紙切れや包装紙に詩を書いて――障害者の自己表現は自由でハッピーなのか?

「受け入れ難い」は大切

 

――荒井先生の研究の中で、影響を受けた方はいらっしゃいますか?

 

花田春兆さん(日本障害者協議会顧問)と、横田弘さん(日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会:1933-2013)ですかね。お二人とも有名な脳性マヒ者です。

 

花田さんはぼくの師匠ですが、俳人であり、作家であり、運動家でもあるという、様々な顔を持つ方です。

 

花田さんの出身校「光明学校」(現・東京都立光明特別支援学校)は、日本初の公立の肢体不自由児学校なんですけど、戦時中、空襲被害を避けるために「自主疎開」しているんです。

 

以前、Eテレが特番を組んだことがありますが(「戦闘配置されず~肢体不自由児たちの学童疎開~」2014年8月9日放送)、「学童疎開」って、当時の名目としては、将来の兵力や労働力を温存するために、子どもたちを空襲被害が少ない場所に「戦闘配置」するものなんです。

 

 

――疎開って危ないから子どもを「避難」させるものだと思っていました。

 

実態は「避難」でも、表向きは「戦闘配置」なんでしょう。だから、光明学校は「学童疎開」の対象にならなかったんです。露骨に言ってしまえば、兵力にも労働力にもなれない障害児を、わざわざ資材と人材を使って疎開させる必要なんかない、ということです。

 

光明学校は、職員の尽力でなんとか長野県に自力で疎開するんですけど、疎開先で軍部から校長先生に青酸カリが渡されたという話が残っています。確たる証拠があるエピソードではないらしいのですが、光明学校の疎開を経験した人たちの中ではまことしやかに伝わっていて、ぼくもそのうちのひとりから話を聞いたことがあります。そんなことがあってもまったく不思議じゃない空気感だった、ということでした。

 

実際、光明学校の先生たちは、障害児の教育に尽力しているという理由で「非国民」と批判されたそうです。「国家が大変なときに、役に立たない人間を手厚く扱うなんて許せない」ということだったようです。

 

ちなみに、花田さんって最強の天の邪鬼(あまのじゃく)なんですよ(笑)。「障害者にも文化・芸術の喜びを」という言葉が大嫌いなんです。花田さんはよく琵琶法師の話をします。いまふうの言い方をすれば「視覚障害者」の琵琶法師たちが、「平曲」(平家物語に節を付けて琵琶の伴奏で語るもの)を津々浦々に広めた。そのことで中世日本語の基盤が固まったんだと言われています。

 

つまり「花田春兆的歴史観」では、日本文化を1000年くらいのスパンで考えれば、文化・芸術を担ってきたのは障害者たちの方が中心だと。障害者が文化・芸術から切り離されたのは、たかだか近代に入ってからのことだし、そもそも障害者を文化・芸術から切り離したのは誰なんだ、というわけです。

 

 

――「そもそも俺たちがやってたのに、なに言ってるんだ」ということですね。横田弘さんは、お名前を聞いたことがあります。

 

横田さんは伝説の障害者運動家ですから、ご存じの方も多いんじゃないでしょうか。『障害者殺しの思想』という本や、原一男監督の『さようならCP』で有名な方です。横田さんは「福祉は思いやり」という発想が嫌いでしたね。もしも福祉が「思いやり」だとすると、社会状況が厳しくなってみんなが誰かのことを「思いやれない状況」になったら、まっさきに切りすてられるのは障害者です。

 

 

 

 

これも戦争体験が根っこにあるんだと思います。横田さんも「横浜大空襲」(1945年5月29日)で焼夷弾の雨を経験して、そのあと岩手県に疎開しています。あの社会状況のなかを障害者として生きた恐怖感みたいなものを、横田さんは肌感覚で知っていた。だから「思いやり」なんていうのは信じていませんでした。

 

1970年代は、障害者運動が最も熱く激しかった時代と言われますが、当時の運動を引っ張った障害者たちには、戦争中に辛い経験をしている人が多いんです。空襲で身内が全員亡くなっているとか、疎開先で凄惨ないじめに遭ったとか。花田春兆さんも徴兵検査を受けていて、そのときの悔しさや辛さを直接お聞きしたこともあります。当時の運動には、きっと、戦争体験が影響しているはずなんです。

 

