2013.01.15

社会をアップデートするために僕らができること

『僕らはいつまで「ダメだし社会」を続けるのか』著者、荻上チキ氏インタビュー

情報 #ポジ出し#新刊インタビュー#社会疫学

いつの間にかギスギス・ピリピリとしてしまった日本社会。20年間の景気低迷により、予算を削り合う政治がつづき、本当に必要な支援をすることにさえにも批判が集まるような社会になってしまった。そんな今、日本に必要なのは、個人を激しく攻撃し、足を引っ張る「ダメ出し」ではなく、ポジティブな改善策を出し合う「ポジ出し」ではないだろうか。シノドス編集長・荻上チキはそう提案する。

2012年11月『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想』が上梓された。デフレ、いじめ問題、バラマキ政策、生活保護論争、財政問題、ネット条例……。本書では現代社会のさまざまな問題を扱い、どのように考えればいいのかといった思考のフレームワークを提示する。「これは僕なりの、そしてシノドスなりの“マニフェスト”です」という荻上。本インタビューでは、なぜ「ポジ出し」が必要なのか、これからの議論のあり方とは何か、について話を聞いた。(聞き手・構成/山本菜々子)

僕なりの、シノドスなりの「マニフェスト」を

―― タイトルには「ポジ出し」という言葉が使われていますが、なぜ「ポジ出し」が必要であると考えたのでしょうか。

この本のタイトルに使われている「ポジ出し」というのは「ダメ出し」の対義語です。タイトルだけ見ると自己啓発本かのようですが(笑)、「ポジ出し」というのは心がけの問題ではなく、現代の社会状況におけるひとつの思想の提案です。

たとえば、これまでメディアの仕事として「権力監視」があげられると思います。安定的に成長してきた時代であれば、自民党政権を叩き、ここが足りないと「ダメ出し」することだけでも、それなりにカウンターとして機能してきました。

もちろんそれはこれからも必要ですが、今のように財政状況が厳しいという名目で、「削り合い競争」がつづく状況では、「批判」や「抵抗」だけでは改善されない部分が出てきます。だからこそ、「もっと良い方法があります」という提案や、有益な試みに対して「もっと広げましょう」といった応援が不可欠になると思います。

今回の衆議院選挙では自民党が圧勝しましたが、なかにはこの状況を「自分たち好みじゃない」と思う人もいるかもしれません。しかし、たとえばNPO団体にとっては、自分の達成したい目的のために色んな人を説得して回ったり、何かに抵抗したり、声をあげるということは変わらずにつづくわけです。具体的に行動を起こしながら、前向きに社会に関わっていかないといけません。政権の変化を前に、ただ受け身になっていると、ただ予算が削られるのを待つという結果になっていくわけです。

これはあくまで、「代案を出していこう」という呼びかけであり、「代案を出せ」という恫喝ではありません。とくに為政者が、「代案を出せ、出さないなら黙ってろ」というのは、抑圧の肯定ですから危険です。「今は代案を出せないが、それだけはゴメンだ、という叫び」をあげることも、重要な政治参加だからです。

ただその上で、メディアのように「代案を出せるはずの立場」にあるものは、政策を提案したり、ロールモデルになり得るものを応援したりする「ポジ出し」をすることに、ますます積極的であってほしいと思っています。

―― この本ではさまざまな社会問題の例を出しながら、それらを解決するために必要な思考のフレームワークを提示していました。ひとつの事例だけではなく、さまざまな事例に言及していましたね。まさに現代における社会問題の「総チェック」といった印象を受けました。なぜ、このような本を書こうと思ったのでしょうか。

僕は特定の専門分野を持って仕事をするのではなく、色々な専門家の声を繋げ、発信のお手伝いをする仕事が多いです。ラジオ番組やテレビ番組の司会、それからシノドスの活動や物書きとしての取材活動を通じて、一週間に少なくとも3、4人の専門家や当事者の方と会う日々がつづいています。

自分より優れた人たちと出会う日々ですから、とても勉強になりますし、もっと広く知られて欲しいと思うことが多くあります。

しかし、その専門家の人たちもまた、専門分野から一歩出ると素人です。専門外では脇の甘い発言をする人もいます。尊敬する専門家同士が、向いている方向が似通っているのにも関わらず、専門分野が異なっているためにそれぞれの領域の逆鱗に触れて、敵対したりしてしまう状況もあるわけです。その現状を解決するため、僕なりに問題を整理したいと思いました。言論のパッケージを変えてみたい、ということでもあります。

