2013.06.24

わたしたちの自由はどうやって守られているのだろう ―― 繊細な憲法を壊さないために

憲法学者・木村草太氏インタビュー

情報 #憲法改正#教養入門#憲法学

大好評「高校生のための教養入門」シリーズ。第七回目にご登場いただくのは憲法学者の木村草太先生です。一票の格差問題や憲法96条の改正など、ここのところ頻繁に話題にあがるようになった憲法。いまこそ、改めて憲法がなぜ必要なのか、どんな法律なのかを考えるタイミングなのかもしれません。憲法ってなに? 憲法学ってなにを研究するの? 木村先生にお話をうかがってきました。(聞き手・構成/金子昂)

憲法ってなに?

―― 木村先生のご専門である憲法学はどんな学問なんでしょうか?

憲法学は国家のルールを研究する学問です。

憲法という言葉は、1)国家を成り立たせている国民の頭のなかにあるルールという意味と、2)それを明文化した文書という二つの意味があり、専門的には、1)頭の中のルールの方を「憲法」、2)文書の方を「憲法典」と呼んで区別します。多くの人がイメージする憲法は、後者の「憲法典」の方でしょう。

憲法と憲法典にはズレがあるのが普通です。たとえば、大学の教室で「飲食禁止」と張り紙がしてあっても、先生や学生が「飲み物くらいは許される」と考えている場合は多いでしょう。ここでは、実際に適用されているルール(食べ物禁止)と、文書(飲食禁止)の間にズレがあるわけですね。

憲法典の場合も同様で、憲法の内容が、憲法典に書きつくされていなかったり、憲法典の文言からは少し違和感のあるルールが適用されていたり、というケースはよくあります。

―― 憲法ってどうして必要なんですか?

近代国家とは、領域内の権力を独占する国家です。もし国家が権力を濫用して、無理やり個人の自由に介入してしまったら、国家の正統性は失われてしまうでしょう。

―― すいません、「正統性」ってよく耳にしますが、いったいどういう意味なんでしょうか……?

「統治の正統性」とは、国民にとってそれが正統な統治として受容される性質のこと、簡単に言えば、国家がすることに納得して従おうと思える性質のことです。

国家にとって、正統性の確保は重要な問題です。現代の世界では、どの国家の国民になるかを自分で選ぶことは、原則としてできません。両親の国籍や産まれた場所によって、強制的に国家に加入させられ、その国家のルールに従わせられるわけです。そうなると、どうして国家への強制加入が許されるのか、どうしてその国のルールを押し付けることが許されるのか、ということが当然問題になるでしょう。

この問題への憲法学の答えは、国家が国民から集めた資源を公共の利益のために使うこと、また、国家が国民の人権や自由・平等を尊重することを約束するから、というものです。国家がこうした約束を守ることによって、国家が権力を独占し、国民を強制的に加入させ、ルールに従わせる正統性が確保できるわけです。

そして、いまお話ししたような公共の利益の追求や人権尊重を憲法典に書き込んで、国家の正統性を確保しようとする構想を立憲主義と言います。この構想を前提にした憲法典には、権力分立や人権保障が明記されています。

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どうして学校行事に参加しなくちゃいけないんだ!

―― 木村先生はいつごろ法律に興味をもつようになったのでしょうか?

わたしは中学生のとき、学校行事に参加するのが好きではないタイプの生徒でした。ですから学校でイベントがあるたびに、先生や学級委員にたいして「なんで参加しなくてはならないのですか? 参加を強制する根拠はなんですか?!」と文句を言っていたんです。

―― 学校の先生に嫌われそうなタイプの生徒だったんですね(笑)。

そうかもしれません(笑)。

学校行事への参加を強制する学校と、それに従わなくてはならない生徒との関係は、強制加入団体である国家と国家のルールに従わなければならない国民との関係に似ています。その頃から法律にかんする本を読んでいたこともあって、憲法に興味をもっていたんです。

ちなみにいまでも、誰も参加する気がないのになぜか開かれているイベントなどを見ると、「べつになくてもいいんだから、なくせばいいのでは?」と思うことが多いですね(笑)。こういう子供っぽいところはなんとかしたいのですが、自分はそういう種類の生き物なんだからとあきらめて、自分の性格と付き合っていくしかないのかもしれません。

わたしたちの自由を守る繊細な憲法

―― なるほど(笑)。ほかにもいろいろな法律の分野があったと思いますが、どうして憲法学を選ばれたのでしょうか?

