2019.12.17

現実の複雑さに向き合うために――ヤンキーの生活世界

『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』著者、知念渉氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー

――本日は、日本教育社会学会奨励賞〔著書の部〕に選ばれた『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』の著者、知念歩さんにお話を伺います。なぜ「ヤンチャな子ら」を研究しようと思ったのですか?

卒論を書くときに、若者文化をテーマにしたいと思ったんです。そのことを、当時の指導教員であった『裸足で逃げる』の上間陽子先生に相談したところ、渡されたのがポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』とディック・ヘブディジの『サブカルチャー』という本でした。

とくに『ハマータウンの野郎ども』の第一部は、とても興味深く読んだことを覚えています。ただ、卒論では、自分自身が当時足繁く通っていた那覇の国際通りの裏路地にあるセレクトショップに集う若者たちの文化について書きました。

――ということは、まだ「ヤンチャな子ら」ではなかったんですね。

そうです。大学院は大阪大学に進み、教育の現場にフィールドワークを本格的に持ち込んだ志水宏吉先生に師事しました。せっかく志水先生の下で学ぶのだから、修士論文では学校に関わるテーマに取り組みたいと思いました。

私が大学院に進学したのは2009年です。当時、フリーターやニート、子ども・若者の貧困といった問題がすでに社会問題として認識されていて、若者の大人期への移行の困難といったテーマが浮上していました。そこで、とりわけ厳しい家庭環境に置かれた若者を、学校時代から卒業後まで追跡するような研究がしたいと思ったんですね。

そんな思いつきから、X高校で調査をすることになりました。X高校は、学校ランクで低位に置かれて、学力的にも家庭的にも厳しい生徒たちが多く通う学校で、いわゆる「しんどい」学校です。

調査を始めて半年くらいは、どのように調査をしようかと模索しながら教室を観察していたんですが、高校は授業によって教室が変わったり、教室にいる生徒たちも選択科目によって異なったりするので、ひとつの学級に張りついて調査を行うのは難しいということに気がつきました。

また、「学力的にも家庭的にもしんどい生徒」といっても、その中には色々な生徒がいることにも改めて気づかされました。要するに、どうやって調査の焦点をどう絞るかってことに悩んでいたんですね。

ただ、半年くらい調査を続けている中で、どうやらこの学校には、おとなしい生徒、普通の生徒、ヤンチャな生徒がいて、女の子の場合はギャルと呼ばれるわけですが、そのように生徒を分類できるし、じっさいにX高校の教師たちや生徒たちはそうやって生徒を分類しているということがわかってきました。

そういう若者文化の軸、つまり「オタク文化か、ヤンキー文化か」みたいな軸と、男女の軸を交差させると、X高校の生徒たちを6グループくらいに分類できるので、それぞれの生徒たちの特徴を描き出そうかなと考えたりもしました。

しかし修士課程2年にあがるとき、そうしたアイディアを志水先生に話したところ、「一つか二つのグループに絞ったほうがいいのでは?」とアドバイスを受けて、「ヤンチャな子ら」を対象にすることにしました。

――いわゆるヤンキーというのは、すでに研究対象として確立されていたんですか?

『暴走族のエスノグラフィー』といった暴走族を対象にした研究や、『ヤンキー進化論』のようにヤンキーをメディア論的に分析した研究は確かにありました。また、『ヤンキーと地元』を著した打越正行さんが、すでに沖縄のヤンキーの調査を始めていました。

その意味では、ヤンキーを対象とした研究はすでにありました。しかし、ヤンキーと学校は切っても切れない関係なはずなのに、学校をフィールドとしたヤンキーの研究はなかったんです。私は教育社会学を専門にしているのですが、教育社会学において非行少年は定番の対象ともいえるはずなのに、きちんと追跡した教育社会学的な質的研究はほとんどなかったんですね。

――えっ、そうなんですか!?

