らしい歴史的出来事となり、国中がその優勝を祝った。ユーロヴィジョン開催は、観光の宣伝にも絶大な効果を持つため、その意味は経済的にも大きい。

 

こうして、2012年5月の第57回ユーロヴィジョン大会はアゼルバイジャンで開催されることが決定した。アゼルバイジャンは、国をあげてユーロヴィジョン開催準備を進めており(公式ホームページはhttp://www.eurovisionaz.com/)、バクーの「旗公園」近くではユーロヴィション開催のために2万5千人を収容できる「バクー・クリスタル・ホール」の建設が開始、その周辺に住んでいた多数の住民が既に強制立ち退きを強いられている(なお、この問題に関し、立ち退きを強いられた住民の人権問題が深刻視されているが、ユーロヴィジョン側はそれをアゼルバイジャンの国内問題としている)。

 

このように「器」の準備は進んでいるとはいえ、アゼルバイジャンには解決すべき問題がいくつかある。

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

・山本貴光「語学は裏切らない――言語を学び直す5冊」
・片岡栄美「趣味の社会学――文化・階層・ジェンダー」
・栗田佳泰「リベラリズムと憲法の現在(いま)と未来」
・渡邉琢「介助者の当事者研究のきざし」
・松田太希「あらためて、暴力の社会哲学へ――暴力性への自覚から生まれる希望」
・穂鷹知美「スイスの職業教育――中卒ではじまる職業訓練と高等教育の役割」