憲法はほかの法律と比べると複雑なところがあって、普通の人が普通に考えても出てこないような発想が盛り込まれているんです。

たとえばモノを盗んだり、誰かを殺してしまったときに、その人が罰せられるのは、多くの方がすんなりと受け入れられる自然な考え方だと思います。そういう意味で、刑法というのは、とっても常識的な法律です。

一方で憲法には、たとえ社会常識に反していても、長期的に考えると守っておいたほうが良いという、不自然だけれど守らなくてはいけないルールが盛り込まれているんです。

たとえば、憲法が保障する重要な権利に、「表現の自由」があります。表現の自由には、誰も社会的に有意義だと考える行為、つまり、世界的な芸術作品の発表や、ニュース報道なども含まれますが、他方で、ごく小さなサークルのなかで楽しむための同人誌の発行、紳士淑女には「下品」に感じられるマンガの発表、あるいは、多くの人が支持する政策を批判する「非常識」な政治評論など、一見するとあまり価値が高いようには思われない行為も含まれます。

常識的には、こうした価値の低そうな表現は規制されてもやむを得ないように思われます。しかし、そうした表現が、時間がたって、非常に重要な芸術作品だと評価されたり、真実だとあきらかになったりすることは珍しくありません。表現の自由を「一部の趣味にすぎない」とか「下品」、「非常識」といった理由で規制するのは、長期的に見れば社会的に大きな損失になります。憲法学を勉強すると、そういうことがわかるようになって、面白いと思いました。

―― 憲法学を勉強することにはどんな意味があると思いますか?

憲法学者の方は、いま裁判所で問題となっている「一票の格差」などの最先端の憲法問題をあげて、憲法の意義を説明される人が多いと思うのですが、わたしは、もっと基本的なところに目を向けてほしいと思います。

わたしたちはいま、当たり前に自由や平等を享受しています。たとえば、町を歩いていていきなり令状なしに逮捕されたりしない、自分の好きな新聞を読める、特定の宗教を信じなくてもいい、一部の職業だけ重税を課せられたりしない、といったことです。

これは当たり前に見えますが、人類の歴史を考えると、自由や平等をきちんと保障できる国家というのは例外的です。つまり、自由や平等の保障は、国家にとって「不自然」であり、放っておけば簡単に壊れてしまう繊細なものなんです。

憲法を学び、わたしたちの自由がいったいどういったメカニズムによって守られているのかを知ることは、いつ壊れるかわからない憲法を維持することに繋がるわけです。意識していないと重要な社会インフラとしての憲法は壊れてしまう。これが憲法学を勉強することの意味のひとつです。

それから、憲法学を勉強することで、個人と団体の緊張関係を意識できるようになります。

人は会社や学校、部活、自治会などさまざまな団体に所属していますよね。そこではこんなことを言う人もいるでしょう。「代表が言っているんだから従いなさい!」「多数決で決めたのに、なぜ従わないんだ?」

あなたが多数派であったら、なんとなく納得してしまうかもしれません。でも少数派だったらどうでしょう。多くの人が賛成しているからといって、どうしても納得できない場合があるでしょう。

そんなとき、もしも憲法学や立憲主義について勉強をしていたら、多数決が万能ではないことに気付くはずです。多数決で物事を決めることに正統性が認められるのは、きちんと少数派を尊重している場合だけだ、ということがわかります。もちろん、少数派に強制しなくてはいけない場合もあるでしょう。そんなとき、なぜそれが許されるのかを意識することはとても大切なことです。

誰もが納得してルールや決定に従うことができるような団体であれば、その団体には正統性があるということになりますし、それがその団体の魅力のひとつになるでしょう。反対に正統性のない団体は、いわゆる「ブラック」な団体になってしまうのだと思います。

ファンタジーが現実に!?

―― 木村先生は、どんなときに憲法学を研究する面白さを感じますか?

