2013.06.17

日本には「思想」が足りない!?――アイディアを生みだすための思想史

政治思想史家・植村和秀氏インタビュー

情報 #ナショナリズム#教養入門#思想史

大好評! 高校生のための教養入門(https://synodos.jp/intro)。大学の学部ではなにを勉強できるの? という疑問にお答えします。今回は政治思想史家の植村和秀先生にお話をうかがいました。「思想」=「アイディア」!? いままでの思想のイメージを塗り替える、思想史入門です。(聞き手・構成/山本菜々子)

「思想」は難しい!?

―― 先生はどの分野を専門にしているのでしょうか。

政治思想史です。ドイツの政治思想と、日本の政治思想を研究しています。

―― 「思想」と聞くとなんだか難しそうですね。暗い家のなかで孤独に本を読んでいるイメージがあります。

たしかに、そういうイメージがありますね(笑)。日本語では「思想」という言葉が難し過ぎます。なんだか、物々しく内向きな感じがしますし、非常に堅苦しく難しいことを勉強しないといけないイメージです。「思う」「想う」という漢字が二つも続いていますし。

ですが、「思想」というのは特別なものではないんです。だって、人間はなにをする場合にも考えていますよね。

もちろん、内向きなタイプの「思想」もいいですが、本来はもっと外向きで前向きな思想のほうが多いんですよ。たとえば、建築をするときだって、なにも考えなければ設計はできないわけです。物理だって、実験だけして、なにも考えないと意味がない。

思想というのは本来アイディアなんですよ。日本語として「思想」と訳されましたが、インスピレーションも含めた「発想」なんですよね。こんなことしたらおもしろいんじゃないか。こうしたら世界は変わる、国は変わる、会社が変わる、学校が変わる。それが思想なんです。

そもそも、思想としてこの世に残っている時点で外向きなんですよ。自分の内面でどんなにすばらしい思想をもっていたとしても、黙っていたらわかりません。他人に自分の思想をわかってもらうために、なにかを書いて他の人にみせたりするわけです。それは、外に向かって行動していますよね。

そういう、ささやかな思想もあれば、一つの国家を考えてつくってしまおうという壮大な思想もあります。たとえばヨーロッパの人は考えながら近代国家をつくりました。アメリカだって国をつくっていこうと合衆国をつくりました。あれが思想なんです。それはすごい外向きだし。「新しい国つくろか」というのはすごく前向きですよね。

思想史というのは、思想の歴史です。「アイディアの歴史」といいかえてもいいかもしれません。昔の人達がなにを考えて来たのかを知る学問です。つまり、過去のアイディアの歴史を知ることなんです。人のアイディアを知ることは、なにかを考えるための基本なんです。それを研究することはすごく自然なことのように感じます。

―― 「アイディアの歴史」といわれると楽しそうな感じがしますね。

そうでしょ。でも、「思想史」というだけで、難しそうって思われてしまいます。やっぱり「思想」という漢字の罠やね。みんな騙されてしまう(笑)。なんかすごく内向きな感じがして。でも本来は、どんな分野でも役に立つ基礎的な学問なんですよね。

―― 面白そうなのはわかりましたが、それって大人になって役に立つんですか。

思想史を学ぶと、社会に出てとても役に立ちますよ。自分で企画をつくるときって思想が必要なんですよね。企画力は思想的な力です。新しいものをつくろうとおもったら思想がないといけません。たとえば、iPhoneやiPodをもっている人も多いとおもいますが、あれをつくったスティーブジョブズには明らかに思想があるでしょう。思想があるからこそ、画期的な商品を次々と生みだしていけるわけです。

そして、思想は戦略にも繋がります。企業戦略をたてようと思ったら深く考えなきゃいけません。会社を運営していくさいに、思想がなければ、その会社のよりどころはなくなってしまうでしょう。たとえば、松下電器(パナソニック)だって、松下幸之助さんの思想があっったからおもしろい会社をつくれたわけですし。会社も大きくなりました。