はい。少し具体的に話しますと、欧米では50〜60年代に、非行少年を対象にしたエスノグラフィックな研究がすでにあったのですが、日本ではそれらの影響を受けて、70年代に非行や反学校的な生徒文化についての研究がたくさん蓄積されました。しかし、それらの研究は質問紙調査に基づくものがほとんどでした。

90年代に入ると、日本でも、質問紙調査中心の方法への反省から、エスノグラフィックな生徒文化研究が出てくるのですが、それらは、女子生徒や外国籍(ニューカマー)の子どもたちを対象にしていました。つまり日本の教育社会学では、70〜80年代に行われていた生徒文化研究の焦点が、日本人の男子、いわゆるマジョリティの生徒たちに偏っていることへの反省と、研究方法が質問紙調査に偏っていることへの反省が時期的に重なったんですね。

――ああ、なるほど。質問紙調査への偏向への反省があったのだけど、同時に男子への偏向への反省があったために、男子の非行少年のエスノグラフィーへという流れにならなかったわけですね。

そう。そのような経緯があって、反学校的な男子生徒たちや非行少年に対する質的な研究があまり蓄積されていませんでした。そういう中で、まずはオーソドックスに非行少年を見る、というのが大事なのではないのかと思い、「ヤンチャな子ら」を研究対象にしました。ポール・ウィリスの『ハマータウンの野郎ども』のような研究を日本でちゃんとやったら、すごく意義のあるものになるのでは、と思ったんです。

――若者文化や非行文化を扱った文章を読んでいると、『ハマータウンの野郎ども』がよく参照されていますが、これはどのような本なのでしょうか?

『ハマータウンの野郎ども』は、1977年にイギリスで出版された本で、社会学では古典といわれる一冊です。12人の「野郎ども」と呼ばれる少年たちに対する調査に基づいて、労働者階級の子どもたちがいかに親と同じような地位についていくのかが考察されています。また、そこで描き出されている事例もそれに対する分析もとても面白い。例えば、教師の言動や学校の規則を利用しながら、彼らが学校を自分たちにとって価値あるもの、楽しいものに変えていく様子が具体的に描かれていたりするんです。

この本は階級の再生産を主に扱っているのですが、人種差別や女性蔑視に関わる事例についてもすごく丁寧に描かれています。男性である労働者階級の「野郎ども」が、いかに女性たちを蔑視しているか、あるいはいかに人種差別をしているのか、というようなことにも焦点をあてながら、彼らの学校生活と進路選択を描き、そして仕事に就いてからは、学校生活でやっていたことと同じように、労働の現場を自分たちにとって楽しい空間に変えながら、労働をやっていくことを丁寧に描いた研究です。

もう少し歴史的な流れについて話すと、ポール・ウィリスはのちに、あの時代は労働者階級の黄金期の最後だったといっています。要するに、ウィリスが調査をした直後、すなわち、1980年代初頭には、かつて労働者階級の男性たちが働いていたような工場労働がどんどんイギリスからなくなっていく中で、若者の失業率が高まっていきます。そうなると、「野郎ども」も、本で描かれたような生き生きとした感じではなくなっていった。したがって、第二次産業が中心の社会の、最後の世代を描いた本だともいえるでしょう。

――現在にまで読み継がれているということは、時代をこえた普遍性があるということだと思いますが、それはどのあたりにあるのでしょうか?

学校のような官僚制的な制度が貫かれているように思える場所でも、人びとは自分たちの文化や価値観に引き付けながら、学校を自分たちに近い世界に変えていこうとしたり、工場労働のような、自分たちにとってあまり面白みのない空間を、できるだけ面白いものに変えていこうとしたりします。

そうした人々の生活実践、すなわち、人びとが自分の側にルールを近づけたり、あるいはメイン・ルールに解釈を加えながら別のルールをつくることで、自らにとって居心地のよい空間に変容させていく様が、詳細に描き出されています。そうした点に、時代や領域を超えた普遍性があるのではないでしょうか。

また、この本は、エスノグラフィー編の第1部と分析編の第2部に分かれているのですが、第1部では、かなり具体的かつ詳細に、生徒たちがどのようなやり取りをしているかを記述しています。そうした具体性に、いろいろな人がいろいろなところで共感できるようになっているのだと思います。

