2013.09.18

トルコのEU加盟問題 ―― 加盟交渉、キプロス問題、国内世論

柿﨑正樹 トルコ政治 / 比較政治

国際 #トルコ#EU#キプロス問題

2013年7月1日、クロアチアがEU(欧州連合)に28番目の加盟国として正式加盟した。旧ユーゴスラビアからの独立を巡り、死者2万人を出した激しい内戦(1991年―1995年)を経験したクロアチアにとって、EU加盟は平和の保証を意味する。

クロアチアは2003年にEU加盟を申請し、EUとの加盟交渉は2005年にスタートした。その後、ユーゴ内戦の戦争犯罪者の処分や人権保護、財政健全化といった加盟条件を満たし、交渉開始からおよそ9年で正式加盟を実現させた。

2005年にはクロアチアと並んでトルコもEUとの加盟交渉を開始している。しかしトルコのEU加盟交渉は進んでおらず、さまざまな課題が残されている。トルコの「欧州の仲間入り」に向けた歴史は古く、1963年にはEUの前身であるEEC(欧州経済共同体)へ加盟を申請している。1987年にはEC(欧州共同体)へ加盟申請し、12年後の1999年にようやく正式加盟国として承認された。加盟交渉は2005年にスタートしたものの、今のところ交渉は停滞しており加盟の見通しは立っていない。実にトルコは50年もの間EU加盟を待ち続けているのである。

クロアチアと比較すると、トルコの加盟がEUにもたらすインパクトの大きさがわかるだろう。クロアチアの人口はわずか440万人、EU全体の人口の1パーセント以下である。国土はわずか5万6,000平方キロメートルだ。経済水準は比較的高く、一人当たりのGDPは約1万3,000ドルと既存加盟国であるハンガリーやポーランドを上回っている。

一方、トルコの人口はおよそ7,500万人で、EU加盟国と比較すると最大の人口を誇るドイツに次ぐ大国であり、フランスやイギリスを凌駕する。トルコの面積は78万3,600平方キロメートル(日本の約2倍)で、EUの中で最大の面積を誇るフランス(55万平方キロメートル)よりも大きい。

トルコの一人当たりのGDPは1万ドルの大台に乗ったものの、トルコがEUに加盟した場合、EU圏内へトルコから大量の労働者が流入すると見られている。このため、クロアチアに比べてトルコの加盟はEUの既存加盟国に大きな経済的負荷がかかると考えられる。

また、シリア、イラン、イラクなどに接するトルコがEUに加盟した場合、EUは安全保障上の問題を抱えるこうした中東諸国と直接向かい合うことになる。

これまでトルコのEU加盟交渉については、トルコの加盟に否定的なEU諸国に対してトルコ側は一途にEU加盟を熱望してきたといわれてきた。しかし、南北に分断されるキプロス問題を原因にEU加盟交渉が停滞し、欧州でイスラムに対する偏見やトルコ人への排斥運動が高まる中、トルコ国内ではEU加盟に反対する声も強まっている。

そこで本稿では、トルコのEU加盟プロセスの現状を整理し、加盟に向けた課題、特にキプロス問題について概説する。さらに近年のトルコ国内におけるEU加盟に対する世論を検討することとする。

これまでの加盟交渉の経緯とトルコ国内政治

トルコは1987年にEC(欧州共同体)に正式に加盟申請をおこない、1995年にはトルコとEUとの間で関税同盟が締結された。これにより経済面におけるEUとトルコの統合が前進した。1999年にはEUがトルコを正式加盟候補国として認定し、2001年になるとEUと加盟準備協定を結んでいる。この協定に基づき、トルコはEU加盟交渉開始に向けた諸改革を進め、民主制と法の支配の確立、人権およびマイノリティーの権利保護及び拡大といった領域で法改正および部分的改憲を実現させた。

たとえば、トルコでは市民社会組織や労働組合の活動が自由化され、基本的人権の保護・拡充が進められた。死刑制度も廃止され、1999年に逮捕されたPKKのオジャラン指導者に課せられていた死刑は終身刑へと減刑された。さらに軍部の影響力を削ぎ、文民統制を強化するために、軍部の政治的関与を維持するための国家機関である「国家安全保障会議」についてもメスを入れ、文民政治家の発言力が高まることになった。経済的分野においても市場経済メカニズムを向上させるための諸改革が実施された。

