女性器損傷(FGM)廃絶に向けて

7月22日、ユニセフは、女性性器損傷(=female genital mutilation以下FGM)に関する最新の報告書を発表、現在、1億2,500万人以上の女子と女性がFGMを受けており、今後10年の間に3000万にのぼる人が、FGMを受けるリスクがあることを指摘しました(*1)。

 

……と書きましたが、そもそも、FGMって単語を聞いたことがある人はどのくらいいるでしょう?

 

今までFGMとは何か、大学やセミナーで紹介したり、紙面でも書く機会が何度かありました。でも「FGMって何の事か知っていますか?」と聞いたとき、答えられる人は非常に少ない。「女子割礼=Female Circumcision」の単語も耳慣れないという人も多くいます。

 

FGMの歴史は長い。紀元前5世紀のヘロドトスによる歴史書には既に、男女における割礼について言及されています。しかしそれでも、FGMについて公に語られることは、20世紀後半になるまで回避されてきたといってもよいでしょう。

 

なぜか。FGMが女性の性と生殖にダイレクトにかかわる問題であり、性について男女の性別を超えて、公に語り、女性への身体の暴力としてのFGMという位置づけが可能になったのは、ごく最近だからです。

 

以前、スーダンでホームステイをしながらFGMのアンケート調査をしていた時に出会った男子大学生がいます。彼は、母親が同国でも有名なFGM廃絶運動を展開する女性でした。しかしその彼も、「母親の活動は理解し、応援している。でも、人前でFGMについて話すのは恥ずかしいし、ためらいがある」と話していました。

 

男女が性について語ることはもちろん、婚前前の男女が一対一で会うこともできない。また、親が決めた相手と結婚をする。そんな状況では、自分が結婚する相手の女性に「FGMを受けているの?」と聞くことは非常に難しいですし、勇気がいります。

 

聞くことが難しい。語ることをためらってしまう。

 

そんな状況こそが、現在のFGMを取り巻く状況の大きな原因なのかもしれません。

 

(*1)http://www.unicef.or.jp/library/pres_bn2013/pres_13_24.html

 

 

複数ある女性外性器・女性性器への損傷行為を表す単語

 

さて、語ることが避けられてきた(とあえて書きますが)FGMですが、そもそもFGMとは何でしょうか?

 

世界保健機関(WHO)はFGMを、「文化的あるいは非治療的理由により女性外性器の一部又は全体の切除や、女性性器その他の損傷を含めたすべての処置」と定義しています。

 

女性外性器・女性性器への損傷行為を表す単語はFGM以外に何通りかあります。例えば「女子割礼(=female circumcision)」や「女性性器損傷(= female genital cutting)」。ユニセフでは「mutilation」が現地の言葉に翻訳される場合に切除(cutting)の単語が使われることや、「mutilation」が持つ言葉の強さを考慮して、FGMに「cutting=切除」を組み合わせて、「FGM/C」と表記しています。また、その他に、「女性性器手術(female genital surgery)」という言い方もあります。

 

どの名称を採用するかは、この損傷行為をどのように捉えるのか、という意識と密接にかかわっていると私は考えています。

 

もともと私は博士論文でFGMを取り上げたのがきっかけで、この問題に関わりました。その中で常に突きつけられたのは、「あなたはFGMをどう思っているのか?」という問いでした。

 

結論から言えば、私にとってFGMは廃絶すべきものであり、女性に対する暴力行為でした。その中で割礼という言葉も、まして「切除」「手術」などというあいまいな言葉を選ぶことは考えられませんでした。

そしてもう一つ、ここが重要なのですが、FGMという言葉を採択したのは、1990年、アフリカの女性たち自身であり、押し付けられたものではないという事です。

 

1990年代にFGMをめぐる議論は様々な形で発生します。とりわけアフリカ系アメリカ人作家、アリス・ウォーカーの「歓びの秘密」でのFGMの取り上げられ方について、文学や社会学などの分野を横断して、多くの議論が生まれました。

 

その是非はここでは取り上げませんが、批判の一つに、欧米を中心にした廃絶運動が、FGMを「野蛮で遅れた慣習」と捉え、FGMをステレオタイプ化させたことに無自覚であったことを取り上げたものがあります。その中でFGMをどう表現するのか、そもそも、当事者ではない(=FGMを受けていない、またその危険に晒されている訳ではない)女性が、FGMを語ることができるのか、議論の主体をめぐる意見も寄せられました。

 

FGMではなくFGCや、女子割礼など別の用語を用いる動きは、こうした議論の延長線上に位置づけられるでしょう。

 

2005年に現地NGOが採択したFGMという用語に関する宣言では、「用語の変更はFGM=女性性器損傷の本質を見えにくくさせ、アフリカの女性・少女の苦しみを矮小化するものであると私たちは強く主張したい。(中略)廃絶キャンペーンの最前線にあるアフリカ女性たちが到達した総意を無視し、沈黙のうちに苦しんでいる数百万人のアフリカの少女と女性の声を踏みにじるものである」と述べました(Declaration: on the Terminology “FEMALE GENITAL MUTILATION” (FGM). IAC, 2006)。1991年にはWHOも、割礼ではなく「mutilation」の用語を使うことを求めています。

 

 

2005年IAC総会での集合写真

2005年IAC総会での集合写真

 

 

 

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