横田さんたちの言動は過激でしたけど、その根っこにあるものを、きちんと掘り起こさないといけない。文学作品やアート作品だけでなく、「障害者運動」も障害者の「自己表現」の1つです。社会運動のような「人が生きようとして生み出す表現のエネルギー源」みたいなものにも、とても関心があります。

 

横田さんたちの運動はなんだったのか、いろいろな本が出ていますけど、なかには横田さんの主張をかなりまろやかに伝えているものがあります。でも、あの人たちが突きつけたことって、ぼくのように、一応身体がそれなりに動いて、「一般的な社会生活」をしている人間にとっては、もっと「受け入れがたい」ものを含んでいたんじゃないか。そこを「障害がある人も無い人も、同じ人間ですよね」といったような、誰も表面的には反対しないよう言い方でコーティングしてしまう人がいる。

 

ぼくが一番悩んだのは、横田さんの「日本国憲法」対する考え方でした。横田さんと憲法談義をした人間は、たぶん、そんなにいないと思います。横田さんは「憲法は健全者の権力者が作ったもので、障害者を守るものじゃない」と言い切られた。聞き間違いかと思って、何度か重ねてお聞きしましたけど、やっぱりそうおっしゃる。

 

確かに、憲法に「障害」という言葉はありません。でも、「幸福追求権」や「法の下の平等」や「基本的人権の尊重」という理念のおかげで、生きる希望をもった障害者や病者はたくさんいます。障害や病気の有無にかかわらず、ぼくたちが生きていくための拠り所です。でも、横田さんはそうおっしゃった。それが衝撃でした。横田さんの本意がどこにあったのか、いま書き下ろしで本を書いています(2017年1月頃、現代書館より刊行予定)。

 

 

――耳がいたいですね。ライターのような仕事をしていると、どうしても読者が受け入れやすいように、毒を抜いて書いてしまうんですよね。

 

でも、「受け入れ難い」って大事な感情なんですよ。自分はなぜこの人たちの主張を受け入れがたいのかって、考えないといけない。自分の価値観を問い直さなきゃいけない。そうじゃないと「自分に都合のいい相手」や「こちらが悩まなくても済む相手」だけを受け入れる、ということになってしまいます。

 

 

学際性とはなにか?

 

――障害者文化論は、障害者研究と文学との学際性のある学問ですよね。

 

「学際」って、最近あちこちで聞く言葉ですけど、たとえば文学研究畑のぼくが、自分の論文に社会学や歴史学の文献を引用すれば、それがすぐに「学際的研究」になる、というわけではないと思います。

 

ぼくなりの言い方をすると、「学際」というのは「現場を共有すること」だと思います。まずはひとつの学問の考え方やフォーマットを身体になじませる。その学問を意識して、「なにか問題が起きている現場」に立ってみる。そのとき、自分にはなにができて、なにができないのか、悩むことが大事です。

 

ぼくにとってはじめての「現場」はハンセン病療養所でした。国家賠償請求訴訟の直後だったので、医者だけじゃなく、政治家、弁護士、学者、ジャーナリスト、ボランティア、そういったいろいろな人たちが療養所に足を運んでいました。

 

そういった人たちに混じって「文学研究者である自分が言えることはなにか」を考えると、当然、言葉にできることも、言葉にできないことも、いろいろとあるわけです。自分が身につけた学問の常識では、言葉にできないことがたくさんある。その経験をもとに、自分のなかの「常識」を少しずつ変えていかなければならない。そのための試行錯誤が「学際」ということなんだと思います。

 

ぼくが最初に直面したのは、「文学研究とは、有名な作家、有名な作品を扱う研究である」という常識の壁です。社会の片隅でひっそりと暮らしていた、本名も生没年もわからない患者たちが書いた詩や小説を語る言葉がなかった。

 

療養所には、むかしの患者たちの文学作品が残っていました。みんな貧しかったので、原稿用紙なんて貴重品です。ただの紙切れとか、薬包紙とか、そういったものに詩や俳句なんかが書きつけられているんです。

 

でも、そういった文学作品は文学研究の論文にはなりにくい。目の前に「文学作品」があるのに、それを「研究対象」にできない「研究」ってなんなんだ!って、ずいぶんと悩みました。

 

 

――なんでも屋になるのではなく、「文学研究者」をより意識することが「学際」なのですね。

 

世界の成り立ちは、大学のなかにある講座の数より複雑です。だから、まずは一つの学問を学んでみて、それをすこしずつチューニングアップしていけばいい。ぼくは文学とかアートといった「表現」という観点から、障害者のことを考える自分なりの学問をつくりたいと思ったので、自分がトレーニングを受けた文学研究に手を加えて、「障害者文化論」というものを提案しているわけです。

