2013.02.25

〈昼の世界〉と〈夜の世界〉の断絶を超えて

「PLANETS vol.8」編者、宇野常寛氏インタビュー

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「第二次惑星開発委員会」が発行する批評誌『PLANETS』。vol.8の発売にあたり大規模なリニューアルが行われた。文化時評がなくなり「読み物」としての性質が強くなった一方、サイズの変更やカラーページの増加といった「読者が手に取りやすくなる」さまざまな工夫が凝らされている。それは批評家・宇野常寛の思いの結集ともいえよう。「〈夜の世界〉(=サブカルチャーやインターネット文化)の想像力が、〈昼の世界〉(=政治や経済)を呑み込み、21世紀の〈原理〉となる世界」とは、どのような世界なのか。宇野氏に話を伺った。(聞き手・構成/出口優夏)

「文学」の言葉で政治を問い直す

―― 今回の『PLANETS vol.8』では、大幅なリニューアルがされましたね。内容面では文化時評がなくなり、社会批評がほとんどを占めるようになった。なにか思惑があるのでしょうか?

小説や映画、ゲームといったさまざまなジャンルの文化時評をまとめた『文化時評アーカイブス』が軌道に乗ってきたので、PLANETS本誌はもうすこし射程の長いものを目指そうと思いました。

今回の『PLANETS vol.8』では、「文化の視点から現代社会を見る」ということを強く意識しています。「政治と文学」という古い言葉がありますよね。社会と個人、世界と実存、と言い換えてもいいのだけど、前者を規定するのはつねに後者だとぼくは思うんですよ。つまり、「なにが政治的なものか」ということは、文学の言葉が決めるということです。もちろんここでの「文学」とは、現代の芥川賞や文芸誌的なジャンル純文学ではありません。もっと広い意味の言葉ですね。ぼくは、現代においてもう一度、「文学」の言葉で、「なにが現代における政治性なのか」ということを問う本をつくりたかった。

ぼくや荻上チキさんもそのなかに括られてしまうことが多いですが、いわゆる「若手論壇ブーム」には当事者ゆえに違和感をもつことも多いんですよ。この枠組みだとどうしても、若者の気分を代弁しながら「古い政治性はもう有効ではない」ということを繰り返して主張しているだけになってしまう。でも、それだけではなにも変わらない。

だから、ぼくは「なにが政治的に問題なのか」ということを、「~ではない。」と否定するのではなくて、「~である。」とビジョンを示していきたいと考えています。荻上流にいえば、「ネガ出し」ではなく「ポジ出し」ですね(笑)。そのときに、ぼくが批評家として扱っている「文化」や「文学」の言葉ができることは、「なにが政治的なのか」を問い直すことでした。

新しいホワイトカラー層のスタンダードをつくりたい

その実践のひとつとしてこの号で試みたのは、今、日本の都市部に出現し始めている新しいホワイトカラー層の生活文化を描きだすことなんですね。というよりむしろ、ぼくらの活動を通じて「新しいホワイトカラー層」のスタンダードをつくっていきたいという思いを抱いています。ここでいう「新しいホワイトカラー層」とは戦後的な大企業文化とは切りはなされた知的階級の人々のことです。彼らのライフプランや財産形成の方法は、「既存のホワイトカラー層」とはたぶんまったく異なる。

たとえば渋谷や新宿をターミナルにする私鉄の沿線の「いい街」に家を買って、そこから都心に一時間かけて通う、というライフスタイルは単純に専業主婦の奥さんが家を守っている人のもので、共働きが前提の今の20代、30代にとって、それほどリアリティがあるとは思えないですよね。残業するのが当たり前で、終業後は会社の仲間と一杯飲んで、あとは帰って寝るだけ。(専業主婦の奥さんがいるので)家事をすることもなければアフター5に趣味の仲間に会うわけでもない、という戦後的サラリーマンのライフスタイルが、東京を西側に伸ばしていったと言えます。

