2014.05.12

賢く怒れ!憤れ!――平和構築学とはなにか

紛争解除人・伊勢崎賢治氏インタビュー

情報 #教養入門#平和構築学#紛争解除人

平和を構築する手段として、戦争をも考える!? 英語が嫌いな方が国際関係論に向いている!? 平和構築学とはどのようなものなのか。大人気シリーズ「高校生のための教養入門」今回は、紛争解除人として紛争解除の第一線で活躍する伊勢崎賢治先生にお話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)

建築家志望から紛争解除人に

―― 伊勢崎先生は、日本代表としてアフガニスタンに行き、DDR(Disarmament(武装解除)、Demobilization(動員解除)、Reintegration(社会復帰))などの活動を行い、紛争解除の第一線で活躍されています。人呼んで、紛争解除人! なんだか、強そうですね。さて、このDDRとはどのようなものなのでしょうか。

アフリカの内戦なんかを思い浮かべてください。現政権と反政府ゲリラが戦っている。どっちかが完全勝利しちゃえば、それでいいですが、そうならない場合が多い。それで、戦闘が長引くと、どちらの脳裏にも、部下や色んな人々の手前、勝利を諦めたとは言えないけど、やっぱ、このまま戦っていても完全勝利ないかも、っていう思いが芽生える時があります。

そういう時に、チョット一日だけでいいから戦闘やめてみない? って、第三者が入れる隙ができる。「停戦合意」って言います。そこで、第三者は国連の場合が多いですが、その停戦を和平に持っていくべく工作をするんですね。

つまり、双方が、銃を下ろしても、それなりの政治的な利権が確保できるような。銃による戦いではなく、ディベートによる戦いにシフトしても、それぞれの権益が確保できるような。こういうビジョンが双方で共有できると、銃をお互い下ろすことが、そのビジョンに向かって歩き出す第一歩になる。これが、武装解除ですね。

その中で、今まで人を殺すことしか知らない兵士や民兵をどうするかということがいつも問題になります。ほとんどの場合、一旦、一般市民に戻す――動員解除といいます――ことになるのですが、それだけじゃ不安だから、少なくとも経済的な困窮が再び彼らに銃をとらす理由とならないように、職業訓練などを施す。これが、社会復帰事業です。

―― なるほど。そのプロセスに関わっていたんですね。「紛争解除人」として実務家として活躍し、現在は、東京外国語大学で「平和構築学」について教えられているとのことですが。先生は、大学進学の時から戦争や平和などに興味をもっていたのでしょうか。

そんなことありません。今の仕事には全然興味がありませんでした。大学進学の際にも、ぼくは画家になるか建築家になるか迷っていました。当時は、「国際協力」という言葉自体も流通していなかったし、僕の意識にもありませんでした。

大学は建築家をめざそうと思って、早稲田の建築科に入りました。建築デザインの仕事がやりたかったんです。自信があったのですが、ぼくのデザインは全然評価されなくて。気が付けば、大学院まで行くことになりました(笑)。

当時早稲田には吉阪隆正という有名な建築家の方が教えていました。近代建築を代表する巨匠です。彼だけが僕のデザインを理解してくれて、成績は悪かったのですが、彼の研究室に無試験で入れてもらいました。しかし、入った最初の年にガンで吉阪さんが亡くなってしまったんです。

―― 師匠を失ってしまったのですね。

そうですね。そこからぼくの人生がおかしくなったような気がします(笑)。師匠を失ってしまい、ぼくの関心は民族建築に向きました。建築家がデザインしてつくったものよりも、歴史の中ではぐくまれた造形に魅力的に感じてはじめるのです。その興味が高じて、廃墟とか、密集したスラム街に傾倒してゆきます。スラムと言えばインド。当時、ヒッピー以外の方法では難しかった社会主義のインドに長期滞在するためだけの理由で「留学」しました。

着いたら、早速、スラムの中に潜り込むために、住民運動を組織する現地NGOに所属することにしました。インドは社会問題の百貨店のような場所です。ですから、社会運動が活発で手法も進んでいます。