例えば、さきほど人種差別や女性蔑視の話をしましたが、そうした部分の具体性ないしはディティールによって、本のメインテーマとは違う問題についても考えることができます。そのような感じで、読み直すたびに新しい発見をもたらしてくれる本なんです。

『ハマータウンの野郎ども』は、労働者階級の子どもたちがいかに親と同じ職業についていくかという話だと一般に紹介されるのですが、そうしたメインストーリーに収まらない記述の過剰性があります。おそらく、ウィリスが想定したものをこえて、そうした記述の具体性やディティールが、時代を超えて読者に何かを伝えるのだと思います。そういう意味で、エスノグラフィーとしてとても読み応えのある本です。

――先ほどからエスノグラフィーという言葉が出てきていますが、これはどのような学問なのでしょうか?

簡単にいうと、現場に行って、対象となる人々と一緒に過ごしながら、話を聞いたり、振る舞いを観察したり、つまり、五感を使いながら人びとの生活を確認し、それをまとめていく、そのような研究手法であり、またそのような研究手法に基づいた本や論文をエスノグラフィーといいます。

――知念さんにとって、エスノグラフィーの魅力はどこにあるのでしょうか?

読む側からすると、筆者が意図する以上にいろいろなディティールが描かれているので、さまざまな読み取り方ができるのが、すごく魅力的なところだと思います。研究する側にとっては、つねに自分の想定をこえた現実に気づかされるというのが一番の魅力です。

『ハマータウンの野郎ども』を読んでいると、12人の「野郎ども」が出てきます。この12人は確固たるグループとして描かれるのですが、現実には仲間集団はそんなに単純ではないですよね。じっさい、教室で観察対象とするグループを定めようとしても、A君はどのグループに入るんだろうという問題が必ず出てきます。調査を始める前は、調査対象者などすぐに決まると思いがちですが(というよりもそんなことを考えてすらいませんでした)、じっさいは誰から誰までが「ヤンチャな子」なのか、というのはすごく難しい問題でした。

あるいは、学校に反抗している子らを「野郎ども」と比較しようと思って、そうした子らに話を聞くのですが、彼らに「学校はどう?」と聞くと、聞く前は、『ハマータウンの野郎ども』で描かれていたように、「学校なんて楽しくないよ」とか、「教師なんて学校の犬さ」みたいな語りが出てくるのかと思いきや、じっさいは「学校好き」とか「教師も尊敬できる先生とできない先生かいる」とか、そういう語りがたくさん出てきます。

そうすると、この現実の複雑さをいったいどう記述すればよいのか、どうすれば一貫したストーリーになるのかと困るのですが、そこがエスノグラフィーの魅力なんです。そうした現実の複雑さ、これは人が生きていれば当たり前に知っている現実なのですが、そうした現実を改めて自覚させられる、そこにエスノグラフィーの面白さがあると思います。

――われわれはともすれば、単純なストーリーに現実を回収しがちですものね。ところで、じっさいに高校に入られて、生徒と関係をつくるとき、どのような苦労があったのでしょうか?

「ヤンチャな子ら」のなかにも、すんなりと話をしてくれて関係を築けた子と、「あっち行けよ」とばかりいわれてなかなか関係を築けない子がいました。

覚えているのは、調査を始めて半年が過ぎた頃の遠足です。そのときは、彼らとの関係が築けているかいなかという微妙な時期だったんですが、目的地に向かう電車の中で、「ヤンチャな子ら」が乗っている席の近くに、わたしも座っていたんです。

今から思えばそうとう不自然な位置に座っていたんだと思います(笑)。「ヤンチャな子ら」の一人に、「なんだよお前、あっち行けよ」みたいにいわれて、どうしようかな、と。まだ、じゃれ合うような関係でもありませんでしたし、「そんなこというなよ」というような反応をするべきか、あっちに行くべきかと悩みながら、結局、うだうだいいながら居つづけたんです。

その頃は、「ヤンチャな子ら」に調査の焦点を合わせようと決めてからひと月くらいの時期でしたが、なんかそういう宙ぶらりんな時期はありました。

そこから、話しかけてくれる子と食堂でご飯を食べるようになると、「こいつは話してもいいやつ」かみたいな感じになって、それが少しずつ広がっていき、3カ月くらいたつと、10人くらいにインタビューできるようになりました。

