EUとウクライナ危機――解決に向けた手探り

ウクライナにおいては、2014年5月25日の大統領選挙でのポロシェンコ氏の選出と同6月7日の新政権発足を経ても、安定化に向けてまだ多くの課題が残されている。6月下旬に設定されていた一時停戦も6月30日には期限切れを迎え、国際社会はウクライナ情勢の成り行きを固唾を飲んで見守っている。

 

EUのバローゾ欧州委員長が今回の一連のウクライナ危機を「ベルリンの壁崩壊以降、最大の脅威である」と評していることからもうかがえるとおり、EUは同国における一連の問題に対して重大な懸念を抱いている。ウクライナはEU加盟国と国境を接しており、EUにとって同国の安定化は、EU自らの平和と安定と切っても切り離せない。このためEUは、ウクライナをEUの近隣諸国のなかでも最重要と見なし、長年にわたって同国に対する関与を続けてきたし、今回の危機に際しても仲介や調停を試みてきた。

 

しかし同時に、EU・ウクライナ関係の構築や、それがEU・ロシア関係に与える影響等をめぐってはEU内部でも見解が分かれており、今回の件に対するEUの果たしうる役割を疑問視する声もある。また今回のウクライナの混乱は、EUの同地域への関与のありかたを根本的に問い直す契機ともなる可能性がある。

 

そこで本稿では、EUとウクライナの関係およびEUの対ウクライナ政策に焦点を当ててみたい。具体的には、これまでEUがどのようにウクライナに対する関与を行ってきたのかを振り返ったうえで、今回の危機に対するEUの対応について考察してゆくこととする。

 

ここでの主な議論は以下のとおりである。冷戦後のEUの拡大とともに、EUのウクライナへの関心は徐々に高まりを見せ、EUが展開してきた近隣諸国政策において、ウクライナは常に中心的な地位を占めていた。しかしこの一方で、EUの対ウクライナ政策は金額的にも内容的にも十分ではなく、また必ずしも同国のニーズに合致するものではなかったという問題を抱えていた。今後、EUがウクライナ危機に対して建設的な貢献をなしうるか否かは、いかにウクライナの現状に即した支援を実施していくのか、ポロシェンコ新政権と親ロシア派勢力との和平協議の実施をいかに推進するか、そして、EU内部でのロシアに対する立場の違いをいかに乗り越えつつ、ロシアとの間で地に足のついた対話を進めていくかにかかっている。

 

 

EU・ウクライナ関係の軌跡

 

EUとウクライナとの関係は、1998年に発効したパートナーシップ協力協定(PCA)を出発点としていた。PCAは旧ソ連諸国とEUとの間で締結された協定で、ウクライナ以外にはアルメニア、アゼルバイジャン、グルジア、モルドヴァとの間で締結されていた。

 

ところがこの協定は、冷戦終焉後にポーランドやハンガリーなどの中・東欧諸国との間で次々に締結されてきた連合協定(いわゆる「欧州協定」)と比べ、著しく限定的な内容となっていた。このためウクライナの歴代政権はEUに対し、PCAよりも踏み込んだ関係を構築するよう、繰り返し要求していた。これに対してEUは、ウクライナはまずはPCAの内容を着実に実行に移すべきであると応じ、同国との関係強化には長らく積極的な姿勢を見せていなかった。

 

EUの消極的な姿勢の背景には、同国の様々な問題に対するEU諸国の警戒があった。ウクライナをはじめとした旧ソ連諸国は長らく、不法移民や麻薬、組織犯罪や環境汚染の輸出元と見なされてきた。したがってEUとしても、ウクライナを積極的にヨーロッパに取り込むよりも、同国から発生する不安定要素がEU域内に流れ込むのをいかに防いでいくかという点により強い関心を抱いて来たのである。

 

しかしEUは2000年代に入ると、それまでの消極姿勢を脱し、ウクライナとの関係構築に積極的な姿勢を見せるようになる。それは三つの重要な転機を背景としていた。

 

