支援者の「バカの壁」 ―― 「どうせ・しゃあない」を乗り越えて

「支援者のバカの壁」を自覚する

 

―― 無力化された人たちに「~したい」と思ってもらえるように、まずは無力化させるような構造の中で支援をしているということを自覚しなくちゃいけませんね。

 

ええ、ぼくは養老孟司さんの『バカの壁』(新潮新書)をもじって「支援者のバカの壁」と呼んでいますが、前著『枠組み外しの旅』(青灯社)はこの「支援者のバカの壁」を自覚化するための方法論について書いた本です。良い支援をするためには、自分が権威主義的な構造の中で支援を行う可能性がある、という自らの支援の盲点に気がつかなくてはいけません。ただ支配者になっている支援者ほどその自覚化を拒否するんですよ。支配はある種の全能感に浸れますし、「~すべき」を押し付けるほうが楽ですから。

 

でもね、本当に何かを変えたいなら、実は他人を「~すべき」といって変えるよりも、自分のアプローチを変えるほうが早いんですよ。ただ、そのためには、自分が何に限界を感じていて、どの部分を「どうせ」「しゃあない」と諦めてしまっているのか自覚するのが大事なんです。あと、自分の「取るべき責任」と、「取れない責任」を明確化することも大事。

 

というのも、そもそもある人の全生活をコントロールすることなんて出来る訳がないんですよ。それができると思い込んでいるという意味で、支援者は「取れるはずもない責任」をとらされているんですよね。だったら支援を受ける対象者が、自分自身の物語の主人公だということを思い出してもらって、「取るべき責任」をその人に返したほうが支援者にとっても楽なはずなんです。だって物語の主人公である本人が、できることを少しずつ取り戻して行けば、中長期的に言えば支援者のすることは少なくなっていくわけですから。

 

「本人にさせて、もしものことがあったらどうするのか?」っていうのは「出来ない100の理由」である場合が少なくありません。「精神障害(知的障害、認知症……)だから~したら危ない」と「安心・安全」の錦の御旗を掲げてしまったら、本人の物語の主人公性がなくなってしまうでしょ。「支援者のバカの壁」を自覚することで、「出来る一つの方法論」をご本人と支援者が一緒に模索することが出来ますし、そのプロセスの共有の中で、支援の形も質も劇的によくなります。そしてそれこそが支援の醍醐味であり、楽しさだと思うんですよね。

 

 

水先案内人NPOの手引きで代弁者制度を

 

―― 権利擁護の具体的な実践例として、アメリカの権利擁護支援の制度や日本での先駆的な取り組みについてご紹介されていました。

 

アメリカでは1970年代から、精神科病院に強制入院させられた際に、当然の権利である本人による異議申し立てを、患者側にたって代弁するための代弁者制度が確立されてきました。この点に関して第二章で、カリフォルニア州の公的な権利擁護機関DRC(Disability Rights California)の取り組みを主に紹介しました。

 

第三章で取り上げたNPO大阪精神医療人権センターの病院訪問活動は、事務局長の山本深雪さんが1990年代にDRCの代弁者制度の取り組みを学び、日本でもその必要性を感じ、先駆的に始めた活動なんです。

 

今年度の通常国会で、精神保健福祉法の改正案のもととなった検討会の中では、強制入院時における代弁者制度を日本でも導入すべきだという議論がありました。しかし審議が始まると、代弁者制度の「だ」の字もなくなっていました。議員の働きかけによって付帯決議の中に「代弁者制度を検討する必要がある」と書かれはしましたが、結局まだ代弁者制度は実施されていません。

 

日本には精神科病院のベッドが34万床もあります。これは諸外国に比べておよそ3~5倍。欧米でも、以前は精神科病院での隔離・拘束は当たり前のように行われていたのですが、今の世界の主流は、重度の精神障害がある人でも、急性期の患者でも、なるべく地域で支え続けるやり方です。強制入院や収容主義をできる限り減らすのが世界の常識です。でも残念ながら日本では、病院中心主義が残り、その結果として、権威主義的な構造がいまだに残ってしまっているんです。

 

NPO大阪精神医療人権センターは、閉鎖的な精神科病院の扉を開こうと、精神科病院を訪問し患者の声に耳を傾けて、精神科病院の中の風通しをよくしようとしています。精神科病院に入院している人は、社会との関係性が切れてしまっている人が多く、さらに強制入院させられてしまうと、本人が出たいと思っていても出られなくなってしまう。そのとき患者側に立って、患者側の声に基づいて代弁していく存在はいまとても必要とされているんです。国も病院もそういった制度に前向きでない中で、大阪のNPOによる病院訪問活動とは、社会起業家精神に基づいた先駆的に活動である、ともいえます。

 

 

―― アメリカは公的に制度化していて、州によっては積極的に取り組んでいる一方で、日本ではNPOが頑張っている状況にあると。

 

そうです。代弁者制度はNPOがボランタリーにやり続けるのではなく、公的な制度にしないといけないと思っています。NPO法人フローレンスの駒崎弘樹さん達が取り組む病児保育にしても、NPO法人自殺対策支援センターライフリンクの清水康之さん達が取り組む自殺予防にしても、まずはNPOで先駆的に問題解決に取り組んで、その後に制度化していく政策提言(アドボカシー)活動をされていますよね。

 

ボランティアは水先案内人と言われますが、まずNPOが水先案内人として先駆的に取り組むことで「問題」を「問題」として社会に認知させ、いずれ政策の変更に繋げていく。権利擁護のミクロ・メゾ・マクロという三段階の視点にあわせて、セルフアドボカシー、市民アドボカシー、司法/立法アドボカシーという三つのアプローチがあるのですが、こうした現場からの政策提言の取り組みこそ、市民アドボカシーであり、司法/立法アドボカシーなんです。

 

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2 3 4
シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

・打浪文子「知的障害のある人たちと「ことば」」

・照山絢子「発達障害を文化人類学する」
・野口晃菜「こうすれば「インクルーシブ教育」はもっとよくなる」
・戸谷洋志「トランスヒューマニズムと責任ある想像力」
・濵田江里子「「社会への投資」から考える日本の雇用と社会保障制度」
・山本章子「学びなおしの5冊 「沖縄」とは何か――空間と時間から問いなおす」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(6)――設立準備期、郵政民営化選挙後」