英語は「地味」だから居心地がいい――英米文学の味わい方を知る

学部選択に悩む高校生に専門分野を解説!人気コーナー「高校生のための教養入門」。今回は英米文学です。英語は地味な学問? 「詩」の定義ってなに? 高校生が英文学の小説を読むなら19世紀? 英文学の味わい方のあれやこれやを阿部公彦先生にお話を伺いました。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

◇英語は「地味」?

 

――先生はどういう高校生でしたか。

 

まったく地味な生徒でした。ぼくの学校は静岡にある中高一貫の男子校。宣教師のカナダ人がつくった学校でした。いわゆる「ネイティブ」の先生が多く、英語も中学のときから週に8時間くらいあって、LL教室やらタイプ教室までありました。ただ、カナダ人とは言ってもみなさんフランス系カナダ人だったので、英語は強烈な「フランス弁」。また学校は山の上にあり、しかもぼくは寮に入っていたので、山の下のいわゆる「下界」からは完全に隔離されていました。

 

まわりにあるのは茶畑とみかん畑ばかりで、寮生はそのあたりを走り回ってお茶とみかんの葉っぱにまみれる日常でした。当時はプロレスの流行期で、高校生になっても、廊下ですれちがうときはかならずお互いに「アッパー」とか言いながらチョップをするか、ウエスタンラリアートをする、というのが慣例だったのを覚えています。実に牧歌的というか、はっきり言って田舎臭ぷんぷんでした。

 

他方、学校全体で見ると、医者や自営業者の子弟が多く、そういう子たちは生活も派手で、静岡雙葉とか東洋英和といった地元女子校の生徒とよく遊んでいました。ぼくはまったく縁がなかったので、そういう話を「すごいですねー」と聞いているだけでしたが(笑)。不良でもないし、優等生でもない。少なくとも中学までは先生にもとくにかわいがられた記憶はなく、特定の先生と仲良くなるということもありませんでした。

 

そのせいもあるかもしれませんが、その頃から一人で「いいこと思いついた帳」みたいなのをつけていました。今でもこれはつづけています。なんか発明に結びつきそうだとか、これはいいアイデアだと思ったらメモするのです。発明の方はただのひとつも完成させたものはありません。たとえば、全自動麻雀卓を応用した、球拾いをしなくていい全自動テニスコートとか。

 

で、自分の子どもにも小さい頃から「いいことを思いついたら、『いいこと思いついた帳』にメモしなさい」と言ってきたんですが、まあ、実行はされていないようですね。ノートだけはありますが。

 

そんな中、高校1年生の時に、ある英語の先生が赴任してきました。まだ20代の若い先生だったのですが、やる気満々で、放課後にシェイクスピアの『マクベス』を原文で読むなんて読書会をはじめたりして、ぼくもそれに参加しました。英語のテスト問題が、イギリスの詩人ジョン・キーツの手紙からの引用だったこともあります。

 

ハイレベルというか、ペダンティックだと思った人もいるようですが、おかげで先生には文学から言語学から人類学に至るまでいろんな本を紹介してもらいました。読んでもちんぷんかんぷんだったものも多いのですが、アカデミックな空気を先生のおかげで吸うことができました。

 

 

――英文学の道に進むのはそのときの読書体験がきっかけだったのですか?

 

そうです。もうひとつのきっかけは、まだ専門に分かれる前の教養学部時代、一年生のときの授業です。英文学者の由良君美先生のゼミに入ったのですが、そこでは先生は英文学なんて領域ははなから相手にしてなくて、哲学でも社会学でも心理学でも、なんでもやれという雰囲気でした。来てる学生もやたらとんがっていて、デリダとかフーコーとかエリアーデとか当然でしょ?みたいな顔をしている。

 

静岡の山の上でお茶とみかんの葉っぱにまみれてウエスタンラリアートとかやっていたぼくとはちがって、このひとたちは高校生のころから、ドゥルーズとかラカンとか読んでたんだなあ、としみじみ思いました。

 