空理空論と思われていた話が現実になる瞬間です。

最近は大分落ち着いてきましたが、少し前に、憲法改正手続きにかんする憲法96条の改正が話題になっていましたよね。憲法学では、「そもそも憲法96条の手続によって、96条自身を改正できるのか?」という論点が盛んに議論された時期がありました。40年ほど前までは、これはかなり現実的な論点だったんです。

しかし最近は、純理論的な空理空論の世界の論点だと思われていました。その議論の蓄積が、現実世界に役立つ瞬間が来たことに、多くの憲法学者は驚いたのではないかと思います。

詳細はよく知らないのですが、「宇宙に生命体がいるとしたら、どんな姿だろう」と考える生物学の一分野があるそうです。最近の憲法学にとって、憲法96条改正の可否という論点は、そのくらいファンタジーなものでした。だから今回、それが現実の問題としていきなりふりかかってきたときは、危機感と同時に、学問的な面白さも感じましたね。

国によって憲法もいろいろ

―― 憲法学のロマンなんですね。ところで、憲法学はどういった手法で研究を行っているのでしょうか? 勝手なイメージでは「この一文はこのように解釈できるので云々」をずっとやっているイメージがあります。

それは解釈論と呼ばれる分野ですね。憲法学の研究手法は三つくらいに分類できます。

まず、1)憲法学の古典や、昔の憲法典を読んで、その時代の憲法や思想を調べる歴史研究。次に、2)各国の憲法の内容を調べ比較する比較法研究。そして3)判例や憲法学説がしめした解釈論を理論的に分析する解釈論研究ですね。もちろん、相互乗り入れはあって、3)解釈論研究のために、1)歴史研究や2)比較法をやったり、1)歴史研究の一環として3)解釈論を勉強する、ということも多いです。

比較法研究は面白いですよ。外国の憲法を比較するといろいろな発見があるんです。

たとえばドイツの憲法典は、枠組がしっかりしていて、真面目な憲法典なんですね。意見表明の自由、職業選択の自由などの人権リストを定めた部分と、三権分立、連邦制、憲法裁判所などの国家の重要な統治の原則を定めた部分とが、教科書的にきっちりと書かれています。ドイツの憲法典を読んでいると「ああ、きっとこの通りに運用しているんだろうなあ」と思います。ただ、正直なところ、読んでいて、家電製品の取扱説明書のようで、あんまり面白くない(笑)。

一方で、アメリカの合衆国憲法は、枠組みからして自由で、その時その時に重要だと考えたことを、書きくわえていっている感じが、読んでいて面白いですね。

合衆国憲法は、建国の理念を高らかに宣言する部分から始まっていて、これがアメリカらしさだ、という気がします。その一方で、制定当時のアメリカ憲法には、人権条項がなかったんです。連邦議会、大統領、連邦制の規定などが続いているのですが、人権についてはなにも書かれていないんです。

これもいろいろな経緯があってのことですが、その後、「やっぱり人権条項は大事だよね」という話になって、最初の10箇条の修正で、人権条項がつけくわえられました。日本国憲法と比べて読んでいると「なんでこんな大事なことが附則みたいにくっついているんだ?」って思います。

あと、フランス憲法ってドイツの憲法のようにけっこう細かいんですが、とても面白い構成になっていますね。フランス憲法では、序文で「1789年のフランス人権宣言」は憲法の一部なんだと宣言しています。歴史の積み重ねがこのような構成にしたのだと思いますが、なかば伝説化した歴史的文書が、一字一句変わらずに現役の憲法条文になっているという点は、ほかの国の憲法と比べると非常に特徴的です。国によって憲法の構成もさまざまなんですよ。

―― 日本の憲法はどうでしょうか? 昔、明治時代にドイツの憲法を参考にしたと勉強した記憶がありますが、やはりドイツと同じように取扱い説明書的な憲法なんですか?

大日本帝国憲法と日本国憲法は違うものですが、引き継がれている部分もあるので、ドイツの憲法から影響を受けていると言えるのかもしれません。ただ、第二次大戦直後という人々が理想を追い求めた時代に作られたこともあって、取扱い説明書的でないところもありますね。

よく、日本国憲法は二週間で作られたとか言われますが、GHQ案ができてから、半年くらいかけて、法制官僚や日本政府、帝国議会が条文を練り上げ、日本なりの要望を反映させたりしています。また、「翻訳」と称してGHQの意図を骨抜きにして、ほかの法律と整合性をつけたりとか、専門家的には興味深いテクニックも使われています。そんなわけで、日本国憲法は、じつのところ、わりと落ち着いて練り上げられた憲法だと思います。

これに対し、先ほど紹介したフランス人権宣言やアメリカの憲法は、革命とか独立の熱狂のなかで作られていますし、かなり古い時代の文書です。もちろん、その文書からは革命や独立の熱意が伝わって感動的ですが、一方で、時代的な制約があって、現在の法律文書としてはわかりにくいところもあったりする。

それらに比べると、日本国憲法は、それぞれの条項が、ひとつの法典のなかに有機的に組み込まれた、読みやすく整理されている憲法典になっているんですよね。韓国の憲法もわりとわかりやすくできていて、日本と同様、第1条から読み進めていくとだいたい意味がわかるようにできていますね。

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「違法PTA」ってなんだ!?

