「もう一つの近代」という希望――長い帝国崩壊の過程のなかで

イスラームと西洋的近代化

 

――イスラームにおける西洋的近代化、あるいは近代西洋のローカライズはとりわけ困難に満ちているように見えます。

 

近代西洋起源の事物のローカライズをめぐる困難は、20世紀の中頃には世界中で目立つようになりました。とりわけ、1970年代に顕在化した宗教復興の動きは、世俗化や世俗主義へのアンチテーゼとして、西洋的近代化を既定路線とする考え方への異議申し立ての側面を持っていました。

 

しかし、だからといって、ローカライズのプロセスが完全に暗礁に乗り上げてしまったかといえば、おそらくそうではありません。というのも、西洋近代起源の事物も現実には取捨選択されており、完全に拒絶されているわけではないからです。

 

問題は、その取捨選択の基準ということになります。イスラームの場合でいえば、その基準は、教義のレベルから演繹されることもありますが、実際にはその時々の人間(ムスリム)の解釈に大きく依ります。

 

 

――具体的にはどういうことでしょうか?

 

例えば、イスラームの教えでは経済活動における利子が明確に禁止されていますが、現実にはイスラーム銀行やイスラーム金融といった新しい仕組みが次々に開発されています。

 

今日の世界において、資本主義に背を向けながら経済活動を行うことは不可能です。つねに移ろいゆく現実のなかで、人間は神の意思の解釈を繰り返しながら、その時々にふさわしいイスラームのあり方を追い求めるのです。

 

重要なのは、その解釈の内実が近代西洋との関係、とくに欧米諸国との政治的な関係に左右されるということです。関係が悪くなれば、近代西洋の事物を拒絶しようとする声も出てきます。先に述べた過激派の台頭と同じ仕組みですね。

 

 

――なるほど、宗教に原因があるように見えても、背後には政治的な問題があるというのがよく理解できます。

 

 

「イスラームの戦い」と「テロとの戦い」の悪循環

 

――なぜ、イスラーム主義運動は欧米諸国に敵意を抱くに至ったのでしょうか? 

 

イスラーム主義の過激派――本書ではジハード主義者と呼んでいますが――、彼ら彼女らの登場は、あくまでも中東の政治的混乱の1つの結果と見る必要があります。

 

ジハード主義の元祖「第一世代」は、あくまでも中東諸国の内部で起こった独裁や弾圧の産物です。彼ら彼女らが敵視していたのは、欧米諸国ではなく、あくまでも「近い敵」である中東の独裁者でした。しかし、「第二世代」は、欧米諸国という「遠い敵」をターゲットにするようになりました。その背景には、欧米諸国の外交政策の杜撰さがありました。

 

とりわけ、アメリカは、良くも悪くも中東に繰り返し介入してきましたが、そこで暮らす人びとの信頼を勝ち取れていません。その原因の1つには、パレスチナ問題への対応、とりわけ、イスラエルへの一方的な肩入れがあります。最近でもトランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認定する宣言を出し、中東諸国からの顰蹙(ひんしゅく)を買ったばかりですね。

 

ここから先は悪循環です。ジハード主義者が反米感情をたぎらせ、「イスラームの戦い」の名の下でテロリズムや武装闘争に手を染める。これに対して、アメリカは「テロとの戦い」を掲げて軍事介入を実施する。そして、軍事介入や付帯被害(コラテラルダメージ)が中東の人びとの反米感情を惹起し、新たなジハード主義者やその支持者を増やす。

 

 

――現在、まさに世界を悩ませている悪循環です。

 

こうした悪循環は、「第二世代」のアル=カーイダによる2001年9月11日の米国同時多発テロ事件をきっかけに始まったと思われがちですが、事件の首謀者ウサーマ・ビン・ラーディンが激しい反米感情を抱くに至った背景については、1980年代のアフガニスタン戦争まで遡って考える必要があります。詳しくは、本書の第6章に譲りますが、当時は米国とビン・ラーディンは対ソ連戦において共闘関係にありました。

 

さらにいえば、ジハード主義者の「第二世代」を涵養したアフガニスタン戦争の原因は、1979年2月のイランにおけるイスラーム主義者による革命の成功、すなわち、イラン・イスラーム革命まで遡って考えなくてはなりません(本書の第5章)。

