2013.06.28

あなたの盲点がここにある

『わが盲想』著者・モハメド・オマル・アブディン氏に聞く

情報 #紛争#新刊インタビュー#わが盲想#弱視#高野秀行#テキストデイジー#イスラム教#視覚障害

目で見たことのない日本を「妄想する」!?  「日本語が巧すぎる盲目のスーダン人」による初エッセイ『わが盲想』(ポプラ社)が2013年5月に上梓された。彼が「盲想」した日本とはどのようなものなのか、著者のアブディン氏に話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)

靴ひもをむすぶ

―― 「わが盲想」が話題ですね。そもそもなぜ「わが盲想」というタイトルにしたのでしょうか。

ぼくは生まれつき弱視で、12歳の時に視力を失いました。初めて来日したのが19歳の時だから、ぼくは日本を目で見たことがないんです。視覚を使わないで聞いたり、嗅いだり、触ったりして想像した日本の姿を書きました。だから「盲想」ですね。もちろん、ヒットラーの「わが闘争」にかけています。

―― 本を書くきっかけを教えてください。

ノンフィクション作家である高野秀行さんに「アブディンはネタの宝庫だから原稿を書いたらいいじゃない」と言われたのがきっかけです。彼とは10年来の友人なんです。その時は大学で忙しかったから、あまり書く気になれなくて。しかし、数年前に彼の本を編集した編集者の堀内倫子さんにお会いして、すごく書きたい気分にさせられました。「とりあえず短いネタを書いてみたら」とアドバイスをいただいて、書いてみたら、彼女が絶賛してくれて。ところが、出版にむけて動きだそうという時に、堀内さんは急逝してしまったんです。

その後、高野さんがぼくに本を書かせようと何回も働きかけてくれたんだけど、やっぱりプロの編集者とは違って、あんまり書きたいという気にはさせられなかったんです(笑)。そのままこの話は流れるところだったんですが、たまたま今の担当編集者である斉藤さんが「高野さんの本によく出ている怪しいスーダン人を紹介してください」といってくれて。堀内さんとやり取りしていた原稿を斉藤さんに送ったら、ぜひポプラ社で連載をさせて欲しいという話になりました。

―― その短い話はどのような内容だったんでしょうか。

この本にも載っている、靴ひもをむすぶ話がメインでした。スーダンにいる時は靴ひもがむすべなくて適当に丸めてごまかしていたんですが、日本で練習することでむすべるようになりました。本になってみても、一番気合いが入っているところだとおもいます。

―― 目が見えないと靴ひもをむすぶのも大変ですよね。

それは違います。見えなくてもむすべる人は沢山います。見えないからできないだろうと自分に甘えていたんです。当初日本へは針灸を学ぶためにやってきました。器用じゃないとできない職種なので、勉強をするにあたって靴ひもをむすべるようになったことは大きな自信になりました。靴ひもをぐっとむすべた瞬間に、心につかえていたものが無くなりました。ぼくの中ではとても象徴的なエピソードです。見えないからできないと思いこんで楽をしていた自分が、自分でなんでもやらなきゃいけないと覚悟を決めた瞬間でした。

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テキストデイジーでも同時発売

―― 原稿はどのように執筆されているのでしょうか。

視覚障害者がパソコンを使えるように開発された「音声読み上げソフト」というものがあります。20年前から開発が始まっていて、Wordやインターネット、メール等の文章を読み上げてくれます。

例えば漢字を打つ時には、普通は漢字の変換を目で確認しますよね。ですが、音声読み上げソフトは、音で漢字を説明してくれるんです。例えば、「山本」と打つとしたら、「やまかわ」の「山」、「ほん」の「本」といった感じで読み上げます。合っていれば確定するし、合っていなければ次の文字にいって確認します。

―― 動画(http://www.youtube.com/watch?v=7tUk2xiODzE)を拝見したら、打つのがすごく早かったですね。

とんでもない。あの何倍もの速さで書く人が多いですよ。ぼくは盲人としても一流じゃないんですよ(笑)。途中から目が見えなくなったので。

―― 執筆中大変だったことはありますか。

原稿のやり取りは少し大変でした。普通の作家さんは編集者から戻ってきた原稿を見れば、どこに指摘が入っているか一目でわかりますよね。でも、ぼくの場合音声ソフトが読み上げてくれるまで、どの個所を直せばいいのか分からない。

それと、本って段落一つで雰囲気が変わるじゃないですか。音声ソフトは便利でいいんですけど、単調な機械の音声でずっと聞こえてくるので、読み返しても抑揚が分かりづらいんです。段落や間を確認するには適していません。ですので、チェックの時には編集者に音読してもらいました。すると、ここの流れが変だといったことに気づいて、直すことができましたね。

―― 点字での出版は予定されているのでしょうか。

今、準備をしています。点字も同時に出したかったんですけど、テキストデータを機械で点字化して、さらに人が校正しないといけないので、数カ月かかってしまうんです。ですが、目の見えない方が本を読む方法として、点字以外にも「テキストデイジー」という方式があります。これは、テキストデータさえあれば、機械の音声が読み上げてくれるというものです。日本点字図書館と出版社の協力で、発売と同時にダウンロードできるようになりました。