この本は、色んな専門家の人に会い僕が吸収した知識と、「ポジ出し」というスタンスを結びつけて書いたもの。基本的な政治経済の現状を解説した上で、社会問題の解決に必要な思考フレームを提示しています。このように社会を捉え、改革していきたいという、僕なりの、そしてシノドスなりの、ある種の「マニフェスト」なるものをまとめて提示したことになります。

「心でっかち」はもうやめよう

―― 本書では、陥りがちな思考の癖として、「心でっかち」というのをあげ、このような議論は排し、緻密に議論を積み重ねていくべきだと、主張されていますね。「心でっかち」な議論とはどういう意味なのでしょうか。

「心でっかち」という言葉は、山岸俊夫さんの言葉です。その言葉を受けて、僕なりの解釈を行いながら、議論を行なっています。

この言葉で想定するのは、ある種の議論の貧しきパターンです。

多くの議論は、右派的なパッケージと左派的なパーケージな対立だと思われています。でも、僕にとっての敵は「心でっかち」の議論です。

いじめの問題であれば、「いじめっ子は、ビシバシ鍛え直せばいいんだ」というものも、反対に「みんなが優しくなればいいんだ」というものも、個人の心理に社会問題を還元しつつ、過剰な期待を人々の心に求めすぎている。

環境の改善やプランの内容といった大切な話を吟味することなく、すべて当事者の意識の問題にしてしまう。「『凛として』いじめをなくそう」だとか「『一丸となって』いじめを無くそう」だとか、何か修飾語をつけるだけで議論した気になってしまうものです。どんな修飾語をつけたいのか、その好みやレパートリーの違いだけで争われても、問題は解決しない。

あらゆる社会問題を議論する場面で、「心でっかち」な思考が顔を出します。そうした議論こそが、問題解決のための敵です。

やはり、もっと「歩きながら書かれた本」が出て欲しいし、何がこれまでにわかっているのかを尊重する議論が増えて欲しい。論争の場でも、勝敗でもなく、誰を助けるための議論であるのかという目的を明確にしながら、事柄を明らかにしていくような、地に足がついた議論が必要です。

―― 「心でっかち」じゃ何も変わらないぞ、ということですね。

変わることももちろんあると思うし、何かを変えようとしている人が、自分に対しては「心でっかち」なこともあると思うんですよ。僕だって、自分自身に対しては、アホみたいにストイックさを要求します。

でも、社会設計の話をするときには、「心でっかち」な議論は無効であることが多い。だからもうちょっと、環境やプランに目を向けた話をしようということです。

僕が言いたいのは「何を変えるのか」「どう変えるのか」ということを丁寧に積み重ねる議論が必要だということです。漠然とした修飾語に頼らないような議論を行おうと。この本で言っているのは、そんな当たり前のことなんです。

「社会疫学的思考」とはなにか

―― 「心でっかち」に対抗する方法として「社会疫学的思考」というのを提唱されています。これはどのような思考法なのでしょうか。

「疫学」というのは、特定の病気の罹患率や分布などを調査したり、感染源を特定することで病気と戦う方法論ですよね。病気になった人に注目するだけでなく、ウィルスに感染したけど発症しなかった人に着目したり、ワクチンづくりに繋げたりします。実証を積み重ねながら、どういった処方箋が有効なのかを把握していくものです。非常に大事な思考法ですよね。

社会問題の解決も、疫学的な思考が重要になります。何が原因で問題を抱えているのか、効果的な処方箋としてなにを選択できるのか、その効果が過去の歴史で立証されたことがあるのか、それは応用可能なのか、どれくらいの予算が必要なのか、他の策と比較しそれでも予算を使う価値があるのか……。このような視点から、論拠を積み重ねながら社会に対する処方箋を吟味しなくてはならない。

社会政策というのは本来ならばそういうものです。しかし、現実では、「心でっかち」な議論が横行している。だから、「ちゃんとやろうよ」ということを言うため、社会科学を用い、社会的要因に目をやり、疫学的にアプローチして解決しようと提案しています。

僕は売春の取材をずっとしているのですが、そのなかでもあてずっぽうの議論がいっぱいあるんです。「援交少女は傷つかないはず」だとか、「お小遣いほしさの軽い気持ちの売春が増えた」だとか。それらはライターなどの憶測でしかなく、論拠は「たまたま捕まえた数人のサンプル」でしかなかったりする。

売春という、とてもオーソドックスで古典的な社会問題においても、あるいはいじめのような問題においても、「心でっかち」な議論ばかりがあふれている。そのことを受けて、まずはデータを集めよう。売春の場合、精神疾患が何割で、虐待経験があるのが何割で、と明確なデータを提示する必要があります。それを踏まえた上で、どういう対策が取れるのか、といった議論をしましょうと。

