戦場からの集団的自衛権入門

日本ができる「非軍事の軍事的貢献」

 

―― 集団的自衛権よりもよっぽど世界に貢献できる効果的な方法についても本書では紹介されています。つまり、軍事同盟は、さまざまな国同士の「補完の関係」によって成り立っている。それぞれの国がそれぞれに事情を抱える中で、長所を活かして協力し合うことに意味があるのであって、日本がアメリカのようになる必要はない、と。

 

私がアフガニスタンでみたアメリカとNATO加盟国は、各国が各作戦に参加するかは、ふたつの要件によって、“主体的”に決めていると感じました。

 

ひとつは、「脅威の認識」があること。仮に同盟国が攻撃されていても、自国への脅威がなければ攻撃には参加しない。もうひとつが、脅威への対処の「方策」が一致していること。例えば、地上部隊を送るのか、空爆だけにするのか、それとも、それらを一切せず、こっちの味方になりそうな現地人の武装組織を支援するのか、とか。この二つの要件が満たされないと、NATO加盟国でも、離脱します。2003年のイラク侵攻や、2011年のリビア空爆がいい例です。

 

大事なのは“主体的”であることです。つまりノーといえるのが同盟国同士の振る舞いなんですね。アメリカから言われたからやるのではないのです。それぞれが、目の前のその脅威に対する対応をまず主体的に考える。そして、やるとなったら、「総合力」として闘う。これについてはあとでまた言及します。

 

 

―― 集団的自衛権を行使できるようになっても、そもそも主体性がなければまったく意味がないというわけですね。本書では日本が自らの特性を活かして国際貢献するためのヒントとして、アメリカの戦略ドクトリン「COIN(Counter-Insurgency)」が紹介されています。

 

COINは、アメリカ陸軍・海兵隊のフィールドマニュアルです。Insurgencyとはテロリストのこと。つまりCOINは、アメリカの「対テロ戦マニュアル」なんです。

 

いままで圧倒的な軍事力をもってアメリカはInsurgencyと戦ってきました。しかしそれでも中東各地の戦争は泥沼化している。イラク戦争が泥沼化する中で、2006年にアメリカはそれまでの戦略ドクトリンを方向転換させました。それがCOINの誕生です。

 

Insurgentsとの戦いは、国vs国の戦いとは話が違います。戦争の原因というと、結局は資源でしょ、としたり顔で言う人がいますけど、現代のこの戦いはチョット様相が違います。我々(この戦いは中国やロシアも逃れられませんが特にアメリカに組する陣営)に対する「怒り」です。

 

こちらはグローバル化の名の下、良かれと思って彼らのテリトリーに入り込みますが、それを領土だけでなく彼らの文化、価値観、誇り、アイデンティティーへの侵略と見なす。お気軽な我々に対する「非対称な怒り」です。その「非対称な怒り」が、アフガニスタンでの代理戦争、数あるパレスチナ問題の戦局などを経るごとに、「神聖化」されてゆく。

 

武力によって根こそぎ粉砕しようとしても、できません。なぜかというと、軍事的なダメージを与えても、それがまた「怒り」を創出し続けるからです。親玉たち(ビンラディンなどの面々)を無人爆撃機や特殊部隊の急襲で始末しても、彼らの死は「神聖化」されるだけ。逆に、箍を失ったその下の若いもんたちが無軌道を競うようになり、どんどん過激化してゆく。今、「アルカイダもたじろぐ」と言われるイスラム国の出現は、ビンラディンを殺さなかったら……。アメリカは戦略的勝利と位置付けていますが。

 

つまり、この戦いには、終わりはないのです。残念ながら。

 

唯一、我々ができることがあるとしたら、できるだけ、そういう連中が棲みにくい環境をつくること。これしかありません。彼らが棲みついているところは、「民衆」なのです。だから、「民衆」をこちら側に付けるしかない。

 

屈強な米兵がチョコレートを配りますか? だめです。逆効果です。民衆が安心して住める「秩序」を提供できる現地社会、現地政権をつくるしかないのです。これに気づいて軍事ドクトリンを変更したのが、2006年、当のアメリカなのです。その時、現場で、米軍のスローガンになっていたのは、「Winning the War(敵を軍事的にやっつける)」ではなく、「Winning the People(人心掌握戦に勝つ)」だったのです。それが、COINです。

 

 

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―― 具体的な成果はあがっているのでしょうか?

 

全然ダメ。それはイラクやアフガニスタンをみていただければ一目瞭然です。当のアメリカが分かっていても、アメリカがやることに無理がある……。しかし、いまのところCOINにかわる戦略ドクトリンは存在していない。そしてぼくは、おそらくこれ以上の方法は将来にも登場しないと思います。

 

 

―― そのCOINが、なぜ日本の特性を活かす可能性になるのでしょうか?

 

そもそも2006年にアメリカがCOINをまとめるきっかけになったのは、その前の2004年、2005年当時のアフガニスタン。「アフガンの成功をイラクへ」とアメリカ軍が盛んに言っていたのです。その当時の(ホント、あの頃が懐かしい…)アフガンの成功の源泉となったのが、日本が主導した武装解除なんです。具体的な話は『武装解除 – 紛争屋がみた世界』(講談社現代新書)に書いているのでぜひお読みください。

 

アフガン戦は、その後のイラク戦とは裏腹に、NATOが一致団結した集団的自衛権の行使です。そして、その「長」であるアメリカが求めたのは、「民衆」が帰依できる「ネーション」(国家)づくりに向かう、同盟の「総合力」なのです。例えば、ドイツやノルウェーには、国際的に、非好戦的な国家であるというイメージのあるため、あまり「火力」の提供を期待せず、逆にアメリカができないこと(アフガンの反米勢力の懐に入り、民衆の人心掌握を行う)を託す。そのドイツとノルウェーにさえ、「俺たちでもできなかった」と言わしめ、交渉だけで武装解除を実現し、アフガンに、戦後の新しい「ネーション」の基盤をつくったのが、当時の日本だったのです。この時、アメリカ軍は、この日本の貢献を「非軍事の軍事的貢献」と言っていました。