思想史というのは発想の歴史であり、企画の源であり、戦略の基礎であると。こう考え直してもらえれば、思想史がもっとあらゆる領域、あらゆる分野の人に必要なものだとわかってもらえるとおもいます。昔の人がなにを考えてこんなことをしたのか。そこをつかまえることでその人のやったことを理解できるし、ある意味真似できる部分も出て来るんですよね。

―― それは役に立ちそうですね。もし思想史を大学で学びたいとおもったら、どの学部に行けばいいのでしょうか。

経済学部だったら経済思想史がありますし、理系でも科学思想史、文学部であれば宗教や哲学関係の思想史を学ぶことができます。世のなかの人間の考えたことすべてを調べるのはなかなかできませんから、大学では自分が関心をもつ領域と思想史を組み合わせて調べるのがいいかなとおもいますね。

でも、大学ではどんどん思想史が弱体化しています。みんな思想史が商売には繋がらないと勘違いしているんです。本来は企画の仕事でも必要なもんなんだけどね。本当はもっと思想史が気軽なものになって、大勢のひとがそこから新しいアイディアを得るようになるのが理想的ですよね。

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ナショナリズムは危ないもの!?

―― たくさんある思想史のなかでも、先生が政治思想史を選んだのはどうしてですか。

ぼくは小さい頃から歴史が好きで、よく歴史の本を読んでいました。京都で生まれ、中学高校は奈良の学校で、歴史が目の前に感じられる環境だったこともあるのかもしれません。そこから、昔の人はなにを考えていたんだろうということに関心をもち、思想史を学ぼうとおもいましたね。たまたま、法学部に進学していたので、思想史のなかでも政治思想史を選択することになりました。

はじめはドイツの政治思想史を研究していました。するとナショナリズムというテーマが非常に重要なことに気がついたんです。それで、ドイツのナショナリズムを研究する比較対象として、日本の研究をしてみたら研究者がいなかった。自分で調べないと仕方がないので、それで日本のことを研究するようになりました。

―― そもそも、なぜドイツなんでしょうか。

ぼくの学生時代は、1980年代後半でした。大学生から助手をするまでの間に、ペレストロイカがあり、社会主義がすこしずつ民主化にシフトしていき、ベルリンの壁が崩壊し、東ドイツが西ドイツに吸収されていきました。あのころはドイツが大きなテーマで、各大学でドイツ語を学ぶ人が急増する時代でした。もともと昭和の戦争のときに、日本とドイツは同盟国でしたし、幼い頃からドイツの歴史に興味はあったので、ぼくもドイツを研究してみようとおもいました。

とくにナショナリズムを調べようとおもったきっかけは、1993年にいったドイツと東ヨーロッパへの旅行です。ドイツ、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、スイスなど、40日ほどをかけて周りました。ドイツとポーランド、ドイツとチェコの間には歴史的な問題がたくさんあります。

たとえばポーランドはナチスドイツに侵攻され、大きな被害を受けました。そんなポーランドの田舎にいったら、墓地にあるドイツ人の墓の多くが壊されていました。それくらいドイツ人に対する怒りが強い。これが争いの結果の現実で、その地域にはドイツ人は誰も住んでいませんでした。そこからぼくはナショナリズムとはなんなのかについて考えるようになります。

東ヨーロッパの場合は生々しい人と人との争いがあり、ドイツはナショナリズムを強くして、結果として破滅的な道を歩んでしまった。それでは日本はどうなのか。日本ではどのようにナショナリズムが生まれ、どういったところがドイツと違うのかということを比較してみようとおもいました。ですが、比較研究をする以前に、日本のナショナリズムを研究している人がほとんどいなくて困ってしまったんです。

