今ある秩序をこえるために――文学の時代錯誤と試行錯誤

わざわざ大学まで行って日本文学を勉強する意味はあるのか!?――これは小説や言葉が好きな人でも躊躇することではないでしょうか。しかし日本近代文学という、比較的アプローチしやすい分野を通すことで見えるものが数多くあります。「田舎から出たい……!」という自身のきっかけから東日本大震災まで、文学を通して見つめてきた位田先生にお話を聞きました。(聞き手・構成/住本麻子)

 

 

きっかけは「時代錯誤」

 

――位田先生のご専門を教えてください。

 

専門は日本近代文学です。横光利一という、1920年代から40年代にかけて活躍した作家を中心に研究しています。教科書などで『蠅』という作品を読んだことのある高校生も多いかもしれません。

 

 

――高校生のころから日本文学に興味があったんですか?

 

教科書で小説を読む程度でした。大学の学部時代は商学部にいましたし、日本文学を専攻したのは大学院からです。

 

 

横光利一

横光利一

 

 

――なぜ商学部から文学へ変更したのでしょうか?

 

ぼくは三重県の「村」出身で、ちょっと「時代錯誤」なところがありました。「勉強して東京に出たら、田舎で住んでいるよりも面白いことがあるのかな」って思っていたんです。勉強ができると、田舎のヒエラルキーをとびこえられるんじゃないかと。ちなみに、ぼくは親族で初めて大学に行った人間でした。

 

で、商学部に入って……当然のことながら夢をくだかれる。「あ、こんなもんかぁ」って(笑)。そこで憂さばらしに、大学図書館で夏目漱石とか明治時代の小説を読むと、主人公が「故郷」から東京に出てくる人ばっかりなんですね。すると自分と小説の主人公を重ねちゃう。

 

そのときに商学部を卒業してそのまま就職するよりも、「故郷」から脱出して来た者として、文学の勉強を続けてみて、本を読んで世界を広げてみたら、その先にもうちょっと面白いことがあるのかなぁ、と思ったんです。まぁこれも「時代錯誤」ですよね。

 

 

――近代以降の文学を勉強するということと、中世や近世などの古典を勉強することの違いは何でしょうか?

 

それは正直にいっちゃえば、読みやすさじゃないでしょうか。中学・高校の「古文」を思い浮かべれば、わかると思います。そして、近代文学のほうが文献も手に入りやすく、いいことか悪いことかは別として、自由に作品解釈もできる傾向があると思います。古典文学は解釈学とか文献学に伝統がありますから、それに従う必要がある。でも近代は伝統が浅いぶん、ちょっと「いかがわしい」部分があるんですよね。

 

自分の発想と知識でトリッキーに作品を読みかえられる。いわゆる古典文学の研究でそれをやったら、研究が成立しないと思います。その意味で古典の方が、「学問」としてしっかりしてると思うけど、近代の「いかがわしさ」、つまり何をやってもいいというのが、結果的にぼくにとってはよかったのかなと思います。

 

ただ、これはぼくのパーソナリティに関わる問題であって、文学研究の一般論ではありません。近代文学を研究する場合も、厳密な文献調査は必要ですし、古典文学の知識は多少なりとも必要です。また近代文学研究者で古典文学に精通している方もいます。一応このことだけは、いっておきますね。

 

 

――「いかがわしさ」ですか!……しかし何をやってもいいというのは、具体的にはどういう意味ですか?

 

今と時代が近いぶん、現代の問題や価値観を問い直すような視点を研究に導入しやすいんだと思います。たとえば、ぼくが研究している1930年代って、今の政治の問題と関連させようと思えば可能、というかむしろ、大いに関係するでしょう。でもいきなり「寛永6年の問題と……」といわれても、ピンときませんよね (笑)。

 

――たしかにピンときませんね(笑)。

 

それに街角の本屋さんで見てもわかるように、近代文学の方が手に入りやすい書籍や資料が多い。また近代文学に関わった「関係者」も健在な方がまだまだいらっしゃるので、直接インタビューなどの取材もできます。

 

たとえば、ぼくの研究対象である横光利一は、1923年の「関東大震災」とほぼ同時に作家デビューするんです。そこを調べていくと、2011年の「東日本大震災」と比較して考えないといけない部分が出てきます。相対的な問題ですが、貞観(平安時代)の東北大地震よりも「関東大震災」の方が、まだ現代と関わる問題としてイメージしやすいと思います。

 

 

文学は社会とつながっている

 

――文学や小説は社会との問題とつながるんですね。

 

