悪化するシリア情勢に難民たちはいま

難民同士の支援の輪

 

シリア国外の大きなシリア人ネットワークを通じて資金を募り、ボランティアでシリア人難民を支援する活動をする個人やグループがヨルダンをはじめ周辺国に存在する。私がヨルダンに滞在している間、都市難民の家庭訪問を1年以上にわたってシリア人難民支援を続けて来たサダーカを通して、そういった人々に会い、話を聞くことが出来た。

 

 

・ケース(1)シリア難民A氏

 

自身も難民であるA氏は、ヨルダン北部の都市イルビッドで、負傷したシリア人難民を病院に運ぶ支援を個人で行っている。A氏が支援をはじめたきっかけは、彼自身がある病院でシリア人難民の診療登録や家族探しなどのボランティアをしていた際に、シリア人難民の多くが継続して治療に通うことが難しいことに気付いたからだった。負傷や病気のために治療に訪れても、以降の通院にかかる交通費や公共交通機関の利用の難しさ(けがのため座ったり、もしくは立ったままでいることが辛いなど)から治療を続けることを断念せざるを得ない人々が多くいた。

 

そこで、かつてシリアで運転手をしていたA氏は彼らを住まいから病院まで運ぶボランティアを始めた。運転手を含め5人乗りのバンに、さらに荷物を置くスペースに椅子に座ることの難しい負傷者を乗せて、ほぼ毎日病院と彼らの住まいを往復する。私が同行したことがある。本来ならば荷物を乗せるスペースに、負傷したシリア人難民と座った。久しぶりに外国人の、しかも女性と話すことが嬉しいようでシリアの歌を笑顔で歌ってくれた。

 

その時の行き先は、イルビットから片道2時間かかる、シリアとの国境まで約10キロの町にある病院だった。工場地帯を過ぎ、開けた赤土の大地に、砂ぼこりで赤茶色く汚れた白いテントがところどころに見られ、うっすらとUNHCRのロゴが見える。

 

「私が運ぶ多くの人々は市民兵だ。彼らの中には、自身の身を守るため武器を持ったまま越境してくる者もいる。彼らは比較的楽観的だ。ヨルダンに来ることで自由を手に入れられると考えている」負傷者を運ぶA氏が言う。

 

印象に残ったエピソードがある。次々と患者をそれぞれのリニックにおろしていくのだが、足を負傷したあるシリア人男性は足を曲げることができないため、座席ではなく後部の荷物を乗せるスペースで座っている必要があった。一緒に行動していた私の友人が席に座るか訪ねてくれたのだが、私は彼がひとりになってしまうからと断った。日本語で、である。そして私が荷台スペースで座りなおすと、彼はひとこと、「Thank you」と言った。驚いた。彼は日本語が分からないはずなのに、私が彼と一緒にいることを選んだことを、彼は分かったようだった。そして、携帯電話でシリア国内の様子を撮影した動画を見せてくれた。崩れ、かたちのなくなった灰色の建物、ほこりがすごくがれきだらけの街中、泣き叫ぶ人々……。彼は時折、車の移動の振動で痛む足を抑え痛みに必死にこらえていた。

 

 

・ケース(2)シリア人難民B女史

 

A氏が運ぶ傷病者のひとりが通うクリニックが、ヨルダン北部のイルビットにある。ビルの中にあり、一見すると、以前からあったようなきれいなクリニックだが、自身もシリア人難民であるC女史に話を聞くと、持続的な医療支援の不足を感じたシリア人難民の医師やカウンセラーが、子どもを含む傷病者のリハビリやケアのためのクリニックを協力して設立し、ボランティアで活動をしているようだ。

 

資金は国外のシリア人ネットワークを利用して確保し、現在はNGOなどに協力を打診しているところだという。これまで175人の患者をケアし、現在は42人の患者を抱えている。その多くが17~21歳の男性で、15歳以下の子どもが6人いる。ヨルダンに避難して一度治療を受けても、ケアをしてくれる家族がいない、お金がないなどの理由で完治するまで治療を続けることができない難民が多くいることを知り、治療が完了するまでのリハビリやケア、入院設備も設けて食事や薬の提供も無料で行っている。

 

また、トラウマを抱える子どものカウンセリングと教育支援を行うプロジェクトを新しく立ち上げた。3カ月周期のプログラムで、各プログラムで100人の子どもを対象にし、交通費は支給する。

 