第一の転機は、ハンガリーやポーランドなどをはじめとした中・東欧の10カ国のEU加盟交渉が1998年以降順次開始され、2004年および2007年にはEUへの加盟を果たしたことである(いわゆる「東方拡大」)。この拡大によってウクライナは、新規加盟国のポーランド、スロバキア、ハンガリー、ルーマニアと国境を接することになり、まさにEUの境界線に位置することになった。

 

こうした新規EU加盟国にとっては、ウクライナを安定化し、同国との良好な政治・経済関係を維持していくことは最重要課題であった。このためこの東方拡大と前後して、旧ソ連諸国向けの政策の検討がEU内部で始まり、2003年の「欧州近隣諸国政策(ENP)」として結実した。このENPは、当面はEU拡大の対象とはならないような、EU周辺諸国(当初はウクライナやモルドヴァ、グルジアなどの旧ソ連諸国だけが対象とされる予定であったが、のちにモロッコなどの地中海諸国もこの枠組みに加わった)との関係強化をはかるというものであった。また、2003年末に発表された「欧州安全保障戦略」においても、ウクライナを中心としたヨーロッパの近隣諸国の安定が、自らの安全保障に直接かかわる問題であるとの認識がはっきりと示された。

 

第二の転機は2004年の「オレンジ革命」であった。「親欧的」なユーシェンコ政権の成立はEUでも大いに歓迎され、ウクライナとEUとの関係を一段と強化することが新政権を支援する最良の方法であるという認識がEU内部に広まった。しかしその一方、ユーシェンコ政権がEUへの加盟希望も頻繁に表明するようになったことは、EUにとって悩ましい問題でもあった。当時進行中であった中・東欧への拡大で、すでに「拡大疲れ」が顕著であったEUにとって、ウクライナの加盟を検討する余力は残されていなかったのである。このためEUは苦肉の策として、ウクライナのEU加盟問題は当面検討しないことを明言しつつ、ウクライナの長年の要望に応えるかたちで、前述のPCAの後継となるような新たな連合協定交渉の開始に向けて動き出したのであった。

 

第三の転機は2008年のグルジア紛争であった。ENPの対象国であったグルジアがロシアと武力衝突に至ったという事態は、ヨーロッパ近隣諸国の安定と平和の実現を最大の目標として掲げてきたENPの存在意義をも揺るがすことになった。さらに、グルジアの次にはウクライナがロシアの攻撃対象となるかもしれないとする危機感も、EUの一部で存在していたともいわれている[*1]。こういった背景のもと、スウェーデンとポーランドが旗振り役となって、ENPにすでに参加している旧ソ連諸国との関係構築に焦点を絞った「東方パートナーシップ(EaP)」(2008年に基本合意)の構築が加速されることになった。このEaPはENPを補完するものとして位置づけられ、EUと対象国間で様々な協力を行うと同時に、対象国をEUのガバナンス基準に近付けるための支援を行うことになった。

 

[*1] たとえば当時の拡大担当欧州委員であったオッリ・レーン(Oli Rehn)は、グルジア紛争勃発直後にそういった認識を示していた。 ‘L’ombre russe sur la sommet UE-Ukraine’, L’express, 9 septembre 2008.

 

前述のEU・ウクライナ連合協定はこのEaPの枠内で扱われることになり、2008年に交渉が開始された。新しい連合協定は「政治対話と外交・安保政策」、「司法・自由・安保」、「経済・部門協力」、そして「深く包括的な自由貿易協定(DCFTA)」という、4つの柱で構成された。このDCFTAは連合協定の一部ではあるものの、連合協定とは別途交渉を行って締結されるものである(EUの公式文書を見ると、ウクライナとの自由貿易に関する取り決めが「DCFTAを含む連合協定」という、若干長々しい名称となっているのはこのためである)。通常の自由貿易協定の要素に加えて、対象諸国の通商関連法制をEU基準やEU法の体系(EUの用語でアキ・コミュノテールと言われる)に近付けるための支援措置が含まれているのが、DCFTAの特徴の一つである。

 

 

 

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