プロテスタンティズムと「共存の作法」

ドイツ統一のための建国神話

 

――かくして、プロテスタントが新しい宗派として成立したということですね。しかし、宗教改革とプロテスタントには「近代的自由の思想の出発点」というイメージもあります。

 

それはいわゆる「伝統の創造」と言われるもので、政治的な創造物にすぎません。

 

「遅れていた大国」ドイツが1871年に悲願の統一を果たした際、新しく生まれた帝国は、統一国家としてのグランドデザイン、あるいは何よりも新たなナショナル・アイデンティティーを必要としていました。それは、なぜこの領土がドイツと呼ばれるのか、という国内の問いへの答えであり、同時にいち早く近代化を成し遂げていたフランスやイギリスに対抗できる、「偉大なるドイツ」を誇れるような理念でなければなりませんでした。

 

1871年の統一では、オーストリアは排除されました。そのためドイツ語という共通言語によるナショナル・アイデンティティーの形成は意味を持たなくなっていました。さらに統一を決定づけたのは長年の敵であるフランスに対する勝利でした。

 

だからこそ「ドイツ的なもの」の淵源は、16世紀にカトリックに対して戦い、近代的な自由の基礎をつくり上げたマルティン・ルターとその宗教改革に遡るという地政学的なイメージが浮上したのです。なぜならオーストリアはドイツ語圏ですがカトリックなので、統一からは排除されると説明できるし、長年の敵であるフランスもまたカトリックの地域だったのですから。

 

皇帝の正枢密顧問官で、ベルリン大学神学部教授であったアドルフ・フォン・ハルナック(1851 – 1930年)は、「17世紀のピューリタン革命より、18世紀のフランス革命よりも早く、近代的な自由を主張したマルティン・ルターの宗教改革」という地政学的な歴史解釈を提供しました。つまりこの時代、ルターとその宗教改革の精神は、宗教的にというよりは、政治的に再発見されたのです。

 

 

――そうしたイメージが、日本でも教科書的な知識として流布しているのですね。

 

宗教改革の政治的利用が主流であった統一後まもないドイツに、明治維新後の日本から、その後の国造りに貢献することになる多くの優秀な若者たちが留学し、ドイツ風の学問を持ち帰っています。

 

わが国のかつての世界史の教科書に、「1517年10月31日に修道士マルティン・ルターが、ヴィッテンベルク城の教会の入口に95箇条の提題を張り出したときに宗教改革が始まり、腐敗したカトリックを批判したルターによってプロテスタントが起こされ、プロテスタントはヨーロッパの近代化に寄与した」などと書かれていたとしても、決して不思議なことではなかったのです。それは歴史である前に、1871年のドイツ統一のための建国神話であったわけです。

 

 

二人のマルティン・ルター

 

――他方で、プロテスタントにはもうひとつの潮流もあるとのことです。

 

ヴィルヘルム期からヴァイマール期ドイツで活躍したエルンスト・トレルチ(1865 – 1923年)という、有名な神学者であった政治家がいます。ヴァイマール期には一時、大統領候補になったこともあります。マックス・ヴェーバー(1864 – 1920年)の数少ない友人で、またハイデルベルク時代は同じ家に住んでいました。

 

彼はその時代のドイツ・ルター派に責任を持とうとした神学者であり、政治家でしたが、だからこそドイツ・ルター派に批判的でもありました。そのトレルチがプロテスタントというのは、じつは一枚岩ではなく、カトリックと違って、世界中どこに行っても同一プロテスタントが存在しているのではない、ということを述べています。

 

そしてルターやジャン・カルヴァンなどの改革の流れを「古プロテスタンティズム」と呼び、この教会は制度的にはカトリックとそれほど変わらないと言いました。それに対して、ルターやカルヴァンの改革の不徹底を批判し、さらなる改革を主張したために、ルターやカルヴァンからはいじめ抜かれたグループから出てくる流れを「新プロテスタンティズム」と呼んでいます。

 

 

――改革派が保守化するなかで、さらなる改革派が出てくるわけですね。

 

