2019.09.24
掃除で、美しい日本人の心を育てる?
――本書はさまざまな場面で進む「教育の道徳化」の例を数多く取り上げています。一連の取材をはじめようと思ったきっかけを教えていただけますか。
私が社会部の教育担当になった後、下の子が公立小学校に入学しました。子ども自身が生活態度の目標を定めて自己評価するような活動があったり、「あいさつ運動」が驚くほど盛んだったりと、10歳以上離れた上の子のときと比べて、明らかに学校が変化していると感じたんです。
それはちょうど第二次安倍政権の下で、教育再生実行会議が道徳の教科化を打ち出すなど、教育政策が大きく動いていた頃です。こうした国の教育政策の方向性と、子どもの内面に介入するような活動や、親に宿題の丸付けをさせたりするような「家庭教育の強化」が進行している学校現場が連動しているのではないか、と思ったことがきっかけです。
取材成果は2017年に、「『教育再生』をたどって」と題した夕刊の連載10回にまとめました。素手トイレ掃除や教員団体TOSSなど、通常のニュースにはなりにくく、過去に記者が深く取材していない現場にも飛び込んで書いたので、もともと関心がある人の間で話題にはなりました。
ただ、紙面には限りがあり、「教育再生」の全体像を示すのは困難でした。「書ききれなかったことを書きたい」「一般の保護者にも広く読んでもらいたい」と思い、連載や関連記事に加筆して、新しい取材成果も加えたのが、この本です。「ほら!学校でこんなに変なことが起きているんだよ」と伝えるだけではなく、底流を知ってもらいたいと考えました。できるだけ、安倍政権以降の教育政策の大きな流れがわかるようにまとめたつもりです。
――取材をつづけるなかで、いま学校で起きていることについて、杉原さんのなかで大きな「違和感」が生じたのではないでしょうか?
たとえば、掃除中は無言で自問自答するという「無言清掃」をしているある学校で、玄関や下駄箱の靴が整然とそろえてあったり、「○○さん、ありがとう」という感謝の言葉がいくつもホワイトボードに書いてあったりするんですね。それは確かに「美しい」のですが、同時に「ここまでするの?」「ちょっと気持ち悪いかも」と思ってしまいました。最初は、「しつけ」として始まったのだと思いますが、「一糸乱れてはいけない」というあり方が、かえって子どもの心を縛るのではないかと感じました。
また、細かい決まりを定めた「○○学校スタンダード」は、想像以上に広がっていることが分かりました。「○○学校しぐさ」「○○学校スタイル」などもあります。学校独自の決まりを標準化し、子どもや教員、保護者にまで守らせるようにしているのです。学校生活がとても窮屈になっていると思いますし、「従うことが当たり前」という風潮がつくられているように感じました。
もともとは企業のものとして始まった「トイレ掃除運動」や「PDCAサイクル」といった自己評価が、学校に採り入れられていることにも驚きました。
――「トイレ掃除運動」、本書を読んでとても驚きました。こういっては何ですが、素手でトイレ掃除って、正直、かなり気持ち悪い。
私が取材で体験させてもらったトイレ掃除運動は、素手でトイレ掃除をすることによって心を磨くという考え方をもとに実践されているものです。車用品販売の会社「イエローハット」創業者である鍵山秀三郎氏が提唱しています。
鍵山氏の「日本を美しくする会(掃除に学ぶ会)」は全国に広がり、それに共鳴した教員らでつくる「便教会」も各地にできています。トイレ掃除運動に関心のある教員を集めて、靖国神社や伊勢神宮などで開かれる「鍵山教師塾」もあります。こうしたトイレ掃除運動に参加した経験のある教員らが、地域の「掃除に学ぶ会」と協力して、総合学習の時間などに取り組んだり、PTAがイベントとして開いたりしています。
ただ、どのくらいの数の学校で実践されているかは分かっていません。横浜市教育委員会が小中学校でトイレ掃除の奨励を決めた2010年前後に比べると、素手トイレ掃除自体は、いったん下火になっているようにも見えます。
むしろ、保護者の間で「今年から始まった」などと聞くのは、先ほども挙げた掃除中は無言で自問自答する「無言清掃」です。給食中に一言も話してはいけない「無言給食」も目立つようになりましたが、これらは子どもたちを集中させて、短時間で掃除や給食が終わることを目的にしている場合もあるようです。背景には、教員の多忙化があるのでしょう。
さらに、文部科学省は、日本型教育の素晴らしい点として、子ども自身による掃除などを海外に広めようとしています。ちなみに、日本型教育の海外展開事業のために文科省が作った動画には、トイレ掃除をしている子どもの絵が出てきます。この事業の目的のひとつは、「親日層を育てること」だといいます。
――それでなぜ「親日」になるのか、かなり謎です。ほかに杉原さんがとくに気になった「いま、学校で起きている奇妙なこと」は何でしょうか?