しかし、この10年で出現した若い都市部のホワイトカラー層のメンタリティは、東京の西側に住む彼ら戦後的ホワイトカラー層のそれとはかなり異なるんじゃないか。

たとえばぼくの家庭も共働きの、子どもがまだいない夫婦ですけど、単純にどちらも忙しいので、山手線の内側のお互いの仕事にとって便利な場所に住む、という判断になる。あるいはぼくのあるIT系の会社につとめる同世代の友人は、やはり IT系の会社につとめる奥さんと湾岸部のマンションに住んで、移動にはおもにカーシェアリングを活用している。これが今の若いホワイトカラー世帯のリアリティではないかと思うわけです。

おそらくこれから何十年か後に、この20年くらいの時代がどのように振り返られるのかというと、こうした「新しいホワイトカラー層が日本の都市部に生まれ始めた時代」と言われる可能性が高い。

都市部の、そこそこ年収があるホワイトカラーの多くが、以前は大手メーカーや金融機関の正社員で、彼らの多くに専業主婦の配偶者がいたはずです。しかし現在においてはこうしたスタイルをとっている人の割合は下がっていて、おそらくはIT企業や外資系企業に務める人の割合が増え、共働きの家庭が多いはずです。

こうした「新しいホワイトカラー層」は、雇用環境的に戦後的大企業文化を中心にした戦後的サラリーマンの生活文化をもたない可能性がきわめて高い。持ち家へのこだわりは相対的に低いだろうし、新聞やテレビはほとんど参考にせず、インターネットを中心に情報収集をしている。百貨店ではなく楽天、紀伊国屋ではなくアマゾンで買い物をしている可能性が高い。業種や家族構成、住む場所だけではなく、メディアへの接し方や買い物の仕方まで違うはずです。つまり、これら新しいホワイトカラーは、かつての戦後的なホワイトカラーとはまるで異なる価値観で生きていることになります。

今号では、たとえば「食べログの研究」といった記事や、東京論(都市論)やファッション批評をめぐる座談会を通じて、この新しいホワイトカラーのライフスタイル、つまり「衣食住」を描きだしてみたかった、という目論見もありました。

〈夜の世界〉の想像力が〈昼の世界〉を呑み込む日

―― 副題の「ぼくたちは〈夜の世界〉を生きている」という言葉をはじめとして、『PLANETS vol.8』では「〈昼の世界〉と〈夜の世界〉の断絶」をいかに乗り越えるかということが強く意識されていますね?

「昼の世界と夜の世界」というのは、ぼくと濱野智史との共著『希望論』のあとがきで彼が用いた言葉です。

「昼の世界」とは、要は戦後社会のことですね。冷戦下、55年体制下の「市民社会」と、ものづくりと日本的経営に支えられた「企業社会」を中心にした世界のことです。対して「夜の世界」というのは、ポスト戦後的な社会です。ここでは“失われた20年”に逆に伸びていったインターネットやエンターテインメントの世界に才能が集まっている。「昼の世界」は団塊世代を中心とした旧い戦後的な価値観が相対的に強く、「夜の世界」は団塊ジュニア以下を中心とした新しいポスト戦後的な社会の価値観の基礎をつくり上げている。

現在、いまだに戦後的な政治性や問題意識で動いている日本の〈昼の世界〉は、あきらかに綻び始めている。ぼくは、その現状を打開する手掛かりが〈夜の世界〉にあると考えています。ここ20年のあいだ、〈夜の世界〉が世のなかのメインストリームになることはありませんでしたが、サブカルチャーやインターネット文化は、そこそこクリエイティブでイノベイティブに発展してきました。そんな〈夜の世界〉の想像力を行使して社会を見ることで、既存の視点とは異なった〈昼の世界〉がみえてきます。その視点が、〈昼の世界〉を変える原動力になる。

ただ、ぼくは現在の〈昼の世界〉を叩き潰そうと考えているわけではありません。ぼくたち〈夜の世界〉の住人が〈昼の世界〉と正面から戦っても、いまは勝ち目がない。〈昼の世界〉の住人たちはサブカルチャーやインターネット文化に馴染んでいない層ですから、必然的に年齢層が高くなります。年功序列型の日本社会を考えれば、彼らの方が権力もお金もある。

でも、彼らのなかにも既存のメディアや討論がつまらないと思っている人たちが確実に存在する。そういう〈昼の世界〉の住人たちに、「こうやったら楽しいんだよ」とできるかぎりのビジョンを示していくことで、すこしでも多くの人がぼくらのやっていることに興味を抱いて、味方になってくれることを期待しています。

〈昼の世界〉の住人たちが〈夜の世界〉の想像力にすこしずつ感化されていくことで、いつのまにか〈夜の世界〉のロジックが〈昼の世界〉を支配して、日本が変わっていく。そういったシナリオにしたいですね。

成功例をコツコツと積み重ねていく

―― 具体的にはどうやっていけばいいのでしょうか?