スラムの中に入ってみると、犯罪の巣窟だし、政府当局による強制撤去もあって住民の基本的人権が侵されている現実を目にするわけです。そこから、「造形」ではなく社会問題としてのスラムをいやおうなしに考えるようになり、ここから、世の中の構造的な問題を扱う分野に入っていきました。

―― はじめは、美しいからという理由だったのが、だんだんと社会問題に触れていくうちに変化していったのですね。

そうです。そのあと、給料と待遇がいいのでアメリカを本部にする国際NGOにつきました。僕は建築家の時から自分の能力と労働に見合った報酬をちゃんと頂くという信念がずっとありますので、日本ではNGOというとあまり給料の高いイメージはありませんが、外国の場合は国連なんかより報酬がいいんです。そこで、最初の赴任地がアフリカのシエラレオネになりました。

その後ケニア、エチオピアとアフリカに10年いました。そして、2000年から国連に呼ばれ、内戦直後の東ティモールで安保理から任命され行政官として、暫定政府の知事をしました。そして、2001年に内戦中のシエラレオネに戻り、国連平和維持活動の中でDDRの責任者になります。2003年にも日本主導で行われたアフガニスタンのDDRを指揮しました。そして、今は大学で「平和構築学」を教えています。

イケナイ学問

―― 「平和構築学」は、どのような学問なのでしょうか。

文字通り、平和を構築するための学問なのです。まずは、「平和」が学問の中でどのように扱われてきたのかについてお話したいと思います。「平和学」が学問的に体系化したのは第二次世界大戦後です。あれだけの未曾有な被害です。二度と同じことを起こしてはいけないと考えるようになったのでしょう。

国によって、平和学の中身はビミョウに違います。たとえば、アメリカの場合、人権と多文化共生、民主主義が大きなテーマです。日本だと反核や戦争責任の文脈が強い。どちらにしても、戦争を概念として全否定するところから出発しているようです。

しかし、戦争が究極の政治行為だとしたら、その戦争を否定することも一つの政治的行為であると考えられます。学問の客観性を考えた時――そもそも政治に左右されない学問があるのかという問いはありますし、学問は政治に左右されるものだとぼくは思っていますが――戦争を否定する平和学には限界があるのではないでしょうか。

そこで平和構築学が誕生します。だいたい、ほとんどの戦争は「平和」のために行なうのですから、平和を構築する手段としての戦争を除外しません。もしかすると、大きな戦争を防ぐために、小さな戦争や武力衝突が有効なのかもしれません。核も、通常の戦争を抑止しているのなら、平和を構築するために必要なのかもしれません。

―― 戦争も平和を構築する!? なんかイケナイ学問な感じがしますね。戦争をすると平和から遠ざかるのではないですか。

その感覚は、日本人に特有のものかもしれません。ぼくの大学は、英語以外の世界の言葉を研究するところです。一度、ゼミで、世界各国で、子どもに最初に教える「平和」という概念は何かを調べてみることにしました。すると、日本以外の国では、平和は戦って勝ち取るものなんですね。圧政に対し戦いで勝ち取った民主主義とか自由とか。それをどのように守っていくのかが、フツウの平和教育なんです。

しかし、日本の場合は出発点が違う。アメリカにボロ負けして、アメリカから与えられたものから始まっていますから。何か天から振って来たような感じで、「平和が大事」と言うだけ。「平和は闘い」である、という前提に立たないと。

平和構築学では、自らつくった原因ではない理由で死ぬ犠牲者を最小に留めることが、できるのではないかと考えます。そもそも、少数だったらいいのか、そもそも、アフリカでの死者数と先進国の死者数が国際関係上同じ重みで扱われない現状も問わなければなりませんが、平和学とは目標が少し違っています。

国際関係と人間関係

―― 平和学は反戦を基準にしていて、平和構築学は戦争を否定も肯定もしないことがわかりました。具体的に、どんな風に違うのでしょうか。

平和学は少し哲学的です。僕にとってはほとんど宗教的な感じですが、平和構築学はより国際関係論に特化しています。ですから、平和構築学は国際法や国際機構を扱います。その限界も含めて研究します。

