効率化の世界で、生きる場所を管理される人々――オーストラリアの先住民族政策を事例に

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「格差是正」のジレンマ

 

ハワード政権下の連邦議会で野党であった労働党も、NTER政策を支持した。しかし2007年11月の連邦総選挙で政権交代が実現すると、労働党政権はハワード政権の先住民族に対する強硬姿勢の転換を目指した。

 

NTER政策についてもいくつかの変更がなされ、収入管理制度については、特定の地区に住む人々すべてに一律に適用することが不満や怒りを招いているとして任意適用に改める方針が示された。また、政策決定にあたり先住民族共同体の意見を傾聴する姿勢も強調された(NTERTF 2008: 18-21; Commonwealth of Australia 2008: 9-47)。

 

こうしてハワードの権威主義的姿勢の象徴とされたNTER政策を転換することで、改革イメージを強調しようとした労働党政権だが、NTER政策自体はむしろ予算が増やされ、継続することになった。その結果、それを正当化する論理は「子どもの安全を守る」ための「緊急対応」から、先住民族が置かれた社会経済的不利の改善へと強調点が変化していった。こうして連邦政府がさかんに言及するようになったのが、先住民族と非先住民族間の経済社会的な「格差是正(Closing the Gap)」という目標であった(FaHCSIA 2012: 1-2)。

 

「緊急対応」と同様に「格差是正」も、先住民族の置かれた社会経済的不利の改善に失敗したとされた自己決定政策との差異化を図るために、「成果」をあげることを強調するスローガンである。しかし、こうした「成果重視」の姿勢は、歴史的に形成された社会構造に起因するエスニック・マイノリティに対する社会的不公正の是正に取り組む際には逆に足かせになりうる。

 

先住民族と非先住民族の格差の是正のためには、歴史的に構造化されたマイノリティ‐マジョリティ関係の変革のための長期的な関与が不可欠である。多様な分野における施策を連関させなければならず、その「成果」を数量的に測定するのも容易ではないからである(Woodliff 2012: 66-80)。つまり、そうした政策が成果を挙げるのには時間がかかるのだ。そのことは労働党政権も認識しており、NTER政策によって先住民族共同体の「持続可能な発展」を目指すと表明された(Commonwealth of Australia 2009a: 6)。

 

しかしこうした一見長期的なビジョンと裏腹に、連邦政府はNTER政策に対する根強い批判をかわすために、この政策の成果を短期的な数値の変化として示す必要があった。つまり連邦政府は歴史的に形成されてきた社会構造の変革という長期的な目標についての、短期的に目に見える成果を示し続けなければならないというジレンマに陥ったのである。

 

 

「地域限定」の社会政策

 

このジレンマを解決するには、その社会政策が対象とする範囲を狭めてしまうというやり方がある。あらかじめ狭い範囲に限定すれば、「目に見える」変化は比較的得られやすくなるからだ。

 

NTER政策はもともと北部準州という「地域限定」の政策ではあったが、以下で論じるように労働党政権ではさらに特定の「場所」を対象として住民の生活を徹底的に管理することで「格差是正」という政策的成果を短期間で演出する傾向が強まった。こうして「効率的」な成果の達成という「時間短縮」の論理は、政策の対象とされた人々の住む「場所」の管理の強化という帰結をもたらすことになった。そしてそれは、先住民族に限らずその他の人々にも及ぶことになる。

 

前述の通りNTER政策における収入管理制度には、先住民族のみを対象としていることが差別的であるという批判があった。そしてNTER政策全体が1975年人種差別禁止法の例外とされた大きな要因のひとつが収入管理制度であった。そこでこの状況を是正するために、連邦政府は全国の「不利な立場に置かれた地域」に対して、収入管理制度を「人種の区別なしに」適用していく方針を明らかにした(Commonwealth of Australia 2009b)。

 

収入管理制度は世代を越えて受け継がれる受動的福祉の連鎖を断ち切る切り札とされ、まずは「不利な立場に置かれている共同体」が集中しているとされた北部準州全域の福祉受給者等のうち、人種の区別に関わらず一定の条件に該当しケースワーカーに指定された者に適用されることになった。そして収入管理制度は先住民族だけに限定されない「非差別的」な施策になったため、もはやNTER政策には含まれないとされ、 1975年人種差別禁止法がNTER政策に適用されることになった。

 

収入管理制度は、北部準州を対象としたNTER政策が開始されたのと同時期に、北部準州以外のいくつかの地域でも試行されていたのだが(CYIPL 2007: 23-24; WACOSS 2011)、NTER政策におけるこうした制度変更を契機として北部準州以外の地域への適用が拡大していく。

 

新たに収入管理制度の適用対象となったのは全豪各地の「住民の多くが非常に不利な立場に置かれている」とみなされた地域であった。収入管理制度の適用は強制ではないことが強調されたが、行政やケースワーカーに児童虐待だとされたり、経済的事情や心身の病気などで子どもを養う能力がないとされた親に適用されることになった。

 

収入管理制度の対象範囲の拡大は、従来の全国一律の社会福祉政策を改め、問題が集積する地域に対して特別な施策を講じ、人々を「福祉依存」から脱却させ、就労へのインセンティブを高めるための社会福祉改革の一環として正当化された(FaHCSIA 2011a)。

 

こうして先住民族という「人」を選別して対象とするNTER政策の一部であった収入管理制度は、特定の「場所」を対象とする「場所ベース」の社会政策へと変容していった(DEEWR 2011)。ただし実際には、新たに収入管理制度が適用されることになったのは先住民族や非英語系移民の人口が比較的多い地域であり、こうしたエスニック・マイノリティは収入管理制度の主要な対象であり続けている(塩原2013a)。

このように「場所ベース」の社会政策は、人種差別だという批判を回避しつつエスニック・マイノリティの日常に行政がより重点的に介入することを可能にした。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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