こうしたトルコの民主化改革の原動力がEU加盟交渉という外圧であったことは明らかである。EUへの接近が経済成長を後押しすると産業界は国内改革を強く支持したし、クルド語放送の解禁などを求めるクルド系組織もEU加盟に賛同した。2002年から政権の座にある公正発展党(AKP)は、そもそもはイスラム系政党であるが、EU加盟に向けた法改正を積極的に行った。EU加盟に向けた民主化要求と、これまでイスラム系政党を敵視してきた軍部の政治的発言力を削ぎたいというAKPの思惑が一致したからだ。

トルコの地道な努力はようやく実を結び、EUは2005年にトルコとの加盟交渉をスタートさせた。しかしながら、加盟交渉の行方は極めて不確かである。EUに加盟するためには35もの政治経済に関する交渉分野が存在し、それぞれの分野においてEU法とトルコの国内法を一致させる作業が行われる。

しかしこれまでに交渉が終了した分野は「科学・調査」の一分野に過ぎない。2012年10月に欧州委員会が発表した、EU加盟に向けたトルコの改革状況に関する年次報告書(Progress Report)では、言論の自由、司法制度、汚職、宗教的マイノリティーの権利保護など、さまざまな政治的分野で改善の余地が多々あると指摘されている。

トルコのエルドアン首相は昨年、共和国建国100週年となる2023年までには遅くとも加盟できるとの見方を示したが、すべての交渉を終えるためにどれだけの時間が必要か、だれにもわからないのだ。

キプロス問題

トルコのEU加盟交渉を難しくしている問題は、キプロス問題である。もちろんEUはトルコの改革が一定の成果を収めながらもまだ不十分だと繰り返しているが、トルコの加盟交渉にはEU加盟基準を満たすという課題以外に、南北に分断されたキプロスの外交問題が重くのしかかっている。

キプロスは東地中海に位置する島であり、日本の四国の半分ほどの大きさだ。キプロス島にはギリシャ系住民とトルコ系住民が住んでいる。19世紀末にキプロスはイギリス領となったが、ギリシャ系住民はキプロスのギリシャ併合を求めてエノシスと呼ばれる反英独立運動を展開した。一方、島のマイノリティーであったトルコ系住民はエノシス運動に反対し、キプロスの分割統治(タクシム)を訴えた。これによりギリシャ系住民とトルコ系住民との間で対立が激化していった。

反英機運が高まった結果、キプロスは1960年にイギリスから独立し、キプロス共和国(以下、キプロス)が成立した。共和国大統領はギリシャ系住民、副大統領はトルコ系住民から選出、国会議席数や公務員数は人口構成比に基づき両住民間に配分されることになった。独立に際し、イギリス、トルコ、ギリシャはチューリッヒ協定を結び、キプロスの独立と民族間の共存関係を保障する義務を負うこととなった。

キプロス共和国の成立によって民族間の共生が図られたものの、対立関係は解消されず、ギリシャ系住民に有利な憲法改正が提案されたことからトルコ系住民は反発、自治拡大を目指す運動を展開する。こうして1963年には住民間の武力衝突が発生し、1964年に国連平和維持軍が派遣された。

1974年7月、ギリシャとの合併を目指す勢力が、ギリシャ軍事政権の支援を受けてクーデターを決行した。キプロスをギリシャと合併させるということは、チューリッヒ協定で保障されたキプロスの独立を脅かす事態である。したがって、トルコは協定締結国であるイギリスに共同軍事介入を申し入れたがイギリスはこれを拒否した。

このためトルコ政府は、トルコ系住民の生命と財産の保護を理由にトルコ軍を単独でキプロス島北部に侵攻させ、8月には島全体のおよそ40パーセントを占領し、合併派によるクーデターは失敗に終わった。トルコ軍支配下のギリシャ系住民およそ16万人は南部に、ギリシャ系住民が多数を占める南部からはトルコ系住民5万人が北部に移動もしくは強制的に移送され、両住民の隔離が進んだ。

その後両住民間での和平会談が物別れに終わると、1983年6月にトルコ系住民側は「北キプロス・トルコ共和国(以下、北キプロス)」として独立を宣言し、キプロス島は事実上の分断状態となった。北キプロスの独立を承認しているのはこれまでトルコ(およびイスラム諸国会議)のみであり、外交的には孤立し、経済はトルコに依存している。一方ギリシャ系のキプロスの独立は国際的に承認されており、経済的には観光業と金融業を中心に北キプロスに比べて発展を遂げている。国際的には北キプロスという国家は存在せず、キプロス北部はトルコによる不法な占領下にあると認識されている。

