「宗教至上主義」を超えて――日本の中東理解のあり方を問う

中東政治のステレオタイプ

 

――エジプトで特に取り上げられることの多いムスリム同胞団は、各国に支部がありますが、これらは相互に連携することはあるのでしょうか。

 

形としては、ムスリム同胞団の本部があって、各地に支部があるという形態をとっていますが、繋がりは実際にはないと言っても過言ではありません。連携しているとはとても言えない状況です。支援することはありますが、それは同じ潮流のなかにあるからというよりも、支援することが政治的に有利だから、というだけに過ぎません。

 

例えばエジプトではムスリム同胞団が弾圧されていますが、他の国のムスリム同胞団がこれに対して何か具体的に対処しているかといえば、そういうことはありません。エジプト国内ではシリアのムスリム同胞団も活動していますが、エジプトのムスリム同胞団と協力するのをむしろ避けています。というのも、これと連帯してしまうと、エジプト国内での自分たちの居場所がなくなってしまうからです。

 

ムスリム同胞団は、宗教組織というよりも、政治組織だといえるかもしれません。政治の世界において、宗教というのはあくまでスローガンであって、実際の政治はそんなに単純なものではないわけです。なのに中東では宗教ばかりが強調されてしまう。

 

 

――同じく重要なアクターとして、軍があります。

 

これも日本人のステレオタイプだと思うのですが、軍というと悪いイメージがありますよね。エジプトの場合だと、アラブの春も「軍政vs.人民」のようなイメージで語られていて、これで私たちはなんとなく理解した気になるわけです。

 

しかし、中東に限らず、第二次大戦後に独立したような国において、軍は政治的にそれなりの役割を果たしてきています。農村出身の貧しい若者が立身出世を遂げようとすれば、実力でのし上がることのできる軍がもっともチャンスが多いですし、軍というのは単なる戦争手段ではなくて、政治にも積極的に参加し、社会的不正に鉄拳を下すような役割も果たすことがあります。そのため、軍の存在感は見逃せないものになっています。日本人のステレオタイプで「軍は悪い」と考えてしまうと、実像が見えなくなってしまいます。

 

 

――「アラブの心臓」の政治的メカニズムの説明として、「制度内政治」と「制度外政治」という枠組みも各章で使用されていました。

 

「制度内政治」というのは、われわれが「民主的」とみなすような制度のことです。こうした制度は、多くの場合「アラブの心臓」の地域にとっては異質なものですから、これを無理やり当てはめようとすると、必然的に問題が生じます。

 

例えば多数決原理ですが、これを多様な社会に対して適用しようとすると、疎外感を持つ人がとても多くなってしまいます。この地域に限らず、通常の政治プロセスでも、制度として西洋的なものを受け入れている場合、制度と現地の社会が齟齬を来さないように、常に「制度外政治」のようなものはあったわけです。日本で言う「根回し」もこうした「制度外政治」の1つの例ですね。

 

もっとも、この本で出てきているのは、そうした意味ではなく、制度が揺らいだときに、それを軌道修正するための「制度外政治」ということになります。通常の政治でも、為政者がうまくコントロールできていないと、政治的に不安定になり、不安定になるほどデモのような制度外のアクションが増えてくるわけです。

 

「アラブの心臓」の多くの国では、制度への信頼がそもそも低いので、必然的に制度外のアクションが持つ意味合いが大きくなります。また、国そのものが制度の維持のためにコストをあまりかけられない、ということもあります。そこで、一応制度は作っても、うまくいかなければ制度外で調整する、という形になるわけです。それが、われわれの目から見ると、これは「非民主的だ」となってしまう。

 

 

中東政治に「モデル」はあるか?

 

――エジプトでの民主的な選挙が混乱を生んだり、レバノンの多極共存型政治が機能停止を招いたりする例を見ると、いったいどのような制度ならうまくいくのかと、思ってしまいます。

 

まず、混乱している国の多くは、国内的な要因というよりは、国外的な要因で深刻な対立が起きているという事実があります。これに関しては国際社会が対処する、ということになるわけですが、国内的なことを考えるときに注意しなければいけないのは、「政治参加」という軸ともう1つ、「政治的安定性」という軸があるということです。具体的には、政治や社会の安定をどのように維持するのか、法治国家としての体裁をどのように整えるのか、ということですね。

 

どの制度を採用してもうまくいかないのは、「アラブの心臓」の国々では、この辺りの仕組みがうまく機能していないということだと思います。政府や議会が機能していないレバノンやパレスチナは、逆にこうした努力を諦めて、「決めない政治」に舵を切ってしまった例ですが、こうした国のほうがむしろ安定していたりする。きちんと国を作ろうとしているエジプトやイラクでは、色々な混乱が起きてしまっているのが、皮肉なところです。

 

 

――「アラブの心臓」の各国のなかで、ヨルダンだけが君主制を維持していて、政治的にも異質に見えます。

 

ヨルダンは、政治変動を最も受けにくい環境に身を置いてきたことは確かですね。ヨルダンの安定性には様々な要因がありますが、唯一西側と最初から同盟関係を結んでいたという事実がやはり大きいです。そうすることで経済的な支援も受けることができますし、政治的な変動を防いでくれる同盟国の存在もあるわけです。他の国はいずれも、自律的な国家運営を目指してきたものですから、風当たりも強くなります。政治的な変動にさらされるリスクは大きくなります。

 

ヨルダンは「余ったパーツで作った国」と言うと悪いですが、国が設立される条件がそもそもあまり良くなかったので、危ない橋を渡るよりも、着実に歩んでいくことを目指したのでしょうね。「挑戦者」として売っているエジプトやシリア、イラクなどと違って、「被害者」としてのアピールも上手です。