―― そこから日本のナショナリズムも調べていこうとおもったんですね。なんで他の人は研究していなかったんでしょうか。

うーん。やっぱり「ナショナリズム」=「危ない」というイメージがあるのかもしれません。日本のナショナリズムを研究するとすぐ、「右翼じゃないのか」っておもわれてしまう。ぼくもいまだに嫁さんに疑われています(笑)。

当時のドイツもそうなんですけど、危ないから触らないほうがいい、という認識がありました。冷戦の頃はややこしい問題は「悪かった」で済まして終りにしましょう、という雰囲気が強くて。でも、ぼくの世代の研究者は冷戦が終わった辺りから研究をしているので、一つ前の時代として20世紀を捉え、調べていこうという気風があるんです。

ドイツ人の研究者も自分の国のナショナリズムの研究はおろそかだったりするんですよ。やっぱりややこしくて。ぼくがやったら興味をもたれたほどです。

やっぱり距離が近過ぎるとしんどいんです。関係者も生きているし、いろいろと恨みがあったりもするので。時代が離れると冷静に見れます。昨日の自分より一か月前の自分のほうが冷静に見れますよね。それと同じです。

気がついたら違うところに!?

―― たしかに、昨日の自分より、昔の自分のほうが冷静に見られるかもしれません。お話を聞くと、植村先生は、どんどん研究のテーマを変えていったんですね。

そうですね。はじめは政治思想史に関心を持ち、ドイツに関心を持ちました。次に現地を調査してナショナリズムに興味を持ち、日本の研究もするようになったと。どんどん繋がっていったんですね。なにかを調べてみたらわからないので隣にいって、さらにその隣にいって、隣にいって、としているうちに、きがついたら違うところに来ていました(笑)。

ぼくは研究の関心というのは繋がりでできていくものだとおもいます。なにかに関心をもって、そこから関係する別のものに関心をもって、そこからさらに違うものに関心をもって……。まさに芋ヅル式に関心が広がっていくんです。高校生でも、そういう風な頭の動き方をしていけば、いろんな世界と繋がることができます。自分の関心のあるものを二つ組み合わせていくと、とても珍しくおもしろいものになります。学問や知というのはそういうものだとおもいますね。

―― 先生が政治思想史をやっているなかで、おもしろいなぁっておもった瞬間ってありますか。

うーん。基本的に、ずっとおもしろいからなぁ。ぼくは歴史が好きだから、昔の人がなにを考えていたのかわかったら嬉しい。その当時の人の漠然とした考えもわかると嬉しい。歴史を知ると、未来をつくれるとぼくは考えているんですよ。昔の人の考え方から、それに継ぎ足して、次はなにをしようというのを考えていける。

たとえば、最近の東アジアのナショナリズムの問題は興味深いですね。ぼくはいまのような状況になってしまうことを、2005年に予想していました。予想通りのことが起こっているのはやっぱり興味深いのですが、その分、いまの状況の怖さはよくわかっているので焦ってもいます。

思想というのは、すべての人の心のなかに場所をもっています。だからこそ、あらゆるところに浸透していって気が付いたらすべての色をぱっと変えてしまう力があります。ソ連が滅びるときだって、そういう変化があった。みんな共産主義で暮らしていたはずだったのに、ソ連末期になると大勢の人が「民主主義や自由や人権が欲しい」「アメリカみたいになりたい」と考え方を変えていきました。みんなの考え方が変わると、あれよあれよという間にソ連は国家として滅んでしまったんですね。

だから強大な国家でも、人びとの考え方が変わるとあっという間に変化してしまう。思想というのは目に見えないけど、歴史を動かす場合があるんです。見えないからってあなどってはいけません。歴史が動くその瞬間に、思想というのは大きな役割を果たします。いま、政治思想を勉強するとその歴史の変化を見極めることができます。

―― 政治思想史っていうのはどのように研究するんですか。

アイディアの歴史を個人個人で辿っていく場合もあれば、イメージの歴史を全体的に繋いでいくやり方もあります。

一番多いのは、昔の代表的な思想家の考えかたを正確に理解していく方法です。たとえばルソーやロックの政治思想を調べる。文献を読み、その人の考え方を再構成していくやり方です。個人のアイディアの歴史を丹念に調べていきます。