その後は国連による仲介交渉が断続的に行われるが、統合は実現されないまま、2004年にはコフィ・アナン国連事務総長の提案する再統合案(アナン・プラン)が国民投票にかけられた。北キプロスでは65パーセントの投票者が賛成したが、ギリシャ系のキプロスでは統合反対が76パーセントとなり、再統合案は成立しなかった。そのため、キプロス共和国だけが2004年5月にEUに正式加盟し、北キプロスは取り残される形となった。

EUも支持した国連による再統合案を受け入れた北キプロスを蚊帳の外においたまま、それを拒否したキプロスだけを加盟させたことは、EUの大きな過ちであるとトルコは反発した。しかし、分断状況の解消なしにキプロスのみがEU加盟国となったことで、トルコの加盟交渉は難しくなった。というのも、加盟国による全会一致の原則を採るEUにおいて、キプロスはトルコとの加盟交渉で拒否権を行使できるからである。

EUは加盟交渉を進める条件として、トルコにEU加盟国となったキプロス共和国の船舶や航空機に自国の港湾を開放するよう求めている。これは事実上トルコにキプロスの主権を承認するよう要求していることを意味する。もちろんキプロスがEU加盟国となったために、トルコがもしEU加盟を実現した場合には、トルコはキプロスを承認しなくてはならない。

しかし、トルコ政府からすると、キプロス承認という条件はそもそもEU加盟交渉開始時にはEUからは提示されていなかったのであり、今になって新たな条件を出すというのはフェアではないということになる。いわば、EUはトルコの加盟を遅らせるためにキプロスを「カード」として悪用しているとトルコでは見られている。また、キプロス問題解決の仲介者はあくまでも国連であり、EUが口出しすべきことではないとの認識も与野党で共有されている。

つまり、トルコのEU加盟交渉が停滞した理由は、トルコの改革が不十分だということだけではなく、本来はEU加盟とは別問題であったキプロス再統合問題が、2004年以降、加盟交渉の焦点となってしまったことにあるといえる。

トルコ国内世論

加盟交渉が停滞する中、トルコ国内の世論はどのように動いているのだろうか。

トルコ政府は一貫してEU加盟をトルコ外交の最重要課題ととらえているものの、欧州委員会が実施している世論調査(ユーロバロメーター)からは、トルコ世論はここ数年EU加盟に否定的になっていることがわかる。加盟支持が最も高かった2004年3月の世論調査(ユーロバロメーター)ではおよそ7割が「トルコのEU加盟は良いことだ」と答えたものの、その後は徐々に低下、2007年後半からは「EU加盟は良い」とする意見は常に過半数を割る状況が続き、2012年11月の調査ではついに36パーセントと過去最低の数字となった。一方、「EU加盟は悪いことだ」とする回答者の割合は33パーセントに達し、こちらは過去最高となった。

(出所)Eurobarometerより筆者作成 (注)2010-2011年はデータなし
(出所)Eurobarometerより筆者作成
(注)2010-2011年はデータなし

トルコにおいてEU加盟に向けた国民世論がしぼみつつある背景にはさまざまな要因があるが、トルコの加盟に反対する声が強まるEUに対する幻滅感と、近年経済発展を遂げたトルコの自信という2つの要因が大きく作用している。

第一に、トルコにおけるEUへの幻滅が広がった背景を見てみよう。EU加盟国内ではトルコの正式加盟に反対する国々があるが、その中でもフランスのサルコジ前大統領やドイツのメルケル首相は一貫してトルコの加盟に反対してきた。たとえば、メルケル首相はトルコには「特権的パートナー」という地位を与えるべきだと繰り返し述べている。「特権的」というとなにかトルコだけに特別な恩恵を授けることのように聞こえるが、実際にはトルコを準加盟国の立場に留め、人や農産物の移動には制限を課し、EUの補助金も与えないというものである。もちろんトルコはこれをダブルスタンダードと非難し、あくまでも正式加盟を求めている。

また、欧州で広がるムスリムやトルコ人に対する差別も、トルコ国内でEUへの幻滅をもたらしている。トルコからの移民労働者が多いドイツでは、トルコ人を標的とした排斥運動が発生している。ムスリム移民の多いフランスやオランダ、オーストリアでもトルコ人に対する偏見が根強い。トルコに対して人権の尊重や信仰の自由を要求するEUにおいてこうしたトルコ系市民に対する差別があることで、ヨーロッパこそがトルコの模範であるとの幻想は急速に後退した。