ちょうどそのころ、食堂でわたしが試されたみたいなことがありました。彼らは食堂の裏とか、体育館の裏でタバコを吸うんですが、わたしと食堂のおっちゃんしかいないときに、食堂でタバコを吸い始めたんです。わたしがどう反応するかを試されたんですね。

――それは試されてますね(笑)。

ええ(笑)。「知念は先生じゃないんやろ。だったら注意しないんやろ」みたいなことをいわれて、「注意する立場ではないけど、この学校の先生に許可をもらって入れてもらっているんだから、そんなことされたら、先生たちとの関係が台無しになるだろう」みたいなことを率直にいったりして。「そんな気まずいことしないでよ」みたいなことをいったりしながら、その場を切り抜けたりしましたね。

――ちなみに、授業のときはどこにいるんですか?

空いてる席や、欠席した生徒の席に座っていました。最初の頃は、「ヤンチャな子」と先生が言い合いになったときなんか、わたしがメモを取っていると、「あいつ、なんか俺のこと書いてるで。俺がなんかいったら、全部俺のこと書きよるで」みたいな感じでいわれて、「この言葉も書いとけよ」とかいいながら、あえて教師にきつい暴言をいったり。単純にわたしが調査が下手だったんですけど(笑)

――子どもと席を並べてると、ちょっかい出されたりしないんですか?

それはもちろんありました。よく覚えているのは、これはちょっかいとはちょっと違うんですが、後ろに座っていた女子生徒に、「うち、在日やねん」と、いきなり話かけられて、どこに住んでいて、どういう暮らしをしていて、親がどこから来たのかみたいなことを話されたことがあります。

とても大切なことを話してくれていると感じたし、わたしとしても聞きたいと思う一方で、授業中なので、話を聞きながら、彼女の話と授業のルール、どっちを重視したほうがいいんだろうと悩むことはたくさんありました。結局、中途半端な対応をすることがほとんどだったと思いますが。

――ここらで本の内容についてお聞きしたいのですが、まず『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー』の狙いを教えてくれますか。

先ほども少し述べましたが、教育社会学の中で非行少年を継続的に追跡した研究はあまりありませんでした。もちろん、佐藤郁哉さんがまとめた『暴走族のエスノグラフィー』などの名著もありますが、学校を舞台にしたフィールドワークはほとんどありません。教育社会学的にはオーソドックスなテーマなはずなのですが、そのような研究が日本では十分になされていない。なので、そうした空白を埋めたいな、という気持ちがありました。

もう少し社会的な意義にひきつけますと、やはりヤンキーというのは合理的ではないと考えられがちです。自分たちが不利になるような行動を率先してやっている、という風に映りやすい存在です。それゆえに、ヤンキーの場合は同じ貧困状態にあったとしても、自己責任として切り捨てられてしまいがちです。しかし、それは正しいのか? 

こうした問題意識があって、不合理的に映る存在も、理解可能なものとして記述しておかねばならないと思いました。岸政彦さんの言葉を借りれば、わたしの調査の目的も「他者の合理性」の理解にあったのだと考えることができます。

――たしかに、たとえ貧困な家庭にあったとしても、「ヤンチャな子ら」は「子どもの貧困」というかたちでは問題化されにくいですね。

そう。だから、貧困とか、仕事に就けないという状況を、自分でつくってしまうような存在として「ヤンチャな子ら」を位置づけ、彼らが何を語っているのか、あるいはそう語っているけど、それはほんとうにそうなのか、そうしたことを具体的な調査を通して考えることがしたかったんですね。

――「ヤンチャな子ら」にとって、学校というのはどういう場所なのでしょうか?

