アウンサンスーチーの言葉からみえるビルマ(ミャンマー)のいま

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アウンサンスーチーの来日

 

「お年をめされたかな」。”レイディ”に、しかも初対面の方に年齢のことを申し上げるのは失礼千万なことは承知のうえで、初めて身近に彼女を拝見したさいの率直な感想である。分刻みのスケジュールのお疲れもあったのかもしれない。アウンサンスーチー氏(67)は、4月13日から一週間、27年ぶりに日本を訪問し、東京と京都では大学で講演したほか、日本で暮らすビルマ出身者との交流会をもった。このエッセイでは、アウンサンスーチー氏の言葉を手がかりにいまのビルマについて考えてみたい。

 

わたしは京都でのビルマ人との交流会として設けられた講演に参加した。この講演会は、京都大学のアメリカンフットボール部の学生が書いた手紙をもとに実現した企画である。少し早めに会場に到着した彼女は、原稿を読むでもなく、淡々とした口調で聴衆に語りかける。もちろん彼女の演説を聞くのは初めてだが、既視感があった。

 

「民主化とは一人ひとりが取り組むことで実現する」「ドー・スーチーが言ったからやるのではなく自ら取り組む必要がある」といった言葉は、彼女が1988年頃から一貫して発してきた。「どうすればいいですか」「これからどうなりますか」という聴衆からの問いかけに対して、民主主義の権利を主張するだけではなく、それを裏付ける義務と責任は『一人ひとり』にあるとする彼女の言は、どれほどビルマの人に届いているのか。

 

演説を聞いた人からは「スーチーさんはすごい」という声が聞かれるが、じつはそうした言葉こそ、彼女が訴えていること、求めていることではないだろう。彼女の演説内容は、普遍的な思想と行動であるがゆえに万人に響き、ときにカリスマ的な求心力につながる。しかし、彼女にかけられる期待が大きければ大きいほど、その思想と行動からは遠のく。そうしたジレンマを彼女は抱えているのかもしれない。

 

 

問われる民主化

 

ビルマは2010年に20年ぶりの選挙を行い、翌年に民主政権が誕生した。新憲法のもと、議員定数の四分の一を軍人が占めること、緊急時には議員や大統領ではなく国軍が全権を掌握することなど、軍事政権下の体制維持が保障されていることへの懸念があった。この懸念とは裏腹に、現政権は政治囚の一部釈放、アウンサンスーチーの政治参加の容認、二重為替の廃止と変動相場制の導入、諸民族との停戦に向けた話し合いを開始するなど、誰も予測しなかったスピードでこの国は変化している。

 

日本からの直行便も運行され、毎日のように日系企業の動向に関するニュースが飛び込んでくる。日本人にとっても「閉ざされた国」ではなくなってきているようだ。「最後のフロンティア」をめぐって、各国が我先にと進出を急いでいる。

 

他方で、民主化の内実が疑われる出来事も相次ぐ。中国と国境を接するカチン州では、カチン軍と政府軍との戦闘により多くの犠牲者と難民が出た。バングラデシュと国境を接するラカイン州では、ムスリム系住民のロヒンギャへの排除が、中部のメッティーラでも仏教徒とイスラム系住民との衝突がある。国際人権団体のヒューマン・ライツ・ウォッチは、イスラム系住民に対する「民族浄化」としてこの事態への憂慮を示している。日本で報道されることはないが、アウンサンスーチーの訪問中に、ビルマ東部のシャン州では政府軍とシャン州軍との間で戦闘が起こっている。

 

「中央」からみた場合と「周辺」地域からみた場合とでは、おどろくほど対照的だ。大きな変化の波にさらされている都市部と、相も変わらず暴力が支配している国境地域。この両面を兼ね備えているのがいまのビルマの正しい姿であろう。この温度差へのいらだちはアウンサンスーチー氏への不信へと直結しているようである。

 

わたしの知人のカチン人(在ロンドン)は、問題を「法の欠如」と表現する彼女を、「法律の母は何も出来ない」と揶揄する。わたしがこれまで調査をしてきたカレンニー(赤カレン)の人々も、彼女の来日公演のことを伝えても関心を示さない。国内外の同胞と活発に情報交換するSNSがあるが、そこでの関心事は、停戦合意の行く末や難民の帰還の見通し、自分の故郷の様子などである。

 

 

誰の課題か?

 

アウンサンスーチーの思想は、ガンジーのスワラージ(自らを治める)思想と関連し、各人の厳しい自己変革を求めるものである。たとえば、有名な「恐怖からの自由(freedom from fear)」とは、たんに圧政から自由になればよいということではない。権力や暴力への恐怖こそが人を堕落させるので、一人ひとりが自らの心を恐怖から解放しなければならないというものである。そのためには、自己を客観的に見つめなおす努力が求められる。「どうすればいいか」「何とかしてほしい」という問いに対する答えは彼女にだけあるのではなく、聞き手にもあるとするのは、このためである。

 

彼女が20数年来、一貫して訴えてきたこの思想と行動の原理は、しかし、国会議員となった彼女の「政治家としての方便」と受け取られているのかもしれない。この温度差をいかに埋め、聴衆やメディアに伝えていくのかということが彼女の課題となるだろう。

 

こうした課題は彼女だけのものではない。翻ってわたしたちの暮らしを振り返ってみると、似たようなことが起こっている。それは政治の場だけではない。たとえば、身近な例で恐縮だが、わたしが担当している大学での授業科目では、わたしが専門的に研究している難民のことや、貧困、暴力、差別、グローバル化の課題、多文化共生などについて講義をしている。すると、必ず「どうすればいいですか」「なぜ行政は何もしないのですか」という疑問が寄せられる。

 

また一般企業では「どうすれば商品が売れるか教えてください。やり方を教えてくれれば売ります」という新入社員がいるという。習い性とはこのことで、本来は自らも考えるべき問題なのに、いつの間にか他人任せを期待してしまう。こうした状況に食傷気味の人は多いのではないだろうか。立場と状況は異なっても、こうしてみてみると、アウンサンスーチー氏に親近感を覚える。

 

 

京都でビルマ人に向けて講演するアウンサンスーチー

京都でビルマ人に向けて講演するアウンサンスーチー

 

 

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vol.266 

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