わたしたちの自由はどうやって守られているのだろう ―― 繊細な憲法を壊さないために

どうして学校行事に参加しなくちゃいけないんだ!

 

―― 木村先生はいつごろ法律に興味をもつようになったのでしょうか?

 

わたしは中学生のとき、学校行事に参加するのが好きではないタイプの生徒でした。ですから学校でイベントがあるたびに、先生や学級委員にたいして「なんで参加しなくてはならないのですか? 参加を強制する根拠はなんですか?!」と文句を言っていたんです。

 

 

―― 学校の先生に嫌われそうなタイプの生徒だったんですね(笑)。

 

そうかもしれません(笑)。

 

学校行事への参加を強制する学校と、それに従わなくてはならない生徒との関係は、強制加入団体である国家と国家のルールに従わなければならない国民との関係に似ています。その頃から法律にかんする本を読んでいたこともあって、憲法に興味をもっていたんです。

 

ちなみにいまでも、誰も参加する気がないのになぜか開かれているイベントなどを見ると、「べつになくてもいいんだから、なくせばいいのでは?」と思うことが多いですね(笑)。こういう子供っぽいところはなんとかしたいのですが、自分はそういう種類の生き物なんだからとあきらめて、自分の性格と付き合っていくしかないのかもしれません。

 

 

わたしたちの自由を守る繊細な憲法

 

―― なるほど(笑)。ほかにもいろいろな法律の分野があったと思いますが、どうして憲法学を選ばれたのでしょうか?

 

憲法はほかの法律と比べると複雑なところがあって、普通の人が普通に考えても出てこないような発想が盛り込まれているんです。

 

たとえばモノを盗んだり、誰かを殺してしまったときに、その人が罰せられるのは、多くの方がすんなりと受け入れられる自然な考え方だと思います。そういう意味で、刑法というのは、とっても常識的な法律です。

 

一方で憲法には、たとえ社会常識に反していても、長期的に考えると守っておいたほうが良いという、不自然だけれど守らなくてはいけないルールが盛り込まれているんです。

 

たとえば、憲法が保障する重要な権利に、「表現の自由」があります。表現の自由には、誰も社会的に有意義だと考える行為、つまり、世界的な芸術作品の発表や、ニュース報道なども含まれますが、他方で、ごく小さなサークルのなかで楽しむための同人誌の発行、紳士淑女には「下品」に感じられるマンガの発表、あるいは、多くの人が支持する政策を批判する「非常識」な政治評論など、一見するとあまり価値が高いようには思われない行為も含まれます。

 

常識的には、こうした価値の低そうな表現は規制されてもやむを得ないように思われます。しかし、そうした表現が、時間がたって、非常に重要な芸術作品だと評価されたり、真実だとあきらかになったりすることは珍しくありません。表現の自由を「一部の趣味にすぎない」とか「下品」、「非常識」といった理由で規制するのは、長期的に見れば社会的に大きな損失になります。憲法学を勉強すると、そういうことがわかるようになって、面白いと思いました。

 

 

―― 憲法学を勉強することにはどんな意味があると思いますか?

 

憲法学者の方は、いま裁判所で問題となっている「一票の格差」などの最先端の憲法問題をあげて、憲法の意義を説明される人が多いと思うのですが、わたしは、もっと基本的なところに目を向けてほしいと思います。

 

わたしたちはいま、当たり前に自由や平等を享受しています。たとえば、町を歩いていていきなり令状なしに逮捕されたりしない、自分の好きな新聞を読める、特定の宗教を信じなくてもいい、一部の職業だけ重税を課せられたりしない、といったことです。

 

これは当たり前に見えますが、人類の歴史を考えると、自由や平等をきちんと保障できる国家というのは例外的です。つまり、自由や平等の保障は、国家にとって「不自然」であり、放っておけば簡単に壊れてしまう繊細なものなんです。

 

憲法を学び、わたしたちの自由がいったいどういったメカニズムによって守られているのかを知ることは、いつ壊れるかわからない憲法を維持することに繋がるわけです。意識していないと重要な社会インフラとしての憲法は壊れてしまう。これが憲法学を勉強することの意味のひとつです。

 

それから、憲法学を勉強することで、個人と団体の緊張関係を意識できるようになります。

 

人は会社や学校、部活、自治会などさまざまな団体に所属していますよね。そこではこんなことを言う人もいるでしょう。「代表が言っているんだから従いなさい!」「多数決で決めたのに、なぜ従わないんだ?」

 

あなたが多数派であったら、なんとなく納得してしまうかもしれません。でも少数派だったらどうでしょう。多くの人が賛成しているからといって、どうしても納得できない場合があるでしょう。

 

そんなとき、もしも憲法学や立憲主義について勉強をしていたら、多数決が万能ではないことに気付くはずです。多数決で物事を決めることに正統性が認められるのは、きちんと少数派を尊重している場合だけだ、ということがわかります。もちろん、少数派に強制しなくてはいけない場合もあるでしょう。そんなとき、なぜそれが許されるのかを意識することはとても大切なことです。

 

誰もが納得してルールや決定に従うことができるような団体であれば、その団体には正統性があるということになりますし、それがその団体の魅力のひとつになるでしょう。反対に正統性のない団体は、いわゆる「ブラック」な団体になってしまうのだと思います。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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