2013.10.30

「イラン核開発問題」の諸相 ―― その解決は可能か

坂梨祥 イラン現代政治

国際 #ロウハーニー#イラン核問題#IAEA#ジュネーブ合意

イランで穏健派のロウハーニー大統領が誕生し、イラン核開発問題の行方ににわかに注目が集まっている。「イランは決して後退しない」との主張をひたすら繰り返したアフマディーネジャード大統領の時代には、核交渉はすっかり行き詰ってしまっていた。これに対してロウハーニー大統領は、イラン核開発問題の「可能な限り速やかな解決を望む」ということを、世界に向けて宣言している。ロウハーニー大統領はすでに、米国のオバマ大統領との電話会談も実施しており、「問題解決」への期待は否応なく高まっている。

しかしイラン核開発問題は、イランへの核不拡散の問題にとどまるものではない。この問題はたとえば、核不拡散体制のあり方そのものに関わる問題であり、また同時に、イスラエルの安全保障の問題でもある。イラン核開発問題はまた、イランが位置する中東地域全体の安全保障枠組みの、行方を左右する問題でもある。さらにイラン核開発問題は、1979年の革命以降「イスラーム共和国」体制を採用するイランという国の、「目指すもの」に関わる問題でもある。

そこで本稿においてはイラン核開発問題のさまざまな側面に焦点をあてつつその経緯を振り返り、この問題の「解決」の可能性について考察することを試みる。イラン核開発問題には複数の要素が絡み合っていることにより、「イラン核開発問題とは何か」という問いに対する回答は、回答者の置かれた立場に応じて異なってくる。そしてそのために、この問題の解決とは何を意味するかをめぐっても、多くの見解が存在する。そのようなイラン核開発問題の解決とは、はたしてどのようなものであり得るだろうか。以下、見て行くことにしたい。

イラン核開発問題の発生

イラン核開発問題が発生したのは、2002年8月のことである。このときイラン国内に、国際原子力エネルギー機関(IAEA)に未申告の核施設があることが判明し、「イランは秘密裏に核兵器開発を行っているのではないか」という疑惑が一気に高まった。

しかしイランは、イランの核技術開発はあくまでも核兵器不拡散条約(NPT)加盟国の「奪い得ない権利」としての、「核の平和利用」のためのものだと主張した。これに対して欧米諸国は、「平和利用なら秘密裏に行う必要はない」としてイランによる核技術開発の停止を求め、その要求に反し核技術開発を続けるイランに対し、これまでさまざまな制裁を科してきた。

イランはなぜ、「平和利用目的」と主張する核技術開発を、IAEAに未申告で行っていたのだろうか。その理由の一つとして、79年のイラン革命を挙げることができる。革命により米国と良好な関係を維持していた国王は追放され、イランの革命体制は反米的な性格を強めて行った。そして米国はそのようなイランに対し、核兵器の製造にも転用可能な核技術へのアクセスを認めるわけにはいかなかった。その結果革命前にドイツが建設を開始した原発の完成をイランが80年代に模索したときも、米国の関係各国への圧力が理由で、最終的にロシアの協力を取りつけるまでに長い年月がかかった。

他方、革命により核技術の供与を受けることが困難になったイランは、自力での技術開発を目指し、いわゆる「核の闇市場」にもアクセスしたとされる。また、イランが革命により中断していた核技術開発の再開に踏み切った80年代中盤は、イラクとの戦争のまっただなかであった。イランにおける革命の混乱に乗じ、イランを侵攻したサッダーム・フセイン政権のイラクは、戦争中はイランに対して化学兵器まで使用し、欧米諸国はそれを知りつつ沈黙していた。イランの核技術開発はこのようなタイミングで再開され、それにより、その「真の意図」が疑われ続けることになった。

核交渉の経緯と現状

イラン核開発問題が発生すると、この問題を解決するための交渉が開始された。これまで10年以上にわたるその過程において、核交渉は多くの紆余曲折を経てきたが、今日と10年前とを比べると、大きな違いが一つある。それは、イランが当初核技術開発の「完全放棄」を求められていたのに対し、今日ではそのような要求はすでに聞かれないという点である。