 

本書は、先に述べたように、中東の現代史のタイムスパンを長めにとることで、こうした出来事や因果の連鎖のようなものを掴めるようにしてあります。

 

 

「アラブの春」と「あるべき秩序」の模索

 

――本書のパースペクティブにおいて、「アラブの春」はどのような意味をもつ出来事だったのでしょうか。

 

もはや死語になりつつある「アラブの春」ではありますが、その発生原因の解明をめぐる研究はまだまだ途上にあります。ただ、確実に言えるのは、多くのウォッチャーがこの政治現象を予見できなかったことです。

 

理由はいろいろあったと思いますが、その1つとして、体制転換のシナリオを想定する際に、イスラーム主義者の存在に捕らわれすぎていたことを指摘できます。

 

中東の独裁者たちにとっての最大のライバルが、他ならぬイスラーム主義者でした。エジプトのムバーラクもシリアのアサド(親子)も、世俗主義のナショナリストであり、イスラーム主義を掲げる人びとや運動を警戒していました。

 

そのため、多くのウォッチャーは――私自身も含みますが――、いつか独裁者が倒れるのだとすれば、それはイスラーム主義者によって成し遂げられると見ていました。

 

ところが、実際に「アラブの春」の抗議デモを主導したのは、イスラーム主義者ではなく、(彼ら彼女らを含む)一般の人びとでした。つまり、「春」は、世俗主義に対するイスラーム主義の攻勢によってではなく、むしろ、こうしたイデオロギー闘争から距離を置いた一般の人びとによる、もっと生活に根ざした心からの怒りや不満によって起こったのです。

 

 

――いわば「ピープルズ・パワー」による革命だった。

 

はい。しかし、だからといって、イスラーム主義の役割が終わったわけではありませんでした。革命による体制転換後に必ず浮上するのが、どのような国家や社会を築くのか、という問いです。

 

「アラブの春」では、この段階において、イスラーム主義者が強い大衆動員力を見せました。それは、彼ら彼女らが比較的明確なビジョンを持っていたからです。他方、イスラーム主義者でない人びとも、自らの信念にしたがって、社会や国家のあるべき姿を訴えました。

 

本書では、こうした中東の人びとによる「あるべき秩序」の模索をデフォルトの状態と捉えています。そして、その状態の起源は現在の中東が誕生した20世紀初頭、オスマン帝国の崩壊にあると論じています。

 

長年の独裁政治は、中東の人びとから自由を奪う代わりに、「帝国後」の「あるべき秩序」の定まらない不安定な状況を力によって「封印」してきました。「アラブの春」はその「封印」を解いた事件であり、また、「あるべき秩序」をめぐる「古くて新しい問い」に対する答えを導き出していくプロセスを再始動させた事件でした。

 

 

――なるほど、帝国の崩壊過程が独裁政治によって、一時的にフリーズされていたと見ているわけですね。

 

そうです。ところが、そのプロセスは、まもなく座礁する――独裁者の復活や内戦の勃発、テロリズムの猛威など、今の中東は、ひとときの「春」を経て、厳しい「冬」のような季節を迎えています。ここにおいても、欧米諸国の責任は重いと言わざるを得ません。介入合戦や代理戦争によって内戦が泥沼化したシリアがその典型でしょう。

 

 

――ISのような集団も出てきました。

 

そうした政治的混乱のなかから生まれた「イスラーム国(IS)」は、ジハード主義者の「第三世代」として、欧米諸国やそこで涵養されてきたあらゆる「普遍的価値」――例えば、人権、民主主義、言論の自由、女性の権利など――を否定し、力による一方的な領域国家の建設を試みました。

 

それは、誰が見ても過激派やテロリストの所業に他なりませんでしたが、その一方で、中東の現代史という長いタイムスパンで見れば、「帝国後」の「あるべき秩序」を打ち立てようとする営みの1つであったと見ることもできます。

 

ISは、現行の秩序を徹底的に否定・破壊し、中東の地図をその根本から書き換えようとしたのです。

 

 

過激主義のイスラーム化

 

――ISの出現によって、「過激主義のイスラーム化」が生じています。

 