選挙でできる「ポジ出し」とは

―― 本書では政治に参加する重要性に言及していましたね。昨年の12月に、衆議院選があり、今年の7月には参議院選挙もあります。選挙というのは政治参加できる身近な手段だと思いますが、「ポジ出し」をすることは可能だと思いますか。

もちろん可能です。というよりも、数年に一度の選挙だけが、ほぼ唯一の政治参加とならないようにすることこそ、課題です。

たとえばこの本では、「シングルイシューのセミプロ化」を提案しています。特定の分野について、人より秀で、発信などをしてみようということですね。「ネットで目覚めた系」のやつではなく。

メディアのなかの人は、ルーティンで複数のテーマを取材しますから、ヘタすればメディア担当者よりも詳しくなれる可能性はいくらでもあるわけです。その発言について分かりやすくTwitterで発信すると、フォローワーが増えて行きますよね。これは立派な政治参加だと思います。

全部のプロにはなれないけど、ひとつの分野に特化することで「この観点ではこうですよ」というのをたしかに言うことができますね。このような活動も「ポジ出し」のひとつではないかと思います。もちろんそれで対立することもあるし、程度の低い発信者もたくさんいますけれど、それへの応酬を行うためにも、やはりセミプロ化は避けられない。

飯田(泰之)さんは選挙特番で、「党員になる」という方法を提案していましたね。特定政党の党員の数は意外と少ないので、党員になり内側から変えるほうが、何気に「国民としての一票」よりも重みを持つだろうと。

メディアをつくり、取材をしてもいい。良い記事を書いていれば、ニュースサイトに投稿したり、雑誌に投稿したりできます。意外とハードルは高くないんですよ。

選挙のときだけではなく、つくったロールモデルを提案していったり、いいなと思えるNPOに対して献金・寄付をしたりもできます。もっと手軽にできることもいっぱいあります。積極的にできる人はそれをやる。時間がないから消極的にしか参加できない人は、それを応援する。このようにさまざまな方法でポジ出しは可能です。

―― 政治以外にもできることはあるのでしょうか。

基本的に僕は、「政治でないもの」はないと思っています。すべてが政治の対象であると。僕が関わっている「困ってるズ」も「復興アリーナ」も「ストップいじめ!ナビ」も、やはり政治と言えるでしょう。

困ってるズ!」は見えない障害を抱えている当事者の方の「困っていること」「助かっていること」をシェアするのを目的としたメールマガジンです。ここでは困っている人たちの声を無視しないでくださいという働きかけがある。また、東日本大震災関連の取材・情報提供に特化したサイト「復興アリーナ」では、次の災害のときに行政はこうして下さいという提案をしている。

必ず何かを達成しようと思ったら、政治というものを意識しないといけない。政治をまったく無視していられるという人は、いないと思います。

万人に寛容な社会を目指して

―― この本では、「万人に寛容な社会」であることを前提として、議論を進めていますね。それはなぜなのでしょうか。

近代社会は、市民の権利をどこまで拡張できるのかという挑戦です。人権をどこまで認めるのかという線引きはいつでも行われていて、社会は現在の状況で完成なのかというと、全然、未完成。

その線引きを、どんどん揺らがせながら拡張していくことをつづけなければいけない。そういう意味で、つねに、どこまで強く、どこまで優しくあれるのかといったことに、長い歴史のなかで挑戦してきたことになります。

「優しくない人」は沢山いますよね。ネット上で、特定の誰かの失敗に対し、強く罵倒したりする。別にそういう人たちに「優しくなれ」と言っているわけではないです。

しかし、弱者にその矛先が向くと、当事者の人たちは追い込まれるわけです。社会の成員としていられることが当たり前だと思っている、強い側にいる人々が、とくに考えもせず他人に石を投げてしまうと、社会は拡張ではなく縮退してしまう。

さまざまな権利を広げていくことは、弱者のためであるように見えます。しかし、じつは誰にとっても、不幸から脱出するきっかけを有している社会でもある。

たとえば、明日怪我をするかもしれない、失業して一文なしになってしまうかもしれない。自分は線のなかにいると思っても、いつ、線の外におしだされてもおかしくない。だから、誰にでも寛容な社会というのは誰にとっても生きやすい社会であろうと。