核開発問題の発生後、イランはまず英、独、仏の3か国(EU3と呼ばれる)との合意に基づき、「信頼醸成のため」にウラン濃縮関連活動を停止した。しかしウラン濃縮の停止から1年半以上を経てイランに突きつけられたのは、「核技術開発完全放棄」の要求であった。EU3からのこの要求を受けて、イランは新たな行動に出る。ウラン濃縮の前段階にあたるウラン転換作業を、IAEAに申告のうえ、おもむろに再開するのである。

その後イラン核問題は国連安全保障理事会に付託され、核技術開発の停止を求める安保理決議の採択以降も核関連活動を継続するイランには、これまですでに4次にわたり、安保理制裁が科されている。しかしそれにもかかわらず、イランは核技術開発を続け、これまでに3.5%のみならず「20%未満」(正確には19.75%)のウラン濃縮技術を確立し、濃縮ウランの製造を続けてきたのみならず、「第二の濃縮施設(地下施設)」まで稼働させた。

そしてそのような今日のイランに対し求められているのは、「20%未満濃縮の停止」、「地下核施設の閉鎖」、あるいは「(抜き打ち査察を認める)IAEA追加議定書の批准」などであるとされている。つまりかつてのような「核技術開発の完全放棄」という要求は、今日のイランにはもはや突きつけられていないのである。

米国の対応の変化

約10年前の核交渉開始当時と今とを比較して、もう一点大きく異なっているのは、米国の立場である。ブッシュ大統領は2002年1月の時点ですでに、イランをイラクおよび北朝鮮とならぶ「悪の枢軸」と位置づけていた。そして2002年8月にイラン核疑惑が発生すると、イランは核兵器の製造を試みていると断定し、そのイランにただちに制裁を発動すべく、イラン核開発問題の国連安保理送りを求めた。ブッシュ政権はその後「イランにウラン濃縮は認められない」と明言し、また、「イランがすべての核関連活動を停止しない限り、イランと話し合うつもりもない」として、交渉への参加自体を拒否し続けた。

しかし今日のオバマ政権の対応は異なっている。かつてブッシュ大統領が、イランには(核兵器製造にも転用できる技術である)ウラン濃縮自体を認めないと言っていたのに対し、オバマ大統領の表現は「イランの核兵器保有は認めない」というものに変化している。オバマ政権の下では、米国政府の代表もイラン核交渉に参加しており、この秋にはケリー国務長官とイランのザリーフ外相が、核交渉の場で顔を合わせた。

この米国の対応の変化には、米国国家情報評価(NIE)が2007年に、「イランは核兵器開発をすでに停止した」と結論付けたことも影響していると考えられる。そしてそれとならび、イランの核技術開発が「疑惑」発生当初に比べはるかに前進していることも、無関係でないだろう。そもそもウラン濃縮技術をすでに確立したイランに対し、「イランにウラン濃縮は認めない」とのスタンスを維持することそのものが、非現実的であったと言えるだろう。オバマ政権の立場の変化は一面で、イランがまさに「NPT加盟国としての核の平和利用の権利」を盾に核技術開発をひたすら継続したことで、生じたものと考えられる。

イラン国内の状況

イラン核開発問題をめぐる外的環境がこのように変化してきた一方で、今般イラン国内においても、現状の変革を訴えるロウハーニー大統領が、「変化」への国民の期待を一身に受けて、登場した。イランにおけるロウハーニー政権の発足は、イラン核開発問題にどのような影響を及ぼすだろうか。

イランのイスラーム共和国体制において、その最高権力者は国民の直接投票により選ばれる大統領ではなく、宗教指導者(イスラーム法学者)の最高指導者である。そしてその最高指導者は、体制の有力者たちのさまざまな意見に随時耳を傾け、「体制の安定的存続」に最適の決断を下すとされている。つまり今日のイランにおいて大統領の決定は最終決定とはみなされず、たとえばアフマディーネジャード政権下の核交渉で2009年に成立した「ジュネーブ合意(スワップ合意)」は、体制内の何者かの反対を受けて、結局は頓挫した。