第二に、過去10年間で高い経済成長と政治的安定化を達成し、外交上のプレゼンスを高めたトルコにとって、もはやEU加盟の重要性が低下したとの意見も出てきている。トルコが正式加盟候補国として認められた1999年当時とは異なり、現在のトルコは一人当たりのGDPは1万ドルの大台に乗り、海外からの直接投資も増加、BRICsに次ぐ新興成長国となった。トルコ共和国が1923年に成立して以来、これほどまでにトルコが一気に経済発展の階段を駆け登った時代は過去10年間をおいて他にはなかったのである。

政治面では、イスラム寄りのAKPが長期単独政権を樹立し、EU加盟交渉をテコに民主化改革を推し進め、イスラム系政党を弾圧の対象としてきた軍部の影響力を削ぐことにも成功した。こうした改革が一定の成果を上げる中で、民主化を正当化させる外圧として機能してきたEU加盟交渉の意義が薄れ、今後はトルコ国内の内的力学によって民主主義の定着が進むとする研究者も出てきている。

外交分野においてもトルコの「欧州離れ」が指摘されている。現政権は中東、中央アジア、アフリカ、アジア諸国との関係強化に力を入れ、欧米一辺倒であった外交からより多元的な外交を展開している。もちろんトルコがEUから「離れた」わけではないが、トルコ外交におけるEUの比重が相対的に低下したと考えられる。

したがって、トルコでEU加盟支持率が低下した背景には、EUに対して高まった「不信」と同時に、国力の増大にともないトルコ国民が自信をつけたという2つの要因が働いている。

加盟交渉はこの秋以降再開

キプロス問題などを原因に停滞していたEU加盟交渉は、今年の6月に再開される予定であった。しかし5月末に始まった反政府デモに対してトルコ政府が催涙ガスと放水車を用いて対応したためにドイツ、オーストリア、オランダなど、以前からトルコの正式加盟に反対していたEU加盟国から懸念の声があがった。結局、欧州委員会がトルコの人権状況などに関する報告書を提出する秋以降に交渉開始時期を遅らせることで加盟国は合意に達し、交渉再開取りやめという最悪の結果は免れた。

トルコのエルドアン首相は、EUへの働きかけを強化するために、近々EU本部のあるブリュッセルに与党AKPの海外事務所を開設するとしており、加盟交渉を改めて加速化させたい様子である。しかしながら、トルコの加盟交渉は今後も紆余曲折が予想される。

トルコはこれまで地道な国内改革を実行してきたが、そもそもEU側はトルコとの加盟交渉はopen-endedだとの立場を明らかにしている。つまり、EUの要求をトルコが満たしたとしても、正式加盟がすんなり承認されるとは保証されていない。また、トルコの加盟の是非を国民投票で決めたいとする加盟国もある。フランスやオーストリアがこうした方針を示唆しているが、両国の世論はトルコ加盟不支持に圧倒的に偏っており、投票の結果は明らかだ。

以上見てきたように、トルコのEU加盟には加盟基準を満たすという技術的な課題以上に、キプロス再統合問題という特殊な事情が絡んでいる。そして加盟交渉が停滞し、トルコ人やイスラムに対する排外的風潮が欧州で広がる一方、トルコが近年新興国として自信を強める中、トルコではEU加盟に対する国民的支持はしぼみつつあるといえる。

中東・北アフリカ情勢が悪化の一途をたどる中、イスラム社会としては唯一のNATO加盟国であるトルコとEUが今後どのような関係を構築していくのか、まずは今秋に再開予定の加盟交渉の行方に注視すべきである。

参考文献

・八谷まち子・間寧・森井裕一. 2007年. 『EU拡大のフロンティア―トルコとの対話』信山社.

・Bürgin, Alexander. 2012. Disappointment or New Strength: Exploring the Declining EU Support Among Turkish Students, Academics, and Party Members. Turkish Studies 13: 565-580.

・European Commission. 2012. Turkey 2012 Progress Report.

サムネイル「Early morning Ankara」brewbooks

http://www.flickr.com/photos/brewbooks/3626647368/

プロフィール

柿﨑正樹トルコ政治 / 比較政治

1976年生まれ。テンプル大学ジャパンキャンパス上級准教授。(一財)日本エネルギー経済研究所中東研究センター外部研究員。トルコの中東工科大学政治行政学部修士課程修了後、米国ユタ大学政治学部にてPhD取得。ウェストミンスター大学非常勤講師、神田外語大学非常勤講師などを経て現職。専門はトルコ政治。

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