やはり、家庭教育への介入です。たとえば、母親手作りの弁当をことさら愛情と結びつけて持ち上げたり、国の早寝早起き朝ごはん運動を推奨するなど「親の学び」を自治体が条例で定めたりしていることですね。
子どもの貧困が問題になるなか、時間をかけた手作り弁当を持たせることができる家庭ばかりではありませんし、夜間に親が働いている家庭もあります。こうした多様な家庭像を無視して、あるべき家庭の姿を押し付けようとすると、かえって保護者はプレッシャーを感じてしまいます。
また、これを「よし」とする保護者は、善意から他の保護者に同調を求めてしまうこともあります。国が命令しなくても、「地域」で縛り合って規範からの逸脱を許さないという風潮になれば、為政者にとっては都合がいいでしょう。将来、国の経済再生のために役立つ人材をつくるという教育政策を、家庭も巻き込んで達成しようとしているのだと思います。と同時に、学校を通じて親をコントロールしようとする意図を感じます。「地域」がとくに強調されていることにも、個人よりも共同体を重視するという危うさを感じています。
一方で、現実として、家庭のなかで虐待されていたり、食事を作ってもらえなかったりする子どもを発見して福祉につないだりすることは、誰かがやらなければなりません。家庭教育事業のように、上から目線で「啓発」するのではなく、どんなふうに支援していけばいいのか。たんに「家庭に介入するな」と警鐘を鳴らすだけではなく、どう線引きしたらいいのか、研究者の方にぜひ提案していただければと思っています。
――一連の「奇妙なこと」の背後には、安倍政権を支える運動団体の影響がみられるようですね。
教育基本法の改正や道徳の教科化を熱心に進めたのは、憲法改正を訴える運動団体「日本会議」だったことは確かです。その政策委員である高橋史朗氏が親を教育するという「親学」や、子どもが親を思って詠む「親守詩」を推進していますし、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表委員の一人に、素手トイレ掃除運動の鍵山氏が名を連ねています。鍵山氏は、早寝早起き朝ごはん全国協議会の副会長でもあります。
本に登場する様々な団体のつながりを見ていけば、共通人物も多く、影響し合っているともいえるでしょう。ただ、「奇妙なこと」のすべてが、特定の団体の影響を受けているわけではありません。「志教育」や「キャリア教育」は、受験産業など民間業者と密接に関係しています。本でも指摘していますが、大学入試改革での民間英語試験の導入や専門職大学の新設、公立の学校選択制など、安倍首相や下村元文科相が進めた施策を見ても、一番大きいのは、財界や企業の影響といえるかもしれません。ここを無視して、ナショナリズム的な側面からだけで見ると、イデオロギー論争で終わってしまうことになりかねません。
さらに、本当にたんに「奇妙なこと」なら、ここまで受け入れられるはずもありません。私たち保護者の側や社会全体に、これらを「いいこと」として受け入れる素地があるのだということを自覚しなければならないと思います。
私たちに必要なのは、「大人が子どもを思い通りにする」という方向が間違っているということを共有することだと思っています。
――教育にはしつけや規律といった要素が含まれますし、また公共的なものへのロイヤルティも、重要な心性として涵養されねばならないとされます。
「しつけ」という言葉には、「大人が子どもをただす」という意味が含まれてしまいます。「規律」は、集団を乱さないために個人が制限されるという考え方からきているのではないでしょうか。道徳の教科で規定されている「公共の精神」も同じで、集団のために自分を抑制しなければならないという考え方が中心にあります。
日大アメフト部のタックル事件で、『星野君の二塁打』という小学校高学年の道徳教材が話題になりました。監督の指示でバントを命じられていた星野君は、自分で球を判断して二塁打を放ち、チームは勝利します。ところが、監督は、「チームの輪を乱した」と、バントをしなかった星野君を責めてしまいます。星野君は、自分の頭でどうすればいいかを考えてはいけなかったのでしょうか。
熊本大学の苫野一徳准教授が、公教育の本質は「自由の相互承認」だと述べています。お互いの自由を最大限尊重するためにルールがあると。憲法では、「国民の権利については公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を必要とする」と定められていて、あくまで人権が先にあります。でも、今の教育政策は、最初に集団の論理があり、順序が逆になっていると思います。
――「子どもたちの内面を一定の方向に導いていきたいのではないか」と、やはり強くお感じになりますか?