なので、はじめはとても同じ大学生とは思えない、という気分でしたが、ゼミのあとにほかの参加者と喫茶店に寄って話をしたりしているうちに、自分でもやれそうなこと、言えそうなことがだんだん見えてきました。まあ、当然ですが、若者というのは背伸びをしたり、はったりをかましたりする。都会風の華やかな人たちも、よく見るとみんなけっこう無理しているのがだんだんわかってきました。

 

ぼくはどっちみちはったりをかますのはうまくないので、むしろ思い切り地味路線でいこうと決めました。こつこつと自分なりに考えたこと、自分の実感として納得できること、その過程で「思いついたこと」で勝負しようと思ったわけです。

 

これは今の若い人にも言いたいですが、どうしても頭がいい人は勉強して身につけた「概念」に飛びつきがちです。そのほうが派手に見えるし、かっこいい。私の世代でも文学研究をはじめるときに「理論」へとどっぷりとつかった方々がけっこうおられますが、中には議論のための議論ばかりしているように見える人もいる。等身大の話題にときどき戻って「概念」を振り出しに戻さないと、内容と理屈が乖離した空論に陥る危険がある。

 

これは60年代、70年代の政治青年たちの議論についても言えることだし、今の政治をめぐる発言についてもあてはまるでしょう。勉強は勉強でどんどん進めたほうがいいですが、「では、自分の今いる地点からは何が言えるのだろう?」という地味な疑問にときどき戻りたいです。

 

 

――「地味路線」ということですが、英文学は「地味」なのでしょうか。

 

少なくとも三年生になって本郷に進学したときに出会った先生は、地味さ丸出しでした。実名を出して恐縮ですが、平石貴樹先生などは授業ではやたら威張っていて怖かったし、経歴もすごいのですが、うちに抱えた地味臭がすごくて、ああ、こういう先生は信用できるなと思ったわけです。つい最近まで同僚だった高橋和久先生もそうです。

 

本郷の英文科の先生は、だいたいそういう地味臭がぷんぷんと漂っていました。だからはったりをかまさなくてもいい。ほんとうだと思っていないこと、信じていないことを、無理して言わなくてもいい空気があった。ぼくにとってはとても居心地がよかったです。

 

そもそもイギリス文化にはそういうところがあります。悪くすると現実主義的すぎて、あまりに理想や観念への憧れが少ないとも言えるのですが、ともかく地に足がついたものしか信用しない。英文学の作家たちにしても、そういう作家たちを研究する学者たちにしても、派手で立派な大風呂敷にはすぐ鼻白んで「ふふん」と皮肉っぽく笑ったりします。

 

とはいえ、そこにはひがみが混じっているかもしれないことは否定できません。たとえば、フランス文学の方はみなさんかっこいい。身だしなみも言うことも生き方もスタイリッシュです。英語系はまじめで、事務仕事はそつなくこなすけど、面白味がない。だから、大学でも英語の先生は数は多いのに、いつもフランス系の先生方に言いくるめられることが多いようです。何しろフランス系は弁が立つから。総長になったり文学賞をもらったりするのも、結局、仏文の人なんです。

 

そういえば夏目漱石だって、小説家になる前はけっこうまじめに英語教師をしていました。若いころの作文をみると、英語教育について官僚のような企画書まで書いている。中学の英語の先生をどう採用していくかなど提案しているのです。そういう地道なことをできてしまうのが英文学の人なんですね。小林秀雄がフランス語の先生の待遇について企画書を書くなんて、想像もできません。

 

大学でつくるカリキュラムも、英文科の先生は泥臭くマジメに作りがちです。たぶんそれは、英文学のもとにあるイングランドの文化とつながってくるのだと思います。

 

 

――イングランドの文化にはどのような特徴があるのでしょうか?

