インドIT産業とグローバル化の幽霊――繋がること、切りはなすこと、そして折りたたまれる世界

文化をのりこなす

 

労働空間の標準化をとおして多様性があらわになり、文化的な差異に適応するフレキシビリティが重要になっていく。こうした状況は、研修セミナーのような企業内の活動だけでなく、インドIT産業で働く人々の日常生活にも広くみられるものです。

 

2009年に調査を初めて以来、私は「インドのシリコンバレー」と呼ばれる南部の都市、バンガロール(現地名ベンガルール)においてIT産業で働く人々に対する聞き取り調査や参与観察を行ってきました。そのなかでも、北部の出身で20代後半の青年ITワーカーたちと親しくなり、彼らがシェアするアパートの一室に滞在しながら調査を行いました。

 

共同生活をおくるなかで見えてきたことは、彼らの日常生活が複数の異なる空間と繋がりながら構成されているということです。IT企業やBPO企業で働く彼らの顧客の多くは、欧米に本拠地を置く企業です。インドと米国西海岸は約12時間、米国東海岸では約9時間、西欧諸国とは3~5時間の時差があります。シリコンバレーがある西海岸との時差が半日程度のため、インドのITワーカーが夜まで働いてサーバーにアップされた成果を米国企業が朝から引き継ぐという分担制がとられていることはよく知られていますが、同じタイミングで行う必要のある業務がないわけではありません。東海岸や西欧の顧客企業と連携する際にも夜間・早朝勤務が不可欠となります。このため、青年ITワーカーたちの勤務時間も非常に不安定なものとなり、しばしば彼らは早朝に帰宅し、深夜に出勤していきます。

 

24時間営業のコンビニやファミレスを備えた日本の都市とは異なり、バンガロールには深夜営業の店舗がほとんどありません。青年ITワーカーたちは、街が寝静まる時間帯に会社が手配した送迎車両に乗って出勤し、帰宅します。こうした生活時間のすれちがいは、彼らと地域社会とのつながりを弱くする一因となっています。

 

ただし、土地にねざした人間関係が生活の中心を占めるインドにおいては、地域住民と全く関係しないわけにはいきません。彼らもまた、現地の若者を料理人として雇い、週の大半は彼が作る夕食を食べていました。しかし、おもに北部の言語(ヒンディー語やベンガル語)を話すITワーカーたちとおもに現地語(カンナダ語)を話す青年コックとのあいだにはすれ違いや軋轢が生じることも多く、しばしば無断で欠勤する料理人との付き合いは彼らを悩ますものでもありました。繋がること、切りはなすこと。その両方のあいだでいかにバランスをとるかという問題は、欧米の文化に対してだけでなく、インド国内の社会関係に対しても生じるのです。

 

欧米諸国と地域社会のあいだを、接続と切断を繰り返しながら横断していくITワーカーたちの姿は、彼らが過ごすバンガロールという都市の姿と重なりあうものでもあります。「インドのシリコンバレー」という異称で知られるバンガロールですが、その言葉からイメージされる均質なハイテク都市ではありません。もちろん、大手IT企業が拠をかまえる中心部や郊外には、高層オフィスビルや国外のブランド品が充実した巨大ショッピングモール、牛や豚などの肉料理も扱う高級レストラン、バンガロールをパブカルチャーで有名にした各種のバーやクラブが立ち並びます。しかし、そのすぐ近くにはチャイや菓子を売る小さな商店、八百屋やタイヤ修理屋といった小売店からなる商店街、現地住民が集う寺院や教会、ピーナッツやスパイスを売るリヤカーの物売りといった昔から変わらない風景がひろがっています。

 

地元の人々が集まる店舗では一杯数十円でチャイを飲めますが、そこから50メートルも離れていないシネマコンプレックスの施設内にあるスターバックス風のコーヒーチェーンでは国外ブランドで身をかためた若者たちがハリウッド映画の開演時間をまちながら一杯200円のコーヒーを飲んでいる。インドと欧米、伝統と近未来がモザイク状になった、こうした風景はバンガロールのいたるところで見られるものです。

 