では、国際関係とはどのようなものなのでしょうか。当たり前ですが、国と国との関係は、人と人との関係と違います。

―― どこが違うのですか。

たとえば、今、メモを取るためにペンをもっていますよね。そのペンで僕の目を突いて攻撃することは可能ですよね。

―― 考えてもみませんでしたが、頑張れば突けるかもしれませんね。

でも、ぼくはそういう心配はしません。ペンで攻撃しないはずだと、あなたに信頼感をもっているからです。今、あなたと僕がいる環境には、大きな信頼感があるわけです。

―― 私も伊勢崎先生に目を突かれる心配はしていませんでした。

そうでしょ。ですが、国際関係ではその信頼感は通用しません。いきなり、目をつかれる可能性だってあります。

また、ぼくがあなたのペンを盗んだとします。警察に言えば、ぼくは、最悪、窃盗罪で起訴され、最小でも僕とあなたの関係は壊れ、もうシノドスから相手にされなくなる。制裁は、必ずありますよね。しかし、国が国の関係では、こういう木目の細かい対処をする体制は無きに等しく、罪を下す権威もありません。

「国際法や国連があるじゃないか」と言うかもしれません。ですが、国際法は現実に追いついていません。たとえば今は、無人爆撃機などロボットが人を殺す時代になっていますが、それをどう規制するのかという国際法はありません。国連も、現在のシリア情勢のように、安全保障理事会の常任理事国の国益のぶつかり合いで、機能不全に陥ります。

人と人との間に比べたら、国際関係は、「無法地帯」と言えます。無法地帯であれば、自分の身は自分で守らなきゃいけません。だから、国連加盟国には、それぞれに自衛の権利があります。そういった前提で国際関係を考えなければいけません。

日本がもつ9条は、さっきの「平和観」のように、非常に、稀で、特別なものであるということを理解しなければなりません。だから、9条をフツウの国なるために変えよう、いや、こんなに特別だから9条はスゴいんだ……という判断は、これを読む高校生の皆さんの判断にお任せします。

政治家だけが悪くない

―― 平和構築学には、どのようなテーマの研究があるのでしょうか。

たとえば、宗教や経済的な対立。領土問題。過去の記憶。なにが潜在的な原因で、それがどう絡み合い、何がきっかけになると戦争が起こるのか。

戦争が行われようとすると、それを防止しようとする動きが国内外でなされます。しかし、なぜそれらが効を奏さなかったのか。

また、戦争はだいたい、みな勝てると思ってはじめるわけです。だから、勝てなかった場合、最初の目算が間違っていたということになります。政治家に誤った目算をさせた原因はなんだったのか。

同時に、戦争は政治家だけで起こせるものではありません。民意のサポートがなければ難しい。特に、民主主義が起こす戦争は。民意はどのように戦争をサポートしていったのか。この問題は、「セキュリタイゼーション」ともかかわってきます。

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―― セキュリタイゼーションとはなんでしょうか。

すごく簡単に言えば、一回地震が起きれば自分達の身を守るために装備しようとしますよね。これが、セキュリタイゼーションです。セキュリタイゼーションは人間の自然な行為です。

―― 恐いと思って自分の身を守る気持ちですか。

そうです。民意が恐怖を感じ、それをうまく増幅すれば、戦争という手段を支持させることは可能なのです。そのプロセスがセキュリタイゼーションです。そこでは、デマも流せるわけです。

―― イラクでは「大量破壊兵器があるよ」と言われましたね。

はい。でも、残念ながらそうして、人を殺す正義というのは、人為的に形成されてゆくわけですね。そういう民意に後押しされた政治家の判断が、民主国家を戦争に突入させます。

―― 政治家だけが悪いわけではないんですね。

だいたいの戦争は、敵味方双方に莫大な犠牲が出ますから、後になって、みんなに後悔が残るわけです。なのに、なぜ戦争に向かってしまうのか。だから、戦争に起こる前の仕組みを考えることは重要です。

