『絶叫』――人生は、壊れるときには壊れてしまう

水無田 70年代を通じて20代だった、1950年生まれコーホート(同時出生集団)の女性の人生をトレースすると、49歳までに95%が結婚して子供を産んでいます。70年代は、30才を過ぎた男女は9割結婚していました。当時は、生涯未婚率、つまり50歳時点で一回も結婚していない人の割合が一番低いときで男性で2%、女性で3%くらいなんです。つまり陽子が生まれた頃って、日本人が一番結婚していた時期なんですよね。

 

葉真中 すごい数ですよね。

 

水無田 男性片働きモデルで年々豊かになっていく生活、というのを前提にしているから、景気が低迷すればたちどころに矛盾が噴出してきます。専業主婦というのは高度経済成長期に一般に普及したもので、よく誤解されているように、太古の昔からある伝統的なものではないんです。

 

そもそも、日本人は明治維新のころは9割が農民ないしは漁業民でした。戦後まもない1950年の段階でも、就業者の半数は農林漁業従事者です。第一次産業従事者が多いということは、その妻の女性も貴重な労働力で、ともに農作業などの生産労働に従事する生活スタイルとなります。

 

ですが、高度成長期には工業化が進み、製造業や建設業などの第二次産業が経済成長の牽引車となりました。これは、男性を好んで採用する職種でもあり、またなんと言っても経済成長率も高かった。だから、女性は結婚したら家事育児などのケアワークに専念したほうが、合理的だったんです。

 

この奇跡的な成功譚が、たとえ景気が低迷しても、産業構成比が変わっても、家族の現実的な課題が変わっても、なかなか日本人は忘れられないのが問題です。その最大の犠牲になっているのが、次世代の子供たちではないでしょうか。

 

「超」のつく少子化や、マタハラ、ベビーカー論争、それにシングルマザーへの強い風当たりなども、すべては子供たちの権利よりも家族規範を優先する、この社会の問題から派生しています。

 

 

自由と不自由と

 

水無田 『絶叫』は、「母」や「家族」「時代」がキーワードですが、一方で「自由」について深く考えている作品ですよね。「人間は戦って自由を手に入れるのではない。自由だから戦うんだ」と。これって、近代社会の個人の自己や主体が転倒しているんですよ。

 

葉真中 おっしゃる通りで、「自由」はこの小説の裏テーマなんです。私なりに突き詰めたものを書きたいと思っていました。

 

小説の中では、子供のころに死んだ弟が金魚の姿をした幽霊となり、陽子の前に姿を現します。この幽霊が語るのは、「世界の行く末はすでに決まっている」という決定論に基づく、個人の主体や自由への懐疑です。

 

私たちの社会は、人間に自由意志があることを前提とし、自己決定を尊重し、またその責任を問うことで回っています。しかし、人が何かを選択するときって、必ずしも合理的に考えて決めるわけじゃない。そもそも、合理的に結論を出せるなら選ぶ必要なんてないですしね。

 

選択というのは、好き嫌いといった好みや、そのときのひらめきに支配される行為です。でも、好みやひらめきって、自由じゃないですよね。ということは、選択という行為自体も突き詰めれば自由ではあり得なくなってしまう。

 

最近では脳科学の見地からも、どうも人間には自由意志はないらしい、なんてことが証明されつつあるようです。「私」という主体自体が、もしくは主体があるという認識自体が、壮大なフィクション──つまり、嘘なのでしょう。

 

なのに、世間にはやたらと自己決定や自己責任、個人の選択を重視する風潮がある。それはそれで、必要な嘘なんでしょうが、息苦しさを生む一因でもあると思います。だから、小説という最初からフィクションと決まっている世界の中では、主人公がこの嘘を突破していく様を描けたらと思いました。

 

水無田 なるほど。「個人の自由」から自由になったから、自由になるということですね。

 

葉真中 少しややこしいですが(笑)。まさにそういうことです。

 

水無田 面白い提言ですよね。近代が今まで獲得しようとしてきた自由を、逆説的に転倒させてしまう怖さもありますよね。

 

葉真中 この「自由」とか、あと「豊かさ」もそうですが、近代が獲得してきた価値って、人を幸せにするのか怪しいところがありますね。自由は悩みや後悔とセットだし、豊かさは格差とセットです。

 

ただ恐ろしいのは、これらの価値は一度手に入れてしまったら、失うことに耐えられないことです。もしかしたら、自由も豊かさも、所与のものとして与えられていないのであれば、人はそういうものだと納得して生きていくのかもしれません。先ほどの相対的剥奪感にも通じますが、やはり一度与えられた後で梯子を外されてしまうのが一番つらい。

 

自由や豊かさが人を幸せにするのかは怪しいけれど、それを奪われることは確実に人を不幸にします。ちょっと余談になりますが、私は、上の世代のお金持ちの人たちが「もう経済成長はいらない」とか「これからは経済よりも心の豊かさ」なんて言うとき、すごく憤りを感じるんですよね。

 

水無田 よく、わかります。

 

葉真中 そりゃ、この世にはお金以外にも大事なものはありますし、心の豊かさも結構です。けれど、やはり基盤となる経済がしっかりしていないと、あっちこっちに貧困を生み出してしまう。成長を諦めることで、そのしわ寄せを食うのは、これから社会に出ていく人、特に立場の弱い人たちです。「貧すれば鈍す」と言いますが、心の豊かさのためにも、経済的な豊かさは必要なんですよ。

 

水無田 お金じゃなくて、精神的な豊かさだとか貴重な経験が大切だというような「脱物質的」傾向は、たしかに団塊世代の人たちのニーズには適合的でしょう。でも、世代間ギャップが大きい点も指摘されます。、20代・30代はむしろ物質回帰傾向が見られるんですよね。昔のように、何でも「人並み」に揃えることに興味はないけれども、厳選したものは欲しい、という傾向が見られます。でも、なかなか買えない……というのは、やはり相対的に若年層が貧しくなってきているからでしょう。団塊世代はじめとする上の世代との落差は大きいと思います。