ルターの改革はかなり早い段階で、大きく見渡すとふたつの、それぞれ性格の異なったプロテスタンティズムに区分されるようになっていました。

 

ひとつは「改革」という自らの立場を定着させ、自らが本来あるべき正統的なキリスト教だと主張するようになった勢力。それがドイツのルター派です。しかし社会におけるあらゆる改革勢力がそうであるように、「前衛」は戦いを経て「後衛」になります。改革を主張していた人々が、新たな改革に対して守りに徹するようになる。政治的勢力と結びつくことである程度安定したポディションを得たことで、さらなる改革や批判を受け容れられなくなるのです。それはいつの時代も同じです。

 

それに対してもうひとつの「改革」勢力は、従来の改革の不徹底さを嘆き、よりラディカルな改革を求めた人々の動きです。「改革の改革」を主張する人々が登場したのです。それは初期の宗教改革者たちの想定をこえた動きでした。ですから、このラディカルな改革を政治的支配者たちは治安の安定のために排除しますし、宗教改革者たちもそれに協力し、批判的になり、具体的には教会制度からの追い出しにかかったのです。

 

 

――「改革の改革」、あるいは「新プロテスタンティズム」とは、どのような特徴を持つものなのでしょうか?

 

私はこのことを説明するときに、しばしば「二人のマルティン・ルターを見るとよい」と言っています。マルティン・ルターはトレルチによれば「古プロテスタンティズム」に属しますが、もうひとり私たちは別のマルティン・ルターを知っています。

 

それはアメリカの公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師(1929 – 1968年)。その名はドイツ語読みをすれば、マルティン・ルターです。同名で、やはり牧師だった父から、16世紀の宗教改革者を意識して与えられた名前です。彼はバプテストと呼ばれるプロテスタントのグループの牧師でしたが、このバプテストは「改革の改革」の流れのなかから出てきた典型的な「新プロテスタンティズム」です。

 

彼らバプテストたちは体制化した宗教改革の運動とは違い、個々人が主体的に信じる自由、具体的には自由に宗教(あるいは教会)を設立し、その信者となる権利を要求しました。

 

今日では当然の権利として認められている信教の自由ですが、この時代の人々はまだ手にしていませんし、自由に教会をつくる権利などという考えは、社会の統一だけではなく、教会の一致をも破壊する恐ろしい考え方だとされました。だからこそ彼らは政治的な支配者だけではなく、宗教改革者たちからも批判され、排除されることになりました。

 

ルター派はこのような勢力を、社会秩序の基盤や、社会の統一を乱す厄介者として教会のみならず、社会から追い出しました。だからこそ、「改革の改革」を迫る勢力は政治的支配者に抵抗し、それとは明確に距離を取り、むしろ政府や統治者の過ちをはっきりと批判するようになりました。そこにバプテストの伝統があります。公民権運動の指導者となった方のアメリカのルターは、このバプテストの牧師なのです。

 

 

「新プロテスタンティズム」と近代世界

 

――近代、あるいは近代的な諸価値と結びついているのは、「新プロテスタンティズム」の方なのですね。

 

その通りです。近代世界の成立との関連で論じられ、また近代のさまざまな自由思想、人権、抵抗権、良心の自由、デモクラシーの形成に寄与し、あるいはその担い手となったと言われているのは、カトリックやルター派、そしてカルヴィニズムにいじめ抜かれ、排除され、迫害を受けてきた、「改革の改革」を主張した「新プロテスタンティズム」です。

 

このように、プロテスタントは一枚岩ではないのです。大きく見渡せばプロテスタントの流れはふたつあり、それがふたつの異なった政治的スタイルをも生み出しているのです。ひとつは政府の政策に寄り添う宗教としてのプロテスタンティズムであり、もうひとつは国家に依存するよりは、自活的結社としての教会の形成力に、社会の変革や改革に使命を見出すプロテスタンティズムです。

 

 

――公立と私立の小学校の違い、というたとえが分かりやすかったです。

 