ぼくたちは、本がすごく話題になっていても、すぐには読める形で手に入らないんです。それがぼくはすごく嫌だったんですね。だから、自分の本が出る時は、同時にテキストデイジーでも出版したいと考えました。実はこれは初の試みなんです。テキストデータさえ早く渡せれば、点字と比べて比較的早くつくることができますので、ぜひ、他の出版社さんにも取り組んでほしいなとおもいます。「わが盲想」のテキストデイジー版は、視角障害等をお持ちの方のための電子図書館「サピエ図書館」からご利用いただけます。

これも含めてのアブディンだから

―― 書いてみて周りの反応はどうでしたか。

兄からは「良かったね」という言葉をもらいました。10年ほど前から、ずっと「本を書け」と言い続けていたので。ただ、これからだとおもうんです。色んな人に読んでもらって、色んな感想が聞けるのを楽しみにしています。

批判をうけることもありますし、おもしろかったよと言われることもあります。よくあんな話が本になったな、という人もいます(笑)。みんなが「面白かった」と言うならそこまで刺激的なものでは無かったということだとおもうので、どんな反応であれ、聞かせてもらえるのは嬉しいですね。

―― イスラム教では飲酒は禁じられているとのことですが、過去の飲酒の話は赤裸々に書かれていますね。

書くかどうか、非常に迷ったんですよ。最初は、書いても守りに入ったような書き方をしていたわけです。「本当は楽しくないけれど、仕方なく飲んでた」って。でも、高野さんに「アブディンあの時すごい楽しそうだったよな」と言われて(笑)。今はやめたし、いいんじゃないかな。これも含めてのアブディンだから。

日本でお酒を飲まないと、孤立するという一面がある。それでなくてもホームシックに悩まされたりしているから、罪悪感を感じながらも手を出してしまう。でも、飲んで美味しかったのも事実です(笑)。

ムスリムの人達は、同じような葛藤に悩まされることが多いんです。もし、彼らがお酒を飲んでいたとしても、どういう気持ちで飲んでいるのか、日本の皆さんにも分かってもらうきっかけになるんじゃないかな。

―― 奥さんと結婚される時、過去の飲酒を隠していたとのことでしたが、本に書くことで、奥さんにバレてしまうことは恐れなかったんでしょうか。

ぼくは妻と出会う2年前に、ダラダラとした自分の生活をあらためたくて、お酒をやめました。彼女は出会う前の過去についてほじくったりはしない人です。でも、知らないうちにバレていたんですよね。引越しの時に昔の写真の整理をしていて、ぼくがビールを飲んでる写真を見つけてしまったみたいで。「それは、ノンアルコールビールですよ」とごまかしたら、「ノンアルコールビールの缶じゃないよ」と言われてしまって(笑)。「知っていたのになんで言わなかったの」と聞くと、「昔の話でしょ」と言われて、気が楽になりましたよ。

視覚障害は情報障害である

―― 現在、大学院で紛争問題を研究されているとのことですが、スーダンの視覚障害者の支援も行っているようですね。

5年前に、スーダン障害者教育支援の会というNPOを立ち上げました。英語で言うと「Committee of Assisting and Promoting Education for Disabled in Sudan」。長ったらしいので、略してキャベッジ(CAPEDS)と言います。キャベツじゃないですよ。でもキャベツと似ているところがあって、いくら剥いても芯がしっかりしている(笑)。

視覚障害は情報障害であると私はおもっています。学校では視覚障害者は不利な立場に置かれます。スーダンには視覚障害者向けの学校が少ないので、普通の学校で勉強するケースが多い。その上で、授業での配慮や点字の教材があれば、子ども達の将来が変わってくるわけです。

活動としては、主に、盲学校に通えない子どもたちに点字を教えたり、すべての教材を電子化し、点字で出力できる点字プリンターを日本の財団の支援を受けて贈ったりしています。これまで80名程の視覚障害を持った学生にパソコンの基礎的な使い方を教えたり、スーダン最古の高等教育機関であるハルツーム大学に、アラビア語の音声ソフトが入ったパソコンを設置したりしました。

情報障害をできるだけとっぱらうための努力をしています。情報にアクセスできないのは、資本にアクセスできないのと一緒です。情報に自由にアクセスして、自分自身で将来の可能性を開けるよう、環境改善を行っています。

ぼくが小さい時には、点字の学習や読み書きをする機会がありませんでした。それが、日本で点字を学び、いろいろな本を読んだり、音声読み上げソフトを使って自分から発信できるようになって、人生が変わったのを実感しました。環境によって、一人の子どもの将来は大きく変わっていきます。あまり背伸びせず、自分のできる範囲で、学業にしわ寄せがいかない形で活動しようとおもっています。と言いつつ、やりだしたらハマってしまって。けっこうな力を割いていますね。