 

イングランドは、どんな人が入ってきても機能するようなシステムをつくるのがうまいです。たとえば、イングランド発祥のスポーツを上げればきりがありません。サッカー、ラグビー、野球、ゴルフ、競馬、卓球、クリケット……世界中で多く普及しています。

 

言葉を普及させるのもうまかった。英語なんて例外が多くてマスターするのがすごくたいへんな言語なのに、しぶとく流通させた。数から言えば、スペイン語や中国語だってかなり重要ですが、当分は英語の覇権がつづきそうです。金融システムや、外交の枠組み、下手すると戦争のやり方だって、アングロサクソン主導です。要するに、異分子を取り込むのがうまいのだと思います。敵対するものをもうちに引き入れてしまう。

 

もちろんそこには批判もあるでしょう。でも、イングランド流の議会政治の持つ効能は認めないわけにはいきません。今の英国をみても、極端にいかずに、現実的にバランスを取ろうとする面が強いです。極端な思想や、華やかすぎるものにはだまされない。そして、泥臭い議論を、ああでもない、こうでもない、といつまでも続ける忍耐力がある。

 

かつてヒトラーが強権を発動してあっという間にアウトバーンのような立派な高速道路を作ったりしたのとは対照的に、イギリスの公共事業などは延々と議論ばかりしていて、なかなか完成に至らないことが多いようですが、これも仕方のないことかもしれません。

 

たとえば、Oxford English Dictionary (OED)と呼ばれる辞書があります。これはイギリス文化の一つの象徴です。英語で出た単語をすべて載せようという野心を持った辞書です。しかもすごいのは、それぞれの単語がいつ頃最初に使われたのかを、用例とともに示してある。19世紀半ばに企画が開始され、12冊プラス補遺という形でまとまった版が出たのは20世紀に入ってからです。1989年には改版されましたが、このときはなんと20冊にふくれあがっています。

 

 

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Oxford English Dictionary by mrpolyonymous

 

 

あまりに膨大なので、今でも民間のボランティアも募りながら少しずつ書き足しています。辞書の記述に誤りがあると、それを見つけて知らせることを趣味としている人がいるのです。「この単語、もっと前に初出があるよ!」みたいに。

 

このOED、今はデータベースになっていますが、ぼくたちのころは本として買うのが英文学をめざす大学院生の義務でした。古本屋で10万円くらい出せば、20冊揃えることができました。

 

 

――辞書だけで20冊!?

 

Aだけで1冊みたいな世界です。だから普通の辞書のようには使えません。たとえばdesignという単語を引くと初めに出てきたのが何年で、その後こんなふうに意味がかわりましたよ、と用例とともに記述してある。単に意味を調べるだけなら、かえって不便です。

 

でも、17世紀とか18世紀の本を読むとき、designの意味が今と違うかもしれないなんて思ったら、この辞書を引きます。そうすると、たしかに今とはちょっと違う意味が出てきたりするのです。そもそも、こんな辞書がありうる、作れる、と考えたことがすごいと思います。相当な執念と忍耐力です。

 

『種の起源』を書いたダーウィンもイギリス出身で、こつこつと採取した生き物を観察しながら、「進化論」につながる大きな議論を組み立てました。英語に惹かれる英文学者は、このようなイングランドの文化に惹かれ、知識を地道に積み上げることが好きだったり、得意だったりするのかもしれませんね。

 

 

「詩」ってなんだろう?

 

――先生は英米文学、とくに英米詩がご専門とのことですが、英米詩を学ぶとどのようなことがわかるのでしょうか。

 

英文学の研究は詩の研究からはじまりました。というのも、そもそも現代の文学批評そのものが、詩をどう読むか考えることからはじまったからです。

 

詩はかつては、言葉を伝える装置として大きな力を持っていました。共同体の拘束力が強かった時代には、詩の「型」がそのまま威力につながったのです。社会のルールの縛りが強いと、コミュニケーションのルールも明確であることが求められたのです。そういう意味では、詩は人間の持つ原始的な集団性とつながっていると言えます。

 

また、それに加えて、印刷術など情報を記録する技術がいろいろ発達する前は、詩という「入れ物」が記憶を助けるという役割もありました。

 