社会の問題と近代文学はつながりやすいと思います。さっき話した田舎のヒエラルキーをとびこえようとして東京に出てくるという人の動き、社会の動きは、近代文学の成立と結びつきやすかったわけですしね。

 

ちなみに、横光利一は『上海』(1928~31)っていう作品を書いているんだけど、ぼくの祖父も『上海』が書かれた数年後、1930年代半ばに「兵士」として上海に滞在していました。当時の祖父の日記が残っていて、上海に調査に行ったとき、ついでに祖父の足取りも追ってみましたが、ちゃんと追えましたよ。このように「戦争」を考える上でも、中国という国家の歴史を考える上でも、近代文学は時間的にまだ身近で、社会問題と結びつけやすいといえるでしょう。

 

 

ガーデンブリッジ1

上海・ガーデンブリッジ

 

 

――最初から、社会とのつながりがありそうだから、横光利一を選んだんですか?

 

いや、偶然です。最初に何を研究しようかなと思ったときに、渡された教科書のなかに横光利一が入っていたからというだけで。それまで横光利一のこと知らなくて、推理作家の横溝正史と混同していたくらいです(笑)。

 

 

――でも結果的にはよかった、ということでしょうか?

 

横光利一は、民主主義とか、教養で立身出世して行くとか、そういう近代国家をつくってきた知の基盤を問い直すような立場の人でした。そういう教養主義批判を含んでいたので、結果的にはよかったですね。教養主義というのは、学問や教養によって人間の人格を養い、自由や平等、民主主義を達成しようという側面を持っていました。「大正デモクラシー」って日本史で習うでしょう? あれも教養主義のひとつです。

 

でも、立身出世を目指して東京に出てくると「教養ってこんなもんか」と感じるわけです。そうすると教養に対する批判が出てくる。教養って思ったほど立派なもんじゃない、と思いはじめるんです。むしろ教養が自由や平等のじゃまになってないか? とかね。横光利一もそういう教養に満足できず、文学の「新感覚」を求めた人でした。

 

 

――今まで聞いていて、近代文学とご自分の体験と重なってる部分もあるのかなと思いました。

 

重ねたいんでしょうね。ぼく自身の体験と近代文学の歴史が触れあってると思いたい。今話したような「物語」にして、自分は文学と触れ合ってると実感したいのかもしれません。自分が文学を勉強する意義はあるんだ、と。でも本当は、こういう都合のいい「物語」を、文学って批判しなきゃいけないんだと思います。当たり障りのない、安心できる「物語」にしていこうとする、そのこと自体を。

 

つまり、教養がどんどん広がっていって、そういった「物語」をつくろうとしていく――「みんな平等だ」とか、「世のなか民主主義だ」とかね――このこと自体を批判しなきゃいけないわけです。平等とか民主主義というものは、現実社会では決して安定して存在していません。でも、誰もが安定して存在していると思いたいわけですよ。そのとき、ぼくらは安心するために、安易で都合のいい「物語」をつくってしまう。文学はそういう「物語」を批判する必要があると思います。

 

 

言葉を通して世界を考える

 

――しかし小説ってそもそも、つくりモノなわけですよね。社会自体を研究するのではなくて、わざわざフィクションを通して考える必要はあるんでしょうか? もっと直接的に社会と関わるやり方もあるのでは?

 

難しい質問ですね……。でも今いった、「文学は直接的に社会に関わらない」という判断や、よく世間でいわれる「文学は実学ではない」という判断も、文学に対する先入観です。

 

どうしてもぼくらは、自分たちが生きている期間、10年や20年の短い期間の常識のなかで考えてしまいます。「人文科学は直接金にならないから、いらない」とか「ips細胞はすぐに利用できそうだから、お金を注ぎこもう」という話によくなりますよね。

 

ですが、文学はそのような先入観や判断基準そのものを問い直す、考え直すことのできる学問だと思っています。それらを問い直すことって、社会に対して言葉で向き合うことだと思うんですよね。それはフィクションによって社会を理解するということでもある。

 

文学って時代錯誤的、あるいは試行錯誤的なものだとぼくは思います。文学はフィクションによって仮想的(ヴァーチャル)に世界をつくっているものだから、その世界のなかでなら、どんな試行錯誤だって実験だってできます。その試行錯誤のなかに、いつ役に立つのかわからないけど、10年や20年程度の短いスパンで考えられているような判断基準や価値観を、こえていく可能性があると思うんです。そのぶん、「今」や「現代」の価値観からだけ見ちゃうと、文学は時代錯誤に見えるでしょうね(笑)。【次ページにつづく】

 

 

 

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