EUとウクライナ危機――解決に向けた手探り

EUの対ウクライナ政策とその問題点

 

EUの対ウクライナ政策は、上記の三つの転機に後押しされる形で比較的順調に発展してきた。地政学的にもエネルギー安全保障の観点からも、ウクライナがEUの近隣諸国政策の最も重要な対象となるという点については、EUでほぼコンセンサスが形成されていた。またポーランドをはじめとした中・東欧諸国に加え、フィンランドやスウェーデン、ウクライナと同じく旧ソ連諸国であったバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)などが、ウクライナとの関係構築に非常に意欲的な姿勢を見せていたことも追い風となった。

 

ただし、ドイツやオランダ、ベルギーなどのEU加盟国は、この問題に消極的な姿勢を見せていた。これらの諸国は、ウクライナとの関係構築を急げば、結果的に同国のEU加盟問題にも踏み込まなければならなくなる恐れがあるとみていた。さらに、EUがウクライナに対して将来的な加盟の可能性を提示すれば、ロシアを刺激することになりかねず、ひいてはEU・ロシア経済関係に悪影響を及ぼしかねない懸念も根強かった。

 

とはいえEU全体としては、ウクライナとの関係構築の長期目標を「EUとの経済的統合と政治的連合」と設定することで、同国の加盟は当面は想定し得ないという方針を貫いていた。そしてこうした状況に対し、ウクライナ政府が特段の不満を表明することもなかった。2010年にヤヌコヴィチが大統領に就任した際には、親ロシア派の大統領の登場を警戒する声がEU内部でも上がったが、当時のヤヌコヴィチは連合協定交渉を継続することを約束していた。

 

しかし、一見スムーズに策定・実行されていたかのように見えるEUの対ウクライナ政策は、実際には少なからぬ問題を孕んでいた。それはなんといっても、ENPおよびEaPの枠組みで実施されるEUの対ウクライナ支援が、金額的にも十分なものとはいえなかったうえ、内容的にもウクライナが長らく抱えていた問題に深く切り込むには至らなかったという点に尽きる。

 

EUが毎年公表するウクライナに関する年次報告書では、同国の財政状況や産業構造、腐敗や汚職等の諸問題に対するきめ細かい指摘が見られ、EUが同国の抱える問題を一定程度正確に把握していたことがうかがえる。しかし、EUが実際に多くのエネルギーを注いだのは、ティモシェンコ元首相の釈放等に代表される人権問題であった。人権問題への取り組みは、確かにEU外交の極めて重要な要素ではあるものの、ティモシェンコ問題への執着がEUの対ウクライナ政策を、バランスを欠いたものとした側面は否定できない。またそもそもEUは自らの金融危機の影響で、対外支援に多くの資金を費やすことができる状況にはなかった。

 

もちろん改革の成否の責任は第一義的にはウクライナ国内の当事者たちにあることはいうまでもないが、ENPの開始から10年以上、さらにENPを補完するEaPの開始から5年以上が経過してもなお、同国の改革がほとんど成果を見せるに至らなかったことは、EUの対ウクライナ関与の限界と問題点を浮き彫りにするものでもあった[*2]。危機勃発後の2014年3月27日に欧州委員会が公表した報告書(「ウクライナにおけるENPの実施:2013年の進捗と行動に向けての勧告」)では、同国の改革に対し、「経済パフォーマンスが貧弱」、「ビジネス環境がお粗末」などの厳しい文言が連ねられていたが、それは裏を返せば、EUによる対ウクライナ政策が限定的な成果しか出すことが出来ていなかったことの証左に他ならない。

 

[*2] 以下の論考では、ウクライナの窮状に最も即した支援を行ってきたのは、米国でもEUでもなく(その善し悪しはともかくとして)ロシアであったことが、詳細な事例とともに説得的に示されている。蓮見雄『誰がウクライナを救うのか?――経済面から冷戦後最大の東西危機を解剖』(時事通信社 e-world Web新書)、2014年3月26日。

 

さらに言えば、EUの対ウクライナ政策が十分ではなかったことの背景の一つとして、連合協定締結のプロセスそのものが対象国の改革を促進してきたという側面を、EUが過信してしまったという側面も否定できない。というのも、これまで中・東欧諸国や旧ユーゴ諸国との関係構築において、連合協定はそれ自体でひとつのハイライトであったという経緯があるからである。

 

EUへの接近を希望する国々は同協定の締結を強く求め、その交渉・締結・署名に至るプロセスと並行して強力に国内改革を推し進めてきた。域外国にとって連合協定そのものが強力なインセンティブとして機能した例を何度も目の当たりにしてきたEUが、ウクライナに対しても同様の期待を抱いたとしても不思議はない。

 

たしかに一口に連合協定といっても、対象国からの強力な加盟希望に対する一種の妥協策として提示された例(中東欧諸国)、EU自らが積極的に提示した加盟展望を具体化するための手段として用いられた例(旧ユーゴ諸国)、そして加盟の可能性は否定しながらも、関係強化の一手段(あるいは象徴)として用いられた例(ウクライナをはじめとしたEaP対象諸国)といったように、その内実は様々であった。しかし同時に、いわゆる連合協定締結の過程で要求される各種の改革を対象国が着実に実行に移していけば、それが結果的にEUとの関係強化につながるという共通点も存在していた。しかしウクライナの状況は、連合協定締結プロセスによる予定調和的な改革を期待するには、あまりに多くの問題を抱え過ぎていたのである。