また、戦争が終わった後のことも大きなテーマですね。過去の記憶も、また将来の戦争の原因になりえますから、どのように戦争を終わらせるのか。どこに責任を取らせるのか。誰が悪かったのかをうまく決めないと、報復が起こる可能性があります。歴史解釈は政治的なもので、解釈がもとで戦争になってしまう可能性があります。

同時に、どう復興していくのかも重要ですね。戦前の体制そのものに戦争の原因があった場合、そこを目標に「復旧」させたら、元も子もない。

―― 先生は実際に戦地に行きDDRをされていたということですが、そのノウハウを教えることもあるんですか。

武装解除の話はすごく専門的です。大学というより専門学校で教えるような内容だと考えています。それは専門的にやっている国際機関があるのでそこで学んでいただければと。

大工さんになるための学習と、建築家としての学習はちがいます。ぼくは、どちらかというと、建築家としての視点を学生に教えています。

たとえば、戦争が起きれば難民が出ます。その難民にいかに法的な保護を与え、どのくらいの水や食料を与えるのかはその状況で違います。こういった時々の状況判断をする大工さんのような技術は必要です。

一方で、戦争の原因をつくらない国家体制とは何かを歴史検証し、そういう知見を身につけるというのは、どういう色、曲線、動線、そして空間が、人間の心理、行動や成長にどういう影響を及ぼすのかなんかを学習する建築家教育に当たると思います。

僕は、大学では、後者を教えるべきだと思っています。

―― お話を聞いていると、先生は建物ではなくて、平和の建築家になったのだと思いました。

ははは、そうかもしれませんね。

英語なんか大嫌い

―― この分野に行きたい高校生は、学部選択をどうしたらいいでしょうか。

日本の大学には「国際協力」をうたった学部がありますが、そういうところはあんまり行かない方がいいですね(笑)。少子化で、大学はどこでも学生集めに躍起だから、それだけのためにつくったような学部もありますからね。気をつけた方がいいですよ。そもそも、平和構築学は、学部で学ぶようなことじゃありません。

―― えっ、そうなんですか?

平和構築学は、国際関係論という大きな学問体系から派生して、戦争に特化したものです。これは、大学院で学べばいいと思っています。大学生のうちは、もっと歴史のある、学術的な体系がしっかりした分野を、まず学んでほしいですね。戦争の見方でも、経済や政治、商学、心理、哲学ではとらえ方が違います。自分がいったい何に向いているのか。そういうおおまかな専門領域を見つけて、基礎をつくって欲しい。

たとえば、経済や商学の知識は戦争に役立ちます。戦争と言うのはお金の問題です。そして、ビジネスでもあります。そこに対抗するためには、平和構築をビジネスとして成り立たせなければいけません。思想体系が歴史的にしっかりしている領域を学び、そこから地に足をつけて平和構築について考えてほしいですね。

―― なるほど。あとは、語学力を磨くと。

あくまでも、語学はツールです。そして、英語ができればグローバルってわけではありません。英語は、ただ、汎用しているだけの話です。ぼくは、英語を重視したカリキュラムってあんまり好きではないんですよ。小学校から英語学習に取り組もうとする動きが今ありますよね。なんで、こんな汎用されているだけの言語に文化的なアイデンティティをゆだねなければいけないんだと憤っています。僕は大変に雑な言語だと思ってますので、できれば使いたくない(笑)。

そして、大学教育でも英語を重視しすぎていると思います。国際化を銘打って英語で授業をするような大学にもいかないほうがいいですね。外国教師がやっているとか、留学生が半分以上いるというならまだしも、日本人教師が日本人学生に英語で授業するほど、愚かなことはない。授業内容の質が下がるにきまっています。

―― 日本語で学ぶ方が効率いいですもんね。

中身が無かったら、ネイティブのようにしゃべっても仕方ないですよね。まぁ、実際英語は大事だと思うんです。でも、大事と言うのは、なんかおかしいという気持ちがあって。もっと優秀な言語はいっぱいあるはずなのに、アメリカが強いというだけで、英語が国際語になっている。そういうことも考えることが国際関係論の入り口なんでしょうね。

―― なんで英語を勉強しないといけないんだと思っているような人は、国際関係論に向いているのかもしれませんね。

そうかもしれませんね。ぼくも、英語が大嫌いな高校生でしたね(笑)。

怒れ!憤れ!

