〈昼の世界〉と〈夜の世界〉の断絶を超えて

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「第二次惑星開発委員会」が発行する批評誌『PLANETS』。vol.8の発売にあたり大規模なリニューアルが行われた。文化時評がなくなり「読み物」としての性質が強くなった一方、サイズの変更やカラーページの増加といった「読者が手に取りやすくなる」さまざまな工夫が凝らされている。それは批評家・宇野常寛の思いの結集ともいえよう。「〈夜の世界〉(=サブカルチャーやインターネット文化)の想像力が、〈昼の世界〉(=政治や経済)を呑み込み、21世紀の〈原理〉となる世界」とは、どのような世界なのか。宇野氏に話を伺った。(聞き手・構成/出口優夏)

 

 

「文学」の言葉で政治を問い直す

 

―― 今回の『PLANETS vol.8』では、大幅なリニューアルがされましたね。内容面では文化時評がなくなり、社会批評がほとんどを占めるようになった。なにか思惑があるのでしょうか?

 

小説や映画、ゲームといったさまざまなジャンルの文化時評をまとめた『文化時評アーカイブス』が軌道に乗ってきたので、PLANETS本誌はもうすこし射程の長いものを目指そうと思いました。

 

今回の『PLANETS vol.8』では、「文化の視点から現代社会を見る」ということを強く意識しています。「政治と文学」という古い言葉がありますよね。社会と個人、世界と実存、と言い換えてもいいのだけど、前者を規定するのはつねに後者だとぼくは思うんですよ。つまり、「なにが政治的なものか」ということは、文学の言葉が決めるということです。もちろんここでの「文学」とは、現代の芥川賞や文芸誌的なジャンル純文学ではありません。もっと広い意味の言葉ですね。ぼくは、現代においてもう一度、「文学」の言葉で、「なにが現代における政治性なのか」ということを問う本をつくりたかった。

 

ぼくや荻上チキさんもそのなかに括られてしまうことが多いですが、いわゆる「若手論壇ブーム」には当事者ゆえに違和感をもつことも多いんですよ。この枠組みだとどうしても、若者の気分を代弁しながら「古い政治性はもう有効ではない」ということを繰り返して主張しているだけになってしまう。でも、それだけではなにも変わらない。

 

だから、ぼくは「なにが政治的に問題なのか」ということを、「~ではない。」と否定するのではなくて、「~である。」とビジョンを示していきたいと考えています。荻上流にいえば、「ネガ出し」ではなく「ポジ出し」ですね(笑)。そのときに、ぼくが批評家として扱っている「文化」や「文学」の言葉ができることは、「なにが政治的なのか」を問い直すことでした。

 

 

新しいホワイトカラー層のスタンダードをつくりたい

 

その実践のひとつとしてこの号で試みたのは、今、日本の都市部に出現し始めている新しいホワイトカラー層の生活文化を描きだすことなんですね。というよりむしろ、ぼくらの活動を通じて「新しいホワイトカラー層」のスタンダードをつくっていきたいという思いを抱いています。ここでいう「新しいホワイトカラー層」とは戦後的な大企業文化とは切りはなされた知的階級の人々のことです。彼らのライフプランや財産形成の方法は、「既存のホワイトカラー層」とはたぶんまったく異なる。

 

たとえば渋谷や新宿をターミナルにする私鉄の沿線の「いい街」に家を買って、そこから都心に一時間かけて通う、というライフスタイルは単純に専業主婦の奥さんが家を守っている人のもので、共働きが前提の今の20代、30代にとって、それほどリアリティがあるとは思えないですよね。残業するのが当たり前で、終業後は会社の仲間と一杯飲んで、あとは帰って寝るだけ。(専業主婦の奥さんがいるので)家事をすることもなければアフター5に趣味の仲間に会うわけでもない、という戦後的サラリーマンのライフスタイルが、東京を西側に伸ばしていったと言えます。

 

しかし、この10年で出現した若い都市部のホワイトカラー層のメンタリティは、東京の西側に住む彼ら戦後的ホワイトカラー層のそれとはかなり異なるんじゃないか。

 

たとえばぼくの家庭も共働きの、子どもがまだいない夫婦ですけど、単純にどちらも忙しいので、山手線の内側のお互いの仕事にとって便利な場所に住む、という判断になる。あるいはぼくのあるIT系の会社につとめる同世代の友人は、やはり IT系の会社につとめる奥さんと湾岸部のマンションに住んで、移動にはおもにカーシェアリングを活用している。これが今の若いホワイトカラー世帯のリアリティではないかと思うわけです。

 

おそらくこれから何十年か後に、この20年くらいの時代がどのように振り返られるのかというと、こうした「新しいホワイトカラー層が日本の都市部に生まれ始めた時代」と言われる可能性が高い。

 

都市部の、そこそこ年収があるホワイトカラーの多くが、以前は大手メーカーや金融機関の正社員で、彼らの多くに専業主婦の配偶者がいたはずです。しかし現在においてはこうしたスタイルをとっている人の割合は下がっていて、おそらくはIT企業や外資系企業に務める人の割合が増え、共働きの家庭が多いはずです。

 

こうした「新しいホワイトカラー層」は、雇用環境的に戦後的大企業文化を中心にした戦後的サラリーマンの生活文化をもたない可能性がきわめて高い。持ち家へのこだわりは相対的に低いだろうし、新聞やテレビはほとんど参考にせず、インターネットを中心に情報収集をしている。百貨店ではなく楽天、紀伊国屋ではなくアマゾンで買い物をしている可能性が高い。業種や家族構成、住む場所だけではなく、メディアへの接し方や買い物の仕方まで違うはずです。つまり、これら新しいホワイトカラーは、かつての戦後的なホワイトカラーとはまるで異なる価値観で生きていることになります。

 

今号では、たとえば「食べログの研究」といった記事や、東京論(都市論)やファッション批評をめぐる座談会を通じて、この新しいホワイトカラーのライフスタイル、つまり「衣食住」を描きだしてみたかった、という目論見もありました。

 

 

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vol.265 

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