以前、『ニッポンのジレンマ』のなかで、荻上さんと「動機づけとロールモデルの提示の両輪が大切だ」という話をしたことがあります。いつまでも「意識の底上げを!」みたいな話をしていてもなにも変わりません。良くも悪くも東日本大震災をきっかけとして、世界を変えたいという気持ちを持っている多くの人たちが、それぞれの立場からすでに動き出している。

今の日本に不足しているのはロールモデルの提示の方ですね。これから先に重要なのは、「こういうメソッドで世界を変えられる」という成功例をコツコツと積み上げていくことだと思います。

―― 『PLANETS vol.8 』では新しいロールモデルになりうるような論者を集めたのでしょうか? 宇野さんと同世代の若い論者の方が多い印象を受けました。

論者の年齢層は意図したものではなくて、ぼく自身も途中で気づいたんです(笑)。40代が2~3人で、あとは30代以下になってしまった。でも、これは必然的な結果ともいえると思います。

なぜかというと、アラサー以下の若い世代はいい意味で素朴なコミットメントを信じているからです。一世代上の論客には、「とにかくコミットすることが大事で、影響力を持つためならば心情なんてこだわらない」という人か、「そんな盲目的なコミットはだめだから、むしろコミットしない勇気が大事だ」という人のどちらかしかいない。

一方で、ぼくたちアラサー世代はそのどちらでもなく、「コツコツと自分たちで足場をつくって、すこしずつ目に見えるかたちで世のなかを変えていこう」と考えている人が多いように思う。「政治の季節」が終わってから何周か回って、もう一度素朴なコミットメントをふたたび信じられる状況が生まれつつあると思います。

だからといって、上の世代を排除するつもりはまったくありません。ぼくたちのやっていることは、上の世代にも意義深いことだと思っています。だから、ぼくは『リトル・ピープルの時代』で村上春樹を題材にした。村上春樹の小説のベースとなっている原体験は60年代のものなので、彼は「政治の季節」以降の40年間を丸ごと扱える題材だといえます。

『リトル・ピープルの時代』では、現代社会を「文化」や「文学」の言葉で批評することは、上の世代が長らく考えてきた「政治と文学」の問題にもつながっているということを示したかった。今回の『PLANETS vol.8』では、論者自体の年齢層が若いからこそ、「最近の2~30代はこんなことを考えているんだぞ」という上の世代へのメッセージにもなっていると思います。

論者の無意識を引き出していく

―― 宇野さんが論者の方にインタビューする上で、意識していたことはありますか?

ぼくでなければ聞けないことを聞こうと思っていました。論者自身のいいたいことは、彼らの書いた本を読めば誰でも分かる。でも、主張や作品の裏側には絶対に作者の無意識が存在しています。批評とは作者や作品の無意識を読むことですから、批評家であるぼくの仕事は論者の無意識を引き出していくことです。だから、他の人が聞かないことで、論者本人も自発的には喋らないことを、ぼくが引き出していかなければいけない。

古市憲寿くんであれば、社会学者としての古市くんではなくてエッセイストとしての「古市憲寿」を。安藤美冬さんであれば、ノマドライフの話ではなくて、彼女が一消費者としてどのように自己啓発文化に接してきたのかということを伺っています。どういう人であるのかをあまり知らない分、初対面の方やあまりお会いしたことのない方へのインタビューの方が上手くいったという気がします。