いろいろ反抗したり退屈だったりもするけれど、基本的には友だちと一緒にいれて、楽しい場所って感じだと思います。また、わたしが話を聞いた限りでは、学校の先生を信頼できる大人だと考えている「ヤンチャな子ら」も多かったです。

特に厳しい環境で育ったりした生徒は、小学校の段階から家に帰らずに/れずに、友だちの家を転々としたり公園で暮らしていたりしたのですが、そういう中で、学校の先生は自分の家に訪ねてきて、「ちゃんと学校に来ないか?」とか、「ちゃんとやっているか?」とか、「ご飯食べてないんじゃないか」とか、ケアしてくれる人なわけです。

ですので、数少ない、信頼を寄せることのできる存在が教師です。もちろん、教師の中にもいろいろいる、というようなことはありますが。

――そんなに信頼があるのなら、なぜ反抗したりするんですか?

そもそも小学校段階の学習内容でつまずいている子も多いです。たとえば、アルファベットが読めないとか、掛け算・割り算の計算が苦手とか。あるいは、「一日、二日、三日」を「ついたち、ふつか、みっか」と読めなかったりします。

そういう子どもにとっては、授業がどうしても退屈な時間になってしまっていて、その結果、いろいろいたずらをしたりしてたら、いつの間にか先生と衝突していたとか、そういう感じではないでしょうか。

――そこまで学力に絶対的な差が生じているのですか。

そうです。本当に学力の厳しい層の子たちは、そういう感じでした。そうなってしまうと、勉強ってやはり楽しくないですよね。わたしが入った学校は、かなりケアするようにしていたし、授業も工夫していたんですが、それでもやはり難しい。小学校からの積み重ねの中で、自分がどこが分からないのかも分からないような状況で、学び直しをする機会もない。

そうした中で、授業でいかに楽しく過ごすか、となると、いうことを聞かないというわけではないんですが、わちゃわちゃしちゃうということですね。先生の話をきちんと聞いて、プリントに向かう、というのはなかなか難しいですよね。

――それは難しいですね。やはり何らかの配慮・介入が必要になってきます。ところで、ご著書のなかで、「子ども・若者の貧困」を解決するためには、家族の機能的欲求だけ見ていてはだめだと書かれていますが、これはどういうことなでしょうか?

これは家族社会学者の山田昌弘さんの整理ですが、機能的欲求というのは、子どもの貧困でいうと、ご飯を与えるとか、ぐっすり眠れる空間を与えるとか、体を清潔にするお風呂を与えるとか、生命維持にとって必要なニーズを満たす機能です。

――そこが欠けている場合は、国なり自治体なり、NPOなりが補ってやろう、ということですね。

そうです。

――で、それだけではだめで、あわせてアイデンティティ欲求の次元も考慮しなければならないと書かれていますが、それはどういうことなんでしょうか?

極端な話をすると分かりやすいと思います。仮に機能的欲求だけを満たすような施策があったとします。たとえば、世帯年収がいくら以下の子どもは強制的に施設に収容し、養育するという施策をしたときに、はたしてその子はそれだけで、人としての生活を取り戻せるのか?

――何か足りませんね、たしかに。

そうですよね。家族というのは機能的に生命を維持しているだけではなくて、そこにはそうした機能には還元できないものがある。それをアイデンティティ欲求といっています。それは「この人でなくてはならない」というような次元だと思います。「わたしはこの人と一緒に住みたい、すごしたい」というようなところですね。「お互いがお互いを求めあう」というような状況であったり。そういうことによって、人の承認欲求は満たされるわけで、そのような欲求を満たす場が家族であるわけです。家族のこうした側面も理解しないといけない、ということです。

本で取り上げたひとりですが、母親との関係が厳しくて、家にも入れてもらえないという状況の子がいました。でも、彼は児童養護施設にいたことがあったんですが、話を聞くと、家に帰れず公園で暮らしていたときよりも、施設にいたときが一番つらかったと語るんですよね。

――たとえ母親として基本的な機能をはたしていないとしても、それでもやはり、母親と暮らしているほうがいいんですね。ただそれは、たとえばDVなんかにも通じる話かと思いますが、はたしていいことなのでしょうか?