 

このようにしてEUの対ウクライナ政策による支援は、同国を重要視してゆくとのEUの方針には沿いつつも、実際には同国の根本的な改革をけん引するに至らなかったという矛盾を抱えていた。こうした状況の中、不安定な政治経済状況に対するウクライナ国内の不満は次第に蓄積され、2013年以来の危機を迎えていくのである。

 

 

ウクライナの混乱とEU

 

DCFTAを含む連合協定交渉は紆余曲折を経ながらも進展し、2012年には仮署名にこぎつけていたが、ヤヌコヴィッチ大統領は2013年11月21日、連合協定への署名プロセスの一時停止を決定した。国家安全保障上の関心と、ロシアおよびCIS諸国との「失われた貿易」を立て直すためということがその理由であった。

 

その数ヶ月前の同年6月に実施されていたEU・ウクライナ協力理事会では、ウクライナ側は連合協定の早期締結に向けての意欲を示していたため、EUはヤヌコヴィッチ大統領の決定を衝撃を持って受け止めた。EUは11月28-29日にリトアニアのヴィルニュスで開催されたEaP首脳会議の場で、ヤヌコヴィッチ大統領に対し、連合協定の署名を進めるよう要求する。同大統領はこれに対し、連合協定を署名する意図があることは再確認したが、その時期を明確化することはなく、同会合でのウクライナとEUとの交渉は決裂した。

 

この時期から「ユーロマイダン」をはじめとしたウクライナ国内の「親EU派」の抗議活動が激化する。EUは2014年2月21日、ヤヌコヴィッチ大統領と反対勢力が政治危機を脱するための合意に達するよう仲介を行ったが、翌22日にはヤヌコヴィッチ大統領が国外逃亡し、議会が大統領を解任するという事態に至った。23日には、政党「祖国」の幹部であったヤツェニュクを新首相とする暫定内閣が成立した。さらに、クリミア自治共和国が徐々に武装勢力に占拠され、3月16日の「住民投票」を経て、同18日にはロシアとクリミア共和国およびセバストポル市との間でロシアとの編入条約が署名された。

 

この一連の出来事に対し、EUは主に以下の3つの行動を持って対処しようとした。第一に、ロシアによるクリミア編入に対する非難および各種の制裁措置である。EUは、3月18日のファンロンパイ欧州理事会議長とバローゾ欧州委員長の声明、および3月20―21日の欧州理事会での声明において、クリミアにおける違法かつ正当性のない住民投票も、その結果も承認しないこと、ウクライナの主権、領土的一体性と独立は尊重されなければならないこと、ロシアのクリミア編入は承認せず、今後も承認しないこと等を表明した。

 

これに加え、「ウクライナの領土保全、主権および独立を傷つけ、脅かす行動」をとった人物に対し、資金凍結(2014年3月より順次開始、7月1日現在で61名および2企業が対象)や渡航禁止等の措置を発動した。さらに同欧州理事会では、当初6月3日にソチで開催が予定されていたEU・ロシア首脳会議もキャンセルとし、EU加盟国とロシアとの間の二国間の首脳級会合も当面取りやめることを決定した。

 

第二に、ジュネーブ共同宣言の策定への参画である。ロシア、ウクライナ、米国、EUは、ウクライナ情勢の打開を目指して2014年4月17日に7時間にもわたる外相級協議を行い、同宣言を打ち出した。同宣言では、すべての当事者があらゆる暴力や挑発を避けること、違法な集団を武装解除し、違法に占拠した建物などは正当な所有者に返還することなどを取り決めた。しかし武装解除の範囲や解釈をめぐっては米ロ間の認識に乖離が存在したうえ、ウクライナ暫定政権による親露派強制排除は継続され、同宣言は短期間のうちに形骸化した。

 

第三に、ウクライナに対する財政支援と連合協定の内容の前倒し実施である。EUはロシアによるクリミア編入と前後して、ウクライナに対する関税を一時的に撤廃しつつ、ウクライナ暫定政権との間で連合協定の政治協力関連部分の署名を実施した。またDCFTAに関しても、5月25日の大統領選挙を経て成立する政権にDCFTA部分に関する決定をゆだねるとの暫定政権の意向を受け入れつつ、大統領選実施以前から暫定政権側との間でDCFTA早期署名に向けた実質的な準備を進めた。ポロシェンコ新大統領は就任直後、同国議会での演説で「私は(連合協定署名のための)ペンをすでにこの手に握っている」と語り、EUとウクライナは6月27-28日の欧州理事会の際に、DCFTAを含む連合協定に正式に署名した。

 

なお、ウクライナ情勢への対応は日本とEUとの対話においても重要なテーマとなっており、安部総理大臣のブリュッセル訪問の際に行われた2014年6月7日の日・EU首脳会談の際にも、ウクライナ問題が協議された。ここでは、日本とEUがウクライナ問題に連携して対応することを確認し、ロシアに対して状況悪化を回避するよう要請している。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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