 

日本は、自衛隊の「火力」なしで、米・NATOの集団的自衛権の行使に貢献しました。

 

2006年のアメリカのCOINの後、幾つかの同盟国も、それぞれの“主体的”な試行錯誤の末、それぞれのCOINを生み出しました。イギリスCOIN、カナダCOINがそれです。アメリカCOINに対抗するノリです。日本も、その主体性を生かしたジャパンCOINを編み出すべきだと思います。そのための具体的な方法は、詳しく本書に書きました。

 

 

なるべく敵を作らないこと

 

―― 単に「アメリカと同じように戦争をする」のは、もったいないことなんですね。

 

安全保障の面からいっても危険なことです。

 

どんな独裁国家であっても、国家は、一応は国民からの信託がありますから、「まともな敵」なんですよ。でも、Insurgentsは、大義、つまり前述したように「神聖化した非対称な怒り」で突き動かされている無軌道な国境のない実体です。今、アメリカ陣営は、「まともな敵」をいかに手なづけるかに躍起になっているんですね。

 

そうすると、あの15事例はなんですか? 機雷掃海の事例14。誰が機雷を巻くと想定しているですか? イランですか? イランは、敵国かもしれないけど交渉ができる「まともな敵」としてアメリカが関係修復を模索している相手ですよ。事例14は、「お前ら、機雷撒くだろ。自衛隊がいるもんね。撒きたきゃ撒いてみろよ!」と、まだ撒いてもいない先から喧嘩売っている。これ、英語にして、世界に発信したら、一番頭を抱えるのがアメリカでしょう。全くアホらしい。

 

 

―― 本書でも、テロリストの存在が日本の脅威であることをお書きになっています。

 

だって海岸線沿いにぐるりと原発がある国ですよ? 廃炉、汚染物質、汚染水処理で四苦八苦している福島第一に、海側から、世界中で安価に手に入るRPGを一発撃ちこまれたら……。3・11直後真っ先に逃げたのが横須賀第七艦隊のジョージワシントン号だったように、今度こそ、アメリカが日本を放棄するかもしれません。アメリカの世界戦略の最大拠点が無くなるのです。これをイスラム国が狙わないと思いますか?

 

もし自分探しでイスラム国に行った日本人が、現地の信頼を勝ち得て、「よし、日本に戻って、やれ!」となったら。「総電源喪失」に大掛かりな軍事作戦は必要ないですよ。軽装備の小グループで原発の占拠は可能です。日本を通常戦力の増強だけで防衛できると思ったら大間違いです。まず「敵をなるべくつくらない」、「敵をつくる一切の言動・行動を差し控える」ということをベースに、通常戦力、諜報能力の構築を考えないと、この国は護れません。

 

 

日本人は人を殺しに行くのか

 

―― 集団的自衛権には、「戦争をする国になってしまう!」とは違う視点で、大きな問題があることがよくわかりました。あえて質問をさせてください。日本人は人を殺しに行くのでしょうか?

 

……いまの状況をみていると、なるんでしょうね。

 

例えば、イスラム国に日本の自衛隊が派遣されるようなことはまだ起きないとは思いますよ。起こりうる最初の事件はPKOでしょうね。いま南スーダンは落ち着いていますが、もし避難してくる群衆の中に武装集団が混じっていたら、当然、交戦。あやまって一般人を殺してしまうことは想定しなければなりません。実際に南スーダンでは、自衛隊が駐留している国連の施設に、民衆が助けを求めてなだれ込んでくる事態も発生しています[*1]。

 

[*1] http://digital.asahi.com/notice/notice_ltov.html 朝日新聞2014年4月21日

 

自衛隊は、法的には「警察予備隊」のまま存在しています。つまり軍法がない。自衛隊法にも、国外で犯した過失を裁く規定はありません。刑法も、日本人が海外で犯す業務上過失致死傷は裁けない。自衛隊が一般人を殺してしまったとき、日本は世界から「日本は本当に法治国家なのか」と責められる事態に陥るでしょうね。僕が知る限り、軍法の無い軍事組織を国外に送る国は、日本以外にありません。

 

 

―― 思った以上に問題は根深いわけですね。これからどうすればいいのでしょう。

 

いまは根本的な問題を考えるいい時期なんだと思います。ぼくが参加している国民安保法制懇(安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に対抗し、憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認に反対する憲法学者や元政府関係者ら12人が立ち上げた懇親会)というのがあります。集団的自衛権を認めるなら憲法を変えてからという改憲派や、個別自衛権も容認できないというバリバリの護憲派まで、全く立場の違う大家たちが、今、安倍政権のやろうとしていることはおかしい、という一点で、それぞれの陣営のシガラミを破ってまとまった集まりです。

 

本書でも、そして今日お話したように、国連憲章に集団的自衛権が顕れてから国際情勢は激変を重ね、そして、テロリストとの戦いを迎えて、激変は更に進化の兆しを見せています。

 

これを機に、日本伝統のイデオロギー対立の構造も、不可避的に再構築されて行くのだと思います。その意味で、安倍さんに“極右”というようなレッテルを張るのは、単なる思考停止だと思います。逆に、再構築の機会をつくってくれたと、安倍さんの出現を評価するくらいの胆力で、現在、そして近未来の「集団的自衛権」のあり方を考えるべきなのだと思います。

 

 知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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