しかし今日のイランの状況は、2009年当時とは異なっている。最も大きく異なる点は、対イラン経済制裁が大幅に強化された結果、イランの経済状況も非常に悪化している点である。対イラン金融制裁の強化により、イランの貿易は滞り、資材や部品を輸入に頼る工場は次々と閉鎖され、失業率は上昇した。また、イラン原油が制裁対象とされたことで、イランの原油輸出量は大幅に減少し、それによる外貨収入の減少もあり、イランの通貨は暴落した。そして金融制裁によるコストの上昇と通貨リアルの下落により輸入品は値上がりし、物価高に拍車がかかり、公式発表のインフレ率はすでに昨年同期比で40%近くに上っている。

イランの体制は当初各種制裁に起因する経済問題を、「抵抗経済」によって乗り越えることを呼びかけていた。しかしロウハーニー政権は経済状況の改善には制裁の緩和が不可欠であるという認識を隠さず、制裁緩和を勝ち取るための核交渉に真剣に取り組もうとしている。そしてハーメネイー最高指導者も、今のところロウハーニー政権の交渉打開のための取り組みを支持しているとされる。革命後のイランでは反米的スローガンが頻繁に唱えられ、米国へのあまりに急激な歩み寄りはその変化に追い付けない人々の反感を買うと考えられる。しかし今イランの体制は、体制の安定的存続こそがプライオリティであることを改めて確認し、今日であるからこそ可能な譲歩の方向に、慎重に、かつ着実に、舵を切ろうとしているように見える。

イラン核開発問題のその他の当事者たち

このようにイラン核開発問題をめぐっては、今日では米国も、そして対するイランの側も、譲歩の姿勢を見せている。しかし忘れてはならないのが、イラン核交渉に参加こそしていないものの、実質的にはこの問題の当事者とも呼びうる国々の存在である。その筆頭はイスラエルであり、イランの「域内覇権への野心」に警戒感を抱き続けるサウジアラビアも、そこに含められるだろう。

イスラーム共和国の樹立以降、イランは「イスラーム教徒の同胞」であるパレスチナ人を抑圧するイスラエルの糾弾を始めた。その後イラン核疑惑の発生を受けて、「イスラエルは地図から抹消されるべき」とする革命の指導者ホメイニー師の発言は、当初よりも深刻に受け止められるようになり、イスラエルはイランの核開発を阻止するために、あらゆる手段に訴え始めた。イスラエルはイランへの圧力を強化するよう、米国政府および議会にコンスタントに働きかけたのみならず、核開発に関わるイランの核物理学者たちをイラン国内で暗殺し、高度なコンピューター・ワームを米国とともに開発し、サイバー攻撃によりイラン核施設の一部を成功裡に破壊したとされる。

イスラエルはまた、どのような圧力を受けてもイランが核開発を止めない場合、実力行使によってでもこれを止めるという立場を明確にしている。イスラエルは以前にも、イラクやシリアといったイスラエルに敵対的な国々で建設中の原子炉(シリアの場合は原子炉とおぼしき施設)を、予告もなく空爆により破壊している。そしてイスラエルはイランの核開発も、これまでと同様の手段を用いて阻止すると公言している。

そのイスラエルは果たして今日米国とイランの間で盛り上がる「デタント」の機運を、どのように見ているであろうか。イランにすべての核開発の停止を求める国連安保理決議を飛び越えて、米国政府とイラン政府の間で何らかの「合意」が演出されることを、イスラエルは強く警戒しているはずである。そしてサウジアラビアも、この懸念を共有している。「アラブの春」以降バハレーンやサウジ東部州に広がった抗議行動に「イランの影」を見出し、シリアでは反体制派を支援することでアサド政権側に立つイランと対峙するサウジアラビアは、イランによる核技術の確立は受け入れがたいと考えている。