マニフェストに対応する存在

―― デザイン面のお話を伺いたいと思います。PLANETSの表紙はいつも可愛い女の子ですよね(笑)。

ぼくにとってこの本は、「新しいホワイトカラーのスタンダードをつくっていきたい」というマニフェストです。最初は『PLANETS SPECIAL 2010 ゼロ年代のすべて』の表紙のような「風景+合成写真」でコンセプチュアルなものを考えていました。でも、風景は世界観の提示に過ぎないので、ぼくの主張を表すことはできない。だとしたら、主張の提示に対応するものは人物ではないかと考えました。

誰が表紙にふさわしいのかを考えてみると、ぼくのマニフェストに対応する人物は、ぼくが200人以上のAKBグループのメンバーから選び抜いた推しメン以外には考えられなかった(笑)。ということで、AKB48兼NMB48メンバーの横山由依さんにお願いすることになりました。内容はもちろんですが、表紙から丁寧で質の高い仕事がしたかったので、撮影の際もぼくが細かくディレクションしました。

たとえば白シャツに赤のワンポイント、というイメージはぼくから提出しています。でも制服っぽく見えないようにしたかったので、スタイリストと相談してあの素材のシャツと胸元のコサージュにしました。あのコサージュは「タイだと制服っぽくなってしまうのでなにか考えて欲しい」というぼくの無茶な要求にスタイリストさんが応えてくれたものです。たぶん、ぼくは日本で唯一グラビアのディレクションができる批評家だと思います(笑)。

いかに手に取りやすい本をつくるか

―― vol.8はデザインも随分こだわっていますね。本のサイズが大きくなって、カラーページが大幅に増えた。色や写真の使用方法も特徴的です。

今までのPLANETSは、ぼくが学生の頃好きだった『別冊宝島』『アニメック』『OUT』みたいな、80年代、90年代のカルチャー誌やアニメ雑誌のエッセンスを取り込んだものでした。字は小さくてもいいから、ひたすら内容を詰め込んで濃密感を求めていた。しかし、今回の『PLANETS vol.8』はすこしでも多くの人に読んでもらうということが目的なので、内容のレベルは下げないままに、いかに多くの人が手に取りやすいものにするかということを考えています。

デザインはすべてをゼロからつくり上げたいと考えていたので、半年くらい前からデザイナーさんと打ち合わせを重ねて、細かいところまでこだわりぬいた。具体的には、「図と字をなるべく重ねない」とか、「視線を泳がせない」といった基本方針から決めていきました。

本の大きさを変えたのも、多くの人に手に取ってもらうためです。「A5サイズ」は文芸誌や評論誌のスタンダードになってしまっていて、「こういった本を読む人たち」に読者を限定してしまっている。それをどうしても脱したいと思いました。このサイズで字がたくさん詰まっている本は珍しいと思いますよ。

あとは、イラストを意図的に排除しましたね。イラストは本のカラーを分かりやすく示してくれる一方で、どうしてもカラーを強く決めすぎてしまう。だから、絵素材は外の世界とのハブになるようなものだけにかぎって、そのかわりに写真素材を多く使用しています。写真の解釈を限定しないように、あえてキャプションもつけていません。

「文学」の言葉で政治を支える

―― カルチャーとアカデミックという異なる領域ではありますが、読者がPLANETSとシノドスの両方を読むことによって、はじめて得られるものがあるような気がします。

シノドスのアカデミックジャーナリズムは戦後的な政治性で物事を考えている人にとっては、ただのバランス調整や対症療法に見えてしまうことが多いと思うんです。もちろん、実際にはそんなかんたんな話じゃない。でも、彼らには、今の若手の論客や研究者がなぜこういうことを論じているのかという意図がわからないんですよね。

こういう誤解がなぜ起こるかというと、それを支えるもの、なにが「政治的なもの」かを考える「文学」の言葉がやせ細っているからだと思います。だから、ぼくたちPLANETSはその「文学」の言葉を補っていきたい。読者がPLANETSで「文学」の言葉を蓄えて、シノドスで政治の考え方を身につけていくという両輪が理想ですね。

プロフィール

宇野常寛評論家

1978年生。評論家。PLANETS編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川文庫JA)。『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)。濱野智史との共著に『希望論』(NHK出版)、石破茂との共著に『こんな日本をつくりたい』(太田出版)。企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。

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