タイ総選挙と憲法裁判所――タイでは、いま何が起きているのか?

タイ政治と司法

 

現在のタイ政治を読み解くうえで重要な鍵となるのは、司法である。

 

インラック政権は、異常なまでに裁判所や独立機関(選挙委員会や国家汚職防止取締委員会等)の判断を警戒している。インラック自身は政争に疲れて辞任を希望したが、兄であるタックシンからは、もし現在辞任すると刑法第157条(職務放棄)で訴えられるかもしれないと警告されたと報じられている。また同政権は、もし総選挙実施日を2月2日から変更する場合には、選挙管理委員会が首相や政府に対して訴訟等を行わないように確認しなくてはならないと述べていた。

 

実際、近年のタイ政治は、訴訟合戦の様相を呈している。政府が何をしても憲法裁判所に判断を仰がれると言っても過言ではない。

 

今月23日には、ある上院議員が「今回の非常事態宣言は、選挙期間中に政府が国の職員を使用することにより、選挙において自らを利することを禁じた第181条(4)に対する違反である」として、憲法裁判所に訴えると述べた。今月8日には国家汚職防止取締委員会が、憲法裁判所により違憲判決を受けた「上院議員の人選方法に関する憲法改正」について関与した疑いのある308人の国会議員に対して、調査を開始すると決議した。また前述のように、2つの憲法改正は、いずれも憲法裁判所の判決により阻止されている。

 

インラック政権は選挙を経て、民意により選ばれた政権であるが、多くの重要な決定に対して憲法裁判所によりたがが嵌められている状態である。世界的にも、国家権力の使用に対して憲法により抑制を行うべきでるという立憲主義の考え方が広まっているが、タイについても同様に解釈してもよいのだろうか。

 

 

タイ選挙の歴史

 

タイ政治と司法との関係について理解するために、次にタイ選挙の歴史について概観してみたい。

 

タイでは、選挙は第1回の1933年を皮切りに、37年、38年、46年、48年、52年、57年2月、57年12月、69年、75年、76年、79年、83年、86年、88年、92年2月、92年9月、95年、96年、2001年、05年、07年、11年の、合計23回実施されてきた。

 

しかし、1932年憲法から現在の2007年憲法までの18憲法のうち、首相が民選の国会議員であるべしと定める憲法は、1974年憲法、1991年憲法(1992年改正後)、1997年憲法、および2007年憲法の4憲法のみである[*2]。この意味において、民主的な制度の下で継続的に選挙が実施されるようになったのは、1990年代以降ということになる。

 

 

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一方で、民主化が進展するとともに、表1に示したように、憲法裁判所が選挙の無効判決を下したり、民選政権を打倒するといった、従来には見られなかった新しい現象が登場するようになった。

 

2006年9月クーデタの約5か月前に実施された2006年4月選挙の結果、本来は再び政権の座に収まっていたはずのタックシンのタイ愛国党は、2007年に憲法裁判委員会により解党された。選挙結果が裁判所によって否定されたのは、これが初めてである。さらに2007年選挙12月選挙によって誕生したタックシン派の後継政党である人民の力党の2つの政権は、2008年に憲法裁判所が下した2つの判決により打倒された。つまり3回連続で、憲法裁判所により選挙結果が否定されてきたことになる。

 

そして現在、2011年7月選挙により誕生したインラック政権も下院解散後、総選挙を実施できるか否かの危機に瀕している。2014年1月24日、憲法裁判所は、首相は選挙日程を変更する場合には、選挙管理委員会と協議したうえで新日程を決定しなくてはならないとの判決を下した。実は、憲法や関連法律には、明確には規定されていなかった条件である。

 

[*2]玉田芳史、2010年「タイにおける選挙をめぐる攻防 民主化と脱民主化」吉川洋子編『民主化過程の選挙 地域研究から見た政党・候補者・有権者』行路社、223‐244項。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

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