歴史のなかの日中関係――清末から現代までの120年間の歴史を振り返る

「二分論」と日中国交正常化

 

――戦後日中関係について伺っていきたいと思います。出発点として「以徳報怨」演説について教えていただけますか。

 

「以徳報怨」演説と呼ばれるものは、1945年8月15日に蔣介石が行ったラジオ演説です。翌日の新聞などにも掲載されました。後に翻訳されて日本にも紹介されています。

 

「以徳報怨」(徳をもって怨みに報いる)という言葉は、原文では使用していません。「もし暴行をもって敵の従前の暴行に答え、侮辱をもって彼らの従前の誤った優越感に答えるなら、互いに怨みに報いることが永遠に終わらない」といった内容になっています。「以徳報怨」という表現は、戦後の自民党内の親台(親国民党)派などが用いたもののようです。

 

 

――蒋介石は「以徳報怨」演説をするだけでなく、日本への賠償請求も放棄しています。

 

1951年に日本と連合国の講和会議が開かれ、対日講和条約が締結されます。ここで日本の賠償義務は免除されたのですが、例外規定があり、中国は賠償請求権を保留されました。ただよく知られるように、この会議には中華民国・中華人民共和国はともに招請されていません。日本はアメリカの影響の下、双方のうち中華民国との講和交渉を選びます。

 

しかし、中国国民党が政権を握る当時の中華民国は、中国共産党との内戦に敗れてほぼ台湾のみを実効支配するという非常に弱い立場に陥っていました。そのため当初は賠償請求を準備していた中華民国も、最終的にはサンフランシスコ講和条約に準じた賠償請求権放棄を受け入れ、日華平和条約が締結されました。

 

 

――中華人民共和国のスタンスはどうだったのでしょうか?

 

中国共産党が1949年に樹立した中華人民共和国は、サンフランシスコ講和条約・日華平和条約をともに認めず、強い抗議を行いました。

 

しかし一方で、アメリカや、台湾の中華民国と対峙する中華人民共和国は、日本への働きかけを重視しました。また、当時の日本にも、中国市場への期待が存在しました。そこで中国がとったのが、蔣介石と同じく、日本の中国侵略の原因は一部の軍国主義者にあり、一般国民にはないとする「二分論」でした。

 

中国政府はこれにもとづき、アメリカ・台湾と関係を結ぶ日本政府を批判しつつ、1952年に第一次日中民間貿易協定を締結しました。民間ベースの交流を徐々に拡大することで、政府間交渉に結びつけようとしたのです。

 

しかし日本政府が「政経分離」の立場を維持したこと、岸信介内閣の対米・対台政策に対する中国政府の反発があったことなどから、1958年の長崎国旗事件(長崎のデパートで開催されていた中国商品展示会場で、右翼青年が中華人民共和国国旗を引き下ろした事件)を契機にこの方式は頓挫しています。

 

 

――1972年の日中国交正常化交渉でも、中国は日本に妥協したと言われますね。

 

日中国交正常化に際し、日本政府にはいくつかの懸念がありました。日華平和条約との法的な整合性、とくに戦争状態の終了や賠償請求権の問題などです。

 

日本政府は「中国」との戦争は日華平和条約で終了しているという立場でした。そこで日中共同声明では、「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態」が終了した、という表現が使われています。

 

賠償についても、中国側が賠償請求権を放棄すると表明しました。さらに、日本政府側が日華平和条約ですでに「賠償請求権」は放棄されているとの立場であったため、「賠償請求」を放棄したという表現になっています。日華平和条約についても日中共同声明では触れず、大平正芳外相が「存在意義を失い、終了したものと認められる」との見解を表明するかたちで処理されました。

 

交渉に際し中国側が一定の妥協を行っていることはたしかで、その背景には当時の中国にとっての「主要敵」であるソ連に対する警戒がありました。

 

 

――「主要敵」とは?