―― 最後に高校生に一言お願いします。

身近な問題に目を向けて欲しいと思います。日本にだって問題はたくさんあります。

ステファン・エッセルという方をしっていますか。フランスの外交官で国連に関わり、国際人権宣言の草稿に関わった方です。ユダヤ教徒でありながら、パレスチナ問題で、イスラエルに異議を唱え続けました。彼の執筆した『怒れ!憤れ!』という本があります。

彼が言うには、昔はヒットラーがいたり、敵がわかりやすかった。でも、今は敵が見えにくくなっています。悪い奴が戦争を操るというよりも、グローバル経済の仕組みが構造的に戦争の原因をつくっている。つまり、敵が見えにくくなっているんです。だけど、怒るのを諦めてはいけない。怒るなら賢く怒ろうと。

内戦みたいなものは、構造的な欠陥がある人々を犠牲にして、その犠牲が政治力を持った時に起こるんです。遠くアフリカの問題であろうが、その資源を消費する我々の生活に無関係ではないのです。何気ない日常の消費生活が、遠い国の戦争の原因をつくっているのかも。

分かりやすい敵にこぶしを上げるのは簡単です。たとえば、今安倍さんを「独裁者」だと批判する人はいますが、彼一人を批判しても仕方ありません。いったい、彼のような人間が、なぜ今この時期に現れ、なぜ民意を引きつけているのか。ここを考えないと。

たとえば、日本は戦争していないと、思っている人がたくさんいますよね。しかし、そう言い切れるのでしょうか。日本にはアメリカの軍事基地があります。日米地位協定では、日本を守るためにアメリカの基地があることになっていますので、アメリカは日本を守る以外に日本の国土を使ってはいけません。

でも、沖縄に駐留する海兵隊はアフガニスタンやイラクに行っていたわけですよね。日本を守る以外の戦争目的で使っている。その基地に日本は「思いやり予算」まで与えて。こう考えると、日本は戦争に参加していないと言い切れるのでしょうか。じゃあ、アメリカが出ていけと言えばいいのかというと、日本の国防はどうしたらいいのか。そんな簡単な問題ではない。

けっこう日本の問題を置き去りにして、外国に目を向ける人が多いのですが、ぜひ身近な問題に向き合ってみて、自分なりに考えてもらいたいですね。

高校生におススメの3冊

合い言葉は、「賢く怒れ」です!

悪いやつだからって、寄って集ってみんなでやっつけてもいいのだろうか?

色々な紛争国から来ている僕の教え子たちとの対談集です。

プロフィール

伊勢崎賢治国際政治

1957年東京都生まれ。早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。東京外国語大学大学院「平和構築・紛争予防講座」担当教授。国際NGOでスラムの住民運動を組織した後、アフリカで開発援助に携わる。国連PKO上級幹部として東ティモール、シエラレオネの、日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除を指揮。著書に『インドスラム・レポート』(明石書店)、『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除』(講談社現代新書)、『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)、『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終わらせる』(かもがわ出版)、『紛争屋の外交論』(NHK出版新書)など。新刊に『「国防軍」 私の懸念』(かもがわ出版、柳澤協二、小池清彦との共著)、『テロリストは日本の「何」を見ているのか』(幻冬舎)、『新国防論 9条もアメリカも日本を守れない』(毎日新聞出版)、『本当の戦争の話をしよう:世界の「対立」を仕切る』(朝日出版社)、『日本人は人を殺しに行くのか:戦場からの集団的自衛権入門』(朝日新書)

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