カリフ制樹立を宣言した「イラクとシャームのイスラーム国」の過去・現在・将来

「イスラーム国」の“再興”

 

衰退局面にあった「イラク・イスラーム国」を蘇らせたのは、「アラブの春」が“波及”して反体制運動が高揚し、さらに様々な当事者が干渉して国際紛争と化した、シリア紛争だった。

 

2011年前半、「アラブの春」と呼ばれる政治変動の結果、イスラーム過激派が衰退・消滅するとの楽観的な予測があった。この予測の根拠は、イスラーム過激派が彼らの政治目標を達成するために非合法の武装闘争や扇動を手段としているのに対し、各国で政治的自由を抑圧していた権威主義体制が倒れたことで、人民は議会選挙への参加のような、より安全かつ穏健で合法的な手段により彼らの政治的目標を達成できるようになると見込まれたことである。

 

しかし、実際には「アラブの春」を経験した諸国の全てで、政局は混乱し人民の生活水準は低下した。そして人民が政治適用要求を民主的・合法的に主張し、実現する経路も確立しなかった。すなわち、「独裁政権」を打倒しても、民主的・合法的な政治行動の有効性は当初期待されたほど高まらず、政治・社会が混乱したことによって、イスラーム過激派が採用するような暴力的・非合法な政治行動は、衰退するどころか一部では以前よりも活発化してしまったのである。

 

シリアにおいても、当初反体制運動は「アラブの春」で用いられた手法を模倣した平和的運動として進められた。しかし、この手法は短期間のうちに政権側を圧倒するような支持を得ることができず、反体制運動は次第に暴力化した。これに様々な政治的目標を持つ諸外国が干渉したことにより、シリアでの反体制運動は国際紛争化した。その過程で、「悪の独裁政権」であるアサド政権に立ち向かう反体制武装闘争は、その担い手の出自を問わず「正義」とみなされ、世界各地で反体制武装闘争のための人員や資金のような資源の調達が黙認・奨励された。

 

「イラク・イスラーム国」はこうした環境に便乗し、シリアの反体制運動に参入するフロント団体「ヌスラ戦線」を設立した。「ヌスラ戦線」は、士気・規律・戦闘力の面で世俗的で「穏健な」反体制派諸派を上回り、相応の支持を得るとともに、外部からシリアに提供される資源の主要な受け皿となり、資源供給経路を確立した。

 

「イラク・イスラーム国」はこの成功に自信を深め、2013年4月に「ヌスラ戦線」が自派のフロントに過ぎなかったことを公表、以後はこれを統合し「イラクとシャームのイスラーム国」として活動すると宣言した。この事実は、同じ「イラク・イスラーム国」が行う破壊と殺戮でも、その場所がイラクならばそれは「悪しきテロ」とみなされて非難・攻撃されたが、場所がシリアならば「正義の反体制武装闘争」として国際的に認められて黙認・奨励されていたことを示している。

 

9.11事件以後国際社会が進めてきたはずの「テロとの戦い」は、現場で「テロリスト」を殲滅する以上に「テロリスト」による資源獲得を阻むことをその柱としていた。しかし、こうした取り組みが、シリア紛争で欧米諸国が反体制派を支持したことにより、「テロリスト」の筆頭格だった「イスラーム国」が潤沢に資源を調達できるようになったという、重大な綻びを見せたのである。こうして、シリア紛争を口実にして十分な資源を獲得する経路を確保した「イスラーム国」は、そうした資源を投入して政局の混乱により政治体制が求心力を失っていたイラクでも大規模な攻勢をかけたのである。

 

 

「イスラーム国」とイスラーム過激派の将来

 

ここで、「(イラクとシャームの)イスラーム国」の名称について検討したい。

 

彼らが組織名に用いている地名は、「イラク」と「シャーム」である。「イラク」については、前身となった「イラク・イスラーム国」からそのまま用いたものであろうが、注目すべき点は、もともとこの組織の起源となっているザルカーウィーのグループが、ビン・ラーディンに忠誠を表明した際に「二大河の国のアル=カーイダ」と名乗り、「イラク」という現在存在する国家の名称や、国際社会で通用している地名を用いなかったことである。

 

この点に、ザルカーウィーのグループが「イスラーム世界は十字軍・ユダヤに侵略されており、現在イスラーム世界にある国家や為政者はみな侵略者の押し付け・傀儡である」と考えるイスラーム過激派の思想に忠実でいようとしていたことが示されている。彼らが組織の拡大路線の中で「イラク・イスラーム国」と名乗るようになったことは、イラクの地元の勢力や部族の糾合を試みた際の妥協や配慮の産物だったのだろう。

 

一方、「シャーム」については、この地名は文脈によって示す範囲が異なるものである。現在のトルコの一部、シリア、レバノン、ヨルダン、パレスチナを包括する地域を指す場合もあれば、単にダマスカスを意味する場合もある。また、「イスラーム国」が用いる「シャーム」が、一般に用いられている「シャーム」と一致しなくてはならないわけではない。しかし、彼らが敢えてこの地名を用いたことには、彼らの活動は現在存在する国家や国境には拘束されず、むしろそれらを破壊・解体することを目標とする意思表示のように思われる。

 

以上のような考え方は、彼らが「イラク・イスラーム国」と名乗っていた時期の広報動画に好んで挿入した場面に色濃く反映されている。写真1は、現在の国境と国名によって地域が区切られている。そこに、「イラク・イスラーム国」の旗(彼らは現在も同じ旗を使用している)が打ち立てられることによって衝撃波が生じ、それにより既存の国境・国名は吹き飛ばされ、その後に彼らが考える地名におきかえられる(写真2)。

 

さらに、「イスラーム国」の旗を中心に生じた衝撃波は拡大し、彼ら自身の活動地域からは離れた場所の国名や国境をも粉砕し、イスラーム過激派の間で用いられている地名に置き換えられている(写真3)。従って、「シャーム」という地名は、「イスラーム国」にとっては「シリア・アラブ共和国」を指すものではないし、欧米で地中海東岸地域を指して用いられる「レバント」と一致するとも限らない。「イラクとシャームのイスラーム国」という名称には、「侵略者による押し付けを排除し、イスラーム世界の統合を回復する」、とのイスラーム過激派の思想に忠実であろうとする決意が込められている。

 

 

写真1 『中東研究』516号88頁より

写真1 『中東研究』516号88頁より

 

写真2 『中東研究』516号88頁より

写真2 『中東研究』516号88頁より

 

写真3 『中東研究』516号88頁より

写真3 『中東研究』516号88頁より

 

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
・川名晋史「誰が、なぜ、どこに基地を隠したか」
・石川義正「「空洞」の消滅──現代日本「動物」文学案内(4)」