そうですね。これまでは依存関係として解釈されてきたと思います。しかしわたしは、そういうものとは違う視点で分析したい、言い換えれば、心理学的な記述を社会学的な記述に書き換えたいというという狙いがありました。

じっさい話を聞いていると、母親にこんなにひどいことをされたという語りも出てくるのですが、同時に、こういうところはよかったと、いい思い出として語られるところもある。たとえば、小学校のころに病院に行かなくてはいけなくなって、学校を休んで、母親とふたりで病院に行って、そのあとにミスドでドーナツを食べた、というのを覚えている、と語るんですよ。母親が精神疾患をかかえていて、罵声を浴びせられたりするんですが、でも、そうした記憶がよい思い出としてある。

他者から見ると、ひどい経験の方が多くて、母親と離れたほうが合理的じゃないかと思うのですが、母親の症状が悪くないときの顔とか、ミスドの思い出なんかが甦ってくると、安易に切ってしまうことはできない。

相反するようなさまざまな経験が断片としてたくさんあって、その中から、どうにか家族の物語をつくらなけばならない、と考えたとき、そういう子たちは環境は厳しいけれどいいところもあったと語る。そんな彼らに、あなたたちの家庭は機能的な欲求を満たしてないからだめだと一本やりにいうことはできません。あるいは、そうしたやり方は、功を奏さないと思います。

もちろんお互いが納得して離れるのであればよいのですが、そうではない場合に、どういう支援がありうるのか、ということは構想していかなければならないと思います。どうしても、貧困についての問題になると、機能の次元ではく奪されているからそこを埋めなくてはいけないという議論になりがちで、もちろんそれはそれでとても重要なことなのですが、じっさいに支援を行う具体的な場面では、ことはそんなに単純ではないはずです。

これまでは、こうした問題は恐らく、現場の方が現場感覚で知恵を絞っていたのと思うのですが、そういうものをちゃんと言語化しないといけないと思います。もちろん、それと同時に、家族がなぜアイデンティティ欲求の対象になってしまうのかということを問うて、そういう社会自体を変えていくということも重要です。

――読んでいて、考えるのがとても難しかったんですが、客観的には破綻している、あるいは家族の体をなしていない家族なのに、自分よりも困難な状況を引き合いに出して、たとえばアフリカの貧困に苦しむ子どもにくらべたら、みたいに、家族を肯定的に語る場面があります。この語りをどう捉えたらいいのかと、とても悩みます。

わたしは教育社会学者なので、できるだけ自己責任を解除しようとします。こういう構造におかれたらしかたないよね、というかたちで。でも、自己責任の余地のない存在というのは、自分の主体性を奪われている存在でもあるわけです。

つまり、貧困だったからあなたの人生はこんなに厳しかったんですね、という風にいわれると、自分がいままで選択してきた意味や主体性はないといわれているようなものなのかもしれません。だとすれば、それは固有の存在であることが否定されることでもあります。たしかに、自己責任を解除するのは大事なのですが、それによってその人の主体性のようなものを奪ってしまうのはどうなんだろう、と。

――「アフリカの子どもに比べたら、うちはまだましなんだ」というのは、その子にとっては、自分の人生を肯定するためのひとつの足場でありうるということですね。

そうですね。そういう感じだと思います。まだうまくわたしの中でも整理できていないのですが、今後考えていきたい問題の一つです。

――難しいですね。でもこれこそが「現実」なのだと思います。

こうした問いはまったく想定してなかったのですが、エスノグラフィーによって、そうした深い部分にまで行けたということはあると思います。

――最近、日本で「アンダークラス」という言葉がはやり始めていますが、知念さんはこのコンセプトに否定的ですよね。

これは単純な理由として、アメリカで、アンダークラスというかたちでラベリングして、政策的支援を打たなければならないと、戦略的に論陣をはった人たちもいたのですが、それが失敗しているということです。アンダークラスというラベリングのせいで、何をしてもダメな人たちだと社会からみなされるようになってしまいました。アンダークラスというコンセプトにもとづいて政策提言をしていたウィルソン自身が、その失敗を認めています。

アンダークラスと名前をつけて、そのように呼びうる層がいるとして、その悲惨さだけを強調していくような手法は、生活保護バッシングのような現象とすぐ共振してしまうでしょう。つまりアンダークラスの人びとは生活保護を受けて、社会のためにならない人たちだ、という言説に容易に結びついてしまうのではないでしょうか。

