「同じ」と「違う」のあいだになにがある?

人はなにを「同じ」と思って「違う」と思うのか――「盗作」を問うことは、言語学の根本問題!? そして、盗作にも上手い、下手がある!? 話題の『盗作の言語学』著者、今野真二氏にお話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

なぜ「盗作」と感じるのか

 

――今回は、『盗作の言語学』著者の今野先生にお話を伺いたいと思います。本を読んでいると、「盗作かどうか」自体の判断をすることに禁欲的な印象を受けました。

 

そうですね。タイトルだけみると、「盗作かどうかを言語学で判断する」という本だと思われる方がいるかもしれません。ですが、これは盗作だ!間違いない!とか、けしからん!と言うところに焦点はありません。

 

文芸作品には盗作騒動がよく起こります。なぜ私達読み手はそれを「似ている」と感じるのでしょうか。それを言語学的に読み解いてみようとしたのが本作です。

 

ですから、すでに出来上がっている短歌や俳句を改変もせずそのまま自分の名前で出す「盗作」は分析の対象としていません。

 

それよりも、ある作家が非常に好きで、よく読んでメモを取っていた。自分で書いたつもりになって、発表したら「パクリ」だと言われてしまったというケースが気になります。

 

100パーセント一緒じゃないのに、私たちはなぜそれを「盗作」と感じてしまうのか、それが私の関心です。

 

 

――先生は本の中で、どのように「類似」を判断しているのでしょうか。

 

『盗作の言語学』では、「盗作」として話題になり、類似が指摘された二つのテキストを3つのプロセスから分析してみました。

 

1.まったく同じ表現をマークする

2.まったく同じ表現の出現順に注目する

3.特徴のある表現に注目する

 

ここで、実際にみてみましょう。フォークナー「サンクチュアリ」の翻訳(西川正身、龍口直太朗共訳)の盗作疑惑がでた西村みゆきの「針の無い時計」という作品があります。両者の一部を並べてみましょう。

 

(新潮文庫「サンクチュアリー」95ページ)

テンプルははつと立ちあがつた。彼女はドレスのボタンをはずし、両腕を細く高く半円形にあげた。その恰好はおどけた影法師になつて壁に映つた。ひよいと身動きして脱ぐと、下着だけになつてマッチ棒のように細くみえる体を、ちよつとかがめた。

 

(「針のない時計」12~13ページ)

頼子は立ちあがると、洋服の胸のボタンをはずし、両腕を細く高く半円形にあげた。その恰好はおどけた影法師になって壁にうつった。身動きをして服を脱ぐと、下着だけになって、細い体をちょっとかがめた。

 

たとえば、「ボタン」という言葉が両方の作品に使われたからといって、「盗作」と思う人は少ないでしょう。単語を単位として独創性を問題とすることには積極的な意義がみとめにくいんですね。「卵」の複数形として「てめげ」という言葉を私がつくったとしても、説明しないと読み手は分かりません。ですから、新しさというのは、単語そのものではなく、単語の並び順にあるんです。

 

テキストをみると、「ボタン」「はずし」「両腕を」「細く」「高く」「半円形に」「あげた」などと、「まったく同じ表現」が「まったく同じ順」に、しかもいくつも出現している。この点が「類似」と感じられます。

 

そして、特徴のある表現にも注目します。この場合は「おどけた影法師」という表現が特徴的ですから、「似ている」と私たちは感じるのです。

 

 

鳥貴族!?鳥二郎!?

 

――「新しさは並び順」ってすごく面白いですね。

 

ちょっと脱線しますが、これが騒ぎになったの知ってますか。

 

 

――「鳥貴族」ですね。

 

そう、焼き鳥屋さんのチェーン店で、「鳥貴族」と「鳥二郎」っていうのがあって。この看板が似ていると「鳥貴族」が「鳥二郎」を訴えました。

 

 

――うーん、確かに似ている感じがします。

 

テレビなどでは、「鳥貴族に行く予定の人が、鳥二郎に行ってしまう。間違えやすい」と報道されていました。

 

でも、看板だけみると、言語学的観点からは全然違います。まず、特徴的な表現をあげようとしても、「鳥」しか共通点はありません。焼鳥屋で「鳥○○」なんてところは沢山あるでしょう。

 

もし「鳥男爵」や「鳥伯爵」「鳥一郎」「鳥三郎」という名前ならまだ分かりますが、「貴族」と「二郎」では全然印象が違う。「きぞく」と「じろう」という発音にも共通点がありません。

 

そして、看板を言語で説明しようとしてみてください。良く見ると字体が違いますし、色も違います。鳥貴族を言語的に説明するのであれば「黄色い背景に、甲骨文字のようなフォントで『鳥貴族』と赤色文字で書いている」となり、鳥二郎の場合は「赤い背景に、鳥の字にはくちばしと目が書いてあって『鳥二郎』と黄色い文字で書いている」となります。まったく別物です。

 

今回、五輪のエンブレムも騒動になりましたが、言葉で説明しようとしたら、類似しているロゴとまったく別物になるでしょう。

 

言語学的には要素が共通しても、並び順が違っていたら、それは新しさです。素材を組み合わせて自分のオリジナリティを発揮していれば、それは立派な作品でしょう。でも、人は「盗作だ」と判断する。すごく興味深いですよね。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.273 

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・片岡栄美「趣味の社会学――文化・階層・ジェンダー」
・栗田佳泰「リベラリズムと憲法の現在(いま)と未来」
・渡邉琢「介助者の当事者研究のきざし」
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