 

葉真中 そういう人たちが言っている「脱物質」って、ロハスとかスローフードとか、生活に取り入れようとすると、結構、お金と時間がかかることだったりしますよね。私たちは別に裸でマンモス狩ってるわけじゃないですから、現代社会では非物質的な経験だって、ある程度はお金で買うんですよね。

 

水無田 裸でマンモス……(笑)。たしかに、非物質的な経験は一見お金がかかっていないように見えて、その機会を獲得するには相応の社会資源も時間も必要です。

 

自分の裁量で長期休暇を確保でき、かつある程度以上の収入水準を保てるのは、やはり限られた層でしょう。日常的な長時間労働や、周囲に遠慮して実質的に取得できない有給休暇など、正社員でも時間が自由にならない人が多すぎるのは本当に問題です。

 

日本の企業で働く人たちの有給休暇取得率は、現在5割を切っています。さらに、非正規雇用の人たちは、有給休暇など夢のまた夢。ましてや、介護や育児などのケアワークを抱え込んでしまったら、仕事と両立は困難です。これは、日本社会が「時間権」ともいうべき人間の権利を無視してきたからではないかと思います。

 

就労時間以外は基本的に対価がなく、評価もされない。だから、社会保障制度もケアワークに時間が取られる人の、ケアの時間を保障するという方向性にはなかなか行かない。だから日本では、弱者ほど「時間貧困」になってしまいます。シングルマザーなどを見ていても明らかで、それは子供たちの経験の貧困にもつながっていきます。

 

 

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左から水無田氏、葉真中氏

 

 

まだ人間に絶望していない

 

葉真中 いま、すごい勢いで人口構成が変わっている中で、家族の形態一つをとっても、なかなか従来の価値観を崩せない。それどころか「昔は良かった」と、過去への回帰を望む人すら一定数います。

 

しかし、このままでは社会の中身と器のミスマッチはどんどん大きくなっていって、そこからこぼれ落ちる人──鈴木陽子のような「見えざる棄民」──が、増えていってしまうんじゃないでしょうか。正直、明るい未来が描きづらい。私は、こういう話をしていると、いつも暗い気持ちになって、暗い気持ちになると……、何か書きたくなるんですよね(笑)。

 

水無田 それは良いことですね。

 

葉真中 私自身、子供がいるのですが、今後、ますます高齢化が進んで、社会保障が崩れたとしても、自分の子供が大人になったときに日本社会が無くなるとは想像できないんですよ。どれだけ大変になろうが、社会は変わらずに続いていくものだって思うんです。

 

よく、少子高齢化に対しては「最終バスが行ってしまった」という言い方をします。今から対策しても手遅れなんだと。しかし、たとえそうだとしても、今生きる私たちは、未来に対してなんらかの責任を負うべきなんじゃないかと思うんです。たとえ根本的な解決ができなくても、なんらかのアクションをしていくべきなんじゃないかと。

 

だって、最終バスが行ってしまおうが、手遅れだろうが、社会が消えてなくなるわけじゃない。少子化とはいえ、今日も新しい命は生まれていて、20年先、30年先も、未来は確実にあるわけですから。

 

水無田 おっしゃりたいことはよく分かります。思想でも文学でも、現状に対するニヒリズムに陥ってしまいがちですよね。でも、それでは未来が開けないですよね。

 

葉真中 いよいよどうしょうもない現実が襲ってきたときに、人間の心はどうしてもニヒリズムに傾いてしまう。でも、そこには抵抗していかないといけない。

 

水無田 ニヒリズムとリアリズムが混同されていることは、本当に問題です。創造的なことを述べたら、楽観的過ぎると捉えられ、冷笑に支配されてしまう。そういう言葉を読むたびに、インドの詩人・タゴールの詩集を読み返すんですよ。好きな詩の一節に

 

こどもは誰でも、ことづてをたずさえて生まれてくる。

神はまだ人間に失望していないということづてを。
(出典:『迷い鳥』川名澄訳、風媒社)

 

というものがあります。

 

葉真中 ああ、いいですね。本当に、とてもいい言葉ですね。私もどこかで引用しようかな(笑)。

 

水無田 戦後昭和的レジームに比べれば、確かに今の日本では少子高齢化が進行し、経済成長も鈍化してきて、「昔に比べて今はダメだ」というダメ出しばかりが流行っていますが、対抗し得るのは未来と創造しかありません。もちろん、できる範囲は狭いですよね。微力ですけど、でもやるしかない。

 

葉真中 そうですね。私も微力ながら、小説を書いていければと思います。フィクションのいいところは、嘘や悪、間違いを書いてもいいこと。むしろ、そいうものを上手く書けたときに真に迫るものになるのですから。

 

水無田 陽子は、時代に翻弄され淡々と落ちて行きながらも、最後、それを突破していきますよね。「平凡」と言われながらもすごいヒロインだと思いました。よほど魂が錬成されているんでしょうね。

 

葉真中 最後に陽子が掴もうとしたものは何だったのか、ぜひ『絶叫』を読んで確かめていただければと思います。

 

 

 

絶叫

絶叫書籍

作者葉真中 顕

発行光文社

発売日2014年10月16日

カテゴリー単行本

ページ数522

ISBN9784334929732

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シングルマザーの貧困 (光文社新書)

シングルマザーの貧困 (光文社新書)書籍

作者水無田 気流

発行光文社

発売日2014年11月13日

カテゴリー新書

ページ数262

ISBN4334038271

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シノドス国際社会動向研究所

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