これは学者がどれだけ善意をもってアンダークラスというコンセプトをもって分析したとしても、それがマスメディアにどう流れ、そして人々にどう定着していくか、ということはコントロールできないということでもあります。アンダークラスという言葉を使うとわかりやすい話になるのですが、だからこそ問題があるのではないかと思います。

――逆にいうと、知念さんのように細かく、深く分け入っていくと、そう容易には対象化できないし、カテゴリー化もできない。しかし、その分、政策には乗りにくいというのもあるかと思います。やはり何らかの支援が必要な子だよなと感じながらご著書を読んでいたのですが、そのあたりはどうお考えでしょうか。

そうですね。ただ、少し言い方を変えれば、アンダークラスというのはカテゴリーとしてセンスがないということですよね。もっと別のカテゴリーで社会問題化することもできるだろうし、ただそのカテゴリーは何かと問われると難しいですね。

――質問の仕方を変えますね。これまで先生がヤンチャな子らをみてきて、何か政策を打てるとしたら何をしますか?

とても難しい質問ですね。ただ、現在の日本に用意されている選択肢で考えると、学校の先生たちがキーであるのは間違いないです。先生は彼らと信頼関係を築けている稀有な存在なので、学校の先生が他機関とつながりやすい環境をつくることが考えられると思います。あるいは、余計な業務があるとすれば、そうした負担を軽減して、ソーシャルワーク的な仕事にエネルギーを割けるような、あるいはそうした役割を担う先生を増やすということも考えられます。

ただ、すべての学校で、「ヤンチャな子ら」と先生との信頼関係が築けているわけではもちろんありません。ブラック校則のような校則がまかり通っている学校もあるわけですから。そうした意味で、学校の価値観を変えていくことも重要になる。

ただ、そうしたことを踏まえても、学校というのは重要です。教師は子どもたちの情報にさまざまに精通していますし、学校は、すべての子どもを包括的に把握できる可能性のある、唯一といっていい重要な機関です。そこに何らかの手当てをする、というのがもっとも効果的な施策になると思います。

――最後にご著書の反響について教えてください。

わたしの周りにもこういう子たちがいたかもしれないと、共感的な感想をいただいたのが一番うれしかったです。ヤンキーというのは身近にいて、理解しがたい存在として映ることが多々あるし、身近だからこそバッシングもしやすい対象です。そういう対象を、自分の経験に照らして考え直す機会にしていただけたら、とてもうれしいことです。

参考文献

・ディック・ヘブディジ, 山口淑子訳, 1979=1986, 『サブカルチャー スタイルが意味するもの』未来社。

・難波功士, 2009, 『ヤンキー進化論 不良文化はなぜ強い』光文社。

・ポール・E・ウィリス, 熊沢誠・山田潤訳, 1977=1996, 『ハマータウンの野郎ども』筑摩書房〔ちくま学芸文庫〕。

・Paul Willis, 2000, The Ethnographic Imagination, Polity Press.

・佐藤郁哉, 1984, 『暴走族のエスノグラフィー モードの叛乱と文化の呪縛』新曜社。

・打越正行, 2019, 『ヤンキーと地元』筑摩書房。

・岸政彦・石岡丈昇・丸山里美, 2016, 『質的社会調査の方法 他者の合理性の理解社会学』有斐閣。

・山田昌弘, 2005, 「家族神話は必要か?」『家族社会学研究』16巻2号, pp.13-22.

・ウィリアム・J・ウィルソン, 青木秀男監訳, 1987=1999, 『アメリカのアンダークラス』明石書店。

プロフィール

知念歩教育社会学・家族社会学

神田外語大学外国語学部講師。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。専門は教育社会学・家族社会学。インタビュー・参与観察調査によって〈ヤンチャな子ら〉の生活を描き出す研究、質問紙調査の分析から学力格差の実態やそれを克服するための方途を探る研究などをしてきました。主な著書に『〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー ヤンキーの生活世界を描き出す』(青弓社、2018年)、『学力格差に向き合う学校』(共著、明石書店、2019年)など。

この執筆者の記事