スーダンで動きがあってそれが見えると、こっちも勇気づけられるんです。大学院の研究というのはやればやるほど深くなるんだけど、すぐに世の中が動くことって残念ながらまれですよね。もしくは動きがあったとしても、直接は見えてこない。でもNPOの活動は、生活や学力の向上が見えて来るので、やっぱりやっていて楽しいですよね。手ごたえがあります。

―― スーダンへ強いおもいがあるんですね。

それはもちろんありますよ。情勢も気にしています。紛争で戦死した友達も沢山います。政治家がね、自分達の本当に小さな小さなエゴのために国を紛争に導いたり、和平に導いたりしている。国民を苦しめているのは一部の政治家なんです。そこに対して私は怒りを持っているし、研究を通してできるだけ冷静に分析していこうとおもうんです

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鵜呑みにできない

―― 就活の話にも触れていますね。ずばっと、いってくれたなとおもう人も多いんじゃないかなと。

嬉しいな。そうおもってもらえれば。友達を見ていると、70社も80社もエントリーシートを出すでしょ。そして、そのほとんどからダメ出しされるわけです。そんなにダメ出しされたら、人間落ち込みますよ。自分は社会で通用しないんだ、無能な人間だと際限なく言われているようなものじゃないですか。

就職活動をするせいで、勉強も充分できません。その難関をくぐりぬけて就職できても、学生時代にしっかり勉強できていないから、会社で教えられる仕事以外のことをできなくなっちゃうわけです。自分の時間が全部仕事に割かれて、プライベートも確保できない状態でしょ。そこまで尽くしたからといって、会社の業績が悪化すれば、義理人情で残してくれるわけでもない。そんな会社になんですべてを投入しないといけないのか。会社に洗脳されて、人生のほとんどを台無しにしているように見えます。もったいないですよね。

大学の4年間で勉強を充分にして、その後、仕事について考える時間をつくるというのが理想だとおもいます。安倍首相は4年生の4月から就活を開始するといっているんだけど、それでも早いとおもいます。例えば、卒業したら6カ月間は新卒の人達に生活の保障をして、その間にみんなが仕事をじっくり捜すような取り組みをやったらどうかな。でも、空白期間があることが日本では嫌われるんでしょ。それがおかしくてしょうがない。

みんな考える間もなく、どんどんベルトコンベアーにのせられて行く感じがします。日本は少子化で若者が少なくなっているんだから、数少ない若者の生活の質がよりよくなるように国も力を入れてやらないといけないとおもうんです。

―― アブディンさんの本を読んでも、お話をしてみても、社会の通説を鵜呑みにせずになんでも一から考え直そうとしている姿勢があるなとおもいました。

そうですね。鵜呑みにできたら楽なんですけどね(笑)。

―― これからやりたい事はありますか。

沢山あります。まずは論文を出したあとに、ぼくがおかしいとおもっている社会問題について、やわらかく書いていきたいです。

それから、紛争で亡くなった同級生についての物語を書きたいですね。あの時、ぼくも目が見えていたら、戦地に行っていたかもしれません。「行かなければ男じゃない」といった雰囲気があったんですよ。みんな、その雰囲気にのせられてしまいました。戦場がどんなに激しくこわいものか想像できない。しかも、10代でイケイケの時期だから、ちょっとした冒険みたいに行ってしまったんですよ……。

この話はスーダンだけでなく、普遍的な話です。日本だって過去に国のために戦った人達がたくさんいたわけです。でも、本心では何をおもっていたのか。亡くなった友達の家族や友人にインタビューしながら、彼らの気持ちを代弁して書きたいんです。

また、NPOも時間がある限りやっていきたいです。自分でできることと人が集まってできる事は違うので、周りも巻き込んでいけたらいいなと思います。本来、こういうことは国家の仕事だとおもいますが、取りこぼされている子ども達がいるからには、対処していくしかないですよね。

―― 最後に、読者の方にメッセージをお願いします。

騙されたとおもってちょっと本屋で立ち読みして頂けたらなとおもいます。自分のイメージを覆す、新たな視点というのかな、「盲想」だから盲点と言えばいいのか、あなたの人生にプラスになる材料があるとおもいます。立ち読みして、その勢いで買ってくだされば、ぼくには印税が入ってくるんで(笑)。ぜひ、読んでみてくださいね。

プロフィール

モハメド・オマル・アブディン作家

1978年、スーダンの首都ハルツームに生まれる。生まれたときから弱視で、12歳のときに視力を失う。19歳のとき来日、福井県立盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。その後、母国スーダンの紛争問題と平和について学びたいという思いから、東京外国語大学に入学。現在同大学院で研究を行っている。点字図書や音声図書を通じ、多くの日本文学に親しむ。好きな作家は夏目漱石と三浦綾子。ブラインドサッカー(視覚障害者サッカー)の選手としても活躍しており、「たまハッサーズ」のストライカーとして日本選手権で優勝を3回経験している。

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