ISの言動の特徴は、インターネット上でのセンセーショナルな「炎上商法」にありました。常軌を逸した残酷でグロテスクな映像を次々に流布させることで、世界中の人びとの注目を集めようとしました。

 

その上で、ISは、近代西洋起源の国民国家の考え方や仕組みを拒絶し、ムスリムであれば誰もが「国民」となれるという普遍主義的な共同体構想を喧伝しました。それによって中東の地図を書き換えようとしたわけですが、その普遍主義の副産物として、中東以外の世界の各地にも「自称IS」が出現することになりました。「自称IS」とは、自発的にISへの忠誠や帰属意識を抱く人たちのことです。

 

世界各地で起こっているテロリズムに関する報道や開示された捜査情報を追ってみると、「自称IS」は、ムスリムだけでなく、非ムスリムからも数多く出てきていることがわかります。

 

 

――「自称IS」の出現は止められるでしょうか?

 

ある人がISを自称するとき、イスラームへの信仰よりも、近代西洋への憎悪がそれを駆動している可能性があります。自分を取り巻く環境や世界を全否定したい気持ちと言い換えてもよいでしょう。

 

欧米諸国で暮らす人が、自らの不遇や不幸をめぐる不満や怒りを破壊や殺戮のかたちで吐き出したいときに、ISの過激な思想やテロリズムの様式がその受け皿となったのです。このことを、本書では「ぐれ」の一形態と呼んでいます。

 

なので、今やグローバル化の様相を見せるようになったISの問題は、中東だけでなく欧米諸国における病理として、同時並行的に解決していかなければならないものだと考えています。中東のISを軍事力で殲滅させても、欧米諸国で経済格差や差別・偏見などが続く限り、「自称IS」の出現はなかなか止められないでしょう。

 

 

「もう一つの近代」という希望

 

――現在が帝国が崩壊する流動的な過程だとしたら、その行く末において、イスラーム主義は世俗主義や自由主義と折り合いをつけることはできるのでしょうか?

 

本書の終章でも述べましたが、世俗主義や自由主義がイスラーム主義と完全な調和を見せることはないでしょう。

 

しかし、それはあくまでも、現行の世俗主義や自由主義を理想化して固定的に捉えた場合です。世俗主義も自由主義も実際には様々なバリエーションがあり、また、今後その内実を少しずつ変えていくかもしれません。

 

他方、イスラーム主義の側も、今でこそ過激派の台頭ばかりが目立つようになっていますが、かつての思想的な柔軟さをいつか取り戻すかもしれません。

 

 

――本書の副題にある、「もう一つの近代」を構想できるかどうかですね。

 

はい。ただ残念なことに、現在の中東を見渡してみると、「もう一つの近代」に繋がるような未来志向の建設的な思想的イノベーションは停滞し続けています。

 

21世紀に入ってから、9.11事件からイラク戦争、「アラブの春」を経て、世俗主義者とイスラーム主義者の関係は悪化の一途を辿っており、お互いに不寛容さが目立つようになっています。不寛容は思考停止を生み、思考停止はイノベーションを阻害します。

 

現実の政治の動きによっては、例えば、人びとが自らの意思を表明し合うための公正な機会と場が整備されれば、これらの「主義」が接近する余地が生まれる可能性は十分にあります。楽観的すぎる見方かもしれませんが、互いが対話の糸口を探り、折り合いをつけていくための意思と希望を持たなければ、果てしない対立が続いていくだけです。

 

 

最後に、再び冒頭の「あいだ」の話に戻しましょう。

 

本書は、「ソフトな概説書」と「ハードな専門書」の「あいだ」を意識して書かれました。私自身、所属先の授業や一般の講演会などを行う上で、混迷する中東政治を理解するための手頃な本、そして、中東とイスラーム、政治と宗教の関係にフォーカスした本が必要だと考えていました。本書が、読者の皆さんの中東・イスラーム理解に一助になれば嬉しく思います。

 

イスラーム主義――もう一つの近代を構想する (岩波新書)

イスラーム主義――もう一つの近代を構想する (岩波新書)書籍

作者末近 浩太

発行岩波書店

発売日2018年1月20日

カテゴリー新書

ページ数256

ISBN4004316987

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