―― 国によって構成も内容も違うんですね。ところで、木村先生はいまどういった研究をされているんですか?

わたしが一番関心をもっているのは判例理論の研究です。最初の単著も「平等条項」にかんするアメリカと日本の判例を歴史分析したうえで、比較研究したものです。最近では、改憲論議の高まりもあって、「自衛権」とか、「憲法改正の限界」といった分野の研究もやっています。

あと、ひょんなことから、「違法PTA」の研究を始めることになりました。

―― 「違法PTA」ですか?

ええ、強制加入など、PTAに関する法的問題の研究です。

好きでPTAに入会されたのであればとくに問題はないですが、入退会が自由でないPTAや、強制加入させた会員に仕事を押し付けるPTAは、「違法PTA」なんですね。

みなさんあまりご存じないですが、PTAってどうやって会員名簿を作っていると思いますか? 団体は、まず名簿がないとつくれません。名簿をつくるためには、入会申請書をつくって、手続きに従って申し込みをしてもらう。その方を会員として名簿に記録する。それは会社でも、町内会でも、どんな団体でも変わらないことです。

しかしPTAのなかには、入会申請書を作ってもいないし、届けてもいないのに保護者を会員登録してしまうPTAがある。なぜこんなことができるかというと、学校から流してもらった名簿を使って会員名簿を作るからです。法的には、そもそも、この時点でアウトで、違法PTAになります。なぜなら、これは学校による「同意のない個人情報の第三者提供」を前提とした運営だからです。

あるいはクラスの誰かが名簿をPTAに渡してしまう場合もある。これだってやっぱりアウト。この場合は、渡してしまった人が、個人情報の第三者提供をしていることになりますね。つまり入会申請書を集めてもいないのに会員名簿があるPTAは、そもそも違法PTAなんですね。

―― 自分の両親が入会申請書を出していたかはわかりませんが、小学生のときに、両親が持ち回りでPTAの仕事をしていたような記憶があります。もし入会申請をしてもいないのに、このルールを強制されていたとしたら……。

もちろん、そんなルールは法的には無効です(笑)。

ただ、なかなかそれを訴えられない環境もありますね。PTAって、子どもを人質にして、強制的に運営できてしまう場合があるんです。実際、PTAを退会しようとしたら、「退会してもいいけど、お子さんがいじめられるかもしれないですよ」と言われたことがある人もいるようです。こういうことを言う人は親切で気遣っているつもりでしょうが、言われた側からしたら脅迫を受けたような感じになるわけで、これは、もう一発退場の不法行為でしょう。

違法PTAの問題を指摘したら「うちのPTAは違う!」と言われる方もいます。それはその方が所属しているPTAが違法PTAではないだけで、違法PTAが世の中にあることを知って欲しいですね。

あと違法PTAから「うちは良いことだってやっているんだ! そんなことをいって潰れたらどうするんだ!」と怒られることもあります。しかし、たとえば、研究費の不正利用を指摘された大学教授が、「おれは有意義な研究をやっているんだ! だからいいだろ!」って言っても相手にされないですよね。どんなに良いことをやっていても、違法行為はやってはいけません。

―― なるほど、法律を知らないとなかなか気がつけないですよね。法律を勉強する大切さがわかってきました。

ええ、法律を知らないと、簡単にこういった問題に巻き込まれてしまうんですよね。

いま「違法PTA」って言葉を流行らせたいと思っているんです。違法PTAは撲滅しなくちゃいけませんからね。

多数決の決定が正統性を失うとき

―― ところで、どうして「違法PTA」が生まれて、そのまま放置されているんでしょうか?

まず強制加入の方が、事務管理コストが低くすむということが大きいです。入会申請書を集めなくて良い、一定額の会費が毎年入ってくる、役員候補に困らない。運営側からすれば、強制加入は良いことだらけです。そんなわけで、一度、強制加入になってしまったら、そう簡単にはもとに戻ることはなくて、それがそのまま数十年と積み重なって当たり前のことになってしまったのだと思います。

人によってPTAに参加するのにかかる時間的、金銭的、能力的コストはかなり違います。共働き世帯だったり、片親世帯だったりして、平日も、休日も、昼も、夜も、ほとんど時間をとれない人もいます。また、ほかの人と一緒に活動するのがどうしても苦痛だという人もいるでしょう。

