「実践の楽観主義」をもって、社会に風穴を開けていく

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

――ニィリエにとっても問題だったのは「施設の論理」だったんですね。彼は「ノーマライゼーション」という概念を提唱しましたが、この言葉でニィリエが考えていたことは何だったのでしょうか?

 

ニィリエが主張したかったことは、きわめてシンプルです。

 

当時の知的障害者の暮らしは、あまりにも「アブノーマル」だったのです。毎日、他者に決められた日課で生活し、週末の余暇活動もないか、職員が引率してみんなで同じ場所に行くだけ、でした。

 

自分の行きたい所に旅行に出かけたり、好きなスポーツをしたり、いろいろなお祝いをすることもありませんでした。つまり、同年代の他の人と同じような人生経験ができなかったのです。自己決定や自己選択は知的障害ゆえに尊重されず、結婚や子育てなんて夢のまた夢、でした。経済的にも自立することはできず、住む場所や学校なども分離され、普通の人の施設に比べたら劣ったものだったのです。

 

そんなさまざまなアブノーマルをひっくり返さなければならない。これがニィリエの主張でした。彼は8つの簡単な原理で提示します。その当時のごく普通の人の1日、1週間、1年、一生涯の生活と、知的障害者の生活を比較した上で、「当たり前の暮らし(=ノーマライゼーション)」が保障されなければならない、と訴えました。

 

そのためには、結婚や子育ても含めた自己決定や自己選択の権利が保障されるだけでなく、所得保障や、住まいや学校教育をノーマルなものにしなければならない、と主張したのでした。つまり、知的障害者にノーマルな環境を提供するために、社会こそ変わらなければならない、と提起したのです。

 

 

――なるほど、「ノーマライゼーション」というのは、だいぶ誤解されてしまったんですね。

 

そうです。「ノーマル」という日常語を使ったがゆえに、さまざまな誤解にその後、遭遇します。ニィリエ自身は、知的障害者本人ではなく、社会環境をノーマルなものに変えなければならない、と一貫して主張し続けています。しかし、障害者がアブノーマルな存在だ、と思う人々は、彼ら彼女らをノーマルな存在に変えなければならない、と、自分たちの以前からの価値観を押しつけ続けてきました。

 

また、ノーマルの語源が「規範(norm)」であることもあって、一般人の規範に障害者を近づけなければならない、とも誤解されてきました。ニィリエはそんなことを一度も言っていないにも関わらず、です。残念ながら少なからぬ人々が、「健常者社会ではなく障害者が変わるべきだ」という自分の思い込みや先入観にもとづいて、それに当てはめるように「ノーマライゼーション」の考え方をねじ曲げてきた、とも言えるでしょう。

 

 

――次にフレイレについて教えてください。「対話こそが変革の行動の『本質』なのである」という言葉がとても印象に残りました。

 

対話の反対って、何でしょうか? それは「集合的モノローグ」だと、僕は考えています。みんなで集まっているのに、お互いが自分の主張をぶつけ合うだけで、相手の話を聴こうとしない。あるいは、互いが様子を見合って、遠慮し合って、表面的な会話や事務連絡だけをして、本質的な話を避けようとする。

 

または、上の立場の人が指示・命令するのを、ただ一方的に拝聴・忖度している。それらは、集まって話されているのに、その中身は独り言レベルの、相手の魂に届かないやりとり。大概の「会議」がつまらないのも、こういう「集合的なモノローグ」に陥っているから、という可能性はないでしょうか?

 

フレイレは、そのようなモノローグのことを「反―対話」と名づけています。そこでは、抑圧者は被抑圧者を客体化し、抑圧された現実が維持されるように、相手との関係を固定化しようとしています。一方、本当に対話がなされるとき、それは一方的な関係性にはなりません。あなたと私の、どちらかが一方的に話す人で、もう一方は黙って聞くだけの人、では対話にはなりません。お互いが相手の事を尊重し、お互いが自らの想いや主観を言葉に出し、それを受け止め合う中で相互変容していく経験こそが、フレイレの捉えた対話でした。

 

彼がそれに気づかされたのは、ブラジルの小作農との「対話」からでした。「子どもに手を上げるのは良くない」と「教えて」いたフレイレの話を聴いた後、聴衆の一人が「先生はぼくがどんなところに住んでいるか、ご存じですか?」と訊ねたのです。そこから、彼は聴衆たちがどんなに惨めで苦しい生活をしているのか、フレイレの説教は理解できるが、暮らしは厳しくてどうしようもないのだ、という告白を聴くことになります。

 

この経験の中から、彼は「民衆に語りかける」のではなく、「民衆との語りあい」に変えていかなければならない、と気づきます。つまり、他人を変える前に自分自身が変わるところから、彼は対話をスタートさせたのです。これこそが「変革の行動の『本質』」なのだと、僕は感じています。

 

 

――冒頭で「銀行型教育」と「問題解決型教育」という言葉が出てきましたが、竹端さんもご自身の授業でもいろいろな気づきをされているようですね。

 

はい。フレイレの「対話」と「変革」の精神を理解できるようになると、自らの実践も変わらざるを得なくなります。

 

団塊ジュニア世代で受験勉強も過酷だった僕にとって、暗記や詰め込みは得意ではないけれど、「受験勉強を勝ち抜くためには必要不可欠だ」という常識を疑うこともできず、「どうせ」「しかたない」とイヤイヤ・諦めて受け入れていました。

 

一方で、大学教員になった後、フレイレの言う対話に基づく社会変革の話を授業でも取り入れようとするとき、僕自身が教壇から一方的にそれを話して理解してもらおうとすると、その授業スタンス自体が「銀行型教育」であり、対話を通じてお互いに考え合うなかで問題を解決していこうとする「問題解決型教育」の本質とは真逆になることに気づかされたのです。