 

 

――「障害者文化論」ってなんの役に立つの? と言われたとき、荒井さんはどう答えますか。

 

この社会には、自分のことを表現することが難しい人たちいて、それでも懸命に生みだされた表現がある。まずはそれを知るだけでも意味があると思います。苦しいときに表現できるすべがあること、苦しいときにも表現してきた人がいること、そういったことを知るだけでも、自分が生きていく上でのヒントになると思います。

 

それに「役に立つ」というのは、結構あやうい言葉だと思います。この社会が「弱い人」たちに対して冷たい社会だったとしたら、ぼくはその社会の「役に立ちたい」とは思いません。実際、戦時中には「役に立たない」とされた人たちが、ああいった境遇にあったわけですから。

 

むしろ、文学とかアートとかって、「役に立つ/役に立たない」といった価値観自体を揺さぶるものであるはずです。だから、高校生たちには、「役に立つか、役に立たないか」という表面的で短期的な観点で、「学びたい学問」の幅をせばめないでほしいと思います。

 

 

arai

 

 

高校生におすすめの5冊

 

 北條民雄(作家:1914-37年)は、19歳でハンセン病を発症して療養所に隔離収容され、24歳という若さで亡くなりました。代表作「いのちの初夜」は、北條が療養所に収容された日の衝撃的な体験をもとにした私小説的な中編作品です。人間は、受け入れがたい出来事(北條の場合は「ハンセン病の発病」)を、どのように受け容れていくのか。その葛藤の軌跡が描かれた重厚な一篇です。本作は「青空文庫」で読めます。オンデマンド版も販売されています。

 

 

 

戦後の障害者運動史で、重要で画期的な出来事(例えば「青い芝の会の結成」「障害者団体定期刊行物協会の発足」「国際障害者年(1981年)の取り組み」など)の裏では、この人がフル回転で動いていました。障害者運動の大物フィクサーです。本書は花田さんの半生記ですが、単なる「自伝」に留まりません。重度障害者にとって、「昭和」という時代や社会がどのような問題を抱えていたのかについて語られています。語り口も軽妙です。

 

 

障害者運動の中で「最も過激」と言われたのが「日本脳性マヒ者協会青い芝の会」です。横田弘さん(1933-2013年)は、その団体の精神的支柱となった「行動綱領」を書いた人物です。「善意」「愛」「正義」という言葉で包み隠された「障害者殺しの思想」を、重度障害者の立場から、熱く鋭く告発していきます。歯に衣着せぬ言い回しに戸惑うかもしれませんが、じっくりと読み、しっかりと考えれば、実は「単純で当たり前なこと」を言っていることに気がつくと思います。

 

 

エイブル・アート・ジャパン編『“癒し”としての自己表現――精神病院での芸術活動、安彦講平と表現者たちの34年の軌跡』2001年

http://tanpoposhop.cart.fc2.com/ca34/27/p-r34-s/

安彦さんは、約半世紀にわたって、精神科病院の中で〈造形教室〉を主宰している美術家です。最近では「アートセラピー」や「芸術療法」といった言葉も珍しくなくなりましたが、そんな言葉が一般には知られてさえいない時代から、造形活動を続けてきました。私は安彦さんが主宰する〈造形教室〉の皆さんから「心の病は“治す”のではなく“癒す”ことが大事なのだ」ということを学びました。アートに興味を持つ人にはぜひ手にとってほしい一冊です。

 

 

 

最後に、自分の本で恐縮ですが1冊紹介します。〈造形教室〉の活動を紹介した本です。時々「アート(自己表現)って、癒しに繋がるよね」なんてことを言う人がいますが、そもそも「アート(自己表現)」が人を「癒す」って、具体的にはどういうことなのでしょうか。そのことについて、ゼロから考えてみたのがこの本です。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

・橋本努「新型コロナウイルスとナッジ政策」
・三谷はるよ「市民活動をめぐる“3つの事実”――「ボランティア」とは誰なのか?」
・五十嵐泰正「『上野新論』――「都市の時代」が危機を迎えたなかで」
・倉橋耕平「メディア論の問いを磨く――言論を読み解く視座として」
・山田剛士「搾取される研究者たち」
・平井和也「コロナ情勢下における香港と台湾に対する中国の圧力」