この前のイベント(WEBRONZA×SYNODOS 年末スペシャル 政治と経済の失われた20年 データから語る日本の未来 2012.12.18)で、飯田さんが「僕たちが目指す社会は、安部さん以外も再チャレンジできる社会」と言っていて、会場が笑いに包まれましたね(笑)。どんな状況になったとしても、人間として幸福をあきらめずに追求できる社会をつくらないといけない。政治がそれに歯止めをかけるのであれば、抵抗し、別案を提示していかなくてはならない。

外れている者を見て見ぬふりしていると、いずれあなたも外れた者になってしまう可能性がある。いまある差別を「あれは区別だ」と許してしまったら ――というか、「これは差別ではなく区別」というフレーズはたいてい、認知的不協和を解消するためのイイワケにしか聞こえないのだけれど―― いつか銃の矛先が自分に向けられる日がやってくるかもしれない。

だから、そうした社会を目指すという意見は大前提として共有した上で、その目的にかなった言論があるのかということを問いたいと思います。

―― 万人に寛容な社会を作るのは、他人である弱者のためではなく、自分のためにもなるということですね。

現在の仕事を始めるまでは、こういうことを考えていませんでした。もっとマイナーな仕事をするつもりだった。でも、ひとたびこのような仕事をし始めると、色んな人と知り合いになります。

この数年で、本当に友人が増えました。難病の人や、色んなタイプの障害者とも会う。色んな国の人とも会うし、色んな年齢・経済階層の人とも会うし、色んな性的指向の人とも会う。本当に世のなかには色々な人がいるんです。

そうすると、社会のなかに誰がいるというメンバーのリストが、自分の頭のなかで、どんどん更新されていく。今までの自分の挙動とかが、彼らの存在を無視した発言ではなかったかと、考えるようになる。

たとえば、今まで自分がしてきた議論が、無前提に特定のジェンダーを想定した、特定のエスニシティを想定しているものではなかったか、と。そういう感度がより高くなっていくんです。

自分がそう考えるようになった以上、そこから見えた光景を共有するのが重要だと思うし、少なくとも社会や政治に関心がある方は、その観点というのは絶対忘れないでほしいなと。

たまに、専門知識はすごくあるけれど、倫理観が欠如しているような人とも会うことがありますね。それ以前の、「ネットでいばりんぼ」な人もいますけど。人を罵倒するためにその知識を使っているのを見ると、「あなたは、何がしたいんだ」って思います。それは、世のなかを改善するための武器じゃなかったのかと。どんな社会をつくりたいのかという、魅力ある提案が欠けていると、対話がむずかしい。

その武器を手に入れて「切れる、切れるよ」と言って、「倒せそうな奴」をサクサクと切り刻んで行く。それってつまらないですよね。道具は誰かを幸福にしなければいけないと僕は思います。

僕が引いた「くじ」

―― 最後に「あなたはいったいどうするのか」という問いを読者にぶつけていますね。

たまに「自分は何をしたらいいんですか」と聞く人がいるんですけど、そんな質問されても、僕は答えを持っていません。でも、そういった質問をする人というのは、恵まれていますよね。とくに当事者意識も持たずに、「戦わないと」と思わされる分野がなくて生きてこられたわけです。これは幸福ですよ。

でも、「問題意識を持つ」以前に、「問題当事者にさせられている」人がたくさんいます。これまで出会ってきた人たちのなかにも、マイノリティであることによって、苦しんでいる人がいるかもしれない。そういったことに気づくと、何をしたらいいのか分かることもあるかもしれない。

この本でも取り上げているのですが、難病患者である作家の大野更紗さんの「くじ」という表現を、僕は気にいっているんです。たとえば、何万人に一人の割合で難病になるように、たまたま大きなリスクを負ってしまうことがある。誰もが「くじ」を引く可能性があるんです。

たまたま、大野さんは難病のくじを引きました。じゃあ大野さんがくじを引かなかったら、大野さんが僕の知り合いじゃなかったら……。僕が今と同じようなスタンスで難病という問題に接していたのか分かりません。偶然の要素はとても大きいです。

水俣病の取材をしたときに、原田正純さんの記事を読みました。「見てしまった責任」という彼の言葉は、すごく腑に落ちました。出会ってしまった以上、見てしまった以上、知って、仲良くなった以上、その立場に立ってしまったから行動しなければいけないと。

だから、ある意味では僕も、くじをひいたんだと思う。たまたま「難病くじ」や「貧困くじ」はひかなかったけれど、「拡散くじ」「伝えるくじ」「繋げるくじ」を引いたんだなと。だからこれからも、多くの人に知恵を借りながら、「ポジ出し」をつづけられたらと思いますね。その前提となる概況、政治経済観は本書にまとめたので、あとはソリューションを出しつづけていくことだと思います。

プロフィール

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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