クリニックで働く医師に病室を案内してもらった。銃撃された14歳の男の子、ロケット弾による爆撃で負傷した14歳と15歳の男の子……足を切断した男の子や手足を切断した男の子、背中を負傷したことにより神経をやられ、足はあるけれども一生動かなくなった15歳の男の子。足が一生動かないことを若干15歳で宣告された男の子の母親は、悲痛な表情で彼を見つめる。男の子の目は、いっけん笑っているように見えるけれども、その奥には悲しさや辛さ、希望を見出すことの必死さと諦めの葛藤を抱えているように見え、わたしは言葉にできない感情を抑え込むのに必死だった。部屋を離れるとき、母親は私を抱きしめてくれ、「アッラーのご加護を」と祈ってくれた。

 

 

爆撃に巻き込まれ、背中の神経を損傷し、足を動かすことができなくなった少年。両足に手術の跡が残っている。(シリア人難民B女史が支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影) (写真3)

爆撃に巻き込まれ、背中の神経を損傷し、足を動かすことができなくなった少年。両足に手術の跡が残っている。(シリア人難民B女史が支援するクリニックにて。2014年5月筆者撮影)

 

 

国籍を越えた支援の輪

 

シリア人同士だけではない。国籍を越えた支援の輪が広まっている。パレスチナ系ヨルダン人C氏は、個人的にシリア人難民に対して金銭と物資の支援を行っている。自身のネットワークを利用して寄付を募りながら、医療費の必要なシリア人難民の家庭に金銭の支援、また生活基盤を整えるために必要な家具や日用品の配布を行っている。

 

今回、私はヨルダン滞在中、シリア人難民の家庭にホームステイしたのだが、その家族もC氏から家具の支援を受けていた。C氏の存在は口コミで広がり、支援を必要とするシリア人難民からの連絡が絶えず彼に届く。中には、比較的恵まれているのにも関わらず、支援を乞う詐欺師のような人もいるため、「本当に必要な人に必要なものを届けたい」と願う彼は、連絡を受けた家庭を一軒一軒訪問し、その家庭の状況を把握し、記録している。これまでに訪問した家庭は約330件(2014年5月8日現在)、A氏の支援を待つ人は約20人で、順番待ちリストも記録し、シリアからの難民支援に尽力している。

 

彼のほかにも、ボランティアでシリア人難民のホストとなり、移動や居住の支援を行うヨルダン人がいる。ヨルダンは、一定の条件を満たすことができれば、難民キャンプから移動することが認められている。

 

ヨルダン国内最大の難民キャンプであるザータリキャンプでは、難民登録をしたシリア人難民の約55%がキャンプ外で滞在している[*18]。キャンプ外での滞在には身を寄せられる人や場所が必要になるが、見知らぬヨルダン人が身元引受人になってくれているという。また大きな活動ではないけれども、近所に住むヨルダン人が物資や食料品を分けてくれたという話も聞く。

 

[*18] UNHCR Jordan Operation (2014) Syrian Refugees Living Outside Camps in Jordan Home Visit Data Findings, 2013. Amman: UNHCR Jordan Operation

 

シリア人難民に詳しく聞いたところ、ヨルダン人がキャンプを訪れ、キャンプ外に出たいシリア人難民を探す。そして彼(ら)の身元引受人として難民キャンプの外に出る手続きをし、人によっては居住地や家財の確保、病院の紹介などアフターケアまでをしてくれるそうだ。これをボランティアで行ってくれているという話もあれば、むしろビジネス化しており、かなりの高額を支払っているという話も多く聞く。難民支援がビジネス化している事実が垣間見られる。また仕事をめぐってヨルダン人との関係があまりよくないと話すシリア人もいるし、シリア人同士であっても互いに抱えている問題が大きく、心が開けず、孤立しているシリア人もいることもまた事実である。

 

 

訪問者を家族や友人のようにもてなすシリア人のホスピタリティ。シリア人難民の家庭訪問でも、温かいアラビックコーヒーや甘いシャーイ(お茶)を振舞ってくれた。彼らのホスピタリティは、どれだけ過酷な状況にいても変わらない。(アンマンのとあるシリア人難民の家庭にて。2014年5月筆者撮影)

訪問者を家族や友人のようにもてなすシリア人のホスピタリティ。シリア人難民の家庭訪問でも、温かいアラビックコーヒーや甘いシャーイ(お茶)を振舞ってくれた。彼らのホスピタリティは、どれだけ過酷な状況にいても変わらない。(アンマンのとあるシリア人難民の家庭にて。2014年5月筆者撮影)

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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