ドイツとイスラエルの和解とパレスチナ問題

「呪われた土地」から「唯一無比の関係」へ

 

「記憶」「和解」――こういった言葉が現実の政治において、ある意味ではアジア諸国以上に、重く響いてきた国家関係があるとすると、それはホロコーストの「加害者」と「犠牲者」としてのドイツとイスラエルの関係ではなかっただろうか。ヨーロッパで戦争が終わった1945年、ドイツ人とユダヤ人は最も修復困難な関係の入り口に立っていたに違いない。ユダヤ人にとってドイツとは親兄弟の血の染みた「呪われた土地」となり、両者の間に横たわる600万人の死者は、和解へのいかなる試みをも挫くと思われた。他方、ヒトラーに世紀の指導者を見たドイツ人は、昨日まで自身の世界観の一部であった反ユダヤ主義を脱ぎ捨てる用意はできていなかった。

 

それからあと少しで70年になろうとする現在、ドイツとイスラエルの関係は良好である。イスラエル建国60周年の2008年に、独首相メルケルはイスラエルの国会クネセトで演説を行い、イスラエルとの関係をホロコーストへの反省と責任に基づく「特別な、唯一無比の関係」と表現した。さらに踏み込んで、イスラエルの安全保障はドイツの「国是(Staatsräson)」であるとさえ語っている。これはイランの核開発やハマスのテロを念頭に置いた発言だが、ユダヤ人国家の安全を自国の問題とまで言い切る関係とは、かなり特殊と言ってよい。

 

実際、イスラエルの対パレスチナ政策が批判を浴びる中、和平交渉の推進役を期待されたオバマ政権への失望が広がる一方で、イスラエル批判を強めるEUとアメリカの間に立つバランサーとしてのドイツの存在感は増している。2012年末に首相ネタニヤフがベルリンを訪問した際にメルケルは、ヨルダン川西岸や東エルサレムの入植地建設に強い反対を表明し、「われわれは意見が異なるという点で一致した」との談話も発表している。パートナーであっても言うべきことは言うという、両国間の関係の成熟を物語るエピソードだ。

 

では、ホロコーストという大犯罪の後、ドイツ人とユダヤ人はどのように関係を結び直したのか。それは「和解」であったのだろうか、それとも道義的な次元とは別の、戦略的同盟であったのか。どのような要因がドイツとイスラエルの関係を規定したのか。本稿は、戦後日独社会の比較においてよくなされるように、ドイツを過去と真摯に取り組んできた優等生として、日本が習うべきモデルであると主張するものではない。なぜなら以下に明らかにしてゆくように、ドイツとイスラエルの関係の裏側には、パレスチナ問題というもう一つの問題が潜んでいるからである。

 

 

西ドイツとイスラエルをつなげたもの

 

1948年に建国されたイスラエルと、1949年に東西分断の中で成立したドイツ連邦共和国(以下西ドイツ)の間には、1965年まで国交がなかった。それはユダヤ人の反独感情からして当然ともいえ、当初、イスラエルのパスポートには「ドイツにおいて無効」という但し書きがあったほどである。しかし、関係の「不在」とは外交上の話であって、実は西ドイツはイスラエルという国の基盤確立に、正確には、中東紛争の中での「生き残り」に、深く関わっていた。

 

最初に加害者と被害者をつなげたものは、ホロコーストの事後処理とも呼べるものであった。強奪されたユダヤ人財産の返還と、ナチ迫害の償いとして西ドイツが行った金銭補償から生まれた経済関係が、両者の関係の原点となっているのだ。具体的には、まず西ドイツ領内のユダヤ人残置財産の移転である。終戦時、国内には多数のユダヤ人財産が残されていたが、その中には所有者が殺害されて相続人のないものや、ユダヤ人共同体が消滅したため放置された公共財産も含まれていた。こうした財産は放っておけばドイツ国庫に入ってしまうため、ユダヤ人団体はこれを売却し、収益をホロコースト生存者の福利厚生の目的で主にイスラエルへと移転したのである。この時はまだ外貨交換による送金は認められていなかったため、代わりにプレハブ住宅などが購入され、イスラエルへ送られた。

 

その後、1952年のルクセンブルク補償協定で、西ドイツがイスラエルに対して30億マルクを物資で支払うことを合意し、両国の経済関係は拡大した。支払いの根拠は、イスラエルがヨーロッパからのユダヤ人難民を受け入れたことで生じた経済負担に求められているが、これは実質的には、戦争時にまだ存在していなかった国に対する国家賠償であった。物資での支払いという形をとったのは、外貨交換による資本流出を避け、回復途中にある経済を守るためである。ただしここにはもう一つのロジックがある。このシステムでは、イスラエルが国家として必要なものをドイツ企業に発注し輸入し、代金は西ドイツ政府が支払う。支払いの原資が国民の税金である以上、補償も一種の公共事業と言え、ここでは罪の清算とともに自国の経済発展が意図されているのだ。

 

これに対して、イスラエルでは補償協定の締結には国内に猛烈な反対があり、「血の付いた金」を受け取ることは死者の尊厳を踏みにじるとして連日デモが繰り返された。しかしベングリオン政府は、死者の大義より国民の生活を優先して、反対を押し切った。こうしてイスラエルは主に金属などの原料、機械など鉄鋼製品、化学製品、燃料などを輸入し、物資で国のインフラ形成を行った。国内の事業者はイスラエル政府からドイツの物資を購入し、政府は売上を再び国内の産業育成や国土開発につぎ込むことで、雇用が創出され、利潤が循環した。賠償を支払う側、受け取る側双方の経済発展という二つの目的に奉仕させるやり方は、他国の戦後処理においても見られるものである。日本の戦後処理がアジア諸国の開発と、これへの日本の技術と資本の投下による日本製品の市場開拓と不可分に結びついていたことが思い出されるが、西ドイツとイスラエルの場合も、補償協定とは実態としては貿易協定であった。

 

 

 

◆◆「αシノドス」購読でシノドスを応援!◆◆

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.228 特集:多様性の受容に向けて

・安藤俊介氏インタビュー「『許せない』の境界を把握せよ!――アンガーマネジメントの秘訣」

・【PKO Q&A】篠田英朗(解説)「国連PKOはどのような変遷をたどってきたのか」

・【今月のポジだし!】山口浩 ことばを「『小さく』すれば議論はもっとよくなる」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第九回:こんなところでジャズ