「古プロテスタンティズム」のイメージは公立小学校ではないかと思います。その地域の行政の責任者が小学校をひとつ建て、そこで義務教育が行われるのです。その地域に住む住民はみなその学校に行きます。それを学校区と呼びます。「古プロテスタンティズム」の教会も同じで、教区というものがあり、その地域で生まれた者たちは、その地域の政治的支配者、あるいは行政が建てた教会に行くのです。授業料は無償で、税金で運営されます。

 

それに対して「新プロテスタンティズム」は、政治的指導者や行政が定める教会ではなく、自由に教会をつくらせろと言うのですから、私立の小学校のようなものです。公立の小学校があるにもかかわらず、あえて自分たちの教育の考えに合う小学校を選び、授業料を払い、入学資格を得るために試験を受けるのです。自発的結社です。

 

そういう意味では「新プロテスタンティズム」は、「古プロテスタンティズム」が独占していた宗教のマーケットを自由化したのです。もっと言えば、国営による独占を批判し、民営化し、自由化し、市場原理を持ち込むことで、自由な競争を可能にしたのです。

 

ここから近代の新しい社会システムが生まれたのではないでしょうか。民営化と「新プロテスタンティズム」が似ているのではなく、「新プロテスタンティズム」の人たちの宗教的行動が社会のシステムを最初に変えた。アメリカに渡ったピューリタンと呼ばれる「新プロテスタンティズム」の伝統を受け継いだ人々が意図的に、あるいは無意識のうちに生み出した社会の仕組みが、まさに民営化と自由化だったのです。

 

 

保守主義としてのプロテスタンティズムの真価

 

――他方で、保守主義としてのプロテスタンティズムにも、「共存の作法」という現代的な意義を認められていますね。メルケルの話はとても示唆的でした。

 

保守とは何か、ということなのですが、本来的な意味での保守というのは、その社会の本流や伝統を知っているということであり、「反動」ではありません。改革を拒否したり、変化を拒否する勢力でもありません。保守は社会の本流を知っているが故に、社会が本来あるべき姿から逸脱しようとするときには、否をいう勢力のことではないかと思うのです。

 

そのような意味でドイツ・ルター派の伝統とは何かということなのです。ドイツ社会が難民問題で揺れ動いたとき、それと並行して極右勢力の排他的で不寛容な政策が力を持つかに思えたときに、ルター派の牧師の娘であるアンゲラ・メルケル首相が、その動きを強く否定したことは、このことと深く関係していると思います。

 

プロテスタンティズムは、たしかに争いの宗教でした。その歴史は分裂と批判、戦争と排除の歴史です。それを忘れてはなりません。しかし他方でヨーロッパという地理的な条件のなかで、争っても、血を流しても、それでも争いが終われば、敵と憎しみの対象と共存してゆかねばならないのです。逃げられないのです。昼間取っ組み合いの喧嘩をした兄弟も、夕方になって母親が「夕御飯になります」と言えば、口を聞きたくなくても、まだ言いたいことはあっても、同じテーブルで食事をしなければならないのです。

 

それと同じように、プロテスタントの争いの歴史は、戦いの後に何とか共存の作法を見つけて生きて行こうという努力でもあったのです。1555年の「アウクスブルク宗教平和」、「寛容」という考え、「教会と国家の分離の原則」など、制度化されたり、思想として残されているもの以外にも、さまざまな努力があったわけです。

 

ドイツでルター派が保守であると言う場合には、プロテスタントであるとの意味を、他者を排除するという意味での宗派性に見ているのではありません。むしろ、宗教改革後の時代にやってきた宗派同士の終わることのないような政治的戦いのなかで、異なった宗派の共存のシステムをどのようにつくるかという努力の伝統として理解しているのです。そしてそこにこそ、保守主義としてのプロテスタンティズムの真価があると私は思います。

 

 

プロテスタンティズム - 宗教改革から現代政治まで (中公新書)

著者/訳者:深井 智朗

出版社:中央公論新社( 2017-03-21 )

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新書 ( 221 ページ )

ISBN-10 : 4121024230

ISBN-13 : 9784121024237


 

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