もう一つは時代の思想をつかまえる。「時代の雰囲気」といってもいいかもしれません。それぞれの時代には、それぞれの時代の雰囲気があるんです。そういう時代の思想を捉えていきます。特定の人というよりは、その時代の人達の漠然とした考えかたをテーマに研究します。

なんで昭和の戦前期、ナショナリズムが盛り上がったのか。戦後、なんで社会主義や共産主義が盛り上がったのか。各時代ごとに雰囲気があるわけです。これは、アイディアというよりも、イメージの歴史といえるかもしれません。

たとえば、社会主義や共産主義を目指して学生運動をしていた人は、みんながみんな自分のアイディアをしっかりもっていたわけではないでしょう。貧乏なのは金持ちが悪いとか。ソ連のほうがいいかもしれないとか、イメージに動かされていたところも大きかったと思います。実際に、ソ連など東側の国にいったことのある人なんてほぼいませんし。「なんか、いいことあるかも」という感覚で参加していた人も多かったとおもいます。人間は周囲の雰囲気に多かれ少なかれ影響されますから、「時代の雰囲気」を調べるのは大事なことなんです。

―― 昔の雰囲気なんて調べられるんでしょうか。

新聞や雑誌の論調など、たくさんの文献を集めて、違うものの間に共通する情報を見つけ出していくというやり方をとることが多いです。いろんな立場の人に共通しているものはなんなのか。様々な意見があるけれど、共通したこだわりはあるはずですので、そこを分析していくんですね。

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日本には思想が足りない!?

―― 政治思想史はどの学部で学べますか。

法学部で学べることが多いですね。でも、法学部では、実証的な気風が強く、アイディアタイプの研究は少ないですね。法律などの制度をまず手堅く理解しようとする傾向が強いんです。そのなかでもとくに欧米の法制度の歴史を追いかけてしまいがちです。それはそれで大事なことですが、新しいおもしろいものを生みだしていこうという雰囲気はすくないかもしれません。

―― あんまりクリエイティブじゃないんですね。

日本の制度を見たらわかりますが、はじめてできた憲法だって、ドイツを手本にしてつくりましたし、ゆとり教育だってアメリカの真似です。近代の日本では、なにか制度を変えようとするときに、欧米の真似をするんです。アジアの真似をする気はない。昔の日本もあまり気にしない。そしてその結果、欧米が作りあげた近代国家を超えようと新しいものを生みだそうともしません。法学部の気風にはそういうところもあります。ただ、だからこそ、政治思想史は珍しがってももらえます。

一方で、文学部の人で思想をつくろうと努力している人を目にします。しかし、そこには制度的な発想が足りません。思想があっても制度に詳しくないと、実際の成果を出すことができないんです。成果が出せないと思想は内向きなものになってしまいがちです。

制度に詳しい法学部的人間と、思想をつくりだす文学部的人間が手を取りあってはじめて、新しいものが生まれてくるわけなんですが、日本ではその結びつきが弱い。法学部と文学部は話が合いません。そこに日本の限界があるんです。

では、そもそもなんで話がかみ合わないのか。ぼくはこう考えています。法学部は「理」を大切にします。だから理路整然と理屈をいうんです。しかし、文学部では「気」といいますか、東洋的で日本的な部分、理屈では決着がつかないものを問おうとしたりします。もともとの考え方が違うわけですから、キリスト教の牧師さんと、仏教のお坊さんの話がかみ合わないみたいに、法学部と文学部もかみ合わないんです。

欧米の人は多くの人がキリスト教ベースですから、根本の考え方が共通しているんですよ。でも日本の場合は仏教やら神道やらいろんな宗教があって、タイプが別れる上に、いろいろとなんでも取り込んでしまいます。同じ前提を共有せずに議論してしまうので、内輪もめしやすくなってしまうんです。

大学で授業をしていてもね、アメリカの政治制度はアメリカの政治思想で説明できるんですよね。ヨーロッパもそうです。でも日本の政治制度は欧米を真似しているから、思想と制度が分離してしまっていて、説明できません。この間をどう埋めていけばいいのか。間を埋めたときに、日本らしいおもしろい制度というのが生まれてくるのかもしれません。

―― 読んでいる高校生に向けて、メッセージがあればよろしくお願いします!

