アラブの怪談――ランプの魔人「ジーニー」とは何者か?

幽霊と妖怪

 

日本で怪談といえば、多くの場合いわゆる幽霊が主人公ということになるであろうが、アラブ世界については、そもそも幽霊に関する報告自体が少ない。しかも、18、19世紀に同地を旅したヨーロッパ人の旅行記や探検記のなかの数少ない記述を見ると、「幽霊(ghost)は知られていない」とか「ふつうの幽霊の概念は存在しない」といったことが書かれていたりする。

 

ここで「幽霊」という日本語を使ったが、この「幽霊」をどう定義するかはそう簡単ではない。ことにその類似の概念である「妖怪」、「化け物」、「オバケ」等とどこでどのように区別するかは、日本でも柳田國男以来議論されてきた大きな問題である。その柳田は、「幽霊」とその他の「化け物」とを、主に出現する場所と時間によって区別した(『妖怪談義』、1956年刊)。それによると、前者は出現する場所が決まっておらず、これに狙われたらいくら遠くに逃げても追いかけられるが、後者は出現する場所が決まっているので、そこを避ければ一生出くわさずにすむこともある。また、前者が真夜中など出現する時刻がほぼ一定しているのに対して、後者の場合は、出現する時刻が一定せず、なかには白昼でも四辺を暗くして出てくるものもあるという。

 

この柳田の定義に対してはさまざまな批判があり、なかには、幽霊を妖怪の一種と考える研究者もある。幽霊とその他の妖怪などとの区別をどうするかの議論の決着を、この小稿でつけるのはとうてい不可能なので、そういう議論があるということを記すにとどめるが、私自身は幽霊と妖怪の類を区別して考えている。たとえば、「妖怪」といわれたときに、一般の日本人が即座に思い浮かべるものには、おそらく個人差があろう。なかには河童を思い浮かべる人もいるだろうし、また、なかには一つ目小僧や天狗を思い浮かべる人もいるだろう。今の子どもなら、ゲゲゲの鬼太郎やねずみ男を思い浮かべるかもしれない。だが、「妖怪」といわれて幽霊を思い浮かべる人が、はたして何人いるであろうか。

 

阿部正路は、すべての幽霊の共通点として、「一度死んだものである」ということと、「どこまでも人間である」ということの2つをあげており(『日本の幽霊たち<怨念の系譜>』、1972年刊)、諏訪春雄は「幽霊は人が人の形状をそなえて出現するものであり、死者のおもむく他界に居住し、祖霊信仰が生み出したという三点で妖怪とは区別される」と述べている(『日本の幽霊』、1988年刊)。彼らの指摘にもあるように、「幽霊」といわれたときに、日本人が即座に思い浮かべる一般的なイメージというのは、「一度死んだ人間が、生前の姿のまま目に見える形で生者のところに現われた場合の、その現われたもの」というようなもので、ほぼ固定していると思われる。

 

 

アラブ世界の幽霊

 

私が1980年代後半に約2年間住み込み調査を行なったヨルダン北部の村クフル・ユーバーにも、何らかの理由で死者が生者の前に現われる、と考える人たちはいた。多くの場合、死者は夢のなかに現われるのだが、村人のなかには、死者が夢のなかではなく、ときとして直接生者の前に現われると信じている人もいる。また、自分自身で見たことはなくても、そういう類の話を聞いたことがあるという人たちもおり、そのなかの一人によると、自分が殺した者が恐ろしい姿で現われたため、それに恐れをなした男が殺人を自白したのだという。殺された者が幽霊となって殺した者のところに現われるというのは、日本の怪談でもよくある話だ。

 

このような殺人による死のほか、焼死や溺死など、いわゆる非業の死を遂げた者の幽霊に関しては、サイイド・ウワイスというエジプトの社会学者が行なった、エジプト人の幽霊信仰に関する実態調査(『現代エジプト人の生活における永遠性』(アラビア語)、1973年刊)が興味深い。彼は、1961年から1962年にかけて、カイロおよびその近郊に住む研究者や大学生など比較的教育水準の高い人たちを対象に、非業の死を遂げた者の幽霊に関する調査を実施した。すると、調査対象となった529人中、110人がその存在を信じると答え(約20.8パーセント)、さらにその110人のうちの27人が、実際にそのような幽霊を見たことがあると答えている(全体の約5.1パーセント)。さらに、こういう幽霊を見たという話を、友人や知人から聞いたことがあると答えた者は、この529人のうち379人にのぼったという(約71.6パーセント)。この調査の結果を見ただけでも、エジプト社会にいかに幽霊話が多いかがわかるであろう。