バンガロールのIT産業で働く若者の中には、農村に育ち他の地域の大学を卒業してからこの南部の都市にやってきて働きはじめる人が多く含まれます。親元を離れて言語や慣習の異なる地域に住み、深夜や早朝も働き、パブやクラブでの同僚とのパーティといった新しい遊びを覚え、他の仕事と比べると高いサラリーを手にする。彼・彼女の生活は、一面において非常に自由で享楽に満ちたものであり、インタビューを行った青年ITワーカーの一人(コールセンターで働いた経験のある20代前半の女性)は、まるで「とつぜん王様(King)になったようなもの」だと表現しています。

 

しかしながら、ITワーカーたちの「王様のような生活」は、農村の暮らしと比べてはるかに高い給与、行動の自由、マクドナルドやドミノピザでの飲食やパブでのパーティといった快適なライフスタイルをもたらすだけではありません。こうした華やかな側面の裏側には、現地の生活から切り離された孤独な日常、不規則な労働形態に起因する体調の悪化、うつ病やアルコール中毒、年配者の場合は家庭生活の破たんといった過酷な事態もまた生じています。

 

 

青年ITワーカーたちの夕食

青年ITワーカーたちの夕食

 

 

折りたたまれる世界

 

研修セミナーで教えられるように、バンガロールのITワーカーたちの生活には、「物質主義/宗教的」、「進歩としての変化/伝統への依拠」、「個人的達成の重視/親族などの人間関係に根ざした労働」といった対立的な要素が同時に含まれています。しかし、前者に適応しながら後者を維持することは簡単ではありません。ショッピングモールやコーヒーチェーンを備えたバンガロールの都市空間だけでなく、個人主義的な発想を基盤とする労務管理や、国外のオンサイト業務での顧客企業との付き合いを通じて、ITワーカーたちの日常には欧米的な思考や行動が、それを支える環境を欠いたまま、浸透していきます。

 

インタビューでは、「働くことは楽しいことでなければ」とか「一緒に働くみんながリーダーだ」といったシリコンバレーを彷彿とさせるようなフレーズが時に聞かれ、国外経験の豊富な年配のITワーカーは「もともとはベジタリアンだったけど、クライアントとの付き合いを通して、今では普通に肉を食べるようになったね」と言います。情報ネットワークを直接的/間接的に経由してITワーカーの身体に浸透する欧米的な思考や行動様式は、その内実が不明瞭なまま彼らの生活にたたみ込まれ、幽霊のように漂っているのです。

 

ただし、ITワーカーたちは欧米的な文化をそのまま吸収しているわけではありません。同居した青年たちとの日常的な会話においても、彼らは欧米的な個人主義に対して否定的な反応をみせることが多く、個人的な意思決定を単なるエゴイズムとして捉える者もいます。

 

彼らは、親族からは離れた土地で暮らしているものの、出身地域や出身大学の近い若者同士でアパートをシェアしており、ホーリーなどの祭日には市内に点在する友人たちのアパートを訪れてともに酒を飲み、夕食をとります。ナイキやアディダスの靴を履き、MTVインドのリアルライフ番組を食い入るように眺めることもあれば、お祈りのための部屋にこもり、ヒンドゥ教の神に詣でるためにヒマラヤ山脈まで旅に出ることもあります。インドと欧米、過去と未来、個人と集団のあいだで危ういバランスをとりながら、ITワーカーたちの快適で過酷な生活は営まれているのです。

 

デジタルな数列にもとづく標準化された労働空間の拡張が、むしろ地域にねざした文化的背景の違いを顕在化させ、様々な文化の違いに適応するフレキシブルな思考や行動が求められていく。しかし、そうした柔軟な生のありかたは、<いま・ここ>にある現実が、そうではない別のどこかにある現実を幽霊のように含みこみながら、流動化し変質していく事態をも招きます。標準化と多様化の狭間で自らのふるまいをフレキシブルに変化させながら生きるインドITワーカーたちの姿は、グローバルな関係性がその内実があいまいなままローカルな実践にたたみこまれていくという、グローバル化の新たな局面を私たちに示してくれているように思われます。

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

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