 

ただ、この安定は、外的な要因に規定された、いわば仮初めの安定なので、これが揺らぐようだと、この地域に関与しているあらゆる国の、特に西側の政策が完全に破綻してしまったことを意味することになると思います。ヨルダンはこの地域において、ある種の「リトマス試験紙」なのかもしれません。

 

 

――そうすると、どこかの国をモデルにして中東全体に当てはめていこう、という考え方には無理があるのでしょうか。

 

これらの国々は、似ている部分も多く、相互に影響しあってはいるのですが、やはり違う点が多いので、最終的には自分たちで独自のものを、時間をかけて作っていく必要があります。そうした意味で、イラクにおいて、度重なるクーデターや政治的混乱を経て「安定」に到達したのがフセイン政権であり、シリアについても、何度もクーデターが起きた末に、最もその国に適応した政治制度として生まれたのがアサド政権でした。

 

もちろんそこには大きな問題がいくつも存在するわけですが、イラクにせよシリアにせよ、それを外圧で壊すことによって起こる混乱も非常に大きいということは、認識しておくべきだと思います。

 

エジプトの場合は、「アラブの春」に際して、少なくとも自分たちの力で体制を転換した、と言うことが可能ですよね。エジプトでは2011年の革命の後、政治が混乱し、それを打開するかたちで2度目の政変――これを革命と呼ぶか、クーデターと呼ぶかはともかく――が起こり、今も混乱が完全に収束したとは言えませんが、デモ隊であれ軍であれ、エジプト人が事態を掌握し、主体的に対処しようとしています。

 

こうした結果として、エジプトの政治は混乱し続けてはいるのですが、とはいえ、その主体性ゆえに、自己回復能力があるようにも感じます。私のシリア人の恩師が言っていたことですが、エジプトは、アラブ世界のなかで唯一、「ピープルズ・パワー」によって政治が動き、それがエジプトだけでなく周辺諸国を予想不可能な未来へと導く政財能力を持っています。そうした民衆の力をコントロールできなかった政府は淘汰されるわけですが、何年かそうした状況が続く間に、再構成されて自動的に政治の方向性が定まってくるのだとも考えられるわけです。

 

 

これからの中東理解のあり方

 

――本書が刊行されてから現在(2015年7月)までの間に、何か大きな情勢の変化はありましたか。

 

大枠では、良い意味でも悪い意味でも、変化はないと言えるかと思います。デッドロック状態というか。もちろん小さな変化はありました。エジプトではテロが散発的に起こったりということはありますが、それらについては本書の枠組みで説明できます。イスラーム国の動静や発生の経緯に関しても、ここでの分析の枠内で説明できるはずです。

 

 

――日本での中東理解は宗教至上主義であったり、単純化を行いがちであるということでしたが、専門知識のない一般の人たちの場合、どのような態度で中東に接すればよいのでしょうか。

 

日本語の情報だけで理解するのが、かなり難しくなっている状況があり、断片的な情報に頼らざるを得ないのがネックです。そのような状況では、極めてインパクトの大きいニュースだけが取り上げられて、そうしたニュースの点と点を「宗派」のような概念で結びつけて、強引に理解しようとする傾向が見られるようになります、ですが、こうしたやり方は、避けたほうがいいということは言えるでしょうね。

 

もし点と点を結びつける必要があるならば、普段われわれが中東以外の政治を理解する際に用いるような枠組みで、判断するのがおすすめです。例えばイスラーム国の行動を議論する際にも、それを単に宗教的な過激派という枠組みで説明した気になるのではなく、中東以外の地域の政治や暴力を読み解く際に使うような枠組みを使って考えてみるという態度が望ましいと思います。なるべく自分に身近な問題を見るような態度で接するほうが、理解しやすいですし、変な虚像を作りにくくなるはずです。

 

また、「情報の得方」も大事になってきます。われわれが得ている情報が、操作されているという可能性を常に意識しているべきです。情報が操作されると、「勧善懲悪」とか、「予定調和」のような構図が出てくるわけですが、現実の政治がそんな単純なはずはありません。

 

中東に関する情報に接するときは、それが情報戦の結果として出てきている情報である可能性を、いつも考慮しておいてください。大手のメディアが引用するような通信社の情報であってもそうですし、日本メディアが独自に報道する内容であっても同じです。常に疑っている、ということが重要です。

 

ただ、これも日本の政治なんかを考えてみると当たり前のことで、例えば「安保法制を通しても自衛隊は危険にはさらされない」などと政治家が言ったとしても、多くの人は「そんなことはないだろう」と思うわけですよね。日本のことであれば、多くの人がこうした疑いの態度を実践しているわけです。

 

これが、中東のような、自分では行けない場所の話になると、現地情勢に精通しているとされる人の情報を信用してしまいがちになるのですね。縁遠いものとして認識してしまった瞬間に、情報に対する受け入れ方の精度が落ちてしまうので、注意したほうが良いです。

 

もちろん、この本に書かれている内容についても鵜呑みにせずに、疑いの目で見て検証する作業が必要ですよ。身近ではない概念で単純に理解しようとするのではなく、身近な問題に接するように、安易に答えを求めない態度でのぞむことが求められているのだと思います。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

・山本貴光「語学は裏切らない――言語を学び直す5冊」
・片岡栄美「趣味の社会学――文化・階層・ジェンダー」
・栗田佳泰「リベラリズムと憲法の現在(いま)と未来」
・渡邉琢「介助者の当事者研究のきざし」
・松田太希「あらためて、暴力の社会哲学へ――暴力性への自覚から生まれる希望」
・穂鷹知美「スイスの職業教育――中卒ではじまる職業訓練と高等教育の役割」