 

毛沢東時代の中国の外交の基本方針は、「主要敵」に対する統一戦線というものでした。

 

1960年代の中国は、冷戦下でのアメリカを含む西側諸国との対立に加え、ソ連やインドとの間にも紛争を抱えていました。こうしたなかでソ連を当面の「主要敵」とみなし、アメリカや日本との関係改善を求めたことが、1972年のニクソン訪中、日中国交正常化の原因です。

 

 

――このときの妥協が、後に禍根を残すことになるわけですね。

 

当時の中国社会にはなお日中戦争の記憶が鮮明でした。そのため、田中角栄首相の訪中に先立ち、中国政府は国民に対する説得キャンペーンを行いました。日中国交正常化が中国の国際戦略にとって、いかに有意義であるかが宣伝されたのです。

 

賠償請求の放棄についても、台湾の中華民国が放棄したのだから、中華人民共和国は同等以上の度量を見せる必要がある、また「二分論」の論理から、日本の一般国民に負担を課すべきではない、といった説明がなされました。賠償放棄について国共の共通点を挙げれば、道義にもとづく決断であることを強調している点でしょうか。

 

このようにして日中両政府は国交正常化を短期間で実現させました。しかしそれは、国民感情や歴史認識など、日中間のさまざまな困難な争点を解決するのではなく、双方が政治的に棚上げすることによってなされたものでした。また賠償請求の放棄は、日本社会の加害責任に対する認識を曖昧にすることにもつながりました。

 

以後の「日中友好」ブームの中で、双方の国民間でこれらの争点について議論が深められることなく、相互の認識のすれ違いが放置されたことが、1980年代以降の歴史認識問題の一因と考えられます。

 

 

中華民族の偉大なる復興

 

――80年代になると日中間に大きな摩擦が生じます。

 

1982年の歴史教科書問題や、1985年の靖国神社参拝問題が起きたことについては、いくつかの要因が指摘されています。

 

中国共産党は1978年に改革開放政策(注5)を開始し、経済発展を国家目標としました。他方で、西側の思想の流入や、社会に個人主義・自由主義的傾向が広がることを警戒しました。そこで国家統合の核としてナショナリズムが重視されるようになり、その構成要素として日中戦争の歴史が重視されることになりました。

 

(注5)中国で、1978年から鄧小平を中心として実施された経済政策。文化大革命後の経済を立て直すため、経済特別区の設置、人民公社の解体、海外資本の積極的な導入などが行われ、市場経済への移行が推進された。

 

また、台湾の国民党政権に対する働きかけの方針が、武力による統一から「和平統一」に転換したことで、日中戦争中の抗日民族統一戦線の歴史が重視されるようになったこともあります。国際的には、経済大国となった日本が政治大国となることへの警戒もあるでしょう。

 

とはいえ、日本のODAや円借款が中国にとって重要だったこともあり、基本的には1980年代の日中関係は非常に良好でした。日中関係が大きく転換するのは、やはり1990年代以降ではないかと思います。

 

 

――90年代の日中関係の転換について教えてください。

 

1989年の天安門事件が、日中関係に大きな影響を及ぼしました。事件が世界に大きく報道されたことで、日本社会の中国に対する親近感は急激に失われました。一方中国側でも、アメリカをはじめとする西側諸国の経済制裁、民主化への圧力は「和平演変」(非軍事的手段による体制転覆)の企てだとして反発が高まりました。

 

1996年には台湾で初の総統直接選挙が行われましたが、「台湾独立」を警戒する中国は軍事演習を実施してこれを牽制しました(台湾海峡危機)。この事件も日本社会の「中国脅威論」を高めることになりました。一方で中国側では、1997年に日米安全保障条約の再定義がなされたことで、「周辺事態」に台湾が含まれるのではないかとの警戒が強まりました。

 

このように、民主化や歴史認識の問題、台湾問題の影響で、1972年の国交正常化以来の日中関係が大きく変容し始めたのが1990年代だったと考えられます。

 

 

――天安門事件後、中国政府は「中華民族」という概念を前面に押し出し始めますね。

 

中華人民共和国で重要だったのは、階級概念にもとづく「人民」で、「民族」と言った場合は「漢族」「満族」「回族」といった国内の各民族を指すことがほとんどでした。清末・中華民国期に使われた「中華民族」という概念が、天安門事件以後、ふたたび強調されるようになったのにはいくつかの理由が考えられます。