そしてこれらの国以外にも、イラン核開発問題の「(名ばかりの)解決」には与しないであろう「準当事者」が存在する。たとえば親イスラエル・ロビーが強い影響力を持つ米国の議会は、史上最強とも形容される強力な制裁を、イランに対して科してきている。そのうち最も強力な制裁は、世界中の金融機関に「米国かイランか」の二者択一を迫るというものである。この金融制裁は、(国際通貨である)ドル取引を行うあらゆる金融機関に対し、イランとの取引停止を求めるものであり、この制裁がある限り、イランとの交易は困難であり続ける。そして米国政府とイラン政府の「合意」がイスラエルの意に沿わないものである場合、米国議会が対イラン制裁の緩和を目指すとは考えにくい。

イラン核開発問題「解決」への見通し

このように、「イラン核開発問題」には実に多くの問題が絡んでおり、問題の「解決」――「何が一体解決なのか」を含めて――をめぐるコンセンサスが、そもそも存在していない。たとえばイランは「ウラン濃縮の権利の保証」を、譲れない一線として挙げている。しかし果たしてどうすれば、濃縮の「権利を保証」したことになるのかという点をめぐっては、さらなる協議が必要である。一方で米国は、イランが「問題解決のために真剣に取り組むならば」、「歩み寄る用意がある」と言っている。しかし米国政府は具体的には何をもって、「問題解決」と見なすのだろうか。また、米国政府が考える「解決」と、米国の議会が考える「解決」の中身は、果たして一致しているのであろうか。

とはいえこれまで見てきたように、今日ではイランと米国の双方が「譲歩」しやすい状況が、これまでよりも整っていることは確かである。そしてイラン核開発問題に関しても、問題解決のための政治的意思が決定的に重要であることに変わりはなく、ロウハーニー大統領が「行き詰まりの打開」を求める民意を背景に登場した現在、この勢いを得て何らかの合意を成立させようという意思は、イランと米国の双方に見出すことができる。そのなかで制裁の緩和をめぐっても、米国議会と関わりのないものから少しずつ解除しようとする動きも、すでに見られ始めている。

すなわちイランの核開発問題は、「核兵器の不拡散」にまつわる多くの矛盾や問題が、今日でも「米国政府の意向次第」という性質を持つか否かを見極める、一つの指標となることであろう。NPTに加盟しないイスラエルの核兵器保有も、同じくNPTに加盟せず一方的な核実験の後に核保有を宣言したインドと(米国と)の原子力協力協定も、皆「NPT体制の矛盾」として指摘されながら、米国政府がそれを認めることで、「既成事実」に転化してきた。

イランのロウハーニー大統領は、かつて2003年に核交渉の担当者となった際、「核疑惑発生」という大きな危機を機会に転じさせ、イランによる核技術の確立を「既成事実化する」ことを、その目標にあげていた。核交渉の開始から10年あまりを経てロウハーニー師が大統領に就任した今日、イランがこの目標を実現する環境は、ついに整ったと言うことができるのだろうか。「核開発問題」の発生以降、幾多の経済制裁にもかかわらず「核の平和利用の権利」に固執してきたイランが、今なお予想される数多くの反対とそれに伴う困難にもかかわらず、悲願としての「権利の確保」を達成することができるのか、交渉の行方が注目される。

サムネイル「Iran」Nick Taylor

http://www.flickr.com/photos/indigoprime/2471080370/

プロフィール

坂梨祥イラン現代政治

日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究主幹。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士号取得・博士課程単位取得満期退学。在イラン大使館専門調査員などを経て、2005年日本エネルギー経済研究所中東研究センターに入所。2008年に在ドバイGulf Research Center客員研究員。2013年より現職。イラン現代政治が専門。最近の論考には、「イラン――イスラーム統治体制の現状――」松尾昌樹等編著『中東の新たな秩序』ミネルヴァ書房、2016年、「開放路線を選択したイラン国民――イラン大統領選挙」『世界』岩波書店、2017年7月号、などがある。

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