ぼくが研究していてつくづくおもうのは、自分が考えないとおもしろいことは生まれないということです。でも、自分勝手に考えてもいい考えは思いつきません。

おもしろく新しいものを生みだしたいなら、良い材料をどうやって自分のなかに集めるかということが勝負になってきます。そのときに、他の人がなにを考えてきたのかを知ることはいい材料になるわけです。国や時代は違っても、お互い同じ人間ですから、とても参考になります。

昔から日本は企画力が弱いとか、戦略性に乏しいといわれてきました。それは、思想の働きを充分に理解していないからです。目に見える形だけではなく、形を動かしているものに注目してほしいとおもいます。

なにを考えてこんなものをつくったのか。その考えがわかれば、つくられたものを動かしているものがわかります。建築を見てその建築をつくった建築家の考え方がわかれば、応用が効くんです。でも、素晴らしい建築の見た目だけを真似して同じものをつくっても、コピーにしかなりません。そこから大事なものは生まれない。それよりも、つくる人の頭のなかから見てみれば、その視点を生かしながら、どの分野においても新しいことはできるはずです。

たいていの大学には、思想史系の授業はあるはずですので、ぜひ大学生になってみたらその授業をとってみてください。思想史を学ぶことで、とても良質な材料を手にいれることができるとおもいます。その材料を使い、自ら考え試行錯誤していきながら、おもしろいものをどんどんと生みだしていって欲しいですね。

思想史がわかる! 高校生のための3冊

本当に。日本人はなにを考えてきたんでしょうか。それを知らなければ、歴史も語れませんし、現在もわかりません。そして未来も見えないのです。昔の人もいろいろ悩んで、難しい時代だとおもいながら、どうにかしようと工夫します。うまくいったり、いかなかったり。後から評価するのも大切ですが、まずは当事者の心のなかに入ってみましょう。そうすれば、先が見えずに不安なときに、とても参考になる先人の気持ちがわかってきます。明治編も刊行済み、昭和編も2013年6月刊行です。

わたしはなにを考えているのか。それを、この本で書きました。ソフトパワーは国柄の魅力と信用が生みだす力です。そして、それを世界に向けて発信することが、現代の世界ではとても大切です。日本が誇るアニメや漫画を発信するのも重要ですが、さらに徹底的に考えて、人類にとって根本的な課題、復興というテーマに日本が真剣に取り組んでいるといえる日本にしよう。このような提案を書いています。これはいわば、思想史の応用編です。

20世紀の日本が生んだ独創的な知の巨人。なのに、思想家としてきちんと評価されていません。でも、知っている人は知っています。探検家、生態学者、比較文明学者、国立民族学博物館館長。ユーラシア大陸の文明を端っこと真んなかで分類した「文明の生態史観」。情報産業という言葉を発明した「情報の文明学」。半世紀も前の研究ですが、いまもまったく古びず、ますます新しい業績です。「思想はつかうべきものである」。わたしは、梅棹さんのこの言葉がとても好きです。

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プロフィール

植村和秀政治思想史

1966年京都生まれ。京都産業大学法学部教授。京都大学法学部卒業。著書は『丸山眞男と平泉澄―昭和期日本の政治主義』(柏書房)、『「日本」への問いをめぐる闘争―京都学派と原理日本社』(柏書房)、『昭和の思想』(講談社選書メチエ)、芹沢一也・荻上チキ編『日本思想という病』(共著・光文社)など多数。

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