そうですね。教員の中には、リベラルな考え方の人もいるはずなのですが、意識しているかどうかにかかわらず、学校に全体主義的な風土があるために、どんなに奇妙なことでも、すっと入っていってしまっています。
集団活動で得られる「一体感」は、教員にとって大変魅力があるそうなのです。教員のやりがいにもつながっています。ただ、個より集団を優先するあり方に子どもが慣れ親しんだ結果、言われたことに従順で、自分の頭で考えることができない子どもができあがっていくのではないかと懸念します。
自分の自由を大切にできない子どもが、他の子の自由を大切にできるようにはならないと思います。どんなときでも、個人より集団が大事だと思っていれば、集団から外れた人を排除することになりかねません。
部活動の熱心な指導、組み体操や行進などの集団演技、家族とのスキンシップを求める宿題など、一般的に「いいこと」であっても、子どもの安全を脅かしていないか、人権を侵害していないかどうかを絶えず考えてほしいと思うのです。
子どもは何かのパーツではなくて、一人一人に尊厳がある。大人と同じ人間です。大人が子どもを思い通りにしてもいいということは、決してないと思います。
これが教員個人の問題にとどまらず、いま日本が進んでいる教育全体の問題なのだということを訴えていきたいと思っています。
――学校で規律が強化されるばかりですが、では、今の子どもがダメになっているのかというと、そんなことは決してないんですよね。
本にも書きましたが、今の子どもたちは、とても真面目になっています。文部科学省が毎年実施している「全国学力・学習状況調査」によると、「学校のきまり(校則)を守っていますか」の項目で、2007年度と17年度を比較すると、「当てはまる」と答えた子が、小学生では31・5%から46・3%へ、中学生では、39・6%から62・5%に増えています。「どちらかといえば当てはまる」を加えると、9割以上が決まりを守っています。
少年による殺人事件の件数も戦後最低です。大学では、学生の授業への出席率が上がっていたり、留年が減っていたりしていますよね。これも、真面目になっているからではないでしょうか。
「親がダメになった」ということも、よく言われていますが、1980年代までは「児童虐待」という概念も広がっていなかったため、体罰を使う親や教員は今より多かったのではないでしょうか。今の統計を見ただけで、虐待が増えているとは言えませんよね。虐待の被害者である子どもが成長して、いじめや犯罪などの加害者になることも少なくないので、昔のほうが少年犯罪が多かったのかもしれません。
いま発表されている都道府県ごとのいじめの調査件数は、各県の意欲や調べ方次第でゼロになったり、数千件になったりするような性格のもので、教育担当の記者たちも初めから件数には注目せず、記事を書いています。
「おばあちゃんの子育て法が伝授されなくなった」とも指摘する人がいますが、少ない子どもを大切に育てている今の親たちのほうが、もしかすると、悩みながら子どもと向き合っている分、丁寧な子育てをしているともいえます。「家庭の教育力が低下したから、親を教育しなければならない」というのは、根拠のない言説に過ぎません。
――杉原さんは、「このままでは公教育が崩壊し、社会が分断されてしまう」と、強い危機感をお持ちです。
今の教育政策は、同じ方向にある二つの性格をもった施策が同時に行われていると思います。一方は、グローバルでリーダーシップを取れる一部の子どもを育成するということ、もう一方は、社会の土台を支える「批判しない従順な子ども」の育成です。
両方を育てることによって、経済を支える「人材」をつくるという方向です。
小学校から、子どもがなりたい職業を決めて努力をするために自己評価をする「キャリア・パスポート」という施策が来年度から始まるそうですが、幼い頃から将来の仕事をみすえて学校生活を送らなければならないとしたら、息苦しい毎日になってしまいます。
また、将来、子どもたちがこのノートを携えて就職活動をするようになると、お金がかかる様々な体験活動を子どものころに経験した人が、有利になるのではないでしょうか。子どもが、就活市場で品定めされる「商品」になってしまう恐ろしさがあります。まるで、「国や経済の役に立たない子どもはいらない」と言われているようです。
すでに、日本の閉塞的な学校に不安を抱えている富裕層は、自分で問いを見つけて解決策を探る探究型の学びができる私学を目指したり、塾に通わせたりしています。一方で、従来通りの「内申書」に振り回されて、生活態度でマイナスにならないように、不合理なことがあっても反抗できずに窮屈な毎日を送っている子どもたちもいます。
質の高い教育を受けられそうな情報にアクセスできない経済的に豊かではない家庭と、情報もたくさん持っている都会の裕福な家庭との格差が広がってしまいます。そうすると、社会全体が今以上に分断されてしまうと思うのです。
日本のどこに住んでいても、どんな家庭でも、近くの学校に子どもを通わせれば、子どもを中心に置いた質の高い教育が受けられるような制度へ変えていってほしいと思うのです。そのためには、今気づいている人が声を上げなければいけない。「なにか、おかしい」と気づいていても、以前は点在していて手をつなぐことができなかった人たちが、最近はSNSなどでつながり、思いや情報を共有することができるようになってきました。この本では、そうした人たちに、「一緒に声をあげていきましょう」と呼びかけています。
プロフィール
杉原里美
一九六九年、長崎県生まれ。九二年に朝日新聞社に入社。熊本支局、福岡本部報道センター社会部、東京本社くらし編集部、社会部・教育班などを経て、二〇一八年四月から、朝日新聞専門記者(家族、教育分野などを担当)。家族をめぐる法律や社会保障、家計などを取材。『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)で教育分野を執筆。