 

その一つは、冷戦の終結に伴う世界的なエスニック・ナショナリズムの噴出です。とくにソ連崩壊による中央アジア諸国の独立や、ユーゴスラヴィアの分裂と深刻な民族対立は、中国に強い危機感をもたらしました。実際に1989年の民主化運動の際には、チベットでも独立運動が起こっています。漢族と「少数民族」の上位概念として「中華民族」の一体性が強調されるようになったのはそのためだと考えられます。

 

 

――他方で、「列強に虐げられた」過去がふたたび強調されるようになりました。

 

毛沢東時代には、中国の歴史教科書の重点は「列強に虐げられてきた中国」よりも、「それを克服した中国共産党の偉大な勝利」に置かれていました。

 

天安門事件後の「愛国主義教育」のなかで、「列強に虐げられてきた」事例が強調されるようになった理由としては、やはり若い世代の西側の思想や事物への憧れを抑制し、警戒感を持たせるということ、また戦争を実際に体験した世代が社会から退場するなかで、それらを学校で歴史と教えなければならなくなったという事情も考えられます。

 

 

――そして現在、習近平主席は「中華民族の偉大なる復興」を掲げています。

 

「国恥図」の説明のなかでも触れましたが、近代以来の中国が、西洋列強から「恥辱」を受ける以前の「輝かしい過去」を想像し、そこへの回帰を目標の一つとして掲げてきたことは確かです。

 

ただ、やはり申し上げましたように、これはとくに中国に限ったことではなく、不利な状況で近代国家建設を迫られたあらゆる地域に共通する傾向なのではないかと思います。「中華民族」という概念自体が、清末に西洋式の国民国家を構想するなかで初めて生まれたものだったことも、先ほど述べたとおりです。

 

「中華民族の偉大なる復興」は胡錦濤前国家主席の時代から使用されてきた言葉ですが、表面的な華々しさの一方、それ自体としては内容が非常に曖昧な、如何様にも解釈可能なものです。そのためこの言葉が現在の中国の一般の人々にとってどれだけの意味をもつのかはよくわかりません。

 

 

――最後に読者へのメッセージをいただけますか。

 

現在、書籍にかぎらず、さまざまなメディアに中国に関する情報や議論が溢れています。情報の不足ではなく、むしろ情報の過多のために、中国というものの本来の姿が見えにくくなっているようにも感じます。そうしたなかで本書が、読者の方々が中国の歴史と現在について自分自身の見方をもつための、何らかの道しるべとなることができましたらうれしく思います。

 

中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書)

中国ナショナリズム - 民族と愛国の近現代史 (中公新書)書籍

作者小野寺 史郎

発行中央公論新社

発売日2017年6月20日

カテゴリー新書

ページ数262

ISBN4121024370

Supported by amazon Product Advertising API

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

シノドスをサポートしてくれませんか?

 

誰でも自由にアクセスできる本当に価値ある記事を、シノドスは誠実に配信してまいります。シノドスの活動を持続的なものとするために、ぜひファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」のパトロンをご検討ください。⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

無題

 

・人文・社会科学から自然科学、カルチャーまで、各界の気鋭にじっくりインタビュー
・報道等で耳にする気になるテーマをQ&A形式でやさしく解説
・研究者・専門家たちが提案する「こうすれば●●は今よりもっとよくなるはず!」

・人類の英知を伝える「知の巨人」たち
・初学者のための「学びなおしの5冊」

……etc.  

https://synodos.jp/a-synodos

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.244 特集:人間が人間らしく生きるために

・黒﨑真氏インタビュー「「非暴力」という抵抗――キング牧師の戦い」

・志田陽子「人権の21世紀――人権とは、螺旋階段の途中にあり続けるもの」

・要友紀子「出会い系/セックスワーク広告サイト弾圧のナンセンスを圧倒する、トランプ政権下のオンライン・セックスワーク・サバイバル」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「「Yeah! めっちゃ平日」第十四回」