「声」は誰のものか――FGM(女性性器損傷)をめぐる言説

以前SYNODOSで、FGM(女性性器切除)とは何か、紹介する機会をいただきました。

 

FGMとは何か、なぜ問題なのか、ということを話すときに、キーワードとして「FGMをめぐる言説」があります。1990年代以降FGMをめぐる議論が活発化しますが、そのきっかけとなったのは、アフリカ系アメリカ人作家のアリス・ウォーカーによる「喜びの秘密(Possessing the Secret of Joy)」(1992年)でした。欧米諸国を中心に、この小説におけるFGMの表現およびFGMをめぐる議論について学際的な議論が発生しています。

 

しかしなぜFGMはここまで語られるのか? 私には、FGMそのものが単純に女性への暴力と言い切れない、実施地域・国での社会的・文化的・宗教的な背景への理解なしには、問題を理解することは難しいと感じられます。

 

 

国際社会におけるFGMの地位

 

そもそもFGMが国際社会で問題とされたのは、リプロダクティブ・ヘルスの概念が提唱されるようになった1970年代以降になります。また、同時期は1979年の女性への差別撤廃条約が制定され、女性への暴力という課題が認知されるようにもなりました。1960年代後半のウーマンリブ運動が広まり、フェミニズムという言葉が広く認知される中で、FGMもこれらの女性への暴力を巡る文脈の中で、議論されるようになります。

 

さらに、1990年代初頭、冷戦が終結し、思想や政治経済体制に阻まれ、これまで全世界的に議論されなかった環境や健康、人口など普遍的な課題について、国際会議などを通じ語り、国境や言語を超えて、世界中で取り組むことが可能になりました。

 

1992年に国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)が発表した一般勧告第19号によれば、女性に対する暴力について、「女性であることを理由として女性に対して向けられる暴力、あるいは、女性に対して過度に影響を及ぼす行為を含む。それには、身体的、精神的、又は性的危害もしくは苦痛を加える行為、かかる行為の威嚇、強制、および、その他の自由の剥奪を含む」と定義しています(*1)。

 

(*1)CEDAW, General Recommendation No. 19 (11th session, 1992): Violence against women.

 

さらに翌年に国連総会で採択された「女性に対する暴力撤廃宣言(以下暴力撤廃宣言)」(*2)は、これまで国際法上保護の対象とされてこなかった家庭などで日常的に行われ、日常的であるがゆえに可視化されてこなかった暴力の問題も対象とした点で、非常に大きな意味を持ちました。

 

(*2)UN General Assembly, A/RES/48/104: Declaration on the Elimination of Violence against Women, 20 Dec. 1993.

 

しかし国際会議で取り上げられ、条約で女性への暴力の問題が取り上げられることがそのままあらゆる国や地域で女性への暴力が人権侵害として認識され、撤廃が求められるようになったことを意味しないことには注意する必要がります。女性差別撤廃条約では第28条第2項で留保を認めていますが、とくにイスラーム圏の国々では、シャリーア(イスラーム法)と憲法に反しない女性差別撤廃条約の部分のみ承認するモーリタニアや、女性差別撤廃条約がシャリーアと抵触する場合、条約を遵守する義務を負わないサウジアラビアやバーレーンのように、イスラーム法との抵触を理由とした留保がつけられています。

 

こうした留保は、女性差別撤廃条約で定められたとしても、留保の厚い壁によって、最終的に女性への暴力が容認される可能性を示しています。そしてまさに、こうした容認されてきたからこそ、1990年代以降、この女性への暴力の問題が繰り返し議論されるようになったともいえるでしょう。

 

 

反植民地運動におけるFGM

 

FGMが続いた理由はいくつかありますが、その是非を巡る議論の発端に反植民地運動とFGMが密接にかかわったという側面は見逃せません。ケニアでは、1920年代に割礼の是非を巡る論争が起きますが、この論争自体は割礼に反対する植民地政府と宣教師と、それを批判し伝統を維持しようとするキクユ族の男女の対立でした。実際、ケニア独立後大統領となったケニヤッタは彼の著書の中で、成人として認められるためにFGMは必要不可欠であると述べています。

 

独立時におけるFGMは、欧米諸国による統治への反発と独立への意識という側面に注意する必要があります。植民地政府による統治の時代、FGMは「遅れた慣習」として植民地政府によって法律を通じて禁止され、宣教師たちによってその慣習が制約されてきました。自分たちのアイデンティティとして、FGMが彼ら自身によって「発見」されたのは、植民地からの独立を求めるプロセスにおいてです。

 

ケニアではFGMがケニア人のアイデンティティの証しと見なされ、少女たち自身が自ら選んでFGMを受けます。「私の体は私が決める」、その姿勢は、男性たちにも支持されます。さらに、欧米との差異を強調し、アフリカというその土地への誇りを示すものとして、独立後、多くの国で植民地政府が制定していたFGM禁止法が廃止されることとなりました。

 

 

 

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