その一方で、時間のやりくりが上手で、金銭的にも余裕があり、知らない人とのコミュニケーションが好きで、積極的にPTAに参加したいと思っている人もいます。あるいは、できればやりたくないとは思っていても、ちょっと頑張ればなんとか参加できる人も多いでしょう。こうした人たちが、たとえば共働きの家庭に「働いているからって逃げるのは許しませんよ」と、悪意もなく言ってしまうことがあるわけですね。

そのように言われてしまった夫婦は、会合に参加するために、家事労働の時間をけずることになる。もしかしたら夕食をつくる時間がなくなって外食になってしまうかもしれない。場合によっては、貴重な親子の時間がなくなってしまうこともあります。これでは本末転倒です。誰もがPTAに参加することが平等にみえますが、じつは人によって参加コストが違うんですね。

これは、多数決による決定が正統性を失う場合の典型的な場面の一つといえます。

こうした問題を解決するためにも、最低限法律を守っていただかなくてはならない。そういう意味でも、法律を勉強する意味はあるのだと思いますね。

法曹と法学者の違いって?

―― 法学だからこそのアプローチがあるわけですね。最後の質問に入る前に、お聞きしたいのですが、検事や弁護士、裁判官といった法曹と法学者ってなにが違うんですか?

理論と実践ですね。医者でいう研究医と臨床医のようなものです。

難しい理論を研究したり追求することが面白いと思う人は法学者になると思いますし、日々、クライアントの相談を聞いたり、問題を解決して喜んでくれる人がいることが生きがいだと思う人は実践する側になるのだと思います。

多数派のあなたも少数派のあなたも

―― なるほど、ありがとうございます。それでは、最後に高校生に向けてメッセージをお願いします。

そうですね、ふたつのパターンがあります。

まず自分は常識人であって、多数決によって行き着いた結論にほとんど疑問をもったことがないタイプの人。そういう人は、ぜひ憲法を勉強して、自分とは全然違うタイプの人も世の中にたくさんいて、そういう人とコミュニケーションをためにはどうすればいいかということを勉強してほしいと思います。

一方、多数決の結果に納得できないことばかりだって人もいっぱいいると思います。そう人も、やはり憲法を勉強して、自分が憲法によって守られていることに気付いてほしい。さらに、納得のいかない決定が、正統性のある決定と考えられるのはどうしてか、どういう決定なのかを考えて欲しいと思います。

このようにスタンスによって憲法の関わり方は変わってきますが、両方の観点から勉強できるものですから、それぞれの姿勢で憲法学を勉強してもらえたらいいなと思いますね。

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憲法学がわかる! 高校生のための3+1

とても敷居の低い法学入門です。舞台はとある丘の上の喫茶店。紅茶と掃除をこよなく愛する倉井さんがマスターを務める喫茶「赤ひげ小人」に、メニューを見たまま動かなくなっているお客さん。そこに主人公がやってきて……。と、こんな感じの出だしです。

憲法は、多数決の限界を定めています。そもそも多数決とはなんなのか? なぜ多数決に従わなくてはならないのか? そんな根本的な問題から考え、憲法9条の意義について考えます。平和と非武装のどちらが大事か? という視点から考える9条論は新鮮です。

長尾先生は、日本を代表する法哲学者。憲法学者とは違った視点で、ズバズバ憲法問題に切り込みます。終戦直後、日本人はマッカーサー氏にどんな手紙を送ったのか? 日本憲法学にどんな批判があるのか? 衝撃的な内容が続きます。

インタビュー後半は、法的視点を実践に役立てる具体例として「違法PTA」の話をしていますが、PTAにまつわる諸々を考える出発点になるのがこの本です。高校生の皆様にとって、近くて遠い組織のPTA。ぜひ、この本を手に取り、PTAいかにあるべきか、考えてみてください。

(2013年5月27日 木村草太先生研究室にて)

★高校生のための教養入門コーナー記事一覧

https://synodos.jp/intro

★ジレンマ+:木村草太×浅羽祐樹トーク(全4回)

http://dilemmaplus.nhk-book.co.jp/talk/4582

プロフィール

木村草太憲法学者

1980年生まれ。東京大学法学部卒。同助手を経て、現在、首都大学東京教授。助手論文を基に『平等なき平等条項論』(東京大学出版会)を上梓。法科大学院での講義をまとめた『憲法の急所』(羽鳥書店)は「東大生協で最も売れている本」と話題に。近刊に『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)がある。

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