でも、現代に近づくにつれ、人は昔のように詩とはつきあえなくなってしまった。かつてのような形でごくミクロな社会にがんじがらめに縛られるということはなくなり、コミュニケーションのコードも多様になった。詩は、本来「型」の拘束のおかげで威力を発揮するものでしたから、「型」の拘束が弱まると、そういうものを体験するための私たちの用意がなくなってくる。それで詩が読めなくなってくるわけです。

 

これは、一面では、詩が必要なくなったということです。共同体の拘束力が弱まり、「個人」なるものが生まれて、集団で行動するより、個人で行動したり発言したりすることが求められるようになった。

 

また、記録のために詩の型に頼る必要もなくなった。近代社会は、少なくとも表向きは祭儀のようなものから距離をとって世俗化していくので、型に縛られたしゃちこばった儀式性がわずらわしさとしか思えなくなってしまう。その結果、詩は「?」というものになる。謎めいて神秘的なものとしか見えないのです。詩が持つさまざまな約束ごとも、単なるコミュニケーション不全のあらわれと見えてしまう。

 

実際、いまのぼくたちも詩って読みませんよね。書く人はいるし、無理やり学校では読まされますが、大人になって趣味で読んでいる人はかなり少ない。現代という時代が、詩の文化を失いつつあるのはまちがいないです。19世紀のおわりにもすでにそうした危機は感じられていました。とりわけそれは、社会が個人の感情表現をどう処理するかという問題として感じられていました。そんな状況で、20世紀になると、感情表現を理知的な言葉でほぐして整理し理解するという形で批評のことばが生まれたわけです。

 

詩は普通の言葉に比べると曖昧です。だからこそ、分析しがいがあった。いろいろ解釈をしてみると、言葉を分析することがかなり創造的な作業だと示す人がイギリスから出て、その後も詩を読み解く方法が洗練されていきます。さらに、その方法は小説や社会現象にまで応用できるものと考えられるようになります。

 

 

――「詩」と呼ばれるものは世界中にあると思うのですが、どういうものが詩なのでしょうか? 専門家の間で決まっているものなのですか?

 

これは面白いところです。時代によって変わります。100年に1人くらい「これからは、こういう詩が書かれるべきだ」と定義する人があらわれるんですね。たとえば、17世紀の英国では心地の良いレトリックや言葉の響きで人々を楽しませながら教えをたれるものが詩であるとされました。つまり、「お説教する」という要素がけっこう強かったのです。

 

ところが18世紀、19世紀あたりから個人主義の時代になります。そうなると、自分の中の秘めた感情をあらわすものが詩であり、読者はそれに共感するものだとされるようになります。詩人は次第に「独特さ」を競い合うようになる。日本で今書かれている口語自由詩も、そのひとつの逢着点と言えます。

 

さっき言ったように、18、19世紀以前の詩はもっとパブリックなものでした。詩は詩人が自分の力だけで生み出すものではなかった。みんなでシェアされたルールのもと、天啓を受けた人が書いた。そのころは詩の女神がいて、詩を書かせてくれたわけです。昔の詩を読むと「おお、詩の女神よ」というようなことが書かれていて、いま読むと、変だなぁと思うかもかもしれませんが、昔はそれが決まり文句だった。

 

今でも、詩人は、詩は自分だけの力で書くものではないと分かっている。やっぱり何かが降りてくるわけです。でも、今だったら「神様」ではなく「無意識」と言うのかもしれません。とにかく、意識ではなく「よくわからないけど書けちゃった」方がうまくいくわけです。

 

20世紀になると形式さえ捨てるようになっていきます。そうすると、なにが詩なのか見た目でわかる境目がどんどん消えていく。こうしたことも、詩の衰退につながったのかもしれません。何しろ、「詩的なもの」を表現する時に、詩という形式をとる必要がなくなったわけですから。洋服だっていいし、食べ物でもいい。「詩的な料理の盛り付けだね」なんてことも言われたりする。

 

だから、今の時代、そもそも「詩的なもの」とは何であるのかが問われているのです。今でも「詩的だね」と言われると、普段詩を読まない人でもなんとなく納得しちゃう。でも、ふと考えてみると、この「詩的」とはいったい何なのか、ということです。【次ページにつづく】

 

 

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