 

 

――「問題解決型教育」について、「銀行型教育」的に説明する、というのは大きな矛盾ですよね。

 

そうです。これは、フレイレの概念についてだけではありません。僕自身が、大学だけでなく、福祉現場の現任者向けの研修講師をする機会も多いのですが、そこで多くの人に変容を求める内容を話していました。しかし、その変容を求める僕自身の講演のあり方が、モノローグ的な一方通行の講義であれば、「言っていることとやっていることが逆」になるのです。

 

そのため、ある時期から僕自身も、自らの「どうせ」「しかたない」と向き合いはじめました。授業や研修という場において、銀行型教育以外の別のやり方で、受講者同士の、受講者と僕と間での、共に考え合う対話をなるべく取り入れた問題解決型のアプローチへと切り替えたのです。

 

そして、その場でマイクを受講者に向けて、話し合った内容についての意見を伺うことも取り入れました。パワーポイントの内容を流暢に「再生」するのではなく、まさに即興的なやりとりなので、何が飛び出してくるかわかりません。でも、「いま・ここ」の場で出された意見をもとにして共に考え合いたい、と、他人を変える前に自らの講義・講演スタイルを変えてみました。

 

すると、興味深い現実が生じ始めました。「僕が話す時間を減らせば減らすほど、受講者の満足度が上がる」のです(笑)。これは、ある意味当然です。僕が一方的に説得するのではなく、受講者が話し合うなかで納得するプロセスを、会場全体で創り上げていくのですから、理解できる内容も増え、満足度も上がるのです。こんな事も、フレイレから僕は学ばせてもらっています。

 

 

――三人は「実践の楽観主義」を実践したと書かれています。

 

これはバザーリアが敬愛したイタリアの思想家、グラムシの言葉で、『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』(岩波書店)のなかでも引用されています。そして、僕は三人こそ「実践の楽観主義」の闘志であり、闘いを挑んだのが「理性の悲観主義」だったと感じています。

 

「理性の悲観主義」とは「これ以上はやりようがない」という現状肯定主義です。それは、新しい可能性を模索するのとは対極の、「できない100の理由」を考える発想とも通底しています。

 

「精神病の人は狂っているから精神病院に入れるしかない」「知的障害者は普通の暮らしができないのだから、施設でルールに従った暮らしをするしかない」「貧しい小作人は自分で考えられないのだから、字も暗記して覚えるしかない」・・・こういった考え方は、三人が活躍した半世紀前の「常識」でした。そして、その常識に対して「これ以上はやりようがない」と肯定するのが、「理性の悲観主義」だったのです。

 

一方、三人は「できる一つの方法論」を模索しようとしました。抑圧や支配される側の視点に立って、「病気ではなく、生きる苦悩を地域でどう支えられるか?」「知的障害者にとってノーマルな環境をどう提供するか?」「被抑圧者が自らを解放するような学び合いをどう実現できるか?」といった、その当時は無理と決めつけられていたことを可能にするための問いを産み出しました。

 

実践に影響を及ぼす優れた理論とは、これまで考えつかなかった「問い」を提出することだと、僕は思っています。バザーリア、ニィリエ、フレイレの三人に共通するのは、これまで「どうせ」「しかたない」と思われていた現状を変革するために、本質的な問いを口にし、それを実現するための方法論を徹底的に模索していったことでした。これこそ、「実践の楽観主義」の特徴だと思っています。

 

 

――バザーリア、ニィリエ、フレイレ、この三人の言葉と思想を、いま日本において振り返ることの意味はどこにあるとお考えですか。

 

日本社会の閉塞感や生きづらさを打ち破るヒントが、三人の言葉と思想の中に隠されていると僕は確信しています。

 

三人は、現場の「声なき声」を拾い上げる所から活動をスタートさせて、それらの声が求める課題をつかみ取り、「できる一つの方法論」を模索する中で、結果的に「施設は必要悪だ」「こういう人は自分で考えられるはずがない」といった偏見や先入観をもひっくり返すことに成功してきました。人々の社会認識や常識をひっくり返し、これまでの制度や政策をもひっくり返す。そういうことを可能にしてきた人物でした。

 

そんな三人の生き様や語りを交錯させた物語を書き上げる中で、書き手である僕の中からもさまざまな声が沸き起こってきました。三人が語った内容を無理に僕の枠組みとしてまとめた、というのではなく、三人の多様な声と僕が対話を重ねながら、ポリフォニー(多声音楽)として紡ぎ上がっていったのが本書です。

 

この本は、半世紀前の「エライの人」の「過去の話」ではありません。それよりも、僕たちがこれからの社会を創り上げていく上で、先人はどんな工夫をしながら社会に風穴を開けていったのだろう、という視点で読んで頂けると嬉しいなぁ、と思います。

 

さらに言えば、読んでいるあなたの中で、三人や僕との対話が始まってほしいなぁ、とも。書かれていることすべてに同意や納得はされないかもしれませんし、その必要もありません。読みながら感じた違和感や疑問、あるいは独自の視点などが、あなたの中で豊かなポリフォニー(多声音楽)として響き渡ることができれば、日々の閉塞感に風穴を開ける第一歩になるのではないか。そんなことを夢想しています。

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.266 

・山本昭宏「平和意識の現在地――〈静けさ〉と〈無地〉の囲い込み」
・田畑真一「【知の巨人たち】ユルゲン・ハーバーマス」
・吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実「「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か」
・松尾秀哉「【学び直しの5冊】〈現代ヨーロッパ〉」
・木村拓磨「【今月のポジだし】活動を広げよう――不登校支援」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(10)――「シンクタンク2005年・日本」自民党政権喪失後」