 

ウワイスの著書で使われた、日本語の「幽霊」に当たるアラビア語(文章で用いられる標準アラビア語)はシャバフ(複数形はアシュバーフ)であるが、一般のエジプト人のあいだでは、非業の死を遂げた者の幽霊に対して用いられるアラビア語(エジプト方言のアラビア語)は、ふつうアフリートである。この点については、私もカイロ留学時代(1970年代後半)に聞いたし、ほかにも19世紀以来多くの報告がある。

 

たとえば、イギリスの東洋学者E・W・レインは、カイロに住んでいたときに、彼が雇っていたエジプト人コックが見たというトルコ人兵士のアフリートに言及しているし(An Account of the Manners and Customs of the Modern Egyptians、1836年刊)、イギリスの言語学者A・H・セイスの「カイロの民間伝承(Cairene Folklore)」(1900年)には、ギーザのピラミッドから転落死したイギリス人兵士のアフリートの話のほか、機械にはさまれて死んだ男のアフリートの話や木から落ちて死んだ男のアフリートの話が記されている。イギリスの女性人類学者W・S・ブラックマンは、上エジプトの農村に関する事例をいくつかあげているが(The Fellahin of Upper Egypt、1927年刊)、そのうちの一つに次のようなものがある。これは、彼女が訪れた村の近くで起こった出来事であるという。

 

 

「ある日、一人の女が学校に行っている孫にパンと卵をもって行こうと、自分の村からほど遠くない別の村に向かって一人で歩いていた。彼女が、かつて殺人事件が起こった場所を通りがかると、いかにも病気と思われる一人の男に出会った。その男は、『お父さん、お父さん』といって泣いていたので、彼女は近づいて手をとり、元気づけて、一緒に少し歩いたところ、男は突然消えた。彼女は怖くなって泣き出したが、たまたま同じ村へ行く途中の男がそこを通りがかり、彼女に何が起こったのか尋ねた。彼女が事情を話すと、その男は、自分もここでその幽霊(ghost)に出合ったことがあるが、大丈夫だから心配しないようにといった。この不可思議な幻影は、殺された男の幽霊、すなわちアフリートである、と一般には考えられている」

 

 

私自身、カイロ留学中に、エジプト人の友人から、彼の母方の叔母の家に出るアフリートの話を聞いた。それによると、彼女が住んでいる家では昔一人の男が殺されたそうで、出没するのはその男のアフリートだという。彼女自身実際にそのアフリートを見たが、人間の姿をしていたという。

 

クフル・ユーバーでも、生者の前に現われた死者のことをアフリートや、次で述べるジンと呼ぶことがあるという。そのほかにも、レヴァント地方では死者の幽霊をさしてアフリートと、モロッコでは同じく幽霊をさしてジンと呼ぶところがある、と報告されている(D.B. Macdonald The Religious Attitude and Life in Islam(1909年刊)、E.A. Westermarck Ritual and Belief in Morocco(1926年刊))。

 

 

シノドスの運営について

 

シノドスは日本の言論をよりよくすることを目指し、共感してくださるみなさまのご支援で運営されています。コンテンツをより充実させるために、みなさまのご協力が必要です。ぜひシノドスのサポーターをご検討ください。

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

98_main_pc (1)

 

 セミナー参加者募集中!「対話/ダイアローグから見た精神医学」植村太郎(12月16日16時~18時)

 

 

無題

 

vol.233 公正な社会を切り開く 

 

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」

 

vol.232 芸術にいざなう 

 

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.233 特集:公正な社会を切り開く

・ジェームズ・ミニー氏、鈴木啓美氏インタビュー「もっと楽しいお買い物を目指して――フェアトレードの魅力」

・【「民主」と「自由」――リベラルの再生へ向けて――】古川江里子「大正デモクラシーと吉野作造 ―大日本帝国憲法下での民主主義的政治の試みが現代に問うもの」

・【知の巨人たち】重田園江「ミシェル・フーコー――なぜ『絶望系』なのに読んでしまうのか」

・阪井裕一郎「学びなおしの5冊 <家族>」